第29話 覚えられた血の味と吸われる感覚
温泉を堪能してすっかりと夜となったころ、木佐木へ報酬を支払うために悠花に換金に行かせてちょっと多めの金を用意した。
「はい、報酬」
「うっひょー」
木佐木は大喜びである。しかし、全裸商売道具は相変わらずでセラフィーナは、目をそらしまくっている。
しかし、なぜか視界に入り込んでくるものだから、もう鬱陶しいことこの上なく。
そもそもハンターといつまでも一緒にいたくはない。商売道具の術的加工がピリピリと憎まれ口でも叩くようにセラフィーナを殺そうとして来ているのだからさっさと遠くに行ってほしいことこの上なかった。
「じゃあ、ボクの前から消えて?」
「ああ! 待ってろ、女~!」
「服を取り戻しにいけええ! というか吸血鬼のボクを放置していいのかああああ!?」
そしてどうしてそこで服ではなく女のところに行こうとするのか、これがわからない。
生まれてこの方恋人などいたこともないセラフィーナには、男女の機微などわかりようがない。
三大欲求として食欲が大いに勝る女故、致し方なかろう。
さらに吸血鬼を放置していくその様は人間として、吸血鬼ハンターとしてどうなのか。
ハンターという連中が頭のおかしい連中であることは百も承知であるが、人血を吸わない吸血鬼だろうと吸血鬼は吸血鬼でそれを見逃して女のところに走るハンターは初めてである。
不真面目極まりない。呆れ果てるくらいだ。
「はぁ……」
「あんなのに助けられたと思うと癪ですね」
「もうどうでもいい。忘れたい……」
しかし、己の記憶力が恨めしい。こういう時ほど忘れられないものなのだ。
「それで福岡に行けるようになったんですか? 話聞かずに吸い殺しましたけど。なってなかったら拳骨ですよ?」
「結界の異能はストックしたし、解除くらいならできると思うよ。記憶もまあ、百年あれば……」
「だから、わたしが死ぬでしょう」
「だよねぇ。まあ、行ってみて感覚頼りでなんとかするよ。念動力薄めて壁透過させて結界に触れて結界解除すれば壁もたぶん崩れるだろうし」
「本当にできるんですか?」
「たぶん」
「まあ、行って考えますか……」
どうせどうにかしてしまうのだろう。
悠花はセラフィーナがやることについて考えるのを放棄することに決めた。真面目に考えたところで人間でしかない悠花には特にできることはないのだ。
そう思った時、セラフィーナが目を見開く。
「っ!」
「どうしました?」
「お兄様が、そこにいる」
「え!?」
悠花が慌ててセラフィーナの示した方を向くが、そこには誰もいない。
「いませんけど……?」
「じゃあ、これボクだけに見えてるのか。なんだこれ」
セラフィーナの視界のエーヴェルトはにやにやと笑いながら一方的に告げる。
『やあ、ボクの可愛い
「うざい……」
『どうせ我慢できずに吸い殺して行き当たりばったりで福岡に乗り込もうとしているんだろう? お見通しだよ』
「…………」
図星だけに何も言えないが、ぶん殴りたいゲージが溜まっていく。
『そこで優しいお兄様はちゃんと用意しておいてあげたよ。秘密特急に乗ると良い。吸血鬼御用達の特急だから、きっと気に入るよ』
「なにが目的なんだ、コイツ」
『もちろん、キミで遊ぶのが目的だよ』
つまり何も考えてないということだ。
それきりいやらしい笑みを視界に残してエーヴェルトの幻影は消えた。どういう異能なのかわからないが、かつて吸い殺した彼とは異なる異能であることは間違いない。
姿も変わっていたのだから、それも当然かもしれないが厄介極まりないことに違いはなかった。
ともあれ伝え聞いたことを悠花に伝える。
「特急ですか。良いですね。じゃあ、今すぐ出発しますか」
「嫌だ!!!! ぜえええええったあいいやだ!」
「子供ですか! 駄々こねてないで出発しますよ!」
「やーだーあああ! 由布まぶし食べたいいいいい! 豊後牛! 鰻!! 地鶏!!!」
「ああもううるさい! わかりました、じゃあ明日出発しますからね!」
「ぷぅ……もっと観光して行ってもいいのに」
逃した獲物はマーキング済み。エーヴェルトはわざわざ特急で福岡に来たらといったのだ。そう言ったからには福岡に必ずいる。
それならばあと百年以上――悠花が死ぬため少なくとも五十年くらいとしても――行かなくてもいいのだ。
と、吸血鬼らしい悠長な思考で観光したいと思ってしまうが、一旦考えてぷぅと息を吐きだせば考えもくるりと変わる。
「そうかー、これが人間との旅かぁ。せわしないなぁ」
とぼそりと呟く。
せわしないという割には機嫌のいい顔で、浴衣で敷かれた布団に寝転がる。
言い忘れていたが、旅館の人たちは全員、病院に叩き込まれた。
長い間、魅了されていたことから不具合が出ていないかを確認するためにハンター協会系列の病院で入院することになったのだ。
別の旅館に移ることも提案されたが、セラフィーナは今更別のところに行っても大変であるし、吸血鬼が早々出歩くのもと思ったので旅館の部屋と風呂は使っていいと許可を得られたこともあって、ありがたく使わせてもらっているのである。
「んー、わかった。今日は寝て明日、由布まぶし食べてから福岡に行くからね」
「はいはい。それでいいです。……それにしてもお腹すきましたね」
「お腹空いたの……?」
夕食は悠花自身で作って食べたのをセラフィーナは見ていたし、昼間にはセラフィーナの血を飲んでいる。
早々空腹は訴えないはずである。
「お腹すきましたね」
なのにもう一度である。ちらちらとセラフィーナを見ている。
「なになに? だいぶわざとらしいね。ボクの血欲しいの? 美味しいって覚えちゃった? 欲しいなら、ちゃんと言ってほしいなぁ」
「…………ほしいです」
「そういうとこだけ素直だよね」
ちょっと責めるように言って、ふと仕返しというか悪戯を思いついた。
「良し。飲ませてあげよう」
「はい」
悠花がセラフィーナの前にやってきて指を切ってくれるのを待つ体勢となる。
しかし、セラフィーナは浴衣をはだけて首筋を出して、そこの皮膚を裂いた。
「ほら、噛みついて良いよ?」
「…………」
布団に寝ころんだまま、両手を広げておいでの体勢。
吸血鬼嫌いの悠花に吸血鬼と同じことをしろというちょっとした悪戯である。
セラフィーナはきっと普通にしろと言われるだろうし、そのあとにでも指から血を吸わせれば問題ないだろうと高を括っていた。
「えっ……」
予想外に悠花は馬乗りになってセラフィーナへともう辛抱たまらんと言わんばかりに嚙みついた。
そのままちゅうちゅうと血を吸われていく。
歯が首筋の肉を甘く噛む。こそばゆい甘噛みにじんわりと熱が広がる。
指から吸われるのとは違う、首筋から命を吸われる感覚が襲う。
それは吸血鬼が人を吸った時、人が感じるものとは違う。
劇的なものでなければ、強烈というわけでもない。ただ吸われているだけ。
だというのに、なんだか形容しがたい不思議な感覚がお腹の中から全身に広がるようだとセラフィーナは感じた。
「んっ……」
「んひゃぁ!?」
ふいに首筋に垂れた血をぬぐうように悠花の舌が這って自分が出したとは思えない艶やかな声が出た。
慌てて口を閉じるが遅い。
「痛かったですか……?」
「あ、いや、大丈夫」
セラフィーナの心臓がばくばくと高鳴ったまま止まらない。
(なんだこれ、なんだこれ、なんだこれぇぇ!?)
頭の中で感情が渦を成す。
こんなものセラフィーナは知らない。七百八十年近く生きてきて、初めての経験で。
ただそれは不快なものではなく、むしろどこか心臓の高鳴りとともに力が増していくような気さえしていた。
悠花は不思議そうにしながらも、首をこてんとして、唇から血を垂らしながらもう少しとおねだり。
「あの……もう少し、良いですか? あの箱の中に閉じ込められてこればかり飲んでたから、なんだか、我慢できなくて……責任取ってください」
「……あ、ぁぅ、う、うん。わ、わかった……いいよ、もう少し、なら」
許可とともに再び首筋に噛みつかれた。
「んっ……」
「じゅるっんぢゅるぢゅる……」
じんわりたものがじわりじわりと首筋から、悠花が触れている場所から、セラフィーナを溶かしていくようだった。
柔く白んでいく意識の中で、これからは吸血するときはひと思いにしようと思った。こういう感覚のたぶん何十倍も強いものを自分はきっと相手に感じさせてしまう。
意識の根底を揺るがして、価値観をひっくり返して、意思を書き換えてしまうようなものだ、これは。
少し自重しようと思った。
「……あの、そろそろ」
ぽんぽんと悠花の背中を叩いて終わりを告げる。
「ん、んんっ!?」
血を吸うのをやめた悠花が身を起こして自分とセラフィーナがどんな状態かを察したようで真っ赤になって飛び退いた。
「あ、あああわ、わた、わたし、なんあなんてことを!? 吸血鬼みたいなことをぉ……!?」
「……大丈夫。それもこれも血の味を覚えさせちゃったボクが悪いんだからね。悠花は気にしなくていいよ」
「そ、そうですね。あなたが悪いです。は、反省してください!」
「……うん、それはもう、めちゃくちゃしてる」
「…………」
「…………」
「え、ええと、わ、わたし別の部屋で寝ます! そ、それじゃあ!!!」
悠花が荷物を持って部屋を飛び出していった。
セラフィーナは悠花が走り去っていった方を見ながら、やおらに噛み痕の残る首筋に手を置く。
「…………」
顔の赤みはしばらく抜けそうになかった。
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