第17話 アルドリックという謎の男


 従者を連れた男性はティウ達に微笑みかけてはいたが、近寄ってくるとその目が笑っていない事に気が付いた。


「……っ!」


 ティウが怯えて一歩後退した。その様子を見たジルヴァラに慌てて抱きかかえられたティウは、震えながらジルヴァラの頭に縋り付く。


 どういうわけか、男性を一目見た瞬間から身体の震えが止まらなかった。


(誰だろう? 見覚えがある気がするのに思い出せない……)


 頭の中の引き出しが引っかかって、なかなか開かないような感覚がする。出そうで出てこない。そんな感覚をよく人から聞いてはいたが、ど忘れするとはこういう事かと場違いにも思ってしまった。


 もしくは男性と顔立ちが似た人とどこかで会ったことがあるのかもしれないとも思ったが、ほとんど外に出たことがないティウにそんな知り合いなどいるはずもない。


(ジルに抱っこされてて良かった。足まで震えてるから立てなくなっていたかも……)


 ティウは怯えを誤魔化そうと平然とした顔をしているつもりだが、擬態していた耳と尾は隠せず、ペタンと伏せってしまっていた。


「……何か?」


 ジルヴァラは大きな手でティウの頭を隠し、男性から見えないように警戒する。近付いてくる青年から距離を取ろうと一歩後退した。


(どうしよう……もしかして私の記憶に関係がある人?)


 男性からはどこか懐かしさも感じるが、同時に怒りにも似た感情もわいてきて困惑する。

 自分の気持ちがよく分からなくて、やはり失った記憶と何か関係している気がしてならなかった。


(でもそんなはずない。だって百年前だもの……関わった人間はもう亡くなっているはず……)


 必死に己の気持ちを否定している自分がいることに気付いてしまって、ティウは呆然としてしまった。

 理由も分からず、自分の頭と心がすれ違っているのに気付いたのだ。



 一方で男性の方は、怯えた獣人の子供が兄にしがみついている様子を見て、怖がらせたのだと思ったのか慌てた様子で謝罪をしてきた。


「驚かせてしまったようですまない。私はミズガル・アルドリックという。先ほど君達が話していた内容について、少し話を聞きたいのだが……」


 ティウ達の警戒が人族に対してのものだと解釈したのか、アルドリックは申し訳なさそうにしながらそう言った。


 優しそうに話す声を聞いて、ティウは「悪い人ではないのでは……?」と、恐る恐るアルドリックと名乗った男性を盗み見た。



 アドリックは二十代を少し超えたくらいの青年に見えた。ジルヴァラよりも頭ひとつ分身長が低いので、抱き上げられているティウよりも、その顔が低い位置にある。

 清潔感に溢れ、ゆるめの前髪を横に少しだけ流している髪型。

 ロングコートにステッキを持った姿は、いかにも貴族といった出で立ちだった。

 控えている従者の二人はアルドリックの両脇から少し前にいて、アルドリックを常に守っているのだろう。


 アルドリックは隣にいた従者の一人に小声で何か話し、さらに後方にいた近衛達に手を軽く上げて合図をしていた。


 すると、優しそうに話してきたのに近付いてきた彼らによって空気が一変する。彼らはティウ達を左右から取り囲み、逃がさないといわんばかりにティウ達を睨んできた。


「えっ⁉」


 いきなりの事に驚いて、怯えてペタンと寝ていたティウの耳と尻尾が、ぶわっと逆立った。


「どういうつもりだ」


 ジルヴァラが怒りを滲ませた低い声で威嚇するが、アルドリックは飄々とした様子で意にも介さない。

 護衛達の表情とは打って変わって、とても優しそうな顔をしてにっこりと笑っている。


「少しと先ほど言ったが……どうせなら、どこか腰を据える場所へ行くのはどうだろうかと思ってね。それに丁度昼だ。食事は済ませたかい? すぐ近くに美味しい店があるんだ。そこへ行こう」


 アルドリックは、まるで旧友にでも会ったような態度でそんな事を言った。先ほど小声で話していた従者はすぐに一礼してどこかへ去って行く。


 有無を言わさず、断る隙を与えない。苛立ちからかジルヴァラは舌打ちをした。


(……すまん、王族相手はさすがに分が悪い)


(この人王族なの!? う、ううん。私こそごめんね、注意されてたのにこんな所で不用心だった……)


 ジルヴァラがささやき声で話しかけてきて、ティウもジルヴァラの首にぎゅっとすがりつく風を装ってこっそりと返事をする。



 賢者の石像は貴族島の入り口に設置してある。そこは貴族の出入りが当たり前の場所だったのに、不用心な発言をしてしまった。


(そうだ……この人、ミズガルって名乗ってた……)


 国名が入る名前なんて王族しかいない。それにこの国の王族は、特に結界の恩恵に肖ってきた一族だ。ティウの発言が不敬だと言われても仕方がなかった。


 でもこのアルドリックは、ティウ達を見て嬉しそうに話しかけきたのが気にかかった。

 普通ならばボロボロだと言ったティウに対して「なんて事を言うんだ」と、怒りをぶつけてもおかしくないだろう。


(笑ってるように見えるのに……何だか怖い……)



 そんな事を思ったせいか、ティウの背筋にゾクリと悪寒が走る。


 ティウはジルヴァラの忠告を聞かず、迂闊に結界に近付いた事を後悔した。

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