第36話 暴走したフェンリル
「ティウ! ティウ……! お願いだ、目を開けてくれ……!!」
ジルヴァラはティウを抱き上げ、懇願するようにティウの胸元に頭を載せた。幸い鼓動は聞こえてくるが、ティウの体温は急激に下がってしまっている。
この状態は百年前のあの時と同じだ。また百年眠ってしまうのではないかとジルヴァラは気が気じゃない。
何度もティウを呼びかけていたジルヴァラに、そっと近付いてくる影があった。
「本物の……守護の賢者ティウなのか?」
信じられないと言わんばかりのアルドリックの声に、ジルヴァラは激怒した。
「貴様のせいだぞ! やっと……やっと目覚めてくれたのに……! 結界に近付くつもりなど毛頭なかったのに、貴様がしつこく追い回すからこんな事になったんだ!! 百年だぞ! 貴様らのためにティウは百年も犠牲にしたんだッ!!」
「……!」
「なのに守って貰っておきながら、終いには結界なんていらないだと……!? 」
「そ、そんなつもりでは……」
「自分達に都合が悪ければ恩も忘れて悪し様に罵りやがって……こんな奴らを助ける必要なんてどこにあったっていうんだ!!」
悲痛なジルヴァラの叫びにアルドリックは何も言えなくなってしまった。
あって当然だった結界の代償が百年という年月の大きさにアルドリックは愕然とする。今さらその事に気付いてももう遅い。
守護の賢者ティウは結界を施して眠り続けてしまった。その有名な話を自分達は伝え聞いて知っていたはずなのに、知らなかったとはいえ酷い有様を本人に見せてしまったのだ。
至る所では先ほどの結界の攻撃で、傷ついて動けない者達もいる。退避していた兵達も慌てて戻ってきて、アルドリックに指示を仰いでいた。
「ご無事ですか、アルドリック様……!」
「はっ……すまない。急いで怪我人達を救護院へ運ぶんだ! あと、君は城に行って事態の報告、それと医師と回復魔法に心得のある者達を救護院に集めてくれるように頼んで来てくれ!」
「ハッ」
兵士は走って他の兵士に指示を飛ばしていた。それを見送ったアルドリックは、ティウの名前を呼び続けていたジルヴァラの側にしゃがんで声をかける。
「ここにいては危ない。どうか王宮の方へ来て頂けないか。ティウ様を医師に診せなければ……」
「ふざけるなッ! 誰が貴様の所になどティウを連れて行くか!」
しかしジルヴァラは先ほどティウを助けようとして電撃の影響を受けていたせいか、手足が震えていて上手く立てなかった。
急いで転移の魔道具を荷物から取り出そうとしているのだが、思うようにいかなくてジルヴァラも焦っている。
手負いの獣の様に牙を剥くジルヴァラに、アルドリックは痛ましげな顔をする。ティウの状況に酷く動揺していると思われたようだ。
「しかし、このままでは……」
ジルヴァラの状態も悪いように思ったアルドリックは、刺激してはいけないとゆっくりと話す。
大騒ぎになっている周囲の空気に呑まれないように、アルドリックは慎重に説得していた。
しかし、それらの努力を全て無にする声がした。
「いたぞ! あの子だ!!」
そう叫んだ声に顔を向ければ、こちらへと向かってくる数人の男達がいた。
「本当に黒髪だ……」
「守護の賢者ティウって実在していたのか!」
口々にそう話しているのが聞こえてきたと思ったら、目的はどうやらティウの回復魔法らしい。
「一体何だ、君達は……」
「ティウ様ですよね!? 助けてください!」
ティウは気絶していて意識が無いのにも関わらず、口々に回復魔法をと叫ぶ男達。
「やめないか! ティウ様も倒れられているのが見て分からないのか!」
アルドリックがそう怒鳴る。どうやら男達は兵士に連れてこられた救護院の者達や医師達だったらしい。
腹に穴が空いた者がいたため急いで治療を施していたが、事件の概要を聞いていた者達からティウの存在が知れ渡ってしまい、助けを求めてきたようだ。
守護の賢者ティウは結界魔法と治療魔法が得意だったと伝えられていたようで、その力を当てにしてきたのだった。
「怪我をなさったのですか?」
「いや……結界を止めて気絶された。一体どういう状況なのか……」
「俺達が診ましょう」
そういって医師と思わしき者達がティウに近付いてこようとして、ジルヴァラが吠えた。
「近付くな!!」
「ジル、ティウ様の状態を診てもらった方がいい。 命に関わるかもしれないだろう?」
「……お前達がそれを言うのか……?」
ティウの状態は百年前と酷似していた。サミエが魔力欠乏症だろうと診断していたが、それだけ魔力を消耗する結界だったのだ。
この国を守るためにその身を犠牲にして結界を施したというのに、人族同士の争いでいらないとまで言われてしまった。
攻撃されたのだから反撃して当然なのに、攻撃した者を助けて、さらに暴走した結界を無理矢理止めたせいでこんな状態にまで追い込まれてしまったのに、どこまで他人事なのだろう。
ティウが回復するまで百年かかった。これ以上人族と関わっては次こそ命がないとジルヴァラは牙を剥く。
『これ以上お前達人族に関わるつもりはないッ!!』
ティウをゆっくりと横たえたジルヴァラは、男達を振り切るようにフェンリルへと一瞬で変化する。衝撃波を伴う遠吠えをすれば、周囲にいた者達はフェンリルの魔力に威圧されて動けなくなった。
「な……まさか、伝説のフェンリル!?」
『貴様らのせいでティウがこんな状態になったというのに、どこまで愚弄すれば気が済むんだ!』
怒りと焦りで我を失いつつあるジルヴァラは、アルドリック達に向けて氷の魔法を放とうとした。
「退避! 退避しろ!」
慌てて逃げ出す医師達とアルドリックだったが、地面が凍り付いて足元が凍ってしまった。
逃げ出せず動けなくなった者達に向かって、ジルヴァラは大きな口をガバッと開ける。
その口に膨大な魔力が光の塊となって集結していく様を、アルドリック達はただ呆然と見つめることしかできなかった。
ゴウッと魔力の塊が解き放たれた瞬間、アルドリック達の前に立ちはだかる者がいた。
その男は赤黒い炎を拳に纏い、ジルヴァラの魔力に叩きつける。
ドゴオオオオオンという爆音と暴風と主に、地面に覆っていた氷までバリバリと剥がしていった。
「おいおい、何やってんだ」
低い声の持ち主は一瞬でジルヴァラの目前まで走ると、ジルヴァラの眉間に向かって強烈なデコピンを一発お見舞いした。
『ギャン!』
鈍い音と共にジルヴァラの悲鳴が辺りに木霊する。眉間を両手で押さえて蹲っていたフェンリルは、消えるように人の姿へと戻っていった。
「な……あ、貴方は……?」
アルドリックが恐る恐る問いかけると、その大柄な男はアルドリックを見て呟いた。
「ああん? ……お前、どこかで見た事ある顔だな?」
アルドリックをまじまじと見つめてくる男は、二メートルを軽く超えていると思われる筋肉隆々の男だった。
年齢を人族に例えると、四、五十代くらいだろうか。所々に黒い鱗があり、二本の角がこめかみから左右対称に生えていた。
トカゲ族特有の大きな尻尾が地面をドシンドシンと叩いているが、その音はとても重量感があった。しかしトカゲ族とは違う種族なのだと分かる。顔と手が人族だったからだ。
そして何より、背中を覆うほどの黒髪が目に焼き付いて離れない。日光に照らされた黒髪は、先ほど見た赤黒い魔力の光りを放っているのが分かった。
「黒鱗と……黒髪……」
「ぐうう……いてえよ! ゾンのじーさん!!」
正気に戻ったジルヴァラが男の名前を叫ぶ。
この男こそドラゴン族の長である黒竜を母に持つ、ティウの曾祖父だった。
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