神の舞〜巫女浮舟の物語〜

あまるん

第1話

 天文二十三年(一五五四年)盂蘭盆うらぼんである。夕空をいて三角錐さんかくすいの山がそびえている。白い巨石がならぶ山頂からほそい煙がたなびいていた。山頂の小さなやしろの前に細竹ほそたけ注連縄しめなわを張った二間にけん四方(約3.64平方メートル)の結界けっかいがあった。

 白い法衣ほうえ修験者しゅげんしゃ山光院さんこういんが朗々たる声で神楽歌かぐらうた奏上そうじょうしつつ、だんの炎に護摩木ごまぎを投げ入れている。


 がく奉納者ほうのうしゃたちが幕内まくうちに並び、その末席まっさき白拍子しらびょうし姿の舞い手が控えていた。

名は浮舟うきふね、今年数えで十六の巫女みこである。べにをさした下唇を噛みしめ、神妙しんみょうに目をせていた。

――ついにこのときが来た。

細い肩を震わせる。合わせた手の間にはじっとりと汗が浮かんだ。


 護摩ごまの前で山光院さんこういん三尺さんしゃく(約91センチ)の棒に括り付けた御幣ごへいを持ち上げる。手を合わせる一同の頭上で御幣ごへいが大きく振られ、風圧で火の粉が飛び散る。

 浮舟は間近で弾ける火花の音を聞いても微動びどうだにしない。

 彼女は『浮島うきしま』と呼ばれる集落しゅうらくの拾われ者だ。下賤げせんの身と侮られないために必死だった。

 もし浮舟が山光院に巫女としての才を見いだされなければ、そして、山光院の一族の頭領である一方井刑部左衛門いっかたいけいぶさえもんの孫である『亀九郎』の神舞かみまいにくわわることがなければ全く違う生があったのかもしれない。


 能衆のうしゅうが結界の上手かみてから太鼓たいこを鳴らす。振動が全身に伝わる。

太鼓の傍らの手平鉦てびらがねが金属音を立てて風流ふりゅうに(派手に)拍子ひょうしをとる。舞の奉納者ほうのうしゃの背後である山の頂上側に社があった。そのかたわらで風音に混じって笛が鳴る。

 下手しもてでは、うちぎ姿(着物を頭にかけ顔を隠す姿)でしょうを吹き鳴らす貴人きじんがいる。

 一方井いっかたいの姫君だ。北の雄、安東氏あんどうしの血筋の一方井刑部左衛門いっかたいけいぶさえもんの娘であり、亀九郎の母である。

 筒を持つ白く美しい手先だけが見える。あたりを包み込む優しい音色が響く。姫は頼みの綱と山光院が言うだけであって音はリズムの空隙を上手に埋めていた。


 四方からの音圧と振動が胃のを揺らした。

不意に浮舟の額に鋭い痛みが走る。

浮舟は思わず手で額を押さえた。

痛みはすぐに止み、そっとまぶたを開く。

見えたものはこれまでと全く異なっていた。


 姫神山のすそ野を見下ろすと畠山氏の末裔の館がある。夕べの灯がかくの土壁を照らしているのがはっきりと見えた。まるで眼前にあるかのよう。目をらすと建物の中の人まで見えそうだ。

そして。


 正面にそびえる岩手山に変異へんいが起きている。

 西方は茜空、お天道様は岩手山のやや北にある三角の形をした前森山まえもりやまにかかり、夕映えの岩手山は山裾やますそに淡い青の長い裳影もかげを引いている。


 その影にたくさんの光の点がみえる。

 

 最初は地上からの熱気による陽炎かげろうかと思われた。しかし夜の帳が下りるのにつれて少しずつ数を増やし、地上から山裾、中腹までびっしりと光が取りついている。その光は甲虫の羽を思わせた。

 浮舟うきふねはぞっとする。

 山光院の背に目を向けると、一声も発さずともその意思が伝わった。山光院が以前浮舟に語った言葉が心に蘇る。

 去年の秋だった。姫神山の西にかる浮島集落の掘立小屋にいた浮舟(そのときはただ『うき』と呼ばれていた)を迎えにきた時だ。山光院はわざわざ送り仙という台形の山をぐるっと周り、西にある岩手山を見せた。あの日も山は晴れていた。


(浮舟よ。見えるか死して岩手山ハヤマに登る人魂たちが。あまりの多さにきよめが追いつかぬ。あのモノたちを鎮めなければ、御山おやまが自らを浄めるだろう)

 言葉を思い出すと同時に、噴き上がる祭壇の火が岩手山の噴火と代わる。そして、一気に中腹まで崩れ落ちる山体の幻影が見える。


― ―これが第三の目……。

 前もって浮舟が山光院に言われていたとおりである。常ならぬものを見る力、額にあって神の力を示すもの。

 五穀を立つ精進潔斎しょうじんけっさい、炎の清めである護摩ごま祭文さいぶん能衆のうしゅうによる演奏そして昼と夜のあわいの刻限……。それら全ての要素がそろうと舞い手の器をもつ者に与えられる法力である。


 左右を見回すと、他の者はまだ神妙に面を下げていた。浮舟は前にいる姫神山の頂上に向く山光院を密かに見上げる。そうすると、目の端に中央でも一人顔を上げた者がいた。



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