第15話
凛梨はゆっくりと、私の隣に移動してくる。肩が触れるくらい近くに彼女が来るのなんて珍しいから、私はちょっと驚いた。これまで全然近寄ってきてくれなかった猫が急に甘えてきたみたいな感じである。
最近の凛梨は、なんだか妙に近い気がする。
彼女はゆっくりと、私の肩を引っ張ってきた。私はそのまま、彼女の膝に頭を乗せることになる。確かに今日は凛梨の番だけど、いきなり膝枕をしてくるとは思わなかった。凛梨もいい加減、触れ合うことに照れなくなってきたのかな。
彼女の指が、私の髪に触れる。その感覚がひどくくすぐったくて、私は目を細めた。
「初恋相手って、どんな人だったの?」
私はぼんやりと彼女を見上げながら問うた。彼女の指先は思った以上に繊細に、私の髪を梳かしていく。凛梨と違って私はちょっと癖っ毛だから、髪を梳かすのがいつも大変だったりするのだけど。凛梨は今、どう感じているかな。
「かっこいい人、かな。いつもにこにこしてて、ぼんやりしてたりもするのに……いざという時は、怖いくらいかっこよくて」
「へー……」
凛梨が好きな漫画に出てくる空くんに似ている気がする。昔からそういうキャラが好きなのは知っていたけれど、初恋相手の影響だったのか。現実にいるんだなぁ、空くんみたいな人。
「その人に追いつきたいって、その人の目をちょっとでも私に向けたいって、いつも思わずにはいられなくて……」
驚いた。凛梨はいつも私を振り回してばかりで、恋なんてしている素振りを見せていなかったから。だけどその実凛梨はとっくの昔に初恋を済ませていたのか。
なんか、大人って感じ。
いや、むしろ初恋すらしたことがない私の方が子供っぽすぎるのかな。でも人を好きになるのも、誰かと付き合うのも、無理にしようとするのではなく縁に任せるのがいいと思うのだ。たとえ人より遅かったとしても。
でも、どうなんだろう。
凛梨は今彼氏がいないようだけど、過去に初恋の人と付き合っていたとか、あるのかな。知り合いのそういう話を聞くのは、なんだかそわそわする。
知っている人が知らない一面を見せてきた時にはいつも、道に迷った時みたいな変な感じがするのだ。それは微かな不安であり、違う景色が見られるかもという期待でもあり、わくわく感でもある。
多分、私は今、期待をしている。何に対しての期待なのかは、わからないけど。
「なんか、すごい人だったんだね」
「ま、ね。割と」
「凛梨はその人と付き合ったの?」
「ううん。そういう感じに、なれなかったから」
「そっか。……今は? まだ友達だったりする?」
「友達……でもないのかも」
複雑な関係なのかな。
凛梨の周りには明るい人とかさっぱりした人が多いと思うのだが、初恋相手は違うのだろうか。
凛梨は見たことないくらい優しい表情を浮かべている。叶わなかった恋でも、やっぱりいい思い出にはなるものなのだろう。その瞳の中に、初恋相手への想いのようなものを感じる。
ちょっとだけ、羨ましい。
振り返った時に優しい気持ちになれるような初恋ができるのって、すごいよなぁ。私の初恋がいつになるかはわからないけれど、私もいつか振り返った時に思わず微笑んでしまうような、そんな初恋がしたいものだ。
「そっか。なんか、大変だね」
「そうね。ほんと、大変」
会話が止まる。
だけど彼女の手はずっと止まらずに、私の髪を撫でていた。指の一本一本が、髪の隙間を通り抜けていく。髪に神経が通ってなくてよかった。もし髪にも感覚があったら、今頃私は笑い転げていただろう。
ちょっとくすぐったいのは、膝に頭が触れているせいなのか、なんなのか。
私は小さく息を吐いた。
「ことりは?」
「え」
「ことりはそういうの、ほんとにないの?」
凛梨に言われて、少し考えてみる。幼稚園の頃は、凛梨に振り回されてばかりで恋どころじゃなかった。小学生の頃は友達と遊ぶことも多かったけれど、凛梨がやってくることも多かったし、習い事も色々やっていたから何かと忙しかった。中学生の頃は文芸部が楽しくて、それ以外のことには目を向けていなかった。
……うーん。
思い返すと私の日々は大半が凛梨に侵食されている気がする。そもそも文芸部に誘ってきたのだって凛梨だったし。
そんなに仲良くないのに、一緒にいる時間が長い。こういう関係って、きっと大人になったらなくなるものなんだろうな。大人は何かと忙しいし、仲のいい相手としか会わなくなるに違いない。
凛梨との思い出も、初恋の思い出と同じくらい大事なのかな。
凛梨とこうして過ごした日々は、きっと十年後に振り返ったら優しい気持ちになるような思い出に変わるのだろう。
それならわざわざ、恋なんてする必要もないのかも。
「ないよ。だって私、凛梨にずっと振り回されてきたし。恋する暇もなかった。……凛梨はすごいね。私とか他の友達と遊びながら、恋もしてたんでしょ? 初恋って、何年前のこと?」
「覚えてない」
そんなことあります?
初恋相手のことは鮮明に覚えてそうなのに。
いや、小学生の頃の思い出とかだったらそんなものなのかな。私も小学生の頃の記憶とか、あんまり覚えてないし。でも、いつ恋に落ちたのかってことくらいは覚えてるものじゃないのかなぁ。
わかんないけど。
「覚えてないかー。相手って誰? 私の知ってる人?」
「……気になる?」
「うん。凛梨と恋バナするのなんて初めてだし、すごい気になる」
「じゃあ、当ててみなよ。正解したらご褒美に、なんでも奢ってあげる」
「フランス料理のフルコースとかでも?」
「いいよ。貯金、あるし。……でも不正解だったら、罰ゲームね。逆に私の言うことなんでも聞いてもらうから」
「えぇー……。なんでも奢るのとなんでも言うこと聞くのじゃ結構違うと思うんだけど」
「嫌ならいいよ」
「んー……やる。フランス料理、食べてみたいし」
「フランス料理でいいんだ」
そう言われると、ちょっと迷う。家にお寿司の職人さんとか呼んで、お寿司パーティを開くとかもいい気がする。凛梨の部屋でマグロの解体ショーとかしてもらっちゃおっかな。いや、凛梨は血が苦手だからそういうのは駄目か。
でも血が苦手な割にはマグロ食べるんだよなぁ。マグロって結構血っぽい感じだけど、あれはいいのかな。
「考えとく。で、凛梨の初恋相手だけど……」
頑張って小学生の頃のことを思い出してみる。
足が速くて人気だった槙原さん? バレンタインにチョコを何十個ももらってた大林さん? それとも……。
うーん、どれもしっくりこない。普段にこにこで、いざという時はかっこいい。そんな空くんみたいな人、小学校にいただろうか。私の知る範囲では、中学校にもそういう人はいなかったはずだ。
もしかしたら漫画の登場人物だったり……しないよね。さっきの話し方からすると。
「五、四、三、二……」
「ちょっ……! 制限時間あるの!?」
「一……」
時間内に答えなさいなんて言われてないのに。悪問にもほどがあると思うのですが。えーっと空くんみたいで二面性があってかっこよくて、凛梨が思い出せなくらい昔に恋に落ちた人。
はっ。
それってつまり!
「
「は?」
「つまり、私ってこと!」
私は胸を張った。とりあえず、わからないなら自分の名前を言っておけば、正解の確率はゼロではなくなる。ゼロと一にはかなりの隔たりがあるのだ。これがもし正解だったら、凛梨の部屋でお寿司パーティである。
「それ、自意識過剰すぎない?」
「なんとでも言いさない。で、正解は?」
「教えない」
「ずるいよ。正解だったら凛梨の部屋にお寿司屋さん呼んで、朝から晩までお寿司パーティするつもりだったのに」
「何そのとんでもない計画。さすがに駄目だから」
「なんでも奢るって言ったのに」
「それはそれでしょ」
今日の凛梨はずるすぎる。これじゃゲームが成り立たないではないか。
「じゃあ回転寿司でいいよ。一皿100円のとこじゃなくて、最低300円くらいのところね!」
「贅沢だし。……ていうか、もし正解だったら気まずいでしょ」
「なんで?」
「よく考えてみなよ。私の初恋がことりだったとしたら、どう思う?」
……。
…………確かに。
考えなしで自分の名前を言ってしまったけれど、よくよく考えたらそれで正解って言われたらどんな顔をすればいいのかわからない。そもそも凛梨が私に恋愛感情を抱いているとかありえないから、はいそうですかと受け入れることもできなそうだし。
「ってことで、ノーゲームね。お菓子のおかわり持ってくる」
凛梨はそう言って、部屋から出ていく。
結局凛梨の初恋相手って、誰だったんだろう。
いや、そもそも間違いなら間違いって言えばいいだけでは? そうすれば、少なくとも凛梨は私になんでも言うことを聞かせられるわけだし。なんでゲームを打ち切ったんだろう。
……うーん?
疑問には思ったけれど、彼女が持ってきてくれた大福が美味しかったからよしとする。いちご大福って、なんでこんなに美味しいんだろう。ケーキ好きの私の心すらぐらつかせる魅力があると思う、いちご大福には。
凛梨は大福に齧り付く私を、じっと見つめている。
その瞳はどこか、いつもより優しい気がした。
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