ANALYSIS 19
上空を旋回する機体は、進路を横田に変える為の調整を行おうとしていた。
機長が数値を読み上げ、入力された数値を副操縦士が復唱して確認していく。いまでは殆ど行われなくなったアナログ――手動での数値入力は、勿論副操縦士にとって経験はない。一つ数値が間違えばまったく違う場所に飛行機を導いてしまう緊張に計器を確認して復唱する副操縦士の声が震えている。
淡々と機長がまず入力していくのは、螺旋を描くように緩やかに高度を下げていく為の細かな数値だ。こうして徐々に高度を下げていく。
それから後、進路を横田に向け、目的地が近くなれば着陸への体勢を整える。
こういえば簡単なことだが、航空機の速度を一定に保ちつつ高度を落とすのは簡単なことではない。
気流の問題だけでなく、目的地に近付けば付近にある建造物の問題もある。
そして、何よりも。
墜落プログラムを遮断する為に一時オートパイロットを落とす為に濱野のプログラムが攻撃する際に。
エンジンが同時に動きを止める。
それは、推力を失い、航空機が飛ぶことのできない塊になることを意味する。
再起動まで、一分二十秒。
その間、航空機は落ち続け、地表へと落下していくことになる。
その地表へと何も出来ずに近付いていく期間を推定して、降下する速度を決めなくてはならない。
しかも、目的とする空港は目視できる位置になく、その場所までの航路も計算で導き出さねばならない。
それに教授の計算と管制からの情報が助けとなっても。
実際にそれを、機体を運ぶことによる気流の乱れ等の反応に地表から吹く風やその他の突発的な要素に対応しながら機体を操縦しなくてはいけないのは、機長と副操縦士、この二人になる。
423名――彼ら自身を含むその生命は、その手に委ねられていた。
「着陸目的地を成田に変えてください」
「秀一くん?此処まで来ておいてそれいうか?もう横田に向かって降下を始めてるんだぞ?」
突然、画面に姿を現わして発言する秀一に濱野が驚く。
「突然何いってんだよ、それにいままで何処にいたんだ?訳の解らんない連中が出て来て、お役所仕事でうるさかったんだぞ?」
濱野が右手を振り回して抗議するのに、涼しい顔で秀一がいう。
「それでも、成田で許可が取れました。変更してください。周辺への延焼を防ぐ為の消防の体勢も整っていますし、何より、機長は成田への着陸の経験が豊富のはずです」
「あー、…あー、でも、もう横田へ、――可能なのか?」
「待ちたまえ。機長、いまの降下ルートに合わせて私がいまから数値を計算する。それに従って降下速度を変えて、方向舵の角度を変更し成田へと機体を向けることは出来るかね?」
機長が何かさらさらと紙に書く音がする。
「何とかやってみましょう。三十秒以内に変更する数値を貰えますか?」
「勿論だよ。いま送っておいた。確認してくれたまえ」
――神業、…――。
教授の計算能力に思わず濱野が思ったことを何とかくちに出さずに思うだけに留めて。
機長が教授からあたえられた数値を元に機体が目指す向きを変える。
「しかし、何だって横田から成田?いきなり?いまさら?」
呟いている濱野に、西野がそっという。
「プライドがプライドを制したんじゃないかと」
「…―――何か複雑な事情がありそうなのは解った」
濱野が理解するのを投げて、黒縁眼鏡の奥に視線を真剣なものに変える。
成田へと機体が近付いている。
事前の打ち合わせ通りの降下地点で、オートパイロットを断つ攻撃を行わなければならない。
「出番だ」
濱野が、動きを止めたようにして感情の抜け落ちた表情になり、既に入力されていたコマンドを実行する。
非常に簡単な指先の動作一つで、いま423名の乗る航空機のエンジンは切られていた。
コンピュータの制御総てが失われ、機体は地表へと降下し続ける塊になる。
「再起動」
濱野がコマンドを実行した結果、落下し続ける機体の表示を見守りながら、予定されていた時刻をみて呟く。
一分二十秒。
そこで、再起動が行われオートパイロットから操縦を取り戻し手動で操縦が行われる事になる。
はずだった。
「何、…―――だって?」
濱野が眼を見張る。
機体は、コントロールを取り戻していない。
落下する石のように。
JAL421便は、成田へ向かって降下を続けていた。
否、―――制御を失った機体が向かうのは。
西野が、声を呑む。
眼を見開き、左拳の背をくちに当てて叫びを呑むのは。
JAL421便。
コントロールを失った機体を追いかけている映像に。
映像を記録している機体の正面に姿を突然現わしたと思える機影。
旅客機と比べれば、小さな闇に紛れるほどの。
F―15Jイーグル。
その機影が、コントロールを失った旅客機の前に。
そして。
機銃、バルカン砲、―――。
その銃口を向けるのを、西野は見ていた。
JAL421便は制御を失い墜落していく。
本多一佐は冷静な視線でJAL421便を見据えていた。
照準を旅客機に合わせる。
「おいっ、…!なんで!」
濱野が叫んで、叫んだまま旅客機が撃たれた映像に動けないでいた。
西野が茫然と実際に目の前で――画像越しとはいえ――人が乗る旅客機が撃たれるさまをみて。
反射的に、手を動かして機体のフォローを行っていた。
それは単に、撃たれた旅客機が何処へ落ちていくかを速度等計測値から予測するだけのものだが。
旅客機は何処へ落ちるのか、――――。
衝撃に声の無いまま、西野は機体を追跡しながら、気付いていた。
機体が落下する中で、副操縦士は動くことも出来ずにいた。機体が撃たれた衝撃は、むしろ微かで落下速度が増えるにつれ機体の震えが強くなる事に紛れてしまう。
機体に与えられた衝撃を感じ取り、視線を僅かに向けたのは機長だった。
そして。
二十五秒遅れて。
機器が蘇り始めるのに、機長が手を伸ばし、オートパイロットの再起動を防ぐ。
赤いランプが沈黙して、手動制御に切り替わる。
操縦桿を握り、機長が手動で装置を取り戻す。
「高度を報告しなさい」
「き、機長?…は、はいっ、…―――高度、1281,1240、1160、…―――」
急速な降下速度を抑える為に、機長がフラップを広げる。フラップの形状を変えることで、空気抵抗を増し降下速度を抑えることが出来る。
「1112、1103、1092、――」
降下速度は中々落ちない。
機長が浮力をつける為にエンジンを全開にする。
噴射は五秒。
方向舵の向きを変えて。
「――998、992、…――993、――997、機長?」
高度計が急速な降下をやめ、浮力か何かに乗ったように降下速度が落ちて高度が一定するのを報告しながら驚いて副操縦士が見る。
「管制を呼び出し。成田に着陸する」
機長の指示に副操縦士が無線で成田を呼び出す。
「はい、――こちら、JAL421便、成田応答願います、…繰り返します、こちらJAL421便、成田管制塔、応答願います、―――」
繰り返すコールに応答がある。
「こちら、成田管制塔、…――JAL421便、こちら成田管制塔…――」
応答のコールに副操縦士がほっとして泣きそうな顔になるのを堪えて応える。
「着陸許可を求めます。こちら、JAL421便、成田、着陸の許可を求めます、――――」
無線の雑音が響き、応答がある。
「こちら成田、JAL421便、着陸を許可します。滑走路は4番、―――」
通常の遣り取りに副操縦士が思わず涙が浮かぶのを堪える。
機長が、右のエンジンを吹かし、姿勢のバランスを取る。
機体は揺れながら、一定の速度で滑らかに空港へと向かって降りていく。
誘導灯が浮かぶ滑走路が、視認できる距離になる。
「ギアダウン」
「ギアダウン」
機長が車輪を降ろす操作を行い、副操縦士が計器に車輪が降りたことを確認して。
闇に浮かぶ誘導灯に、速度を落としながら機体が近付く。
衝撃を機体が受けてたわみ、地面に車輪が接触した衝撃が機体に伝わる。
速度を落としながら、滑走路を機体が駆け抜けていく。
後方へ流れる光る誘導灯。
ブレーキの摩擦が車輪のゴムを燃やし煙りが白くアスファルトに消える。
徐々に機体は速度を落とし、遂には滑走路の端に静止していた。
間を置いて、消防車両が赤いランプを灯して取り囲む体勢に移動を始め、車両が幾台も近付いてくる。
機体の非常用脱出口が開き、滑り台が落ちて地面に届く。
「おれさ、もー寝ていい?」
機体が乗員乗客脱出後に無事爆発して燃えたのを確認して――無事爆発して燃えたというのもおかしな話だが――濱野がぼんやりした顔で宙をみながらいう。
「いいんじゃないでしょうか?おやすみなさい、…―――」
応えた西野も、突っ伏すようにしてデスクにと。
西野の返事を聞いたのか、聞かないままか。
濱野が、仰向けに床に寝転がって、ぽかんとくちをあけて無心に寝ている。
「左のフラップを一枚だけ撃ち抜いたのは何故なのだね?」
教授の穏やかな問いに本多一佐が淡々と応える。
「単に姿勢を変える為だ」
「変えてどうするのだね?」
好奇心から聞いている教授に、ちら、と醒めた視線を本多一佐が送る。
グローブをした手を組んで動かして、右腰につけた無線機の光をみて手に取りながら。
「あのままでは都心方面に墜落した。成田には風が吹く」
短くそれだけ答え、無線のコール表示に数字を打ち返し、機体から降りた本多一佐が歩いて行くのに教授も着いていく。
都心方面に落ちるのを、フラップを撃つことにより機体の向きを変えて防いだということだろうね。
そう推測しながら、まだ解らないことを教授が訊ねる。
「風が吹くとはどういうことだね?成田に」
教授を無言で振り向いて見て、端正な能面のような無表情のままに本多が答える。
「有名な話だ。この辺りを飛べば。成田の山からは吹き下ろす風が吹く。季節や時間帯によって吹く方向は違うが」
短い説明に教授が肯いて補足する。
「つまりそれは、きみも機長も知っていて風を利用したということかね?山から吹き下ろす風が、降下する機体の速度を止める浮力を与える風になると」
フラップを撃つ事により、同時に風の吹く成田の山へと機体を向けさせた本多一佐と、その姿勢変更と成田から吹く風を利用して機体を見事に浮力に支えさせ、落下を食い止めることに成功した機長。
「二人共、風を知っていたということかね」
そういえば、機長は成田に着陸した経験が豊富だといっていたね、と。
微笑んでみる教授に背を向けて、すたすたと本多一佐が歩き去っていく。
その背を見送って。
「困ったものだ」
教授が愛想のない弟に微笑んで、一つ息を吐く。
夜は天に月の無いこの新月にさえ、冴えて晴れ渡っているようだと。
世界は、いま二度び静寂と平穏を取り戻している。
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