刈り試験

天西 照実

第1話


 夜風が冷たい。

 同時に終電を降りた人の波から遅れて、スーツ姿の青年が駅の階段を下りて行く。

 片手に持つ通勤鞄を重そうに揺すり、やっと階段を降りきると、溜め息を吐き出しながらネクタイを緩めた。

 足を引きずるように歩き出す青年の背後を、ひとつの黒い影が続く。


 枯葉が砂埃と共に舞い踊る。

 青年は、車も通らない赤信号で足を止めている。その目が、枯葉の踊る風の流れを、ただぼんやりと眺めていた。

 駅前通りから横道へ入れば、古びた住宅地が広がっている。

 ぽつりぽつりと続く街灯の明かりも、時折チラついて頼りない。

 うつむき気味で背を丸めて歩く青年の背後。青年よりも頭三つ分ほど小さな少年が、すぐ後ろを歩いていた。

 黒いパーカーのフードを目深に被り、両手を腹ポケットに潜らせている。

 数歩の間隔を保ちながら、黒パーカーの少年は青年の真後ろに続いて行く。

 話をするでもなく、追い抜く事もなく。

 青年も気付かぬ様子で、ふたりは人通りのない住宅地を進んで行く。



 口元も見えないほど深く被ったフードのせいで、少年の表情はうかがえない。

 しかし、少年は不意に足を止め、顔を宙に向けた。

 頭上から灰色のもやが降り、靄は灰黒色のローブを纏った男の姿となって地に降りた。

冥界めいかい総務の執行鬼しっこうきです。掻抜かきぬきの、さくですね」

「うん」

 灰黒色ローブの男は執行鬼と名乗り、黒フードの少年を削と呼んだ。

「試験の立ち合いに来ました」

 執行鬼というローブの男は、道を行くスーツ姿の青年に目を向けた。

 重い足取りの青年は、まだいくらも先へ進んでいない。

 執行鬼と少年・削の声も、その耳に届いていないらしい。

 ふたりはすぐに青年の背後へ追い付き、揃ってその後に続いた。


 住宅地の細道には、風のざわめきが聞こえるばかりだ。

「現職ですよね。なぜ改めて、り試験を?」

 低く落ち着いた声で、執行鬼は聞いた。

 背後で話していても、スーツの青年が振り返る事はない。

「受け直さないと、得物えものを新しくしちゃ駄目って聞いたから」

 パーカーの腹ポケットに両手を入れている少年を見下ろし、

「鎌ではない物に?」

 と、執行鬼は聞いた。

「うん。これ」

 腹ポケットから右手を出すと、折り畳みナイフが握られていた。

 手元も見ずに刃を開き、すぐにパチンッと軽快な音を立てて畳んで見せる。

「ナイフですか」

 小さな手で削は、畳んだナイフをクルクルと遊ばせながら、

「うん。意外と、使い勝手いいよ」

 と、子どもらしい声で答え、フフッと笑った。



 古びた2階建てアパートの1階。

 玄関扉の並ぶ通路の中ほどにある扉が、青年の住む部屋だ。

 目の前で閉じた玄関扉の前で、ふたりは一度、足を止めた。

 数秒の間を置き、扉の向こうからドサリと重い物を落としたような音が響いた。

 小さく息を吐き、少年・削は玄関扉を開ける事なく姿を消した。

 扉に邪魔される事なく、執行鬼も続いて扉の表面へ溶け込むようにすり抜ける。

 質素だが、外観よりも整ったワンルームだ。しかし屋内は暗い。

 小さな玄関スペースで、ふたりは床に倒れた青年を見下ろしていた。

 脱ぎ捨てられた革靴の横に青年の通勤鞄が落ち、続く廊下で青年がうごめいている。

 部屋の照明をつけるのも間に合わなかったらしい。

 狭い廊下で俯せに倒れた青年は十秒ほど痙攣していたが、そのまま動かなくなった。

 削と執行鬼に見守られたまま、さらに数十秒後。

 暗がりに横たわる青年の背中から、白い靄が浮かび上がった。

 体から滲み出るように浮かぶ靄は、徐々に集まって人の形に固まっていく。

 靄は白く半透明な青年の姿となり、倒れた体から抜け切れずにゆらゆらと揺らめいている。

 削はフードに隠れた顔で執行鬼を見上げ、

「いい?」

 と、短く聞いた。

「どうぞ」

 執行鬼も短く答えると、削は頷いて青年に歩み寄った。

 はっきりと顔も判別できるようになった白い青年は、動かなくなった体の上で立ちあがれずにもがいている。

 削は、体から抜けきらない靄の足元へ屈み込んだ。

 ポケットから取り出した折り畳みナイフを開き、靄の根元をすくうように刃先を走らせる。

 ――プスン。

 軽く途切れるような音が聞こえ、白い靄となった青年はつんのめるように体を離れた。

 体勢を整え、振り返る。

 冷たい床に、己の体が横たわっている。

 白く半透明な自分の手を見下ろし、もう一度、床の体を見下ろした。

 その足元で立ち上がる少年の姿は、青年の目に映っていない。



 自分は、ここに居る。

 でも、体が無い。体は、床に転がったまま動かない。

 俺の体……動かない。そのくらいわかる。これは、死んでる。

 何度見ても、半透明だ。白い。

 俺の意識は、体から抜けている……。

 体が、死んでいる……俺は、死んだのか。

 ……本当に? まだ、意識があるのに?

 そうだ……これは、夢か何かでは?



 青年は、呆然とした表情でベッドへ腰かけた。

 その様子を眺める執行鬼に、削は、

「僕の役目は、これだけ」

 と、声を掛け、暗闇へ融けるように姿を消した。

 もう一度、執行鬼は白い霊体となった青年と、横たわる死体に目を向けた。

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