第四章 お栄の依頼
1
「南無太師遍照金剛……」
験楽寺の本堂で、真言宗の読経が続いている。お栄の偽の葬儀が行われているのである。
お栄は、夕刻に息を引き取り、南町奉行所の検死を受けて、埋葬許可をもらった、ことになっている。お栄は薬により、眠っている。唯一の身寄りである、お栄の母には、禅海が訳を話し、他言無用、母子の命に関わる!と強く言い聞かせて、葬儀に参列させた。
底に細工をした棺桶に、お栄の白装束の身体を納め、ダイゾーと政が担いで験楽寺の本堂に運び込んだ。それから、篭脱けの手妻で、床下からお栄の身体を運び、お栄は今、寺の太師堂で寝かされている。浄庵とダイゾーが側にいる。
「ここまでは手順どおり、抜かりはないようじゃな?」
と、浄庵が、お栄の左手の脈拍を計り終えて、布団を直しながら言った。
「何かあるとすれば、夜でしょう。棺桶を埋めてからだと思います」
「来るかのう?」
「浄庵先生、来ないと、お思いですか?」
「いや、八割は来る、と観ておるが……」
「九分九厘、来ますよ!わたしなら、罠と考えて、それなりの準備と策は練りますがね」
「罠を食い破る手立てを考えるか?お主なら、どう動く?」
「ふたつあります。ひとつは、まったく将棋組と関係のない人間を雇い、墓をあばきます。そいつらが捕えられても、足がつかないようにするでしょう」
「なるほど、他人を使い、罠を探るか……それで、もうひとつは?」
「集団でかかります。罠であれば、その罠を仕掛けた者どもを一気に葬ることにより、向後の憂いを絶つ!ということです」
「罠に敢えて飛び込み、我々と戦をするというのか……?」
「将棋組の存亡に関わるなら、そうする可能性もある、ということです」
「では、我々はどう対処すればよいのじゃ?戦をするのか?」
「いえ、ここで集団で戦うことは避けましょう。火をつけられたりすれば、町民に被害が出る可能性もあります。今回の罠は、誰が墓をあばきに来るかを知り、その者の背後を探ることです」
「では、墓をあばかせ、お栄が死んでいないことを教えるというのか?」
「いえ、お栄が死んでいると信じ込まします」
「どうやって?」
「将棋組はおそらく、お栄の顔は知りません。死んだ、富次がつなぎ役で、誰もお栄には会っていない。死骸がお栄かどうかわかりませんよ。そして、顔を確かめる頃合いに、寺男が提灯を提げて、墓の見回りに登場しますから、墓はそのままにして、退散するでしょう……」
「なるほど、別の死骸を入れて、罠とは思わせず、墓あばきのあとをつけるか?ダイゾー、お主、なかなかの策士だのう……」
※
「小名木川に政と、もうひとり船頭を待機させました。竜斎先生とお市殿は、木々の上で見張っています。お栄には、清十郎さんと豪左衛門さんがついています」
その夜、お栄の身代わりに奉行所の牢内で亡くなった、女の死骸を棺桶に入れ、墓所に埋葬を終え、寺の本堂で待機していた、禅海と浄庵に、左乃助が報告したのだった。
「ダイゾーは?」
と、禅海が尋ねた。
「棺桶を埋めた墓所に何やら細工をしています。強い香のような臭いのする、粉を辺りに撒いているのです」
「何のためじゃ?」
「ワシが指示をした。闇夜に賊を追うことになる。ハチの鼻を使うため、墓に現れた者に臭いを付けてもらうためじゃ。硫黄の臭いがして、夜光貝の貝殻を擦り潰しておるから、足跡が闇夜に光るはずじゃ」
「おう、なかなか、軍師らしくなったではないか?よし、あとは墓あばきの登場を待つばかりか……」
「では、わたしは山門前の木の上で見張っております」
「ところで、お栄本人は、いかがしておる?」
「睡眠薬が切れて、目が醒めて着替えをさせた。死に装束は可哀想じゃから、尼の衣装にしておる」
と、浄庵が説明しているところへ、本堂と太師堂を結ぶ、秘密の地下道から、お栄を警護していた、清十郎が現れた。
「和尚、浄庵先生、お栄が豪左衛門さまの尋問に答え、叶恵を亡きものにして欲しいと、富次に頼んだことを白状いたしました。ただ、富次に十両を五両ずつ、二度に渡って支払っただけで、実際に叶恵を殺した者には会っていないとのことです。告白して、少し落ちついたのか、また横になりました」
「さすが、豪左衛門殿!自白を引き出したか……よし、少し薬を与えて、心を落ちつかそう」
浄庵はそう言って、薬箱を手に提げ、清十郎とともに抜け穴に入っていった。
※
太師堂の板の間に布団を重ねて敷き、お栄は尼僧衣のまま横になっていた。浄庵が医師であることを知っているお栄は安心した表情を浮かべた。
「なにも案ずるでない。我々は奉行所の者ではない。そちを罪人として、お上に引き渡すつもりも今はない。そちの身体を治すことが先決じゃ。その後、自ら、罪を償いたくなれば、自身番に自首すればよい。罪一等は許されるであろうからのう」
「はい、罪を償いとうございます。できれば、この衣装のまま、尼になりとうございます。ただ、叶恵を殺した者だけは捕えて、罰を当えてください」
「わかった。我々が必ず、罪を償わす。何か、犯罪者に心当りはないか?富次と申す男が誰かと接しているところを見てはおらぬか?」
「心当りはありませんが、茶屋に富次さんが訪ねてきて、叶恵のことで、まずいことになったそうで、話があるので顔を貸してくれ、と呼び出されました。不忍池の弁天さまに行く道すがら、『おまえ、誰かに殺しを請け負う人間がいることを話さなかったか?』って訊くんです。わたしはそんなことは口が裂けても言わない、と言いますと、そうか、それならいい、と……その時、弁天さまの橋を渡っておりまして、急に『危ない!伏せろ!』という声がしました。そのあとのことはよく覚えていません」
「ああ、そう叫んだのが、我々の仲間の者じゃ。その声に反応して、身をよじったおかげで、命が助かった。弁天財の御慈悲かもしれぬのう。富次のほうは、矢が心ノ臓に刺さって、地獄に行ったからな……」
2
「怪しい野郎が、門前をうろちょろしていました。ひとりは、目明しのようですので、善三という富次の事件を調べている親分さんでしょう。こちらは、すでに帰りました。あとは遊び人風です。たいした腕の男ではありません。雇われた三下だと思います」
夜もふけて、夜回りの火の用心の拍子木の音が遠くに聞こえている。三日月が西の空に消えて、星空が広がっている。
ダイゾーが寺の周りを見回って、禅海に報告したのだ。
「其奴が墓をあばきに来るのか?」
「ええ、たぶん、墓の場所を調べて、案内してくるでしょう。こちらに変わった動きがないことも報告しているはずです」
験楽寺は大きな寺ではないが、一応、屋根塀に囲まれており、入口は山門だけである。墓所は本堂の奥。その塀の向こうは、広い武家屋敷の敷地の庭に接している。賊が侵入してくるとしたら、山門か、その両側の塀を乗り越えて来るはずだった。
いつもと変わらない時刻に灯りを消し、寺は寝静まった様相を見せている。
丑三つ刻になった頃、山門に黒い人影が現れた。まず、ひとりが辺りの様子を伺い、変わったことがないことを確認したのか、手に持った小さな行灯を後方にかざして、左右に振った。
四つの人影が、音をたてずに山門前の石段を駆け登ってきて、最初の男と合流する。そのひとりの肩には鍬が乗っていた。もうひとりの背には、矢筒に十数本の矢。左手に弓を持っている。
いずれの男も黒装束だが、最初の男と鍬の男は、町人髷に頬被り。弓の男と残りのふたりは、イカの頭の形の黒頭巾。三人は武士のようで、野袴をはいて刀を差している。
武士のひとりが、山門の前に残り、四人が境内に入る。本堂の横、墓所に通じる石畳の脇にある、大木の陰に、弓を持った男が隠れた。そして、三人が墓所に入った。
「山門にひとり、見張役か……。いざという時に、敵を威嚇するため、弓矢の者を本堂脇に配置したか……。だが、山門の者はたいした腕ではないのう。将棋組は天狗の面をつけておると訊いたが、奴ら、将棋組ではないのか?」
山門を入ったところの木の梢に腰をかけて、竜斎が、隣に立っている左乃助に問いかけた。
「さて、天狗の面は押込みを担当する第三番隊がかぶっていたものですから、殺人を請け負う、第四番隊は面をつけてないのでしょう。しかも、今の五人がすべて、将棋組の隊員とは限りませんから……」
「では、どうする?ダイゾーとかのいうとおり、手出しせず、あとをつけるか?」
「ええ、奴らが、死骸をお栄だと誤認して、騒ぎを起こさず帰ってくれるなら、あとをつけましょう。おそらく、小舟を待たせてあるはずですから……」
※
「賊は五名、山門にひとり、本堂脇に弓を構えた者ひとり、墓所に三人、うち二名は町人です」
禅海の休んでいる、座敷の障子越しに、黒い影が囁いた。忍びの衣装に着替えた、お市が連絡してきたのだ。
「弓矢を構えている男を捕えますか?」
と、ダイゾーが闇の中で側にいるはずの禅海と亮吾郎に尋ねた。
「うむ、どうやら、将棋組本隊の者ではない、雇われた者どものようじゃな?あとをつけても、本隊にたどり着くとは限らぬのう……、ひとり、ふたりは、捕えておくか……」
「では、山門の見張りとふたりを捕えておきましょう。お市殿、左乃助さんに伝えてください。山門の見張りを、音のせぬよう捕えるように。弓の男はわたしが捕えます、と……」
障子の向こうの気配が消えた。
※
山門の前に立っている侍は、寺の内外を交互に見回している。頭上の樹の上には注意を払っていない。
お市は屋根塀の上を遠回りして、左乃助と竜斎にダイゾーの言葉を伝えた。
「よし、ここはワシに任せておけ」
と言って、竜斎を懐から、褌のような、白く長い布を取り出した。
そして、樹の梢から、山門前に立っている男の背後にその布を垂らしていった。
背後の異様な気配に、男が振り向き、白い布に視線が集中する。その背中に、音もなく、竜斎が樹から飛び降りる、と同時に、男の首筋に鉄扇を叩きつけた。
男が、声もたてず、膝から崩れ落ちる。地面に倒れる前に身体を支え、山門脇の木陰に男の身体を運んだ。すぐに、猿轡をして、手足を細縄で縛りつけた。
※
本堂横の木陰にいる侍は弓をすぐに射ることができるように、弓矢を準備して、墓所のほうに視線を向けている。そのため、山門前の出来事には、気づかなかった。
「こんな真夜中に弓の稽古ですか?」
急に背中から、声がかけられ、男は驚いて、弓を構えたまま、振り返った。その喉元に、ダイゾーの黒い杖が突き刺さった。
前のめりに倒れかかる男の身体を支え、ダイゾーは本堂の床下に男を運んだ。左乃助が、すぐに、猿轡と手足を縛りつけた。
「そろそろ、棺桶の蓋を開ける頃合いです。見回りを装って、残りの三人は退散させ、あとをつけることにしましょう」
ダイゾーは提灯の蝋燭に火をつけ、ゆっくりと墓所に向かっていった。
お栄の棺桶を埋めた辺りに微かな灯りが見える。鍬の音が止んで、棺桶の蓋が外される音がした。
「誰です?何をされていますか?」
ダイゾーが寺男の見回りを装って、棺桶の周りに立つ三人に声をかけた。
三人のうちの武士らしい男が、腰に差した刀の鯉口を切って、ダイゾーに駆け寄ると、居合い抜きに刀を払った。提灯が真っ二つになって、蝋燭の灯りが消えた。
「マズイ、引き上げるぞ」
あとのふたりに声をかけ、男は山門へと駆け出した。鍬を残したまま、町人風のふたりがあとに続いた。
「見張りのふたりが見えぬが……、異変を察して、先に走ったか?」
山門前で、武士の男は立ち止まり、辺りを見回し、独り言のように呟いた。背後に町人ふたりが追い付き、三人は山門から表に駆け出していった。
「どうやら、予想どおり、小名木川から舟で大川に出るつもりですね?」
「ええ、しっかりと、臭いのついた粉を踏んづけていきましたよ。政さんたちが、あとを追うでしょう。ハチを連れて、我々も追いかけましょう。捕らえたふたりは、豪左衛門さんと亮吾郎さんに、お願いしましたから……」
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