工藤美鈴

 入り口から数えて四番目のベッドに、立花と俺は腰を下ろした。立花は一つ奥側のベッドの方…仕切りとなっている真っ白なカーテンに向かって優しく語りかけた。


「瀬川先生がいらっしゃったわよ」


 返答はなかったが、身体の向きを変えたのだろう、シーツが擦れベッドがきしむ音が聞こえてきた。俺は紙袋の中に手を入れ、傷だらけのグラブを取り出した。立花の目配せを合図に、今度は俺が、皺ひとつない白カーテンに語りかけた。


 尾口先生に全部聞いたよ。辛い思いをしながら、ずっとバレー部を支えてくれたんだってな。ありがとう。そして、気づいてやれなくて、ごめん。本当、何で俺がバレー部の顧問をやってるんだろうって悩む毎日だよ。顧問が俺じゃなかったら、もっとしっかりした部活になった気がする。だから、申し訳なさしかないんだよ。


 ちょっと、俺の話をしてもいいかな?俺、高校の時、実は、野球をやっててさ、まぁ下手ではあったけど、一生懸命やってたんだ。自分で言うのも何だけど。でも、成績は中の下……親は俺が野球をやることにものすごい不満を抱いていたらしい。よく言われたよ、試合にも出れない野球部なんてさっさと辞めなさいって。合宿の初日の朝、合宿代をくれなかったこともあった。野球部にいること自体が悪……そんな扱いを親から受けてた。

 ある日……三年生に進級した日、四月だな。母親がキレたんだ。野球部を辞めろ、明日退部届を出せと言ってきた。何でだと思う?コレだよコレ……ってやっても見えないか、好きな子がいたんだ、その時に。毎日電話しまくってた。今みたいに通話料は無料じゃなくて、電話料金がものすごく高くなって。それでキレたんだ。わけわかんないだろ?未だによくわかんないよ。母親はキレて、泣いて、なぜか野球部の顧問に電話して……本当に何でだろうな、それで、顧問が退部届を持ってくるように母親に言ったらしいんだ。信じられるか?顧問も顧問だよな。で、俺は母親の剣幕もそうだけど……好きな子との電話の通話代がめちゃくちゃ高くなったっていう事実がとにかく恥ずかしくて……もうやけくそになって、どうにもならなくて、次の日顧問と話して、退部したんだ。退部しないと、母親の怒りをどうにも抑えられる気がしなくてな。引退試合の三ヶ月前だよ?今まで耐えてきた「耐え度」のメモリがフルに近い状態で、あと少し積み重ねれば「三年間辛い野球部をやりきった」っていう……これが、新庄さんと話して時に言った、「高校時代の取り返しのつかないこと」ね。この経験のおかげで俺は早稲田に行けたわけだ。

 恨んではいけない人を恨んでしまったのが自分でも嫌だった。母親にはとても感謝しているし、その顧問だって、恩師になりうる先生だったんだ。だけど、話し合って結局退部するってなって……その時、顧問が俺にかけてくれた言葉は、たった一言、「しょうがないね」だった。他に何かかける言葉はないのか、教師だろうって俺は思ったよ。いや、言葉だけじゃない、部活を辞めたくない、なのに辞めさせられそうになってる生徒がいたら、助けるもんじゃないのか、教師ってのは。俺はそれがずっと納得いかなかった。ずっと、ずっと……。

 だから、俺は教師になったんだ。部活で悲しい思いをする生徒をこれ以上出さないために、かつての自分みたいな生徒がいた時に助けられる教師になってやろうって……まぁ、最初はその思いがちょっと屈折してたというか、自分を主人公にした映画を作りたい!とかって思って、小さな映画会社にいたんだけどね、やっぱり教師だなぁって思って……当時使ってたグラブを進路指導室に持ち込んで、事あるごとに触って、当時の悔しさを思い出して……でも、俺は、その思いを忘れてたみたいだ。最初はチャンスだって思ったんだ。工藤さんたちが少人数で頑張っているって聞いて、良い部活を持てたなって喜んだんだ。本当だよ。でも……まぁ、工藤さんと……あまりうまくいかなくて、最初の夢を忘れてしまってた。

 立花先生に聞いた。先生になりたいんだって?なんか、似てるよ、俺と工藤さんは。

 

 話しすぎた。喉が異様に渇いたので、一旦話すのを止めた。立花が途切れることなく頷いて聞いてくれて助かった。


 同時にカーテンの向こう側でもう一度、シーツが音が寂しく響いた。続いて、重そうなため息。


 俺の話をちゃんと聞いててくれたんだな。嬉しさがこみ上げた。


 ため息が途切れ、重そうな声がカーテンを越えてやってきた。


「で、どうすればいいんですか?」


 いつもの憎まれ口は、どこか、助けを求めているようにも聞こえた。


 俺はしばらくの間何も言わなかった。良いのか?自問自答を繰り返した。あぁ、良いさ。やっぱり、もうちょっと、バレー部に付き合ってやろう。俺の中で答えは出ていた。


「まずは、みんなに謝ってくれ」


「えー、何で私が謝るんですか」


「工藤さんの発言でみんなが傷ついたんだ」


「勝つためにはしょうがなかったんです」


「ならこのまま引退になっちゃうぞ?悔しくないのか、今まで必死にやってきたのに、全部水の泡になるんだぞ」


「うーん」


「俺は……本当は」


 バレー部なんて廃部になりゃいい、そう思ってたんだ、喉元まで出かかった時、


「私には!」


 金切り声のそれに近い音量が遮った。カーテンが揺れた。


「バレーできるところなんて、他にいくらでもあります。私のやり方を変えるつもりはありません。強くなるためには、上手くなるためには、優しくやる必要はないんです」


「それでも、うちのバレー部に入ったんだよな。何か腹の中に残したものがあるんじゃないのか?」


「……亜美と沙也香を引き止める時までは必死でした。でも、亜美も沙也香も嘘をついてたって聞いて、糸が切れちゃいました。もう、バカバカしいなって。それに」


 美鈴の声が止まったので、思わず立花と顔を見合わせた。ただ息継ぎをしているだけではない、何とも言えないような間が肩にのしかかっているような気がした。


「一年生が、私じゃなくて瀬川先生に相談してきたのがすごく悲しかったです。直接話を聞きたかったです。てか、一年生が本当にかわいそうです。だって、今の厳しさを乗り越えれば楽しさを知ることができるはずなのに、それをしないから」


 美鈴が大きく息を吸い、ふーっと吐く音が聞こえてきた。


「……ちょっと寝たいので、もういいですか」


「……わかった」


 立ち上がり、ベッド部屋の出口へ向かった。立花は俺に会釈しながら、カーテンの向こう側、美鈴がいるのであろう所へ姿を消した。

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