酒の肴に恐怖を1つ

くちなし

第1話 配信開始

配信開始

 今日はツイている。

 何故ならいつもは混んでいて座ることなど到底できない電車の座席に座れたからだ。

 仕事でクタクタの体にムチを打って20分30分の間立ちっぱなしはきつい。

 電車の車輪がレールを滑っていく音を聞きながら少しうたた寝をしようとすると、隣の女子高生2人の声がそれを阻む。

 

「昨日のみやなんの配信見た?」

「見たー!よくあんなの思いつくよねー!笑いすぎておかんにキレられたし。」

『みやなん』とは最近中高生を中心に人気上昇中の女性動画配信者だ。

 電車内でもお構いなしに通常運転の声量で話し続ける若人2人に対して、内心舌打ちをしながら目は閉じたまま降りる駅を待つ。

「次はー○○駅ー、○○駅ーお降りの方は足元お気をつけてお降りください。」

 

 駅のアナウンスが聞こえる。

 男性の駅員のアナウンスはなぜ誰の声でも同じに聞こえるのだろう。

 特別なマニュアルでもあるのだろうか。などと、ぼんやり考えながら降りる準備をする。

 

 出口の近くで待とうと席を立つと、待ってましたとでも言うかのように若い男がすかさず座った。

 若者は立ってろよとまだ20代半ばである自分のことを棚に上げて心の中でこっそり毒を吐く。

 

 同じ駅で降りる同士達に流されるように電車から出ると外の熱気が一気に襲いかかる。

 冷房の効いた電車内にいたからか余計に暑く感じ、まるでサウナのようだ。

 住んでいるアパートはここから徒歩5分程で着くのだが、そんな短時間ですら1時間ランニングしたかのような疲労感が体を襲う。

 

「暑い」

 鉄筋コンクリート造アパートの2階にある自分の城に入ってもなお、引くことのない汗を拭いながら靴を脱いだ。

 ユニットバスの洗面所で手を洗って、簡単にタオルで拭いてからキッキンに向かう。

 1人用の小さな冷蔵庫には、自身が派遣社員として務める会社のカレンダーと、ゴミの出し方の説明が書いた紙がマグネットで貼ってある。

 少しズレていたマグネットを直しながら冷蔵庫を開けて、卵を3つとマヨネーズ、焼肉のタレを出した。


 冷蔵庫から出したものをとりあえず近くにあった電子レンジの上に置き、今度はシンク下にある、備えつきの開き戸を開けた。

 ステンレスのボウルを1つ出して、そこに卵を慣れた手つきで割入れていく。

 さらにマヨネーズ、焼肉のタレを回し入れていき、菜箸でかき混ぜる。四角い卵焼き用のフライパンを熱し、油を引くとすぐに油がパチパチと弾ける音がした。

 卵液を流していくと、じゅわわわあと音を立てながら卵に火が通り始める。

 フライ返しでくるくると折りたたんで卵液を足す、という工程を繰り返していくと、ぷるぷるとした卵焼きが出来上がった。

 100円ショップで買った長方形の黒い平皿に、出来た卵焼きを乗せて箸と一緒に八畳の居間に持っていく。

 

「あ、忘れてた」

 と冷蔵庫に行き、銀色の缶ビールを1本取り出す。

 

 小さな三脚を使って、スマートフォンの画面を自分に向けた状態で固定する。

 クーポンやら加工カメラやらのアプリに紛れている内、1つのアイコンに指で触れ、開くと動画の一覧が表示された。


 右上には『あいるん』と表示されている。

 自分のアカウント名だ。

 下に並んだアイコンの中から『配信』を選ぶ。

 

 そして普段よりも少し高めの余所行きの声を張った。

「こんばんはー!ホラー大好き!お酒大好き!あいるんです!今日めっちゃ暑くなかった?!会社帰りガチサウナだったんだけどー!」

 スマートフォンの向こう側に居るであろう視聴者達に向けて、明るく話を振る。

 

 ――暑かったー。

 ――熱中症に気をつけて。

 

 自分を心配するコメントにあいるんは「ありがとー」と簡単に相槌を打つ。

 ふと視聴中の人数を見ると10人と出ていた。

 アカウント名を見ると普段と変わり映えのしないメンバーばかりだった。

 表情が曇りそうになるのを堪え、缶ビールを開ける。

 プシュッという音とともに溢れ出てくる泡を吸いながら中身を一気に喉へと流し込む。

 ゴクゴクと喉を鳴らして缶の中身半分を飲み干すと、恍惚の表情を浮かべながら息を吐いた。

 

「はー、うまっ」

 疲労と暑さでくたびれた体にビールが染み渡り、心からの感嘆を述べると、卵焼きをスマートフォンに向けた。

「見て見て見て!今日卵焼きめっちゃ美味しそうに出来た!」

 箸でつんつんと触って、卵焼きのプルプル感を強調する。

 

 ――美味しそう!

 ――あいるん料理上手だね。

 

 流れてくる賞賛のコメントにまた相槌を打つ。

「卵焼きはねー、昔からこだわりがあってー、日々美味しさを研究してるんですよ。今日はマヨネーズと焼肉のタレを使って作ってみました!」

 卵焼きの説明をしながら箸を入れていく。

 弾力があり、切れ目からほのかに湯気が立ち上る。

 一口大に切るとそれを口に入れて頬張った。

 焼肉の甘辛い風味と卵の旨みが口の中に広がる。

「美味しいー!」

 自画自賛しながらビールを一口飲む。

 

「はい!というわけで!今夜も酒の肴に恐怖を1つ!ゾクゾク涼しい夜をお届けします!」

 満面の笑みであいるんは視聴者達に呼びかけた。




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