第7話 彼女の秘密を覗いたら・・・ ~鶴田弘毅の場合~

 鶴田弘毅つるたこうきは地雷を踏まないよう、注意しながら毎日を過ごしていた。


 足で踏むと爆発するヤツじゃ無い。

 昔の彼は、好奇心から何でも余計なことに首をつっこみ、または言ってしまい、災難に遭ってきた。


 高校の頃ようやく弘毅は改心し、面倒事に巻き込まれないよう自制するようにし、そもそもそうならないような道を選択し続けた。

 就職した会社も給料が特に良い訳では無いが、取引する顧客と直接会う機会が少なく、お客様から「余計なお世話だ」などと問題になる恐れもほぼ無い。

 厳しいノルマもなく、社内での派閥争いもなく、ほぼ定時で帰宅できる。

 人によっては「やりがいが無い」と思うかもしれないが、弘毅は善意のつもりでやったのに「迷惑行為だ」と受け取られ、面倒なことになるのが嫌だった。



◇◇◇◇


「二課の課長、地方へ左遷らしいわよ」


 弘毅は給湯室で、事務のおばちゃん「西川さん」と話をしていた。

「あの課長最近家を建てたとか、西川さん言ってなかった? 新居はどうすんの?」

「単身赴任、だって〜」

「かわいそ! 課長、なんかやらかしたの?」

「それがねぇ。噂なんだけど、三課の事務の子を無理矢理ホテルに連れ込んだらしいのよ~。で、マズいことにその子、取引先の偉い人の娘だったらしくって、それで飛ばされるんだって。女性問題だから、奥さんも転勤に付いていかないらしいのよ~」

「へえ・・・・・・」


 社員にとって人事情報は興味のある話だ。

 おばちゃん達は異動とかないので興味本位だが、転勤だと家族とか恋人のことも考えなくてはならないし、空いたポストに誰が来るかで仕事量も方針も変わってくる。昇進時期であればなおさら過敏になるし、詳細な情報が欲しい。


 弘樹は社内情報を、古株の女性社員西川さんと掃除のおばちゃんから得ていた。   

 彼は何故かこの二人に気に入られていた。

 給湯室や喫煙所で会った時に、向こうから勝手に、会社情報を裏話まで添えて話してくれる。

 二人から裏の社内事情を知り、面倒なことに巻き込まれずに無事、社会人生活を過ごすことが出来ていた。



◇◇◇◇

 その日の仕事を終え、駅に向かっていた。

 ロータリーを歩いていると横から、


「ちょっと」


 という声が耳に入り、暗闇に目を向ける。


「あんた、近いうちに世界を変えるよ」


 そこには易者が座っていた。

 恵比寿様のように笑顔だが、その表情がいかがわしい。

 面倒事が嫌いな弘樹は無視して立ち去った。



◇◇◇◇

 電車を待つ間に易者のことは忘れ、弘樹は電車のホームに立っていた。

 まもなく電車が入ってきたが、満員で座席が空いていない。


(暫くは立ったままか・・・・・・)

 と考えながら、開く扉から車内に目を移した瞬間、座席に座るサラリーマンと目が合い、


 キンッ


 という金属音が、頭蓋骨内に響いた。

 疑問に思いながら乗り込むと、人に押されて、そのサラリーマンの前に立つことになった。


(さっきの音は何だったんだ? それに「次か・・・・・・」っていう声も聞こえたような・・・・・・)

 窓の外の流れる風景を見ながら思案していると、ゆっくりと電車のスピードが緩み、次の駅で止まる。

 すると目の前のサラリーマンは立ち上がり、電車を降りていった。

 目の前に生じた空き席に座りながら、ホームへ降りるサラリーマンの背を見つめる。

 発車した電車の中で、弘樹は先程頭に響いた声を思い出していた。



◇◇◇◇

 ある晴れた平日。

 その日弘樹は有給を取り、日頃出来ない役所や銀行での用事を済ませるため、街まで来ていた。

 独りで歩いていると、先日の電車での出来事が思い出される。

 一つの仮説は立てていたが、それはあまりに荒唐無稽なので、もっと理論的で納得のいく理由を探していた。


 目の前の証券会社から、身なりは普通だが、ヤケに瞳を輝かせた白髭の老人と目が合った。


 キンッ


(まただ!)

 老人の興奮によるものなのか、今度はハッキリと言葉が脳内に響いた。


(上手く売り抜けた! A社が明日「事実上の倒産」なんていう情報を掴んで良かったわい! 財産のほとんどが無くなるところだった・・・・・・)


 足早に去って行く老人の背中を見つめながら、弘毅は思案した。

 先程まで荒唐無稽な仮説と思っていたが、老人の表情と頭に響いた声がリフレインする。

 この胸につかえた疑問を払拭させようと、弘樹はある行動に出た。

 老人が出てきた証券会社に入り、初めてでも「売り」から始められるサービスがあったので、勢いで口座を開設してA社株を空売りしたのだ。


 その「情報」を知りうる立場にある人物が、その株の売買をすると「インサイダー取引」になる。儲けが出ようが出まいが関係なく、5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金だ。またその「人物」は社員、会計士だけでなくアルバイトも家族も友人も含まれる。

 さっきの老人も情報の出所が分かれば処罰されるだろう。


 しかし自分はA社とは無関係で、さっきの老人とも繋がりは無い。処罰対象にはならないはず。

 問題は資金だが、弘樹は全財産分をつっこむことにした。



◇◇◇◇

 翌日───。


 朝から弘毅は後悔していた。

(なんてバカなことをしたんだ? 俺は……)

 空売りした場合、後日買い戻さなくてはならない。売った分、つまり全財産を使って。

 それからの生活費がゼロになってしまうから、借金しなくてはならないだろう。ましてや株価が上がったら借金額も増える。


 苦悶しながら迎えた昼。

 食堂で流れるTVからはA社が破産したというニュースで大騒ぎだった。

 弘樹は財産が無くならなかった安堵と増えた喜びより、仮説が証明されたことの方に驚いていた。


 自分はどうやら、他人の思考が読めるらしい。



◇◇◇◇


 これをテレパシーと呼ぶのだろうか。


 発動条件は第一に「目が合う」ことのようだが、他にもあるのかもしれない。

 それよりも弘毅は、この能力が何の役に立つのかわからなかった。

 昨日の老人のような「極秘情報を持つ人物」と「目が合う」なんて一生に一度ぐらいだろう。

 とりとめの無い思案にふけていた喫煙室に、二課の課長が入ってきた。


「あれ? 課長煙草吸うんですか?」

「色々あってねぇ・・・・・・。部にいても皆なにかよそよそしくて居づらいしヒソヒソしながら僕を見てるし、吸い始めたんだよ・・・・・・」

「止めた方がいいですよ。折角今まで吸ってなかったのに」

 課長は弘毅の言葉を聞きながら、溜息をつく。


「色々って、転勤の件ですか?」

 課長は少し驚いたような顔をし、そして頷いた。


「もう、他の課まで知られているのか・・・・・・。家を建てたばかりなのに、何故だろうね・・・・・・。ローンを返さなきゃならないのに、生活費が2重になっちゃうよ・・・・・・」

「え、何故って・・・・・・転勤の理由、知らされてないんですか?」

「寝耳に水だよ転勤なんて。普通内示とかあるだろ? しかも僕、二課に配属されたばかりだし、こんな短期間で異動になるなんて思わないよ。だから家、建てようと思ったんだし」


 何か変だ。

 おばちゃん達の話が本当だとしても、本人に転勤理由を言わないなんて、ある?


「こんな噂があるの、ご存じありません?」

 弘毅は「噂話」の内容を伝えた。


「全くのデマだよ! 僕には妻も子供もいるのに!」

 課長は話に驚いた様子で、怒鳴り出した。

「しかも他課の事務のなんて接点無いよ! ただでさえ僕はセクハラが怖いから、女性社員には迂闊うかつに話しかけないようにしてるのに。そんな僕が他部署の女性社員と社外で逢うなんてすると思うかい? しかもそういう仲ならまだしも、強引にホテルへ連れ込むなんて、何か相手の弱みでも握ってなきゃ無理でしょう。妻が来れないのは、息子が難関進学校に合格したからだよ」

 

 そう言って課長は、火を点けた煙草を吸いもせず、喫煙室から出て行った。

 弘樹はその姿を目で追いながら思う。

(そうだよなぁ・・・・・・。あの課長の性格からは考えられないんだよなぁ・・・・・・)

 弘樹の下世話な好奇心がうずきだしていた。



◇◇◇◇

 弘樹は三課の前まで来て、一呼吸してから扉を開けた。

 「失礼します」と言いながら、中に足を踏み入れる。

 脇には社内便を抱えていた。

 メールボックスから三課行きの社内便書類を抜き取り、「うちの課に誤配送されていました」というで、くだんの女性を確かめようと思ったのだ。


(いた・・・・・・)

 眠たげなまなこで、キーボードに手を置く女性社員が、目に映った。

 事前に確認してきた社員名簿の顔写真より、無愛想に感じた。

「あの・・・・・・」

 女性に近づき、声を掛ける。

 無言で振り向いた彼女と目が合う。


 キンッ


 途端に大量の思考が流れ込んできた。

 一瞬動きが停止した弘毅にいぶかしげな視線を向ける彼女に、

「誤配送書類がありました」

 と、伝えながら、書類を渡す。

 渋々ながら手を出した彼女に書類を押しつけるように渡すと、そそくさと部屋を出た。


(ヤッバ!・・・・・・)

 ドアの横の壁にもたれかかり、読み取った記憶を思い出す。

 今回は読み取ることを意識した上での行動だったので、予想以上の情報が弘毅の脳に入ってきた。


 発端は就業中にパソコンで芸能人ゴシップ記事を見ていたことを、部長に注意されたことのようだった。部内に着席している者の動きには注意を払っていたはずなのに、一体誰がチクったのかと考えていると、画面を見ていたときに二課の課長が後ろを通ったのを思い出した。

 彼女はろくに確かめもせず、課長を犯人と決めつけた。


 とんでもない話だ。


 弘毅はおばちゃん情報で、会社のパソコンでの閲覧ログは記録されており、業務と関係の無いサイトや転職サイトをあえて閲覧できないようにせず、人事考課資料として使われていることを知っていた。だから彼女の判断はその時点で間違っている。


 元々彼女は、甘やかされて育ち我が儘で成績も悪かった。就職もせず(出来ず?)フラフラしている娘に豪を煮やした父親は「社会勉強してこい」と、我が社にコネで入社させたようだ。どおりで働く意欲がないわけだ。


 そして父親に「セクハラされている」と嘘をつき、娘に似て短絡的な父親は人事部長に課長の異動を迫ったらしい。それが何時の間にか尾ひれが付いてホテルに連れ込んだ、となったようだ。


 ただの逆恨みで左遷されそうになっている課長にしてみればたまったものではない。しかも彼女が「報復が怖い」などと言ったものだから、本人に転勤理由は言わない約束もしているようだ。


 それよりも、だ。

 もっとヤバいのは、彼女が会社の金を横領していたことだった。

 経理の古参女性が少額の清算金をちょろまかしていることを知った彼女は、その女性社員を脅し、更に多額の不正を行わせて代わりに着服していた。


 早速事実をおばちゃん達に話すと、彼女らの行動は早かった。

 まず彼女のログ履歴をSE部から入手した。

 しかし、入手するまでも無く、部内の社員は彼女がいつも業務と関係ない画面を見ていたことは知っていたようだ。


 経理の女性は西川さんがよく知っている人だったので、一言目に「おどされてるんでしょ?」と話しかけたら、泣き崩れて全て白状した。

 弘毅は証拠品の領収書の発行先まで出向き、原本のコピーを貰った。


 こうして揃えた証拠品と共に、閲覧ログの会社体勢を説明した資料を添え、課長に対するデマを訂正するよう指示した文書を封筒に入れて、朝一彼女の机の上に置いておいた。


 効果はあったようだ。

 横領がバレた場合、裁判沙汰になることを恐れた彼女は、父親に「嘘」だと訂正し、課長の異動も無くなった。


 弘毅の性格というか生まれついた性分というか。面倒なことは嫌なのだが、お節介と言われるほど世話を焼くのは好きだった。このあたりがおばちゃんらと気が合う所以ゆえんなのだろう。


 面倒に巻き込まれる恐れもあったが、まあ自分が調べた形跡は無いし、丸く収まったようでよかった。横領の件は自分の知ったことでは無い。

 弘毅は晴々とした気持ちで、仕事に取り組んだ。



◇◇◇◇

 暫くは何事も無く日々を過ごしていた。

 目が合う度に余計な情報を得てしまうこと、それを黙っていることは少々ストレスだったが、慣れてしまうとそう気にならなくなった。


 その日も無事仕事を終え、駅に向かって歩いていた。

 人混みの中に、真面目そうなサラリーマン風の妙に姿勢がいい男がいたもんで、つい見てしまい、目が合った。


 キンッ


(決行日前には私も日本から離れなければ・・・・・・。日本が混乱状態になったら、出国が難しくなる・・・・・・)


(え?)

 弘毅は振り返って男を目で追った。


(決行日って? 混乱? どういうこと?)


 知ってしまったことを後悔した。

 気になる。

 何か面倒なことが起こるのでは無いか? という疑念が払拭できない。


 弘毅にとって、「未然に防いでやる」、という正義感が一番では無かった。

 正確な情報を得て、何か事件が計画されているのであれば、自分の身を守りたい。男が考えているように海外に行くのがベストなら、自分もそうする。

 自然と脚が男の跡を追った。


 がこの能力の弱点だ。

 目を合わせないと相手の思考が読めない。

 注視するだけで思考が読めるのなら、追う必要は無かった。

 男の背中を追いながら、何とか視線を合わせる方法がないか思案した。

 男から視線を外さないようにしながら。


 ところが───。


 弘毅は男の姿をあっさりと見失った。

 直前まで姿を捉えていたので、消えたとしか思えなかった。

 立ち止まり、左右を見渡していると、背中に硬い物が当たる感触がした。


「振り向くな・・・・・・」

 男の声に、背筋を冷気が奔る。


「歩け」

 背後から押され、言われるまま歩き、暗い路地裏に入ると「止まれ」と命じられた。


「何故、俺のあとをつけている・・・・・・」

 背中に押しつけられた何かに力が籠もる。

 これって……、銃じゃ無いか?

 さっきの言葉といい、尾行をあっさり見破るスキルといい、もしかして・・・・・・。

「何処の組織の者だ!」


(あちゃー、地雷踏んだ! これ本物だ!)


 そう思った途端、背中に衝撃が奔った。

 意識が遠のく中、弘毅が思ったのは、「君子危うきに近寄らず」、という言葉だった。




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【次回】お取り寄せ? ~沢木祐一の場合~

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