第8話 ある男の決意

――もっとも新しい転生者たちから一度目を離そう。


 外はもうだいぶ暗くなっていた。宿屋や居酒屋以外は店じまいをはじめ、それらの店が立ち並ぶ通り以外の人通りが少なくなる時間帯。懐かしい男が、人通りの少ない通りにある店に入っていこうとしていた。彼を街中で見かけることは珍しい。


「おい、店主はいるか?」


 筋肉質の身体に長髪の男が、大きな声で店の奥に呼びかける。店主とこの男の関係を知らない者がこの場面を目撃すれば十中八九すぐにその場を後にして、自警団か冒険者を呼びに走るだろう。しかし店主の返事は呑気なものだった。


「今日はもうしまいですよ!また明日出直してください。十時からやってやすから!」


 しかし、怪しい男は帰ろうとせずにズカズカと店内に踏み込んでいった。その足音にさすがの店主も緊張感を高めるかと思われたが、彼は相変わらず店の奥での閉店作業を続けていた。


「もしかして、その声は旦那ですか?」


「ああ、そうだ。早く出てこい。今日はあの日だったんだろ?あのエセ司祭から話を聞いてるよな、全部話せ」


 男の口ぶりはまるで店の金を全部出せ、という強盗のようであったが、彼らは古くからの知り合いだった。


「旦那、エセ司祭とか大声で言うのはやめてもらえやせんか。ただでさえ、そんなにイアン様には好かれてないんですから・・・」


 店の奥から帳簿を持った店主が現れる。


「まだ生きてたか、チャンドラー!もうお前は荷物持ちじゃないって言うのに、いつまでも旦那なんて呼びやがって、お前は変わらないな」


 筋肉質の男は店主の肩を叩きながら、嬉しそうに再会を喜んだ。この店主こそ、エルムが尊敬するチャンドラーなのだ。


「いやいや、旦那のあっしの扱いは今でも便利屋じゃないですか?昔と何も変わっていませんや。それで新しい勇者様たちの話でございやしたね?」


 チャンドラーの言葉には、旦那への不満はなく、むしろ昔と変わらずに扱ってくれることへの喜びがあった。


「明日、うちの店に来ることになってやす。男の子が二人、女の子が三人らしいですぜ。あっしが戦いのことをしばらくのこと教えることになりました」


「あの時の荷物持ちが明日からは教官様ってわけか、大出世じゃねーか」


「あっしはあっしのやるべきことをやるだけですよ。彼らが簡単に死なずにすむように、生きる方法を教えるだけでさぁ」


 チャンドラーは、かつて自分たちを導き、最後まで盾として戦った偉大な騎士を思い出していた。


「そうだな・・・頼んだぞ」


 旦那は虚空を眺めながら、寂しそうに言葉を紡ぐ。


「あれから五年か・・・」


「一瞬でやしたね」


「いいや長かったよ、あの日のことは昨日のようだけれども、まるで無限に同じ悪夢を見せられ続けるような五年間だった」


「そうかもしれやせんね」


 チャンドラーには旦那の気持ちが痛いほどよくわかる。あの日同じ場所であの惨劇をもっとも近い場所で見ていたからだ。でもそれと同時に、そこに立ち止まっていてはいられなかった。彼は世界に置いて行かれるのが怖かった。エルムがいつからか店を訪れるようになり、今日新しい勇者たちがついに現れたのだ。勇者を巡る運命はまだ続いていくのだろう。


 彼は五年前から長い間考え続けていた。それはきっと旦那も同じなのだろう。


――その運命から取り残されてしまったのなら、自分はどう生きていけばいいのだろうか?そもそも生きることが可能なのだろうか?それどころかなぜ生き残ったのだろうか?自分の人生はかつて勇者たちの荷物持ちになったことで狂ってしまったのか?それとも荷物持ちになったことで始まったのだろうか?


 彼は自分の運命がまだ終わっていないこと、自分があの老騎士のように人々を護り、勇者を支えることができる存在であることを証明したかった。だが、自分の非力さを五年前のあの日より一日たりとも忘れたことはなかった。彼は自分があの老騎士のようになりたいと願っても、自分が彼よりもずっと弱いことを知っていたのだ。


 彼の目的を果たすためには、チャンドラーが一番かっこいいと思う男、旦那の力が必要なのだ。旦那は一度だけ見せてしまった過去の格好悪さに今もなお囚われている。彼は今はまだ折れているのかもしれないが、いつかきっと新しい世代を守り、導く力になるはずなのだ。


――あっしにできることは、旦那が老騎士のような男になって戻るまで、その代わりを果たすこと、それが勇者でもなければ、生まれもよくない、平凡な男にできる、あっしだけの役割でありやすから。


 だからこそ、旦那を怒らせるかも、と躊躇いながら勇気を振り絞った。


「でも、わざわざ今日来るなんてちゃんと新しい勇者のことを覚えてやしたんですね、意外でやした」


 だが、旦那から返ってきた感情は憤怒でも焦燥でもなく、優しさだった。


「あんまり、頑張りすぎるなよな。お前にまで死なれたら困る。ここに野草は置いてくからな。金は今度、酒を飲みながら新しい勇者の話でも聞かせてくれる時に渡してくれりゃいいよ」


 旦那は空いている台の上に薬草や茸の入った大きな布袋を置き、手をひらひらさせながら帰っていった。


――あの人が帰ってくるまで、あっしが頑張らないと!


 チャンドラーは土に汚れた布袋を抱きしめながら、勇者を守る、という決意を新たにするのだった。

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