第十八話 会合に参じる

 朝食はきちんととったはずだった。

 それなのに、出された食事の献立も、完食したのか食べ残したのかも記憶にない。志乃の胃は満腹かどうかもわからないほどにきりきりと痛んでいる。


 理由は、大広間に集まった目だった。


 志乃を睨む目。訝る目。恨む目。汚いものを見るような目。目、目、目。

 大広間にずらりと並んで両脇を固めた間宮家の人々の視線が、ぶしつけに志乃をなめ回す。入ろうとした瞬間、室内のすべての耳目が揃ってこちらを向いたので、志乃は襖を開けた格好のまま立ち尽くしてしまったのである。


 前日に詠月から告げられた、志乃を紹介する間宮の集まりでのことだった。


 何十人もの人の前で見世物のように姿をさらすことには慣れているはずだった。「転校生を紹介します」というお決まりの文言とともに、教室の扉を引いて入る。今まで何度もやってきたことだ。慣れている。今回だって、場所もシチュエーションもずいぶん違うが、要領は同じことである。


 それでも足が動かなかった。

 だって向けられる視線は、転校のときと似ても似つかないほど悪意に満ち満ちている。


 志乃が間宮家に歓迎されないというのは、わかっていた。しかしどうやら、理解まではできていなかったらしい。詠月も晴時もいたって普通に接してくれていたから、悪意にさらされるということの本質を軽んじていたのだ。だからこうして目の当たりにして、志乃の頭は真っ白になってしまった。


 膝が完全に笑っている。思いきり叩けば一歩くらいは前に出ることができるかもしれないが、まさかこの場でやるわけにもいかなかった。


 そうこうしているうちに時間切れだ。微動だにしない志乃にしびれを切らして、ささやき声が畳を這いはじめた。


「あれが御神体か」

「凡愚な娘だ」

「みすぼらしい」

「なんだあの着物は。趣味の悪い」

「見栄を張っているつもりか」


 志乃の頭のてっぺんからつま先までじっくり眺め、誰かが鼻で笑った。

 思わず襟元を触って、着物が乱れていないかたしかめてしまう。そんなことをせずとも、身なりは部屋を出る前にすずに整えてもらったばかりである。着物は昨日に引き続き、晴時の母のものを借りている。

 つまり、志乃はまともな格好だ。


「まるで化け物を前にしたように怯えているじゃないか」

「化け物はどちらだ。間宮から神力を奪った女狐め」

「何も知らぬような顔をして、白々しい」

「涼しい顔で間宮家に取り入るつもりなのだろう」


 この世界や間宮家における常識が身についていない心細さ。部屋に入るなり遠慮なしに叩きつけられた悪意のかたまり。神力を身に宿してしまった負い目もある。今目の前の彼らが目にしているのは、そういうものの集合体で身を縮めた志乃の姿だ。


 今すぐ返すことができると言われたら、志乃は二つ返事で頷いて、大喜びで神力を差し出すつもりだというのに。さざ波のように大広間を揺らす彼らの邪推は見当違いもいいところである。


「あのような者の手に御力が渡ってしまって、神もさぞ嘆いているだろう」

「晴時様も詠月様も、どうしてあの娘を放任している」

「今すぐ縛って牢に……」

「神力が無事間宮の手に戻った暁には極刑に……」


 もうささやき声どころではない。志乃への罵詈雑言は、人目も憚らず、あちこちで声高に語られた。悪化の一途をたどる内容に、志乃は前に進むどころか足を引いて踵を廊下に出してしまった。背中に嫌な汗がにじむ。


 もうこのまま走り去ってしまおうか、と横目で廊下を見たときだった。


「鎮まれ、愚か者どもが」


 地を這うような声がその場にいた全員の口を塞いだ。

 同時に、志乃に集中していた耳目が逸れる。大広間に集まった間宮家の面々は、上座――晴時を見た。


「凡愚はどちらだ。何度も言わねばわからぬか?」


 傍目にも怒っているとわかる、押しつけるような口調で晴時は続けた。


「そこの娘は神社に入っていない。楸神社に上がった姿も目撃されず、周囲の山から忍び入った形跡もなかった。その上、俺が彼女を見つけたとき、本殿にはきっちり鍵がかかっていた。中にいながら、扉の外に錠前をかけて鎖をかけることができるわけがない。御神体の娘は、突如として本殿の中に現れたのだ。身につけていた着物も、日ノ倭国のものではなかった。彼女は――」


 異界から神の手で招かれた、神子みこである。


「先ほども一度説明したはずだが」


 息を呑む音が聞こえた。ほかならぬ、志乃のものである。おそらく今、志乃はこの場の誰よりも驚いている。

 だって、晴時が言ったことのすべてが初耳だ。


(そ、そんなこと一度も言わなかったじゃん!)


 どころか、最初は志乃を犯罪者だと責めていなかったか。志乃の足を固めていた緊張がわずかに解ける。


「彼女が神力を手にしたことにも意味があるはずだ。不用意な発言は慎め。それとも何か、おまえたちは……間宮晴時と間宮詠月が認めた客人に文句があるのか?」


 肌を裂くような静寂が広間を包む。


「ずいぶん偉くなったものだな。そんなに自信があるなら、今すぐに継承の儀を行っておまえたちが彼女から神力を受け取るがいい」


 晴時の視線が、大広間を一巡する。誰もが彼から目を逸らして畳の目を数え始めた。ほとんどが顔を青くしている。中には己の口を押さえている者もいたが、そんなことをしたところで吐いた言葉が戻るわけでもない。

 ふん、と鼻を鳴らした晴時が腰を上げた。足音も荒々しく広間の入口へと向かってくる。彼が目の前を通るたびに、並んで座った者たちが怯えるように頭を垂れた。


「全員黙らせた。すぐに済むからさっさと入れ」


 彼は未だに尻込みしていた志乃の手を取って、強引に中へと引きずり入れた。空いた手でさっさと襖を閉じてしまう。引いた足が挟まれそうになって、志乃は慌てて広間に一歩踏み込む。


 晴時の手をよすがにして志乃が歩き始めると、示し合わせたように、広間に並んだ人々が手をついて低頭した。流れが一気に変わってしまった。心ない視線はどこにもない。志乃からはただ、何十人ものつむじが見下ろせた。これはこれで心地が悪い。志乃は両脇に連なる微動だにしないつむじの列から目を逸らし、視線を奥へと流した。


 詠月が口元を押さえて震えていた。首元を流れて落ちた空色の髪が、膝の上でわだかまっている。彼が肩を揺らすのに合わせて、その髪の束も一緒に揺れている。


 志乃にはすぐにわかった。

 この男、笑っている。


 いったいどんな胆力をしているのか。呆れを通り越して体から力が抜ける思いだった。緊張しているのも馬鹿馬鹿しくなって、志乃はいたって自然な動作で、晴時と並んで座った。


 詠月の発作はまだ収まらないらしい。しばらく俯いていた。

 やがて、半笑いのまま顔を上げる。


「晴時からも紹介があったように、彼女が先日、楸神社におさめられていた神力を宿した御神体の娘、志乃です」


 間宮の血筋ではないため、その力は非常に不安定なものであり、自分で操ることはできない。身に危険が迫ると、宿主を護るために御神体が発動する。その際、標的となるのはその場にいるすべての者。下手に手出しをすると、神力によって自分が殺されることになるので心しておくように。

 また、このまま放置するわけにはいかないので、現在、新たな御神体を探してそちらに神力を移すことを考えている。準備にはすでに手をつけており、みなにも協力を頼むことがあると思うので、その際はよろしく。


 詠月の話はだいたいそのような内容だった。

 志乃は本当に一言もしゃべらなかった。ただ詠月の花のかんばせを眺めながら、話を聞いていただけである。


「志乃、もう下がって大丈夫ですよ」


 ことさら優しく微笑みかけられたときは、思わず肩を跳ね上げてしまったが。

 志乃が立ち上がろうとすると、晴時に小さく声をかけられた。帰るときも介護が必要か、という問いである。志乃は、大丈夫という意味を込めて首を振って、ひとりで席を立った。


 帰るときもやっぱり、集まった間宮の者たちは頭を下げていた。

 もう気にならない。志乃は彼らの間を堂々と抜けて、静かに襖を開け、大広間をあとにした。

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