3-終 ヤマノケ、いただきます!
「次は、私が食べますね。何食べようかなぁ」
ヤマノケのすりおろしをスプーンで掬いあげた。
色は真っ白で雪のようだ。匂いはしない。味は、舌に乗せてみたけど何の味もしない。噛んでみるが食感もない。シロップをかけていないかき氷の方がまだ深みがあるほど、無味無臭で、霞を食べているみたいだ。
ヤマノケの本領は単体の味ではない。
料理は何を食べようか。ステーキ、卵焼き……私が気になるのはトマト煮だ。
喰村さんと初めて会った時には出てこなかったメニューだ。最初だからと素材の味を楽しむ方向で料理を作ってくれたが、トマト煮のような味が強い調理法で巨頭オを楽しめるのは心が踊る。
「それじゃ、トマト煮を」
サイコロ状にカットされたお肉を箸で取って、口の中に放り込む。
あぁ、想像よりも遙かに美味しい。
舌に乗せると同時にトマトの酸味が染み渡る。遅れてニンニクの辛味と塩味が口の中を支配する。これだけでも幸せだが、美味しさはこれから先にある。
牛肉のような歯ごたえを感じながら、ゆっくりと噛み締めると中に詰まっていた肉汁がじんわりと口内を満たした。肉汁は脂の美味しさと共に、セリの香りが漂い、トマトの味に深みを出す。
「あ、ピリピリしてきた」
グラデーションのように、じわじわと卵の時に味わった花椒のような痺れが舌に現れる。その痺れがトマトの味と合わさることで、奥行きを生み出す。どんどんと痺れが強くなっていく。それがとても面白い。
「はいれたはい」
あ、ヤバい。口が思うように動かせなくなったかと思ったら、自分の意に反して口が動き始めた。二個目を言い終わるより前に、テキーラを一気に飲み干す。
アルコールのツンとした香りと共に、味覚が自分のものに戻っていき、舌の痺れも感じなくなった。
「これ、ハラハラしますね!」
「そうだろ! はいれたって言い始めると少しずつ自分の体じゃない気がするんだよ。自分の声なのに自分は発してる気持ちはない感覚」
「そうなんです。囮の時は一瞬だったから、わかりませんでしたが、こんなにゆっくりと蝕むとドキドキして」
「あ、でも味は変化が……」
「食べたことねぇものよりも、食べたことあるものの方が楽しいぞ」
あ、失敗した。何も考えずにトマト煮を食べてしまっていた。食べたことないのに味の変化がわかるわけがないのに、目先の欲求でトマト煮を食べてしまった。食い意地の敗北だ。
「今から食べて、食べ比べします!」
トマト煮の中からお肉を取り、また口の中に放り込む。やっぱりトマトソースが美味しい。
トマトの酸味とニンニクの辛味、その他にもハーブの香りが合わさって味に深みがある。この香味はナツメグかな?
甘みのあるスパイシーな香りがトマトとニンニクの奥に隠れている。隠れているが、これが奥行を作り出していて、助演男優賞をあげたくなるほどいい仕事をしている。
何よりも肉だ。肉の食感と肉汁の味によって、トマト煮そのもののクオリティが上がる。元々深みがある味わいなのに、それがより一層深くなっていく。底なしの旨味がここにある。
「……味は変わりないですね。ピリピリくらい」
本当に何の味も変わらない。
おかしいと思って、卵焼きを食べて味を確認してから、ヤマノケを食べてみた。再び卵焼きを食べて味を見るが、ヤマノケの前に食べた味と同じで、程よい酸味と痛みが舌をくすぐるだけ。
味の変化は一切ない。強いていえば、少し痺れが強くなった程度だ。
「変わらないですね」
「変わらない? 聞いたことがないな」
「歯朶にもお裾分けしているが、あいつも味が変わって美味しいと言っていた」
「はいれたはい……あ、危なかった」
テキーラを一気に飲み干した。
味に気を取られて、すっかり取り憑かれることを忘れていた。これ、一人で食べていたら取り憑かれて取り返しのつかないことになりそうで怖いな。歯朶さんとかうっかりしそうだから、危険な気がする。
それにしても、テキーラは美味しくないな。私は酒が苦手だ。弱い訳ではなく強すぎる。一切酔うことがないから、お酒は味が悪い液体でしかない。お酒を飲むならジュースを飲んだ方が美味しい。
ヤマノケを味わうためなら仕方ないと思っていたけど、こうも味が変わらないと美味しくない液体を飲みたくない。
「……そうだな。考えられるとしたら、面舐は味を完全に認識している」
「それか、ヤマノケと同じ感覚か」
お前は人間じゃないと言われているような気がして、なんか嫌だな。
それに、何よりも編集長が食指が進むほど美味しい変化なはずなのに、それを体験出来ないことが悔しい。未知なる味を味わえると思っていたのに、ピリピリするだけで味が変わらないなんて、蛇の生殺しだ。
「そんなに落ち込むな。ヤマノケは俺と雑喉で」
「大丈夫です。私が食べます」
「お残しをするのはヤマノケに悪いですし、きっと、調子が悪かっただけです! 私も味変するはずです!」
命を残して粗末に扱うことは出来ない。
それに、こんな結末なんて嫌だ。私も二人と同じように味の変化を味わいたい。編集長も喰村さんも歯朶さんも楽しめているのに、私だけ楽しめないなんて仲間はずれみたいで寂しいだけだ。
絶対に私も楽しむことが出来るはずなんだ。何度も挑戦して、それを掴み取ってみせる。
「……挑戦もほどほどにな」
喰村さんも自分の料理を食べ始めた。ヤマノケを食べては「はいれた」の一文字目でテキーラを飲み干している。ヤマノケを食べて殺すまでの一連の流れは手馴れている。
喰村さんの食べっぷりを見ていたら、言い忘れていたことを思い出した。ヤマノケを捕まえる手順を聞いている時に思いついて言おうと思っていたけど、言い忘れていたことだ。
「喰村さんって、依頼が来たら洒落怖を捕まえるんですよね」
「あ? あぁ、そうだな。自治体がほとんどだが、個人の時もある」
「その仕事、私もお手伝いできませんか?」
彼は食器を置いて、私の顔を見た。
「……別にいいが、仕事があるだろ」
「私の仕事はオカルトライターです。喰村さんと行動することが仕事になるんですよ」
「編集長、そうですよね」
「ん、あ、あぁ、そうだなぁ」
編集長は既にへべれけになっている。アルコールを軽減してくれるのに酔うなんてこの人、何でこんなにお酒が弱いんだろう。
さっきも、すごく弱くないとか言ってるけど、いつも二杯目でぐでんぐでんになっているじゃないか。
この状態の編集長に判断を仰ぐのは適当ではないが、このバにおける言質は取れる。
「……なら、お願いしたい。食事は自分が関われば関わるほど美味しくなる」
「狩りだってそうだ。自分が労力をかけたらかけただけ、美味しくなる。俺はあんたに美味しいものを食わせたい」
「よし、決まりですね。これからもよろしくお願いします。喰村さん」
立ち上がって手を喰村さんに向けた。彼はすぐに私の手を握り返してきた。
これから、私たちは洒落怖を一緒に捕獲する。これから、どれだけの数の洒落怖を捕獲して、どれだけ未知の味を堪能することが出来るんだろう。
楽しみで楽しみで仕方ない。
次の仕事が待ち遠しい。
◀NEXT番外編グルメ「ドッペルゲンガー」▶
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