想いを馳せた軍人さんの、9年越しの溺愛には底がない。

刺身

第1話

「……じゃじゃ馬」


 革手袋をつけた右手にその柔らかな頬がすりと擦り付けられる。


 紫の大きな瞳が強気に睨みつけてくるのを見て取ると、ライトは笑って唇を寄せたーー。






 浮いた話ひとつないルーウェン伯爵家の次男、ライト・ルーウェン。


 類まれな剣技と整った容姿の軍人はメキメキとその頭角を現し、年頃の令嬢たちの視線を攫うに値する結婚適齢期男性の1人だった。


 これは、そんな彼がある日突然に連れ帰る1人の女性と魔剣にまつわる恋物語。






「ライト、まだ結婚しないの?」


「しない」


「またどこか行くの?」


「おー。南の方かな」


 旅支度を整えながら気のない返事を返すルーウェン家の次男に、長男であるアランは頭を傾げてため息を吐いた。


「ライト、もう25なんだから、流石にそろそろ身を固める目星くらいーー……」


「じゃじゃ馬が治るまでは無理だな」


 そう言って、ビキビキと異常に隆起した赤い血管に覆われた右手を振ると、ライトはそれに革手袋をはめる。


 お世辞にも美しいとは言えないそれは、それこそ令嬢なら卒倒しそうな禍々しさだった。


「休みなく働いてるかと思えば、まとめた休みを全部旅に注ぐなんて……」


 かつて自身の妹を助けるために使った魔剣の後遺症。


 力の代わりにもらい受けた呪いは9年経ってもそのままだった。


「じゃ、行くぞ」


 外套を揺らし、紫色の石がついた物々しい魔剣と、手に馴染んだ長剣を腰に差し入れたライトは片手を上げて生家を後にする。


 馬に跨る頼り甲斐しかない黒髪の背中を見送って、アランは自由人ばかりの家族に大きく息を吐き出した。






「ライト様、またどこかに?」


「今度はどちらへ?」


 旅支度の不足品を買い足しに赴いた街中で、その姿を見つけた令嬢に囲まれる。


「あー……、適当に南の方だな」


「まぁ、南国ですか? 私も行ってみたいです!」


 物品を選ぶ手と目を休めないライトに剛を煮やし、令嬢がその胸を押しつけながら半ば力技で話しかけた時。


「……うわっ、急に叫ぶな……っ!」


「……えっ!?」

 

 令嬢に掴まれた腕とは反対の耳を反射的に押さえたライトは、思わずと固まる令嬢にギクリとして愛想笑いを浮かべた。


「あぁ、悪い、羽虫がいたみたいだ」


 ハハ……っと口の端を引き攣らせて会計を済ませると、変な笑みを浮かべながらにじり去るライトに戸惑う令嬢たち。


「悪いな、今日は急いでいて……っ、ほら、また、機会がある時にでもぜひ……っ」


 未だ衝撃で固まったままの令嬢たちを残し、ライトはそそくさとその場を後にする。


「あのハイスペックで本当に女慣れしてないですって!? ぜったいに逃せませんわ……っ!!」


 メラっとその瞳に炎を宿らせる令嬢たちに、店主は何とも言えない表情で肩をすくませた。


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