第15話 新年の祝祭 4
私は両膝をその場につき、ボタボタと血が垂れてくる顔を片手で押さえる。全身に広がる焼けるような熱さと痛みに顔を歪めながらも、微かに笑った姿は、多分この場にいる人たちに恐怖を与えただろう。
己の血で、地面に魔法陣を描いていく。頭の中で響く詠唱は、おそらくこの呪いをかけた者の声。そう遠くない場所で、この状況を見物しているはずだ。
ああ、認めるさ。どこの誰か知らないが、君のこの呪詛は効果的だよ。
だからといって、簡単に術にはまるのは、アデリア=ブルー=ウィンダートンの名折れじゃないか。
「魂の刻印、血の盟約、我が名において誓約を結ぶ……」
地面に描いた魔法陣に片手をつき、私は歯を食いしばって詠唱を唱える。その瞬間、地面から噴き出す黒煙に私の体が包まれた。
頭の中に浮かぶ魔法陣と詠唱の声――。
私が描いた魔法陣と、浮かんできた魔法陣がカチッと重なった瞬間、術が反転する――。そう、これは俗に言うところの呪い返しってやつだ。
相応の報いは受けてもらうさ。そうだろう? 名もなき、術者君。
私の全身に絡みつく黒煙のような瘴気、それは私の右目に急速に集まっていく。目の縁から、涙のように血が溢れ出していた。私は激痛の走るその片目を押さえてうずくまり、崩れるように地面に倒れる。
完全に黒煙が消えた時には、血だまりの中に横たわり、自力で起き上がることができなかった。
目がかすみ、視界が血の色に覆われていく。
その中でぼんやり見えたのは、ドMメガネ君や他の聖騎士を振り切り、駆け寄ってくるレーリアの姿だった。
ああ、ダメだって。今近付くと、せっかくの服も靴も汚れちゃうじゃん――。
レーリア、君は聖女様なんだから。血の穢れなんて、受けるべきじゃないんだ。
私は急に眠くなって、目を瞑った。
『姉……さま……姉……さま……っ!!』
小さい頃、森で魔獣に襲われた時のことを、ぼんやりと夢見ていた。
私は大きなひっかき傷をつくっていたけれど、とりあえず命はあった。あのローブを羽織った人が助けてくれたから。魔獣を倒し、名前も告げずに立ち去ってしまった人を、私は勝手に師匠と呼んでいる。
師匠はあの時、レーリアに何か告げると、そのまま姿を消してしまった。
森の中で助けを待つ間、レーリアはずっと横になっていた私の名前を泣きながら呼んでいたっけ。あの時、レーリアが癒やしの魔法をかけ続けてくれたおかげで、私の右腕はまだくっついている。そうでなければ、魔獣の毒で右手は切り落とすしかなかったはずだ。
でも、おかげで、レーリアは屋敷に戻った後、熱が出てしまって三日ほど、安静が必要だった。医師がつきっきりで看病していて、お父様もお母様も使用人たちも、心配そうに見守っていたっけ。
でも、ちょっとばかり、私は――つまらない嫉妬をした。
私もけっこうな深手をしていたのに、あんまり心配もされなかったから。それどころか、私が危険な森にレーリアを連れ出したんだと思われていた。
実際には私は一人で森に行こうとしたのに、気付いたらレーリアがついてきていたんだ。だけど、半分は事実のようなものだから、否定もできなかった。
もう二度と、森に出かけるなって、お父様にキツく言われたっけ。私はその後しばらく部屋で謹慎しているように言われて、どこにも出かけられなかった。
ようやくレーリアが回復したと聞いてホッとしたけど、会いに行かなかった。
私のせいで熱を出したって言うのに、薄情な姉だ。
でも、レーリアは動けるようになると一番に私のところにやってきた。しがみついて、『姉ちゃま、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ』と泣くレーリアを見て、私は自分がひどく心が狭くて、意地悪だったと反省したんだ。
レーリアはまだ小さいのに、私が危険に晒した。
私と一緒にいると、レーリアはまた危ない目に遭うかもしれないから。それなら、もう、一緒にいない方がいいと。あれから、私は理由をつけてレーリアを避けるようなった。図書室にこもって、鍵をかけて、顔を会わせないように。
でも、今にして思うとそれも言い訳で――。
本当はずっと前から、私はレーリアのことが〝嫌い〟だったのかもしれない。
やっぱり、狭量で意地悪な姉だ。
こんな姉でさ、ごめんね――レーリア。
ゆっくり目を開くと、視界がぼやけていて、よく見えない。ただ、握り締められている手の感触は伝わってきた。
「姉……さま……姉さま……っ!!」
レーリアの小さな声が聞こえる。ということは、ここにいるのはレーリアなんだろう。フカフカの寝具の感触といい香りがするから、レーリアの寝所には違いない。気を失って、どうやら運ばれてきたようだ。
何日経ったんだろうなと、私はぼんやりと考える。体中が痛くて、まさに地獄のようだった。手脚は一応動くようだし、傷みを感じられるだけまだマシだ。
ようやく、ぼやけていた輪郭が少しばかりはっきりする。
「姉さまっ!」
ようやく意識が戻ったことに気付いたのか、レーリアが顔をのぞき込んできた。ただ、片目は見えているけれど、もう片方の目はかすんでいて使い物にならない。
「レーリア……癒やしの力使うと……また熱が出るよ」
私は乾いた唇を開く。けど、掠れた弱々しい声しか出ない。咳き込むと、レーリアが急いで水を入れて差し出してくれた。体を起こす私を、片手で支えてくれる。
「……そんなこと、どうでもいいんですっ! 姉さま……無事でよかった……っ!」
レーリアはうな垂れて、嗚咽を堪えるように言う。私は「しょうがない子だな」と、よしよしと頭を撫でてやった。水をコクッと飲んでから、レーリアにコップを渡そうとしたけど、距離感がつかめなくてコップをひっくり返してしまう。
あっと思った時には、上掛けに水が広がり、コップが転がり落ちていた。
「ごめん……手が滑っちゃったみたいだ」
私がヘラッと笑い、ベッドの端に移動して落ちたコップに手を伸ばす。その手を、レーリアが強くつかんだ。
「姉……様……もしかして……目が見えないのですか……!?」
「あー……見えないわけじゃないよ。片方だけ、ちょっと調子が悪いみたい。まあ、おかげで……命があるんだけどね」
私が答えると、レーリアがグイッと寄ってきた。
「どういうことです!? 説明をしてくださいっ!!」
「そりゃ……えーと、受けた呪いをこの右目に……とりあえず移したから?」
そうしなければ、今までの被害者のように呪いが全身に回っていただろう。
絶句したレーリアがベッド脇に両膝をついて、私の手を握り締めたままうな垂れる。
「大丈夫だって! そんなに支障はないから。慣れるまでにちょっと時間がかかるかもしれないけど……」
私は「うん、大したことない」と、頷く。
レーリアちゃん、あのさ。そんなに手をギューッと握り締められるとちょっと痛いよ?
「その目は……治るのですか……?」
「んーどうだろ? 呪いをかけた者を見つけ出して術を解除させれば……まあちょっとはマシになるかも? ああ、ちなみにレーリアの聖魔法は効かないよ! それはわかってるでしょ」
呪いに聖魔法は効かない。そこが厄介なところだ。だから、レーリアが聖魔法をかけてくれたとしても、今の私には何の効力もない。それどころか、片目が余計に痛くなるだけなんだよね~。
レーリアは「そうですか……」と、呟いて私の手を離す。
「あの、レーリア? 怒ってる? ごめんってば。巻き込んだし、迷惑かけちゃって。あっ、あと、運んでくれてありがとう! 助かったよ」
「…………医者を呼んできます。動かないで大人しくしていてください」
レーリアはやっぱり怒っているのか、その声が冷たく聞こえた。
私は「あ、うん……」と返事をして、部屋を出ていくあの子を見送る。
医者に診せたところで、どうしようもないんだけどね。
私はぼやけている自分の両手を見つめる。とりあえず、見えることは見える。生活には支障はない。
この右目の代償は絶対に払わせるつもりだ――。
ただ、あの時、狙われたのが私でよかったとも思う。
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