異世界妹行進曲~兄貴は辛いよ、渡る世間はキモウトばかり。ノーマルな俺はあくまで健全な関係でいたいです~

龍威ユウ

第1話

 ふと視界に入ったそれは、満天の星だった。


 例えるなら、上質な天鵞絨びろーどの生地をいっぱいに敷きつめたかのような空だった。


 無数に散りばめられた星は、小さいながらもその輝きは現存するどの宝石よりもずっと強く美しい。


 ぽっかりと浮かぶ白い月は、氷のように冷たくも神々しかった。


 不意に吹き抜ける夜風が頬をそっと優しく撫でていった。ほんのりと冷たさを帯びる風だが、逆に心地良い。


 俺はいったいなにをしているんだろうか。ここは、いったいどこなのだろう?


 はて、と小首をひねる。いくらひねろうとしても全身に力がまるで入らなかった。


 辛うじて動けるものの、いつものようにとはいかないらしい。ますます状況がわからない。



「――、ふむ。よもやこのような場所に人間の赤子・・がいるとは思わなかったぞ」



 不意に耳に届いたしわがれたその声に、思わず目をぎょっと丸くした。


 人ではなかった。フクロウを彷彿とする顔は明らかに人間のそれとはまるで異なる。


 西洋の服を見事なまでにビシッときこなし、佇まいはバケモノでありながらどこか気品すらあった。


 なんだ、このモノノケは!? このような怪物がヒノモトにいたとは……! 


 いくら身体を動かそうとしてもやはり、意思に反してまるでいうことを聞かない。


 ふっと視界にあるものが映った。己の手だ。ただしその手は恐ろしいほど小さかった。


 なんだ、これは……? 知っている己はもっと大きい。多少ではあるがいくつもの小さな刀傷もある。


 傷らしきものは一つとしてない。すべすべとして柔らかな肌はそれこそ、赤子のようであった。



「――、この赤子……ただの赤子ではないな?」



 羽毛に覆われた手がぬっと伸びてきた。先端が鋭利な黒い爪がとん、と額に触れる。


 次の瞬間、なにかが頭の中ではじけるような錯覚を憶えた。


 これは、記憶だ。生前の記憶といっても過言ではないかもしれない。



「そ……だ……俺……は――」


「ほぉ、人語をすぐに発するか。これはもしかするとかなりの掘り出し物なのかもしれん」


「誰……だ、お前は!? 俺はどうしてこんな場所にいる……? いったい俺になにが起きた!?」


「随分と流暢に喋る赤子なことだ。ならば尚更貴様には我のために役立ってもらわねばならんな」


「くっ……まさか、モノノケが本当にいるなんて……!」



 赤子はきっ、とフクロウのモノノケを鋭く睨んだ。


 もっとも、モノノケはまったく怯んだ気配がない。赤子が睨むのだからかわいらしいものだろう。


 赤子でありながらこうもべらべらと喋るという点に関しては、確かに不気味なのやもしれぬが……。



「我はアモン。魔王アスタロッテ様に仕えし者……」


「“あもん”……? “あすたろって”……? ここは南蛮なのか? 南蛮にはこんなモノノケがいるとは聞いてないぞ……!」


「南蛮? 貴様のいう南蛮という言葉はよくわからないが、ここはアズガルドという大陸の最南端に位置する。この辺り一帯はすべてアスタロッテ様の領地でもあるのだ」


「な、何を言ってるのかさっぱりわからん……」



 話が絶望的にかみ合わない。モノノケが相手なのだ、話が通じるほうがまずありえないと断言してもよかろう。


 赤子は周囲を今一度見回した。フクロウのモノノケーーアモンというらしい。それ以外で映ったのは木製の板だった。


 四方を木の板で囲われている。よくよく見やれば己は白い布に包まれていた。


 一つの仮説が脳裏をよぎった。真実といったほうが正しいかもしれない。



「貴様は見たところ捨て子のようだな」


「捨て子……どうして、俺がこんなことに……」



 赤子は顔を青白くさせた。


 にわかに信じ難いことばかりがずっと起きている。


 いつの間にか赤子になっていた。それだけでも十分卒倒できるほどの衝撃なのは言うまでもない。


 人語を解するモノノケや耳にすらしたことのない国名……考えれば考えるほどに頭が痛くなる一方だった。


 本当になにが起きたのだろうか。赤子はひたすらうんうんと唸った。自問したところで、納得のいく回答が得られるはずもなし。自然と深い溜息がもれた。



「まぁ、我にとってはどうでもいいことだ。おい小僧、貴様に一つ取引を持ち掛けよう」


「取引だと?」


「そうだ。そう難しい話ではない。貴様はこれから当面の間、ある方の子供として振る舞ってもらう」


「ある方の子供として? 本来の子は亡くなったのか?」


「……貴様が深く知る必要はない。話を戻すが、貴様がある方の子供として振る舞っている間、我が身の安全を約束しよう。断る道理はないとは思うがな」


「ふむ……そうだな――わかった」



 赤子は二つ返事で答えた。



「……随分とあっさりと決めるのだな」


「モノノケの類に拾われるとは予想だにしなかったが……今の俺には、どうすることもできないからな」



 赤子は自嘲気味に小さくふっと笑った。


 アモンの言い分には文句の付け所はない。拒んだところで待っているのはいずれも死だ。


 赤子ではなにもできず、そのまま獣の類の糧となるのがオチである。そうでなくとも飢えや渇きによってたちまち死を迎えるのは火を見るよりも明らかだった。


 未だ驚愕から脱せないが、このまま再び死ぬつもりは毛頭ない。これは、普段信じていない神仏からの救いの手だ。今ばかりはすこぶる本気でそう思った。

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2024年12月21日 07:02
2024年12月21日 17:02
2024年12月21日 20:02

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