またな。
平 遊
またな。
高校3年の1月。
もうじき共通テストという時期に、
両親は成の体を心配して休養するように言ったが、成は高熱をおして机に向かい、共通テストに向けて最後の追い込みをしていた。
「よっ」
突然、デスクに面した窓から子供がひとりヌッと姿を現した。
小学校の低学年くらいに見えるその子は、子供ながらに燕尾服を身に着け、頭にはシルクハットまで被っている。子供らしく可愛らしい丸顔にクセの強い短い黒髪、そして大きな目が印象的な男の子だった。
成の知り合いの子供ではなかったが、男の子は親しげに成に片手を上げてニコニコと笑顔を浮かべている。
これは、高熱による幻覚だな。
成はそう思った。なぜなら、子供が入ってきた窓は、閉まったままだったからだ。
「失敬な人間だな! わたしは幻覚などではないぞ!」
子供が笑顔を一変させ、不機嫌そうに頬を膨らませる。
あれ? 俺、口に出してたっけ?
「出してはいないが、お前の頭の中を読むなど、わたしにとっては朝飯前だ」
そう言って成を見る子供は、この上ないほどのドヤ顔。そして、話す言葉はおよそ子供らしいとは言えない。
状況が全く理解できず、熱のためにぼんやりとしている成に音もなく近づくと、子供は再びニコニコと笑顔を浮かべて話しはじめた。
「時に人間。そんなに体が辛いのを我慢してまで一生懸命に勉強をする必要などあるのか? どれだけ頑張った所でお前が明日も必ず生きていると言う保証はどこにもないのだぞ? だいたい、人間は何のために生まれてくると思う? 幸せになるため? いいや、違うね。罪を償うためさ。人間というのは業の深い生き物だからな。だからこそ、生きるということは大変なことなんだ。おまけに、いつ死がやってくるかがわかる人間などどこにもいない。まるで、死刑執行を待つだけの死刑囚と同じだとは思わないか? 死の恐怖に怯えながら死のその瞬間まで、人間は罪を償い続けなければならないのだよ。だがお前は運がいい。このわたしに出会えたのだからな。わたしなら今すぐにお前を楽にさせてやることができる。死を待つ恐怖から解放してやれる。罪を償わずとも今すぐに死を与え、苦しい生から解放してやれる。どうだ、わたしと契約をしてみないか?」
成が口を挟む隙もなく、子供は立て板に水と淀みなく話し続け、最後にようやく成に聞いた。成はポカンとした顔で暫く子供の顔を眺めていたが、あぁ、と小さく呟くとうんうんと頷き、言った。
「つまりキミは、死をもって俺を救ってくれると?」
「さすがはわたしが見込んだ人間! 飲み込みが早くて助かる!」
パンパンと2度柏手を打ち、子供は燕尾服の胸元から紙とペンを取り出す。
「では、ここに署名を」
「ちょっと待て」
急かす子供に、成は待ったをかけた。
「嫌味で言ったんだけど、俺」
「嫌味?」
「俺別に救いなんて求めてないし、まだ死ぬ気もないし。死をもって救うとか、お前完全に相手を間違えてるぞ? こう見えて俺、結構人生楽しんでるからな?」
ゴホゴホと咳込みながらも、成は笑う。
「確かにな。小さい頃から、楽しみにしていた遠足の前日に必ず熱出して行けなくなるとか、せっかくレギュラー掴んだ部活の試合前に骨折するとか、今だって共通テストの前に酷い風邪ひくとかさ。俺の人生ツイてないこと多いと思うよ? お前の言うことが本当なら、俺はどんだけの業を背負ってるんだ、って話だよ。だけど、人生そう悪いことばかりでもないぞ? 楽しいことだって嬉しいことだって」
「それは錯覚だ」
「錯覚?」
成の言葉を遮り、子供は急いで言葉を継ぐ。
「ものすごく寒い日は、常温の水が温かく感じられるだろう? それと同じで、余りに過酷な状況では、それほど楽しくないことでも楽しいと錯覚するし、それほど嬉しくないことでも嬉しい錯覚するのだ」
「だとしても、だ!」
今度は子供の言葉を成が遮る。
「俺自身が楽しいと感じているし、嬉しいと感じていれば、それで良くね?」
「だが」
「それに」
話し始めようとした子供を制し、成は言った。
「俺は自ら望んで親より先に死ぬ気はねぇ……ゴホッ、ゴホッ、よ……ちくしょ、せっかく良いこと言ったのに、決まらねぇなぁこれじゃ」
ゴホゴホと苦しそうに咳き込む成の背中を、いつの間にか背後に移動していた子供の手が勢いよく叩く。
「いって! おまっ、なにすん」
「ばーかばーかっ! お前なんて死験不合格だっ!」
成が振り返ると、子供は顔を真っ赤にして目に涙を浮かべている。
「なんだよ……なんかごめん。でも、試験てなんの?」
「試験じゃないっ! 死験だっ! 人間が死ぬ権利を得るためのテストだよっ! せっかくボクがチャンスをあげたっていうのにさっ!」
子供の大きな目からは涙が零れ落ちている。だが、悲しみの涙ではなく、それは悔しさの涙。
訳が分からないながらも、成は子供の頭をよしよしと撫でた。子供は構わずに泣き続ける。
「お陰でボクまで死神昇格試験に落ちちゃったじゃないかぁ……」
うわあああぁぁんと、盛大な鳴き声を上げて子供は泣きはじめた。
成はやはり事情はよくわからなかったものの、あやすように子供をそっと抱きしめた。
「つまり、お前は死神見習いで、ひとりで人間を死に導くことができたら正式に死神になれる、という訳なんだな? で、今回のその昇格試験のターゲットが俺だった、と」
「うん」
泣き腫らした顔を小さく縦に振り、子供――死神見習いは成の膝の上で大人しくしている。言葉も態度もすっかり見た目通り子供らしくなったものの、死神見習いは子供特有の心地よい温もりも、程よい重さも、どちらも持ち合わせてはいない。
「ごめんな、悪いけど俺、やっぱり今はまだ死ねないや」
「わかってるよ」
トン、と成の膝から降りると、死神見習いはグスっと鼻をすすながら、拗ねたようにプイッと顔を背ける。
「お前みたいなバカは、飽きるくらい長く生きればいいんだ。ふんっ」
死神見習いが顔を背けたまま、成に向かって空中でデコピンでもするように中指を弾く。すると、成の額に鋭い痛みが走った。
「いてっ! ……あれっ?」
額を押さえた成は、スッと体の熱が引いたのを感じた。気づけば、怠さも喉の痛みもなくなっている。
「あれっ? あれっ?!」
「お前なんか無駄に一生懸命に勉強でもなんでもすればいいよ。バッカみたい。そんで、嬉しいとか悲しいとか、盛大に勘違いし続けていればいいんだ」
「なぁ、もしかしてお前、俺の風邪」
「じゃあね」
死神見習いはそのままフワリと浮かび、閉じたままの窓に向かう。その足を成は掴んだ。いや、掴もうとした。けれども成の手は空気を掴んだだけだった。
「なぁおいっ!」
成の声に、窓から外に出ようとしていた死神見習いが、面倒そうな表情で振り返る。
「なに?」
「お前も頑張れよ、昇格試験」
「は?」
「なりたいんだろ、死神に」
「……無理だよ」
「待っててやるから」
諦めの表情を浮かべる死神見習いに、成は笑って言った。
「俺にその時が来たら、お前が俺を迎えに来てくれ」
「え……」
「だから頑張って、昇格試験に合格しろよ?」
驚いたようにその場に止まり、目を見開いて成を見ていた死神見習の顔が、次第に嬉しそうな笑顔に変わる。
「……うん!」
「まぁ、しばらくかかりそうだけどな」
「うるさいっ!」
成に向かって思い切り舌を出すと、死神見習いは照れ臭そうな笑顔を浮かべて、閉じたままの窓から外へと姿を消した。
「またな」
窓に向かって、成は小さく呟いた。
そして。
思い出したように、共通テストに向けての追い込みを再開したのだった。
終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます