絶望までの10日間
如月幽吏
一日目
タッタッタッタ
迫る足音が。
少しづつ大きくなる息遣いが。
近づく気配が。
わたしを追い込んでゆく。
絶望が。
恐怖が。
焦りが。
わたしを蝕んでゆく。
もう、逃れられないかもしれない。
もう、終わるのかもしれない。
そんな恐怖は、増幅するばかりだ。
道の先には、闇が広がるだけ。抜け道があるのか、ないのか。あるのなら、どこなのか。
突き当たりが、行き止まりだったら……。
そんな絶望的な思考が、脳裏を駆け巡る。
隣を歩く双葉を見やる。
青ざめた顔が。
絶望に染る表情が。
たらりと流れる冷や汗が。
わたしの目に飛び込んできた。
互いの手を握る手が、汗ばみ、ぬるりと擦れ合う。
この恐ろしい路地で、手が離れてしまったら……。
互いにはぐれ、もう二度と会えないかもしれない。
ここで一人になれば、わたしは増幅した恐怖に飲み込まれ、命が危ういかもしれない。
後ろの人は、誰だかわからない。
しかし、先程見た、後継が脳裏に蘇り、鳥肌が全身にたつ。
ぎらりと光った銀色。
鋭く冷たい光を放つそれは────包丁だ。
祖国ですらない、旅先の裏路地だ。この地にわたしを知るものはいない。わたしを探すものもいないだろう。わたしがこの国にいることをしるものはいない。
治安の悪いこの國でわたしが死ねば、遺体をどこにやられるかも分からない。家族に死体が届くかも怪しい。双葉も同じことを思っているようで、彼女の手からも脂汗が流れ落ちる。
足音に気づかれぬように、わたしは歩調を早めた。わたしの歩調の変化に気がついたのか、双葉もかけ出す。
たたたっと足音が鳴り響いた。
────気づかれた────
わたしの脳内に、警笛が鳴り響いた。
ふと、包丁が垣間見えた。ギラりと包丁の放つ鋭い光が水溜まりに反射する。恐怖を覚える隙もなく、わたしは一目散に進む。体が石膏で固められたかのように、走れず、歩くのが精一杯だ。
気配が、さらに近づく。
息遣が、さらに近づく。
足音が、さらに近づく。
はぁ────
耳に、息がゆっくりと降りかかった。
恐怖が。
絶望が。
焦りが。
再びわたしを襲う。
気づけば、わたしたちは一目散に走り出していた。
走るうちに、汗がぬるりと滑り、双葉と手が離れた。
彼女は足が早く、わたしは遅い方だ。走れど、わたしが彼女に追いつくことも、気配との距離が離れることも無く、とうとう彼女の姿は見えなくなった。
もう走れない────
わたしは死角をみつけ、角を曲がる。曲がる際、見えた顔は、永遠に忘れられないだろう。鋭く光る眼は、視点が定まらず狂気に満ちていた。包丁は、ギラギラと、太陽を反射し、しらんでみえた。
わたしはこのままでは見つかると思い死角の奥にある狭い路地へと進んで行った。
突き当りから差し込む日光に、人影が見えた。逆光で顔までは見えないが、女性のようだ。
人影が、モソモソと動き、顔を上げる。
そして、彼女から声がかかった。
「一葉?」
彼女はわたしを呼んだ。そしてその声は、双葉のものだった。わたしは安堵し、彼女のもとへ寄っていく。
安堵に抱き合おうとしていた所、わたしを絶望が襲った。
「逃げられると思ったかい?」
背後から、声が聞こえた。現地語で、確かにそう言っていた。地の底から響くような男性の声だった。
振り向いては行けない、そう自分に言い聞かせるのに、首はゆっくりと後ろを剥き、目が、それを捉えた。先程見た、狂気の目の男がわたしたちを見下ろしていた。
彼が、包丁を振り上げると、わたしの意識は闇へと飲み込まれた。
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