第41話 目線の高さ

 昂輝は右手で引きずっていた棍棒から手を離し、円のもとに駆け付ける。


「高畑、大丈夫か?」


「怪我はないよ、それより今の・・・」


 彼女は死の恐怖から予想外の方法で解放されたかわりに、安堵や驚きなどの様々な感情の奔流に襲われて混乱していた。


「今の魔法よね?」


 彼女が動揺しながら必死に絞り出す言葉は、ようやく追いついた瑞樹によって引き継がれた。


「・・・まぁな」


 魔法の成功はかなり運に恵まれた偶然。さらにその習得には瑞樹が目の敵にするメアリーが絡んでいる。昂輝はそれらの事実への後ろめたさから、顔を伏せて曖昧な返答をする。


「いつの間に覚えたの?いつも張り切ってるだけのことはあるわね」


「まぁな。でも今はそれよりも円の心配してやれよ」


 昂輝は善人ぶって、瑞樹の意識を魔法から逸らそうとする。連戦で疲労している今、瑞樹との言い争いを避けることは昂輝の最優先事項だった。


「心象魔法があったから、本当に大丈夫」


「流石ね、円のシールドは」


「たくさん練習したから」


「バカの火でどこか火傷したりもしてない?」


「うん、ほんとに大丈夫だから」


 瑞樹は地面に座り込んだままの円に寄り添って屈みこみ、彼女の身体に傷がついていないかを丁寧に確認する。心象魔法の効果と円のそれを運用する技術はすばらしく、土による衣服の汚れを除けば、彼女の身体も衣服も戦闘前と何ら変わりがなかった。



「無事なの?」

「円、大丈夫か?」


 円の無事が念入りに確認されたタイミングで改めて心配の言葉が、花と光太郎によってかけられる。


 戦いを終えて一息つく三人のもとに、最後の一匹を仕留めた二人が合流する。花が肩に担ぐ棍棒は魔物の赤い血に染まっていて、滴る血が彼女の背後に小さな血だまりを作り、それを少しずつ大きくしていた。


「・・・本当にうちは大丈夫なんだって!」


 立て続けに心配され続ける円は、慣れない扱われ方への困惑のあまり少し声を荒げてしまう。


 彼女はもちろん仲間たちが自分を心の底から心配していることは理解できたし、自身が心配されて当然の状況にあったことを理解していた。それでも複数の仲間にかわるがわるしつこく心配されるのは居心地が悪い。


 円はこの世界で懸命に戦う仲間たちを心の底から尊敬している。前衛で常に敵と至近距離で戦う桐谷くんと花、敵を見つけおびき寄せる光太郎くん、隣で的確に味方にむけて心象魔法を使い、仲間を鼓舞する瑞樹。その彼らへの感情は裏返せば、劣等感。彼女もそれをただの美しい敬意としてだけ抱けるように、戦うための努力や意識改革を続けてきた。だから仲間を護る力も、戦う理由も手に入れた。


 ――自分の心が汚いのだろうか?


 仲間たちに「心配してもらえている」今の状況を「心配されている」と感じてしまう。「心配されている」ことを「庇護されている」と感じてしまう。「庇護されている」ことを「下に見られている」と感じてしまう。下に見られているは言い過ぎかもしれない。それでも、どうしても「対等に扱われていない」ように感じてしまう。


 もしも今、頼りになる瑞樹が今の自分の状況に置かれていたら、と考えてみる。彼女ならきっと、劣等感を感じるかわりに悔しさを感じて奮起するだろう。だから彼女は強くて尊敬できる。


 今の失敗は未来で取り返せる、そんな強い考え方はうちにはできない。今の失敗に引きずられて下を向いて、前を見ることなどできるはずもない。だけれども、一人だけ立ち止まって、そんな自分を受け入れて認める勇気もない。


 みんなに置いて行かれるのが怖い。がっかりされたくない。


 地面に着いた腰が、怪我をしたわけでもないのに重たい。優しい言葉をかける仲間の表情を見るのが怖くて、顔を持ち上げられない。頭が熱くなり、瞳に映る地面が歪んでいく。悔しいと感じられないことが悔しい。それが自分と仲間との決定的な差。


「マドカネエ、エルムちゃんにはその顔見せれねーな」


 歪んだ彼女の視界の前にごつごつとした彼女の手よりも大きい手が差し伸べられる。


「ちょっと・・・」


 瑞樹が慌てた声をあげ、制止しようとする。


 だがその手は有無を言わさずに、円の震える小さな手を少し乱暴につかみ、引っ張り上げる。


 彼女の視界から歪んだ地面が一気に引き離され、突然の体重移動で一瞬もつれた脚が地面をとらえ直す。力の入っていない首が揺れて一瞬だけ、彼女を立ち上がらせた腕の持ち主が瞳に映った。


 ――光太郎くん


 顔を伏せたまま、心の中でその持ち主の名前を唱える。


 光太郎くんは他の男の子とは違う。瑞樹や花、エルムには、以前そう話した。だけれどもそれだけではない。光太郎君は男の子とか女の子とか関係なく、他の誰とも違う。私にとっての特別。


 瑞樹は今もそうだが、うちが辛そうな時はいつだって頭の高さを合わせて、寄り添ってくれる。それは百二十パーセント、善意からの行為。見下そうなんてこれっぽっちも思っていないことはわかっている。でもそれは、あくまで彼女がうちの目線の高さに彼女の目線を合わせてくれる行為。


 一方で今、光太郎くんはうちの目線を彼の目線と同じところまで引っ張り上げてくれた。彼がうちに合わせるんじゃなくて、うちをみんなのところまで引き上げてくれる。それこそが、彼女が言語化できないまま望んでいた他者からの優しさだった。


 いつまでもみんなの後ろを歩いていたいわけじゃない、でもみんなに追いつく方法がわからない。そんなうちをみんなの隣まで引っ張って、みんなと並んで歩かせてくれる。


 光太郎くんを好きな理由がまた一つ増えた。

 まだ今日の戦いは終わったわけではない。もう一度仲間とともに戦おう。


「ありがとう、光太郎くん!」


 円は満面の笑みで少しだけ潤んだ瞳を大好きな男の子に向けた。

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