お子様錬金術師は、辺境でスチームパンクに暮らしたい!~どこかレトロな魔道具と、時間を気にしないスローライフを送ります~
青空あかな
第1話:お子様錬金術師、爆誕する
ピロンッという通知音で、僕は目が覚めた。
慌ててスマホを開くと、時刻は午前2時47分。
寝ているときくらいは通知を切りたかったけど、そういうわけにはいかない。
即時返答しなければ、問答無用で"職務怠慢"とされクビになるから……。
ぼんやりする頭と憂鬱な心で、スマホのチャットアプリを開く。
いつものように、上司から罵詈雑言のメッセージが届いていた。
〘おい! お前の作ったプログラム! バグが出たじゃねえか! 今すぐデバッグしろ! 何回目だよ! クビにするぞ、無能社員! これだから文化系は使えねえんだよ! 明日は終電まで残業だからな!〙
小さなため息が虚空に消える。
体育会な僕の上司は、完成品に必ず自分で手を加えたくなる性分の持ち主だった。
飲みニケーションや声の大きさで出世した反面、コードやソースの知識は曖昧。
結果、誰が作っても彼の手に渡るとプログラムは滅茶苦茶となり、バグが多発するのは当たり前だった。
この画面を警察か労基にでも見せれば、名誉毀損などに問えそうだったけど、あいにくとそんな元気もない。
〘申し訳ありません、直ちに修正します〙と送信し、僕は仕事部屋に移動する。
部屋の電気もつけず、デスクトップパソコンだけ起動した。
ブルーライトに顔を照らされながら、無感情で指を動かす。
天満ツバサ、三十二歳、ブラック企業に勤めるITエンジニア……それが僕だった。
僕は今、何をやってるんだろうな……。
思うのは、ただその言葉だけだ。
デジタルが発展した現代社会。
パソコン、スマホ、メール、チャット、SNS……仕事終わりも休日も、寝ているときでさえ、常に誰かと繋がれてしまうことに僕は疲れ果てていた。
ふと、モニター横の棚に並べた、数々のおもちゃが目に入る。
歯車がたくさんついた小さな梟ロボや、いくつもの煙突が伸びる大きな家の模型、今にもふんわり浮かびそうな気球……。
いずれも茶系統の落ち着いた配色で塗られ、どこかレトロな造形だ。
ガチャや通販で少しずつ集めた、憧れのスチームパンクなアイテムたち。
その脇に置いた、たくさんのスケッチブックを開いてみる。
真鍮のパイプが複雑に入り組み蒸気であふれる都市、歯車の組み合わせで稼働しそうなロボットの絵、空を優雅に飛ぶ飛行船……。
全部、僕が描いてきたイラストだ。
それらを眺めて、力なく思う。
僕は元々、イラストレーターになりたかった。
でも、"安定"や"世間体"を気にした結果、諦めてしまったのだ。
今は忙しい仕事の合間を縫って、趣味で描くのが精一杯。
いつか、絵を描きながら、スチームパンクみたいなレトロでアナログな生活を送りたいな……。
デジタルとかけ離れた、手間暇かかるも時間を気にしない、のんびりした暮らし。
僕はそんな日々を送りたい。
だけど、この現代社会に生きる以上、夢のまた夢だ。
ため息をついてモニターに向き直ったとき、異変に襲われた。
「あ……、れ……?」
急激に視界が歪み、周りは暗くなり、バランスを崩して椅子から転落する。
心臓は破裂するように強く拍動しているのに、身体は冷たいのが不気味だった。
そ、うか、……僕、は死ぬん、だ……。
今まで積み重なった過労が祟ったのか、僕は意識の暗い底に沈んでいった。
□□□
「……うっ」
不意に、僕は目が覚めた。
なぜか真っ白の天井が見える。
ああ、病院かと思う。
同時に何時間、いや何日寝ていたのか気になった。
いくら病気による欠勤でも、職務怠慢で解雇されるかもしれない。
急いで身体を起こすと、予想に反して白一色の世界が広がっていた。
ベッドも椅子も何もない。
……あれ、ここはどこだ? 病院じゃない。というより、僕はどうなったんだ……。
混乱していると、背中から鈴の鳴るような美しい声が聞こえた。
〔お目覚めですか、ツバサさん。大変な人生でしたね〕
「えっ……!?」
驚いて振り返ると、美しい女性が立っている。
金色の長い髪はくるぶし近くまで垂れ、身につけるは背景と同じ真っ白の優雅なローブ……まるで、誰しもが想像する女神のような姿だった。
僕が呆然としていると、女性は気品のある朗らかな笑みを浮かべる。
〔驚かせて申し訳ありません。私はこの世界を司る、女神のディアナと申します〕
「め……女神、様……?」
女性の言葉が、すぐには信じられなかった。
女神様って……どういうことだろう……。
にわかには信じられないものの、確実に地上ではない広大な空間や彼女の荘厳な雰囲気などから、この女性は本当にディアナという女神様なのだと確信した。
そんな心の機敏を感じ取ったように、ディアナ様はゆったりと微笑んで丁寧に話す。
〔残念ですが、ツバサさん。あなたは死んでしまいました。ですが、異世界転生の権利があります〕
「やっぱり、僕は死んじゃったんですね……え? 異世界転生……?」
〔はい、地球ではない別の世界――中世ヨーロッパ風の剣と魔法なファンタジー世界で、新しい人生を送れるということです〕
そのまま、ディアナ様は詳しい話をしてくれる。
前世の僕は、日頃から知らず知らずのうちに善行を積んでいたらしい。
同僚や上司のミスを肩代わりすることは元より、クレーマーに詰め寄られているコンビニ店員を助けたり、仕事で疲れ果てていても電車でお年寄りに席を譲ったり……などだ。
思い返せば、確かにそんな記憶がある。
一つ一つは小さな徳でも、積み重なれば大きな徳になる……という説明をされ、僕は胸をときめかせた。
こんなの、ラノベや漫画で読んだ異世界転生そのものじゃないか!
目を輝かせる僕に、ディアナ様は微笑む。
〔もちろん、あなたがスチームパンク好きで、ゆったりしたアナログ生活を送りたいことも知っていますよ。だから、三つの特典を差し上げましょう〕
「三つも!? ありがとうございます!」
一つでさえ、普通なら貰えないはずなのに……!
僕の胸は、すでに感謝の気持ちでいっぱいだ。
そんな僕に、ディアナ様はピッと人差し指を立てる。
〔一つ、ツバサさんに差し上げるスキルは【
「【蒸気の錬金術師】!? 最っっっ高です! ありがとうございます、ディアナ様!」
スチームパンクな魔導具が作れる!?
これ以上ないほどの喜びで胸が満たされた。
感動で震える僕に、ディアナ様は話を続ける。
〔では、スキルの簡単な使い方をお教えしましょう。スキルの根幹を成すのはこの二つ、【
「おおっ、すごいっ!」
ディアナ様が空中に手をかざすと、真鍮で飾り付けられたハードカバーサイズの赤茶色い本と、これまた真鍮で装飾されたおしゃれな羽根ペンが現れた。
どっちもスチームパンクなデザイン!
この時点で、僕の胸はわくわくしてしょうがない。
見せてくれた本の中身は枠が書いてあるけど、右も左も真っ白。
だけど、右ぺージだけ下半分に横書きのメモ欄がある。
〔これはイラストぺージです。左側に【蒸気な羽根ペン】で作りたい魔導具を描くと、右側に必要な素材が浮かび上がります。素材を全て集めて《
「カッコいい!」
それはつまり、自分の描いた絵が具現化するということじゃないか。
まさしく、夢のような能力だ。
羽根ペンのインクは僕の魔力で、使えば使うほど自分自身の魔力は増えるそうだ。
ディアナ様は丁寧に二つのアイテムを渡してくれた。
〔《スキルオン》と念じると出現し、《スキルオフ》と念じると消えます。実際に使いながら練習するのがよいでしょう。本の最初に使い方や注意点などをまとめておきますからね〕
「頑張ります!」
棚に飾っていたミニ梟ロボや家に気球……。
あれが自分の手で作れるんだぁ。
ディアナ様は今度は、中指をピッと上げる。
〔二つ、転生先は大きな帝国の北方にある、人里離れた自然豊かな大峡谷です〕
「大峡谷!? ありがとうございます、すごく嬉しいです!」
人間関係に辟易していた僕は、できればしばらくは社会の中で暮らしたくなかった。
自然に囲まれて暮らせるなんて、願ったり叶ったりだ。
三つ目はなんだろう!? と、ワクワクする僕にディアナ様は三本目の指を立てた。
〔三つ、八歳の可愛い少年の姿にして差し上げます〕
「え……少年……? ありがとう……ございます……」
思っていたのと違う特典に、ちょっと拍子抜けしながらもお礼を言う。
八歳の少年か……。
今の身体のままかと思っていたけど違うらしい。
ニコニコとするディアナ様に〔何か質問はありますか?〕と聞かれ、いくつか質問してみた。
「あの、大峡谷には勝手に住んでいいんでしょうか? 法律とか不法滞在の問題とかは……」
〔大丈夫、問題ありません。大峡谷の一角は、昔にツバサさんが購入した土地という扱いにしておきますので〕
「ありがとうございます。安心しました」
ディアナ様の答えに僕はホッと安心する。
いくら異世界といっても、余所者が住んで問題ないのか心配だったのだ。
ついでに、もう一つ聞いてみる。
「ちなみに、なんで八歳なんでしょうか? もちろん、若返らせてくれるのは大変ありがたいのですが……」
僕が尋ねると、ディアナ様はカッ! と目を見開いた。
〔そりゃああああ、幼児でもなく少年でもない、何と言っても、成熟を控えた余計な筋肉や脂肪がまだない御御足が素晴らしいのです! 御御足、御御足、御御足がああああっ!〕
「ええっ!?」
先程までの清純な雰囲気が、全部吹き飛ばされるほどの激しい勢い。
八歳の少年についてのこだわりを蕩々と熱弁され、僕は驚く。
あまりにも予想外の出来事であったから……。
呆然とする僕に対し、ディアナ様は息を荒くしながらこほんっと軽く咳払いした。
〔……さて、私としたことが少々取り乱してしまいましたね。さっそく、ツバサさんの姿を変えましょう。少し眩しいですが、じっとしていてください〕
「は、はい」
ディアナ様が僕に手をかざすと、たくさんの白い粒子が身体を包み込む。
お風呂に入っているような温かさを感じて、光が徐々に収まると目線が低くなっていた。
ディアナ様とは同じくらいの背丈だったのに、今は腰くらいに自分の目線がある。
〔ぐふふ……こほん。ツバサさん、終わりましたよ。これが今のツバサさんの姿です〕
そう言って、ディアナ様は空中に姿見を出した。
そこに映った自分の姿を見て、僕は思わず感嘆とする。
「うわあ……すごい……」
ゴーグルつきの帽子、白シャツに茶系統のジャケットと半ズボン、散りばめられた歯車なモチーフ……スチームパンクな服装に身を包んだ自分がいた。
イラストや本でしか見ることができなかった、憧れの格好!
しかも……。
「髪が金色で目が青色だ! お肌もつるんつるん!」
〔ぐふ……私の好み……こほんっ。新しい世界っで、黒髪黒目は目立ってしまいますからね〕
「なるほど」
そう話すディアナ様。
目立たないようにしてくれるなんてありがたい。
新しい姿は僕の幼少期の面影が残りつつも、なんだかすごく……。
「……可愛くなっちゃった。でも、膝丈が短すぎるような……。こんなに足が出てていいんですか?」
半ズボンはやたらと短くて、太股がたくさん出てる。
呟く僕に、ディアナ様はそれこそ女神のような微笑みで話す。
〔ええ、そこがいいんですよ。心配しないでください。半ズボンから覗き見える健康的な、それはもう御御足眼福っ……!!〕
「ディ、ディアナ様、大丈夫ですかっ!?」
突然、ディアナ様は叫びながら鼻血を吹き上げた。
真っ白な空間に鮮血が舞い、真っ白のローブは血で染まり、彼女は床で細かく痙攣する。
いったいどうしたの!?
慌てふためく僕に対し、ディアナ様は何事もなかったかのように起き上がると、こほんっ……と軽く咳払いした。
穏やかで清楚で優雅な微笑みを取り戻し、八歳の少年となった僕に優しく告げる。
〔それでは、ツバサさん。どうぞ、レトロでアナログでスチームパンクな新しい人生を楽しんできてくださいね〕
大量の鼻血を出しながら。
あまりの出血多量に心配になったところで、なぜか瞼が重くなってきた。
……なんだか、眠くなってきた……。
自然と身体から力が抜け、床に横になってしまう。
僕は社会人になってから初めてと言っていいくらい、穏やかな眠りに誘われていった。
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