7.赤い靴

あらすじ(632字)

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 母親を亡くしたカーレンは、それを哀れに思った老婦人に養女として引き取られる。カーレンはその幸福を、その時履いていた赤い靴のおかげだと思った。

 老婦人のもとで育てられたカーレンは美しい少女に成長した。成人の堅信礼に出るために、老婦人はカーレンに正装を仕立てた。その際、カーレンは靴屋でお姫様が履くような赤い靴に目を奪われた。目の悪い老婦人はそれが赤い靴だと気づかずにカーレンに買い与えてしまう。

 堅信礼の場に華美な赤い靴を履いて出席したカーレンを老婦人は嗜めるが、カーレンは聞く耳を持たなかった。やがて、恩人である老婦人が危篤となった時にも、カーレンは赤い靴を履いて舞踏会に出かけてしまう。すると、赤い靴がひとりでに踊りだしてしまい、脱ぐことができなくなってしまった。

 昼も夜も踊り続けることを強いられたカーレンは、老婦人の死に目に合うことも出来なかった。心から自分の罪を悔いた彼女は、処刑人の家を尋ねて足を切り落としてもらう。赤い靴は踊りながら遠くへ去っていった。義足を作ってもらったカーレンは、これで罪を償ったと思って教会へ向かう。しかし、教会の前ではあの赤い靴が立ちふさがるように踊っていた。

 まだ許されていないことを自覚したカーレンは、牧師館に住み込みで働きながら、懺悔する日々を送った。やがてその祈りは届き、カーレンは天使の導きで、それまで足を踏み入れられなかった教会の中に座っていた。罪を赦されたことを知ったカーレンは、天へと召されていった。

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※ ※ ※


 カーレンの魂は日の光に乗って神様の元へととんでいきました。そこではもう誰も、赤い靴のことを尋ねるものはいませんでした。(赤い靴より)



 赤い靴はアンデルセンが40歳の頃に発表された作品である。タイトルは『孤児みなしごカーレンと赤い靴』とも言われる。

 アンデルセン童話には珍しく、明確に主人公の名前が設定されている作品である。(この第一部で紹介している中では、他に『イーダちゃんのお花』だけである)


 赤い靴と聞くと、残酷な話として印象に残っている人も多いだろう。


 実際、『履いたら踊り続ける赤い靴』であることと『踊りを止めるために足を切り落とす』という二つの要素が強烈過ぎて、そればかりが印象に残ってしまうのは仕方がないと思う。


 赤い靴をモチーフにした翻案作品では、赤い靴の持つ不思議な魔力によって暴走する点が抽出されて描かれることが多い。しかし、なぜ赤い靴は踊り続けるのかを理解して語られることはほとんどないのがもったいない話だ。


 赤い靴が残酷な話であるのは確かだが、実は救済の物語でもあることは、あまり知られていない。罪に対する贖罪、そして罪人への救済が描かれたこの物語は、ぜひ紹介したかった。主人公であるカーレンの身に起こったことと、彼女の人生についてどうか思いを馳せてほしい。


※ ※ ※


 靴に関するエピソードとして、アンデルセンは自伝でこんな話を書いている。


 ――アンデルセンが堅信礼に出た時の話である。新しく仕立ててもらった深靴が嬉しく、それを誰かに見てもらいたくて、彼はキュ、キュと教会の床を鳴らしながら歩いた。この音を聞けば、誰もがこの靴が新しいことに気づいてくれるだろうと思って得意になった。しかし、神様のことを考えなければいけない場で、彼は深靴にばかり意識を取られていることに気付いた。アンデルセンは心の中で神様に許しを乞うたが、次の瞬間にはまた深靴のことを考えてしまう自分に気づき、良心の呵責を受けたのだった。


 堅信礼というのはキリスト教徒の成人式のようなもので、生まれた時に洗礼を受けた子どもが、自らの意思で信仰を告白して正式な教徒になる儀式のことである。アンデルセンは十四歳の時にこの儀式に参加した。


 この深靴のエピソードは、信仰を誓わなければいけない場で、神様のことではなく新しい靴のことばかり考えてしまったことを後ろめたく思っていたという話である。子どもらしい虚栄心と好奇心に満ちた記憶で、実体験ゆえの妙な生々しさがある話だ。


 これがそのまま、赤い靴の主人公・カーレンが堅信礼に参加するときのエピソードに反映されている。カーレンもまた、赤い靴に気を取られて他のことを蔑ろにしてしまうのだ。


 童話では靴の色を赤にすることで、華美で派手なダンス靴としている。そういうおしゃれな靴を、堅信礼のような神聖な場に履いていくという場違いさと、そこで靴のことばかり考えてしまうカーレンの浮ついた様子をわかりやすく描いている。そのリアリティは、アンデルセンの実体験があってのものだろう。


※ ※ ※


 ここで、作中に出てくる赤い靴について整理したい。

 実は作中において、赤色の靴は三足出てくる。


・一足目。村の靴屋の老婆が心を込めて作ってくれた、古着の切れ端で作った赤い靴。

・二足目。外遊に来たお姫様が履いていたモロッコ革の赤い靴。

・三足目。伯爵令嬢のために作られたが、サイズ違いのため売れ残ったエナメルの赤い靴。


 順に、カーレンとの関係を見ていこう。


 カーレンは貧しい家の子で、夏は裸足、冬は大きな木靴を履いている子だった。それを可哀想に思った靴屋の老婆が、カーレンのために作ってくれたのが一足目のボロキレの赤い靴である。それはボロキレのようなものだったが、心の込められた一足だった。


 実の母親が死んだ日に、カーレンはその靴をもらった。

 葬式に赤い靴は場違いだったが、他に履くものがなかったのでそれを履いて、彼女は母親の棺桶についていっていた。その様子を、たまたま裕福な家の老婦人が見かけて、可哀想に思ってカーレンを引き取ることになる。


 老夫人がカーレンを引き取ったのは、孤児となった少女を哀れに思ってのことだが、カーレンはそれを『』だと思ってしまう。――これが一足目の出来事である。


 自分のようなみすぼらしい貧乏な娘が注目してもらえたのは、赤い靴のようなきれいなものを履いていたからだ、という考えをカーレンは持つわけだが、老婦人からするとボロキレを履いているようなものだったので、一足目はすぐに捨てられてしまう。

 その代わり、引き取られたカーレンは立派な服を着せられ、教育を受けさせてもらい、令嬢としてふさわしい環境を与えられる。貧困のどん底に居たのが、一気に環境が変わったわけだ。


 次に二足目。

 これは、他人が履いている靴である。


 国の女王様が村へと外遊に来た時の話である。女王様が滞在している城には、その娘である美しいお姫様の姿もあった。

 他の野次馬たちと一緒に、その可憐な姫の姿を見に行ったカーレンは、お姫様が履いている『モロッコ革の赤い靴』が気になって仕方がなかった。世界中のどんな靴よりも、それが美しく見えて仕方がなかったのだ。


 二足目についてはこれ以上の出来事はなく、ただカーレンの中で、赤い靴が憧れの象徴として描かれるだけである。


 そして続く三足目。

 これが、カーレンの運命を狂わせることになる。


 堅信礼を受けるために、老婦人は新しい服と靴をカーレンに買い与えようとする。その時に行った靴屋で、まるであのお姫様が履いていたようなきれいな赤い靴があった。それはとある伯爵令嬢のために作られたものだったが、サイズが合わなかったので売れ残っていたのだ。


 その赤い靴は、なんとカーレンの足にはぴったりだった。


 老婦人は目が悪かったためその靴が赤色だとは気づかず、カーレンに買い与えてしまう。堅信礼用は無彩色の正装であるべき所に、華美な赤い靴は許されないのだが、彼女はその赤い靴を履いて堅信礼に出席してしまう。

 そうして、赤い靴にばかり意識を向けて浮ついた気持ちで堅信礼を受けるという、例のエピソードへとつながっていくこととなる。



 一足目から三足目に至る過程で、カーレンにとって赤い靴が成功のメタファーになっていく様子が見て取れる。

 赤い靴を履いていたから彼女は孤児から養子になることが出来たし、人々の視線を集める憧れのお姫様は赤い靴を履いているし、三足目からは赤い靴を履いていると人々に注目してもらえるという体験を重ねることになる。


 赤い靴はカーレンにとって虚栄心の象徴である。

 目立ちたい、すごいと思われたい、よく見られたい、きれいに見られたい――貧困のどん底に居た彼女が人並み以上になったことで、だれもが持つ「自分をよく見せたい」というささやかな欲求を肥大化させていったわけだ。


 その様子は、赤い靴を褒められた時にダンスのステップを踏むという形で表現されている。

 老兵から「きれいなダンス靴だ」と褒められたのが嬉しくて、カーレンはダンスのステップを踏んで見せるのだが、一度踊り始めると止まらなくなってしまうのだ。みんながカーレンを押さえつけて靴を脱がすことでようやく止まるくらい、暴走してしまう。


 徐々に、彼女の虚栄心は理性で抑えられないほどに肥大化していく。


 ついに決定的となったのが、引き取ってくれた老婦人が病に倒れて、余命幾ばくもないとなった時のことである。

 本来であれば恩人である老婦人の看病をすべき時に、カーレンは舞踏会の招待状を受け取ってしまう。老婦人の介護をしていたカーレンは、危篤状態の老婦人を見てから、次に赤い靴を見る――見たからと言って悪いことはない。次に赤い靴を履いてみた――履いたからって悪いとは思わなかった。けれど、次に――ついに赤い靴を履いてしまう。

 履いてしまったからには、自然と舞踏会に足を向けてしまっていた。


 それから先は、皆が記憶にある有名な展開になっていく。


 赤い靴は昼夜問わず踊り続け、靴を脱ごうとしても脱げず、カーレンは休むまもなく一日中踊り狂うことになる。

 助けを求めながらたどり着いた教会の前では、大剣をもった白い天使が怖い顔をして立っており。次のように言う。



「おまえはいつまでも、踊り続けるのだ!」と天使はいいました。「その赤いくつをはいておどるのだ。おまえがあおざめて、つめたくなるまで! おまえのひふが、がい骨みたいにちぢんでしまうまで! おまえは、戸口から戸口へと踊っていくのだ。そして、高慢な、みえぼうの子どものいる家の戸をたたくのだ! そういう子どもがおまえのきたのをこわがるように! さあ、踊れ! 踊っていけ!」(高畑末吉訳)



 懺悔するための教会にすら入れてもらえず、許しを求めてもなお踊り続けるしかないカーレンは、ある日、見知った家の前で棺桶が運ばれていくのを目撃する。それは、カーレンを引き取ってくれた老婦人が入った棺桶だった。恩人が亡くなったこと知った彼女は、改めて自分の罪の重さを自覚することになる。


 そうしてカーレンは、首切り役人の家を訪ねると、足を切り落としてもらうことをお願いする。罪の象徴たる赤い靴を切り離し、自分の罪を懺悔するために。


 その後、足を切り落としたことで罪を切り離したと思った彼女は、義足を作ってもらって教会に向かう。

 足を切り落とすほどの罰を受けたのだから、これで許してもらえるだろう。そう思っていた彼女に待っていたのは、まるで見せつけるかのように足だけになって踊る、あの赤い靴の姿だった。カーレンはまだ、許されてはいなかったのだ――


※ ※ ※


 この物語における赤い靴は罪の象徴であり、人の持つ虚栄心や愚行を罰する舞台装置である。

 孤児だったカーレンは、老婦人の好意で養子になって教育を受けさせてもらったのだから、本来だったら謙虚に生きていかなければいかなかった。それを彼女は、人生がよくなったのは赤い靴のおかげ(転じて自身の美しさのおかげ)と思い違いをし、見栄を張って生きている様子が、赤い靴を見せびらかす姿として描かれている。


 メタ的に言えば、赤い靴の暴走する様子は、年頃の娘が奔放に遊びまわっているメタファーでもある。うがった見方をすれば、容姿の良さを利用して夜遊びをしている若い娘、と見てもよいだろう。

 恩人である老婦人の病床ですら赤い靴の誘惑に負けてしまうのだから、その罪深さはあえて言うまでもない。


 だからこそ、その罪の象徴たる赤い靴は、常にカーレンの前に現れる。まるで人の口に戸は立てられないように、彼女の放蕩と恩人への不義理は、常に人の目に見えるように晒される。


 どんなにつらい目にあっても許されないことを覚悟したカーレンは、一生をかけて贖罪をすることになる。

 その時にカーレンが住まう牧師館というのは、教会の関係者が住まう施設だ。そこで使用人として雇ってもらった彼女は、毎日まじめに働き、子どもたちの世話をし、贅沢などせず慎ましい暮らしを送った。どんなに楽しいことがあっても、楽しむ資格は無いというようにカーレンは悲しそうに顔を伏せるのだった。


 足を切り落とした後のカーレンの贖罪の日々は、宗教色の強い部分なので人によっては理解しづらい部分もあるだろう。しかし、日々を物思いに沈んだ表情で過ごす彼女の様子は、赤い靴を履いていた時とはかけ離れていて、いかに彼女が心から後悔しているのかを読み取れる。


 赤い靴に邪魔されて礼拝に行くことが出来なかったカーレンは、その長い贖罪の日々が認められたのか、ラストシーンで天使に導かれて教会の中に導かれる。


 この時、天使が持っている赤いバラは、キリスト教における罪の象徴だろう。バラの棘は原罪を示し、赤色のバラは殉教を示していると言われている。

 つまり、カーレンは信仰に殉じることで罪を許され、この罪の象徴であるバラの枝によって、皆が待つ礼拝堂に移動するのだ。


 ようやく贖罪が神様に受け入れられたカーレンは、天に上って誰にも赤い靴のことを言われなくなった、というのが結末である。



 アンデルセン童話には、これまで人魚姫やマッチ売りの少女の項目でも述べた通り、物語中にキリスト教の宗教色を感じることがある。


 実際、セカンドネームに「クリスチャン」とあるように、アンデルセンは幼いころにキリスト教の洗礼を受けているし、十四歳で堅信礼を受けていることを考えると、キリスト教徒ではあるはずだ。宗派はおそらく北欧諸国の農民層に多いプロテスタントのルター派だと思われる。母親が迷信深いほどに敬虔な信徒であった影響でそれなりに信仰心はあったようだが、神学的な意味で詳しかったわけではないので、童話ではあくまで普遍的な信仰にとどまっている。


 アンデルセンがまじめに宗教について学ぶ機会があったとすれば、大学受験時代に勉強を教えてくれた神学部のルドヴィク・ミュラーの影響が強いと思われる。彼は後に牧師となっており、学者としても有名な人物である。ミュラーはたびたびアンデルセンと聖書の内容について議論を交わしたそうで、その経験が、後のアンデルセンの作品に反映されているのだろう。


 なんにせよ、アンデルセンの宗教観は平均的なもので、自身の主張というよりは、生活に根差した価値観だからこそ描きやすいというものだった。

 それゆえに、カーレンの罪の描き方も、信仰に背いたということではなく、彼女自身の身勝手なふるまいに対する後悔を、どのように贖罪していくのか、という点に集約されている。


※ ※ ※


 最後に、赤い靴の主人公・カーレンのモデルとなった人物について話をしよう。


 名前をカーアン・マリー。


 アンデルセンの母親であるアンネ・マリーが独身時代に産んだ私生児であり、アンデルセンにとって五つ年上の異父姉である。

 赤い靴のカーレンは、まさに彼女の名前と同じである(原語の発音はカーアンが近いとされている)。


 アンデルセンは自伝で自分は一人っ子であると言っており、母方の家系については不自然なほどに口をつぐんでいることはすでに語った。その理由ははっきりとはわからないものの、父親違いの姉でありほぼ面識がないことと、売春婦だった祖母や娼館を経営する叔母といった母方の家系の事実を踏まえれば、なんとなく事情は想像出来るだろう。


 カーアン・マリーの出生については、1799年の誕生時、教会簿に「アンネ・マリー・アナースダターはハンス・イェンセン通りのラスムス・イーヴァセン宅で私生児を産んだ」という記録がある。

 イーヴァセンというのはアンネ・マリーの母の再婚相手で、彼女は母を頼って私生児を産んだのだった。


 そのあと、公的な記録として残っているのは十五年後の堅信礼の記録である。「カーアン・マリー・ローセヴィン。父はオーデンセの陶器職人ダニエル・ローセヴィン」と記されている。この記録で、私生児として生まれたカーアンの父親が判明し、嫡出子として登録されたおかげで、カーアンは姓を取得して世に出ることが出来た。(参考『アンデルセンの時代』早野勝巳)



 アンデルセンはカーアンのことを「母の娘」という呼び方をしており、血のつながった姉弟としては関わらないようにしていた。

 実際、アンデルセンの生前は、周囲には姉がいることはまったく知られておらず、彼の死後、書簡集や日記が発売されることで、母との手紙の中にカーアンの名前があったことでその存在が判明し、世間では驚かれたと言われている。


 母からの手紙で、その関係性が分かる一文が、1822年11月2日の手紙にある。

「お前の姉は今コペンハーゲンにいるよ。でもあの子の品行や血気のことは気にしないでいいよ。あの子のことは何もかもオーデンセきりのことにしておくからね」

(鈴木徹郎『ハンス・クリスチャン・アンデルセン その虚像と実像』より)


 品行や血気、というあたりに、彼女の生活の様子が想像できる。母親としてもあまり息子に関わらせようとはしていなかったようだ。


 アンデルセンは世間での名声が高まるにつれて、姉が自分の前に現れるのではないかと不安を度々日記に書いている。特に、母が亡くなってからは天涯孤独の身だったからこそ、唯一血のつながりがあるカーアンのことを意識しないわけにはいかなかっただろう。


 そして1842年、アンデルセンが作家としての地位を築き上げた37歳の時に、ついにカーアンから手紙が届く。

 ひどく動揺した彼は、後見人であるヨナス・コリンに助けを求め、彼の手を借りてカーアンの居場所や経歴を調べてコンタクトを取った。


 当時カーアンはスラム街でペーター・カウフマンという男と同棲しており、彼女自身は洗濯婦として働いていた。奇しくも母アンネ・マリーと同じ仕事をしていたのは、当時貧困層の女性には似たような仕事しかなかったからだろう。生活が苦しかったらしい二人に、アンデルセンは彼女の夫に訪ねてくるように手紙を送ったと日記にある。


 そのあとの経緯について、先にも引用した『その虚像と実像』から、日記の文面を引用する。


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 二月十二日「朝カーアンの夫が訪ねてきた。実直な、人のよさそうな男。困窮を訴え私から四リークスダラーもらっていった。彼は大変喜んでいた。私もうれしかった」

 三月十日「カーアンの夫訪ねてくる。二リークスダラーやった」

 九月十日「カーアンの夫に一リークスダラー」

 次にはカーアン自身が初めて姿を見せた。

 九月三十日「今朝カーアンが来訪。みなりもよく若々しかった。一リークスダラーやる」

 それっきり彼女はあらわれない。さいごに、

 十一月二十五日「カーアンの夫に四マルク」

 と、それ以後カーアンは消息を絶った。

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(鈴木徹郎『ハンス・クリスチャン・アンデルセン その虚像と実像』P35-36より)



 カーアンの夫と対面したアンデルセンは、最初は機嫌がよさそうだったのだが、金の無心が続くことで次第に反応が悪くなっていく。

 最後の記録は1842年11月にわずかばかりのお金を手渡したことが書かれていただけで、それ以降、カーアンの消息は分からなくなった。日記の様子を見るに、最後は円満とはいいがたい終わり方だったのだろう。

 彼女の公的な記録としては、その4年後の1846年に肺病で亡くなっているが、それをアンデルセンが知っていたかどうかも定かではない。


※ ※ ※


 アンデルセンは童話の中で、兄弟姉妹の関係を良好に描くことが多いとされている。


 雪の女王のカイとゲルダを代表に、人魚姫の姉妹たちや、野の白鳥の一一人の王子と末の妹エリザ、等々が例としてあげられるだろう。

 また、カーアンの存在を間接的に描いたとされている『O・T』という小説では、偽りの姉は盗癖のある悪人だが、後に判明した本物の姉は心優しい清純な娘であったということが明らかになる。


 これらを踏まえると、アンデルセンにとって兄弟姉妹の関係は重い愛の形として描かれているように思われる。

 それは、血のつながった実の姉に対して、家族愛を抱けなかったアンデルセンなりの埋め合わせと言えるのかもしれない。


 もともとは一人っ子として父と母の愛を受けて育った彼にとって、異父姉であるカーアンは複雑な感情を抱く相手だっただろう。その人生の大半は闇に包まれているが、母方の家系の在り方を考えると、決して良い生活とは言えないものだったと思われる。


 アンデルセンが赤い靴を発表したのは1845年で、カーアンが亡くなる一年前である。カーアンに与えられた罪と罰、そして最後の救済の形は、姉に対してのせめてもの贖罪だった、と考えると頷ける部分も多い。


※ ※ ※


 最後に。

 カーアン・マリーは堅信礼では父方の姓であるローセヴィンで記録をされているが、1840年の公的記録では、当時の職業や同居人の情報とともに、名前はカーアン・マリー・アナセン(アンデルセン)と記されている。


 どのタイミングで姓を変えたのかは不明だが、1840年と言えば、すでにアンデルセンの名前が国内外問わず知れ渡っている時期である。カーアンが異父弟に手紙を送ったのはこの二年後なので、その前から、氏姓を変えていることになる。

 ある意味で、アンデルセンが恐れた通り、見知らぬ異父姉がすり寄ってきたともいえるだろうが――逆に、カーアンにとってアンデルセンがどのような異父弟であったのか、想像すると様々な考えが浮かんでくる。


 母のアンネ・マリー経由で互いの状況を知っていた姉弟は、果たしてどのような気持ちで互いを見ていたのだろうか。


 方や両親の愛を受けて育った弟で、方や両親とも離れて暮らしていた姉。方や貧困層から身一つで成り上がった男で、方やスラム街で洗濯婦をしていた女。

 アンデルセン自身が貧困や弱者の立場を作品で語ってきただけに、姉の存在を無下には出来なかったのだろう。


 カーアン・マリーがどのような人生を送ってきたかは謎に包まれているが、せめて彼女が、天に召されたことで、赤い靴のことを指摘されないようになっていれば幸いである。


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