太陽は、月を囚えて放さない~封じられた魔人を解放したら、身も心も虜にされました~
咲良野 縁
1.月の望み
小さい頃からずっと、『海』というものを見てみたかった。
熱砂と、乾いた風と、赤い干し煉瓦の家並――それしかないこの街を飛び出して、はるか遠くにあるという海にいくのが、私の夢だった。
「――おやおや、また“厄災の娘”が出歩いているよ」
「手も付けられずに戻って来るなんて、なんてみっともない――」
「大体、あんな名前で昼日中に出てくるなんて――」
重い
私も、好きでこの街に戻ってきたわけじゃない。
私は、望んで未亡人になったわけじゃない。
私の、この大切な名前を馬鹿にしないで!
叫びたいのを我慢して、今日も足元だけを見つめて歩き続ける。
――
これが、死んだ母様がつけてくれた私の名前。
『あなたが産まれたとき、煌々と光る満月が昇っていたから、月と名付けたのよ』
そう教えてくれたのは、もう十年も前のこと。
私を出産したときに体調を崩した母様は、それからずっと床から離れられなくて、結局……私が八歳の誕生日に亡くなってしまった。
『……お前が母さんを殺したんだ』
一番上の姉が、私を睨んで言った言葉は、いまでも忘れられない。
さすがに父がすぐ姉を諌めたけど、本当は……あの人も同じ気持ちだったんじゃないかと思う。
だからこそ、私はどの姉よりも早く、追い立てるように遠い村へと嫁がされた。
誰一人知り合いの居ない、小さな村。
幼心にも、「私は捨てられたんだな」って分かっていた。
でも、それでも別によかった。
家に居て、母さんを殺したと詰られ続けるよりは、新しい土地で生きるほうが楽だと思ったから。
それに、結婚した相手は――かなり年上だし、私は三番目の妻だったけど――想像していたよりずっと優しくて。
『可哀想に。
だから、初めても大きくなるまで待つよと、そう言ってくれた。
――なのに……。
「…………!」
いきなり、足元に棒切れが突き出される。
水瓶を取り落としかけ、必死にバランスをとったけど、そのせいで逆に身体が街路に投げ出されてしまった。
「う…………うッ」
……痛い。
擦りむいた膝に砂が入って、焼け付くように痛む。
私の無様をどこで見ていたのか、クスクスと忍び笑う声が這い寄ってくる。
堪らなくて、必死で水瓶を拾い上げると、私はオアシスへ続く道をひたすらに走った。
「………………」
泉の澄んだ水に瓶を沈めて、焦点の合わない目で東を見る。
あの砂漠の先に、嫁ぎ先の村があった。
そして、その更に向こうには、憧れの海が広がっているとも聞いた。
いつか、そこに行けるかも知れないと思ったのに――なのに。
『盗賊だと!? 早く逃げろ、
それが、夫からかけられた最後の言葉。
必死に走って、町から離れ、岩陰に隠れて……
そのあと、どこをどう歩いたのか。
砂漠で倒れていた私は隊商に拾われ、一人、この街に戻ってきた。
戻るしかなかった。
そして、公然と『厄災を招く娘』と呼ばれるようになった――……
「……海を、見てみたい」
水がいっぱいになって、重量が倍以上に増えた水瓶をどうにか引き上げ、小さく呟く。
もう、それは叶わない願いだと知っているのに。
だって。
私は今日の夜――奴隷商に売られるんだから。
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