あとがき
ペンネームこそ前のものだが、フォーミュラ・アーラは私の処女作である。
フォーミュラ・アーラの公開が二千十九年の梅雨明けくらいだから、声劇界隈に初めて足を突っ込んでからもう直ぐで丸六年もの歳月が経とうとしている。
プレイヤーでもなく、元々はライターでもなかった。
狭い界隈の端っこに長らく置かせていただいたものだと感謝の念に堪えない。
この場をお借りして関係者の皆様に御礼申し上げます。
いつもご贔屓お引き立ていただきありがとうございます。
フォーミュラ・アーラは新型コロナ流行前に書いた作品である。
ここ最近の時間の流れの早さは本当に気が遠くなるほどで、つい先日正月を迎えたと思ったらもう節分が終わり、今年は二月二日なんですよと言われても
「えっ何が? 節分? ウソもう二月来たの? あっつーまに年度末が来ちゃう!」
といった具合でどうも実感が湧かない。
突然だが、劇台本は使い勝手を考えるなら一話完結のほうが断然いいだろう。
連続シリーズものの役者のブッキング・スケジュールの繰り合わせは本当に骨の折れる作業だ。
人間誰しも生活があるから、どれだけ前向きに参加しようとしていても諸般の事情で叶わなかったりすることだってある。
社会人なら急な残業、主婦なら子供の体調不良など、生きていればそりゃ色々ある。
くだんのフォーミュラ・アーラはそんな使い勝手のことなど、ほとんど考えずに書いた台本である。
全十七話構成で一話あたり約二十分程度。
所要人数は一律四人だが、これはキャスティングのしやすさと言うよりも当時の自分にとって声劇台本の人数の最適解が四名だったことに由来する。
それ以上少ないとギミックを仕掛けにくいし、それ以上多いと聞き分けが難しい。
わざわざ二十分程度で一話を区切ったのも、時間的な配慮というよりは聞いてる時の集中力の限界は二十分程度という考えによるものである。
つまり、自分の好きなものを自分の好きな仕様で好きなようにやったものがフォーミュラ・アーラであり、ト書きをつけなかったのもその辺のポリシー(意地ともいう)による。
人生、長い目で見ればいいことばかり起こるもので、こんな難儀な台本を通しで上演してくれる座組があったり、上演してないけど読んでるよ、あれコアでいいよねなどと評してくださる方も現れた。
ここまで全部酒の肴にしかならない思い出話で恐縮だが、それだけ思い入れのある台本であるということを伝えたかった。
今回、フォーミュラ・アーラVを書くにあたって久しぶりに自分の中身の棚卸しをした。
Vに通底させるテーマを決めるためである。
レードルンド家を軸とした話の構想はボンヤリと頭の中にはあったのだが、そこに載せるテーマがしっかりしていないとスケールのデカい話は自重に耐え切れなくなる。
『妙齢の男女がふとしたきっかけで別の人生を歩き出す理由』と『ロボットに乗っかって命懸けのドンパチをする理由』は同じサイズ感では説得力が出ない。
だから何というか、お話の重しになるようなテーマがいると思って、久しぶりに頭の中の棚卸しをした。
前作フォーミュラ・アーラは『渇望』をテーマの軸にした群像劇のつもりで書いた。
渇望とは
「のどのかわいた人が水をほしがるように、心から願望すること。待ちこがれること」
とある。
自分にとっての渇望は『自らに不足と認識するところ』の上にあるものと考えていた。
言い換えるなら、渇望の前段階には強固な『ないものねだり』があると考えていた。
私は『人間は自分にないものを相手に求め、そのくせ自分と似た人間のそばで固まる生き物』だという持論を持っている。
この持論から行くと、渇望を引き出してくれるのはキャラクターごとの『強い後悔』である。
そう踏んで、プロットを書いた。
小難しく書いてしまったが、要は「あのとき、ああしときゃよかったなあ」と言う後悔ほど、指先に刺さったトゲみたいにいつまでも気になるものでしょう。
フォーミュラ・アーラにも、フォーミュラ・アーラVにも、明確な主人公格はいない。
ただそれぞれが微妙に関連し合って、自分の中の渇望を相手に勝手に見出したり託したりして、話が進んでいく。
無印のストーリー進行上のメイン・キャラクターはコード・ロメオということになるが、このキャラクターこそ渇望そのものだと思っている。
進行上メインとなるキャラクターに主義や背景を重く乗せすぎると、群像劇がやりづらいという制作側の事情も多分にあるのだが、本編の推敲段階でも、渇望を行動の第一義に置いた餓鬼のような物悲しい空虚さが一周回ってフォーミュラ・アーラの世界観にハマっているように感じられたため、そのまま決定稿とした。
正直なところキャラクターとしての魅力はないが、フォーミュラ・アーラの世界観には実にマッチしたキャラクターだと思っている。
このコード・ロメオの死を以てフォーミュラ・アーラの本編は幕引きとなる。
そして続編のフォーミュラ・アーラVでは、記憶が不完全な状態で蘇生されて再登場する。
再登場するも、その終わり際は実に淡白で味気ない。
ちょっとだけ戦って、あっさり記憶を取り戻して、サクッとFAを降りてしまう。
自分でも書いてて「わざわざコイツが出てくる意味あるんか?」と何度も自問してしまうほどの味気なさだった。
しかし、Vのテーマを意識するならばロメオとジェイの登場は必要であると自答した。
Vの表層的な話のテーマは復讐(Vendetta)である。
より掘り下げて言えば、復讐による渇望の終止である。
なので、復讐といっても臥薪嘗胆を耐え忍び怨敵を討ち滅ぼしての満願成就!
というよりは当事者たちの予想とはやや異なる形で復讐が行われ
「あれ、なんでオレこんなにリキんでたんだろ……」
というような虚しさに包まれて終わるタイプの復讐である。
自分の中の棚卸しを行なって得られたパワークエッションは
「渇望の終わりってなんだろう」というものであった。
そして、現時点での自分の答えは
「満足する」
という、実に面白みのない他愛もないものだった。
満足は文字でこそ満ち足りると書くが、隈なく隙なく満たされることが満足かと考えると、どうも自分の考えではそうではないらしい。
どちらかというと
「もういいや」
と、飽きるに似た感覚が自分の中での満足の表現としてピンときたのである。
そのせいで、Vの登場人物たちにはそれぞれお株を奪われた感がある。
めちゃくちゃにどハマりしたゲームを寝食忘れてプレイしていたら、ひょいと遊び気に来た友人がハイスコアを更新してしまい、ゲーム熱が急激に冷めていくようなあの感覚。
わかっていただけるだろうか。
こうして渇望を消す薬は満足=飽和なのだという結論に至り、一ヶ月ほどかけて
バーっと書き下ろした。
勿体無い精神を地で行く自分には珍しく本文の割愛もした。
四割くらいは削ったと思う。
だがこだわってはいけない。
渇望は突然に飽和するのだから。
生粋のパイロットはあっさりとロボットを降りて、世界の脅威たる新型兵器もあっさりと撃墜された。
武装蜂起の首謀者はこともなく殺害され、大統領暗殺犯は真意を語ることなく生涯を幽閉されて過ごすだろう。
白い翼のFAがどこに飛んでいったかについてはあなたが決めて欲しい。
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