第2話 先生との会話

 午後の授業はより一層早く時間が過ぎていった。


 ひょっとしたら有名人と若山の話を聞いて新名を決める面談に、自分でも気づかずにワクワクしているのかも知れない。


 ホームルームが終わり、帰り支度を済ませると部活に向かう有名人と途中まで連れ立って歩いた。やがて職員室の前につくと有名人に小さく手を振って別れた。


「じゃあ、面談頑張れよ」

「そっちも部活、頑張って」

「おうよ」


 有名人はこれからがいよいよ本番というような面持ちをし、張り切って剣道場の方へ消えていった。


 僕は職員室の戸を叩き、失礼しますと一言添えて中に入った。


 小学校の頃から職員室というのは苦手だった。特にやましい事はないが、妙に緊張してしまう。


 廊下を背に一番右手の窓側に去年の担任であった羽入先生の席がある。先生は書類に何やら書き込みをしていた。


 僕は正直この先生が苦手だった。初対面の頃は気のいい好々爺然とした人かと思っていたが、笑顔が作り物のように見えてからはどうにも気味が悪い。まるで自分が笑っていれば相手の気も緩むだろう、というような雰囲気が滲んでいるような気がしてならない。


 それに、これだけは確信を持って言えるが、この人は他の先生を含め自分より年下の人間を見下している。本人が自覚しているかどうかは知らないが、言動のあちらこちらにそれが見て取れる。


 ともかく行儀よくしていれば、変に噛みつかれることもない。なのであくまで品行方正な生徒を演じるつもりで声をかけた。


「羽入先生、失礼します。面談に伺いました」

「おお」


 先生は手を止めたが立ち上がらず、体だけをこちらに向けた。


「冬休みはどうだった?」

「特にこれといって。ずっと受験勉強でした」

「やっぱり進路は変わらずか?」

「はい。今のところ西南大を目指しています」

「そうか」

「はい」

「で、新しい名前の話だけどな。乙川は何か考えがあるか?」


 いきなり名前の話題に入ったので面食らった。面談というからてっきり教室か何処かに場所を移すものとばかり思っていた。そして名前について考えがあるか、という質問の意味もよく分からなかった。


「それはどういう意味で…ですか?」

「まあ、こんな名前が欲しいとか、例えば入れてほしい字があるとか」

「いえ、特には」

「何か希望があればさ、俺も考えるのが楽になるし」


 楽になるという言葉が引っかかった。


「はあ」


 そう曖昧な返事をしたら、先生は愚痴紛いの事を言ってきた。


「お前一人だけとかならいいんだけどな。三十人近くの名前を考えなくちゃいけないんだぞ。何か足掛かりがないと、本当に大変なんだよ」

「はい」

「例えばあだ名だとしても、クラス全員考えるとしたら大変だろう?」

「そうですね」

「俺は生徒の名前を考えるっていうのは今回で二回目だけどな。やっぱり難しいよ。なんで教職員が考えることになってんだろうか」

「なんででしょうね」

「まあ、乙川の次は小出と大泉だけだから、やっと終わる訳なんだが、畠山先生のクラスは早生まれが多いらしいからもうしばらく掛かるだろうなぁ。畠山先生は今回が新名を考えるのが初めてだからか、苦労してるよ」


 それは確かに苦労して大変なことかもしれないが、だからと言ってこちらに愚痴られても困るし、そもそも生徒に話すような内容ではないと思った。


「だからなあ、好きな文字でも教えてもらえると助かるんだよ」

「なら、将棋の将の字とかでどうですか?」


 何だか気負っていた何かが落ちてしまった。パッと思い付いた投げやりにも似た返事をしたが、先生は満足したようだった。


「おお、そうか。乙川は将棋部だもんな。参考にするよ」

「分かりました」


 先生は近くにあった雑紙に大きく「将」と書くと、またこちらに向き直った。


「けど希望がないって事は、そもそも名前を変えたくて、この高校にしたんじゃないのか?」

「いえ、僕はそういう理由ではなかったです」

「なんだ。そうなのか」

「はい」

「名前が変わるって物珍しい理由だけで、高校なんて選ぶもんじゃないぞ」

「え?」


 本気で何を言われているのか分からなかった。そんな理由で高校を選ぶ程、自分を投げ出して生きてなどいない。


 そして先生は続ける。


「勉強以外にも主体性というか、やる気を持たないと後から苦労するもんだからな」

「はあ」


 ああ、そういうことか。


 この人の中では自分で名前を変えようと思っていない生徒は、名前が変わるという物珍しさで入学してきた奴と見なされるようだ。僕は勝手に決めつけられた悲しさとムカつきが交ざり、心臓が一跳ねしたのが分かった。


「とりあえず名前の方は将の字を使って考えるからな、それでいいか?」


 そして例によって薄気味悪い笑顔をした。一仕事終えた様な態度が更に鼻についた。


「分かりました」


 感情が表に出ないようにしたが、自分で聞いていても分かるほどやる気のない返事だったと思う。そこからは完全に投げやりな返事をした。


「よし。じゃあ面談は終わりだから、戻っていいぞ」

「これで終わりですか?」

「ああ。明日には新名を渡すよ。早い方がいいだろう?」

「まあ、そうですね」

「ご両親の命名は出来ているのか?」

「一応は聞かされました」

「じゃあ、公認命名士の第三者面談だけだな。乙川はいつだ?」

「明後日です」

「そうか、早生まれ組だからな。提出は急になるけど、じっくり考えろよ。一生ものの事なんだから」


 如何にも教師が言いそうな台詞で締められても、余計に腹が立つだけだった。


 一生ものと公言する事を面談とも言えない数分の面談で、しかも仕事の片手間のような恰好で決めるのかと、出掛った言葉を飲み込んだ。


「失礼します」

「おう。帰りは気を付けろよ」


 先生の声は耳には入ったが、頭には入らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る