第5話

 それからのお兄様の行動は迅速だった。

 前触れもなくオリアンヌとその父親である辺境伯を近衛兵たちに捕縛させると、あらかじめ国王夫妻と大司教、そして宮廷の要職にある大臣たちを呼び集めておいたあの古い聖堂へ、オリアンヌと父親を放り込んだ。


「やめて……この場所は嫌……あああああっ!!」


 禁術に手を染めた魔法使いの父と娘は、この聖堂に満ちる強力な神聖力に耐えられなかった。

 礼拝堂の床で苦しそうにのたうち回ると、二人とも、数分後には気を失っていた。

 その数分で、美しかったオリアンヌの黒髪は真っ白になり、肌には苦悶の皺が刻まれていた。

 父親の方も、二十は老けて見えた。

 まるで、身の毛もよだつほど恐ろしいものでも目にしたかのように。


 乳臭い小娘、などとわたしを蔑んだオリアンヌに何か言い返してやりたいと思っていたのだけれど、その姿を見たら、何も言葉が出なかった。

 お兄様は集まった方々に言った。


「これがオリアンヌと辺境伯ド・リールの正体です。ド・リールは魔塔のトップであり、娘のオリアンヌは魔塔屈指の魔法使いで、グノー王家の乗っ取りを目論んでいました。オリアンヌは魔塔のメンバーであるという証拠の魔石の指輪も所持していました。聖痕も癒やしの儀式も、ド・リールの魔法によるいかさまです。大司教、すみやかに聖女認定の取り消しをしていただけますね?」

「……これだけのものを見せつけられては、致し方ありませんな……」


 権威を重んじる教会が、一度発表したことを取り消すというのはかなり異例のことだ。けれどもこれだけお兄様にお膳立てをされ、ニセ聖女だと突きつけられては、否とは言えなかったのだろう。

 大司教は聖女オリアンヌから聖女の称号を剥奪し、父親ともども破門にした。

 オリアンヌと辺境伯の処刑も決まり、もちろん、オリアンヌとお兄様の縁談も、泡沫のように消えてなくなった。



 ✻✻✻ ✻✻✻ ✻✻✻



「なんだか、悪い夢でも見ていたようです」


 今日は久しぶりに、古い聖堂にお兄様と来ている。


 オリアンヌたちの処刑も執行され、辺境伯の領地は没収。領地内にひそかに建造されていた魔塔も王国騎士団の捜索によって発見され、現在は立ち入り禁止となっており、解体の準備が進められている。


 わたしにかけられていた魔法は、オリアンヌがこの聖堂に入れられ、正体が露見した日に解けたようだった。彼女はその美貌と一緒に、魔力も失ったのかもしれない。


 王宮にはいつも通りの日常が戻っていた。

 喜ぶべきことだけれど、わたしは少しだけ残念な気持ちで、お兄様に言った。


「わたしの部屋も、元の宮殿へ戻さないといけませんね」


 ずるずるとそのままで来てしまったけれど、元々わたしの部屋は、お兄様の宮殿とは別の宮殿にある。いつまでも居候していてはいけない。

 だけど、腕組みをして立つお兄様は、きれいな顔をこてん、とかしげて言った。


「元の宮殿? ああ、あそこは閉鎖した。老朽化が進んでいたから」

「えっ? 老朽化?」


 寝耳に水とはこのことだ。あの宮殿は、歴史あるこの王宮の建造物の中では比較的新しく、居住にもなんの問題もなかったように思えたけれど……。

 目を点にしているわたしを見て、お兄様は楽しそうに笑いかけた。


「だから、残念だが戻れないな。ずっと俺の宮殿にいるといい」

「……いいのですか? ありがとうございます」


 いきなり閉鎖と聞いて驚いたけど、お兄様のそばにいられるなら、その方がうれしい。

 ゆるんでしまう顔を誤魔化すように、持ってきたバスケットの中身を取り出す。

 厨房からもらってきたマフィンが三つと、マフィンの切れ端が一つ。わたしはきょろきょろと礼拝堂の中を見回した。


「ネズミさん、いるかしら……?」


 チュー、と返事をするような鳴き声がした。見上げると、壁の小さな壁龕へきがんに灰色のネズミがいて、こちらを見ていた。右耳にかじられた跡がある。あの子だ。

 わたしは笑顔になり、そっと壁龕に近づいた。


「無事でよかったわ! さあ、マフィンをどうぞ」


 そろり、と静かにマフィンの切れ端を置き、その場を離れる。すぐにネズミは夢中でマフィンを食べはじめた。

 お兄様が茶化すように言った。


「ずいぶん仲がいいんだな」

「ふふっ。お兄様の分もありますよ? 切れ端ではなく、ちゃんとしたものが」

「そうか。では、頂こう」


 王子様にネズミと同じマフィンなんて怒られないかしらと内心ドキドキしていたけれど、お兄様が寛大でよかった。

 そうだわ。それならせっかくだから……。

 わたしは聖堂の扉の方を向いて言った。


「お兄様、リシャールも呼んで、三人でマフィンを……」


 突然、視界が暗くなった。

 目の辺りに温かな感触がある。

 お兄様が、両手でわたしに目隠しをしたのだ。


「お、お兄様……?」

「リシャールを呼ぶことは許さない。姿を見るのも駄目だ」

「え? なぜ……」


 返事はなく、かわりに、ふわりと体に腕を回され、後ろから抱きしめられた。


 たちまちわたしの顔に血が昇る。お兄様に見られなくてよかった。いや、そういう問題じゃなくて。


「……お兄様……」

「ジョゼ」

「はい……」

「名前で呼んで」


 耳元に低く囁かれて、さらに体温が上がる。


 名前で?


 急にどうしたのだろう。もしかして、わたしがリシャールのことを名前で呼んでいるから、お兄様も名前で呼ばれたくなった?

 オリアンヌがお兄様を「エドワール」と呼んでいるのを聞いて、わたしが嫉妬したみたいに?


 口元がほころんだ。


 わたしも全然お兄様離れができていないけれど、完璧に見えるお兄様も、案外、妹離れができていないのかもしれないわ。


 わたしはお兄様の腕に触れ、想いを込めて、彼の名を呼んだ。


「エド兄様」

「…………………………」


 喜んでくれると思ったのに、なぜだろう。

 彼は、わたしの背後でぐったりと脱力した。


「………………ん。まあ、それでもいいか」

「どういうことですか?」

「なんでもない」


 不意に、頭のてっぺんにやわらかな感触が降ってきた。


 お兄様がわたしから離れる。

 してやったり、とでも言いたげな、麗しいほほえみを浮かべながら。

 その顔にうっとりと見とれてしまう。

 ああ、今日もお兄様はすてきだわ。

 でも。


 今……わたしに何をしたの?

 もしかしたらそれは、妹にするには、親密すぎるようなことなのでは……?


 聞きたいけれど聞けない。心臓が暴れる。その可能性で頭がいっぱいになる。

 ステンドグラスの美しい光が、祝福するようにわたしたちに降り注ぐ。


 その答えはきっと、お兄様と神様だけがご存知なのだろう。

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