第3話 20歳の冬
「クリスマスに変な客が来た事あったよね?」
高橋が思い出しながら言った。
「えー?あったっけ?クリスマスはひたすら空いてた記憶しかないなぁ。」
春香はボンヤリとしている。
あの時のこと、覚えてないのかー。
高橋は20歳のクリスマスの日を思い出した。
***************
「クリスマスにファミレスに来るかな?大人ならもう少しいいお店に行くだろうし、ファミリーならお家でお祝い。若者グループにはカラオケのパーティルームは人気で、あと意外とマックは混むらしい。でもうちに来る客がいるとしたら、クリスマスが理由じゃなくて、ただ普段通りご飯食べたいってだけだろうね。」
12月24日、世はクリスマスイブ。僕はアルバイトに入っていた。店長の見通し通り、店内は空いていて、暇だからかおしゃべりが止まらない。
「例えば、ここが東京ドームの近くでさ、クリスマスコンサートがドームで開催されてれば話は別だけどね。ここの周りには学校と家しかないじゃんね。こういう店舗は普段使いにはいいけど、特別な日には混まないよ。和定食しかないし。」
店長はそう嘆くと、キッチンに入って行った。
夏にアルバイトを始めて、半年近くが経っていた。最初は業務に慣れるのにいっぱいいっぱいで「黙々と働く高橋」という印象だっただろう。
今は業務に慣れて、雑談する余裕も出てきた。
キッチンには、正孝さんと長屋の他にもう1人フリーターの山崎さんという男性がいる。夢を追う24歳のバンドマンだ。花火大会の日は、山崎さんも夜のシフトに入っていたけど、普段はあまり夜は入らず専らバンド活動をしているらしい。たまに夜のシフトに入っている時に、今流行りのバンドの話を聞かせてくれる。
正孝さんは、下関の漁師の家に生まれ、18歳で漁師になったものの、アメリカをハーレーで横断したいという夢を叶えるべく、家を飛び出して来たらしい。どこまで本当の話なのか、疑いたくもなるけど、下関出身である事と、アメリカ横断のための資金集めでアルバイトをしているのは事実らしい。学生時代から英語だけは得意だったと言い、子供向けの英会話教室でもアルバイトをしている。僕もバイクが好きだから、単車仲間として話があった。
リエちゃんと真由子とノリちゃんは、同じ中学校を卒業していて、それぞれ別の学校に通っている高校2年生。中学ではクラスも部活も違ったから、たまたまアルバイトが一緒で驚いたらしいが、今では仲良し過ぎて、会話に入る隙もない。
リエちゃんが天真爛漫な妹的な存在で、中学の時もモテたらしい。そんなリエちゃんを密かに好きなのが、同じく高校2年生の長屋だ。一度振られてるらしいから、密かでもないか。長屋は、小中と野球一筋の真面目な少年だったのが、怪我を機に部活を辞め、気分転換にアルバイトを始めたらしい。部活を辞めた今も日焼けした坊主頭で、キャッチボール程度は続けているらしい。アルバイト内で恋の矢印があるのはそこだけで、他はみんなそれぞれに相手がいたりいなかったり。
ハルちゃんは、都外の大学に2時間近くかけて通っていることがわかった。17時から22時のアルバイト求人が多い中で、この店は18時から入れるから助かったと言っていた。17時には帰宅できないらしい。
ハルちゃんは、テキパキと業務をこなして、本当に時間がある時に少し雑談に交じる程度。基本的には働き者で、サボることが全然ない子だった。
会話してても、明るさや前向きな性格が伝わって来て、仕事は丁寧だけど、細かいことは気にしない性格で、すぐに打ち解けることができた。
大学以外に友達ができた事は心強かった。とりわけ、女子学生がほとんどいない機械工学科に進んだ僕は、大学では女友達が1人もいなかった。女の子が話す内容を聞くたびに、世界が少し広がった気もしていた。
「あ、高橋くん。」
僕がテーブルを拭いていると、店長がキッチンから戻って来た。
「俺、彼女いないから。」
「え?え?あ、はい。そうなんですね。」
だいたい気がついてたけど、改めて言われて拍子抜けしてしまった。
「今、43歳なんだけど、最後に彼女がいたのは今から8年くらい前だね。だからクリスマスの夜でも仕事、問題ないから。心配しないでね!」
それだけ言うと、店長はまたキッチンに戻っていった。なんなんだもうー。
店長は、40代だということはなんとなく気づいていたが、ここで43歳であることがちゃんと分かった。優しいし、クレーマーが来た時の神対応に尊敬するけど、飲食業界は時間も不規則だし、なかなかいい相手に巡り会えないのかもしれない。
店には、店長の他にキッチン専属で正社員の五十嵐さんがいる。彼は、商品開発にも携わった事があるというベテランで、ゆくゆくは本社に返り咲く事を望んでるという噂で、あまりアルバイトと絡む事はなかった。それでも勤務していて嫌な思いはした事がないし、五十嵐さんの作る賄いは本当においしかった。
他にも平日の昼間のパートの方や、キッチンのメンバーがいて、全員で15人くらいのメンバーでシフトが組まれていた。
さて、混雑もせず平和だったクリスマスイブが過ぎ、翌日はクリスマス。僕は年末の12月28日から実家に帰る予定で、少し稼いで必要もあったから、クリスマスは連日出勤した。
いつも通りタイムカードを押して暫くすると、
「お疲れ様でーす!」
と、ハルちゃんが入って来た。
「お疲れ様、今日入ってたんだね?」
「うんそう。クリスマスだけど、そんな予定もないし。昨日もシフト希望してたんだけど入れてもらえなかったんだよね。店長が混まないと思うから人数減らしたいって!」
「そうだったんだ!確かに人数は減らしたって店長言ってたわ。」
「ねー。ひどいでしょ。でも高橋くんは年末年始実家に帰るんだもんね?その時稼ぐからいいよ!昨日は姉とMステスーパーライブ見て、なかなか楽しいイブだったしねー。」
「いいじゃん、それ理想のクリスマスだよ!」
「下手に出かけてもどこも混んでるし、実家だと母親もそれなりにご馳走作ってくれるし、確かに理想の過ごし方できたかも!」
「学校はいつまで?俺は今日最後だったんだ。年明けからテストだから冬休みも油断しないで勉強しないと。」
「私は昨日までだった!本当年明けのテストは気が重いねー。」
一通り話し終えると、2人でフロアに出て行った。今日も空いてそうでホッとする。
この日は店長は休みでキッチンの五十嵐さんと3人体制だった。ハルちゃんと交代で賄いを食べ終えて、20時を過ぎた頃だったと思う。ハルちゃんがレジで、食事を終えた30代と思われる男性客の会計の対応をしていた。僕は空いた席を片付けていた。
「あ、ゴキブリ。」
男性客が、床を指差して呟いた。
「ぎゃー!!!」
と、ハルちゃんが悲鳴を上がるが、ゴキブリはどこにもいない。落ち着きを取り戻し、ハルちゃんは会計を進める。
「お会計は、1575円です。」
「あ、こっちもゴキブリ。」
男性客は、金を財布から出す仕草をしながら、また呟いた。やっぱりどこにもゴキブリはいない。ハルちゃんも今度は動じずに、支払いを待っている。
「ねーねー、聞いてる?ゴキブリ。この店でも出るでしょ?」
「当店ではそのようなものは出たことがございません。」
「うっそー?ゴキブリ出ない店ある?絶対一回は出てるでしょ?お姉さんが見たことないだけじゃないの?」
「出ません。お会計は、1575円です。」
「絶対嘘だよー。他のお客さんも見てるんじゃないの?」
男性客は声を大きくして辺りを見回しながら言った。客は他に、2組しかいない。
そして「なんだよ。」
と呟き、誰の賛同も得られないまま、雑に千円札を2枚、レジの前に置いた。
「2000円お預かり致します。425円のおつりでございます。ありがとうございました。またお越しくださいませ。」
ハルちゃんが冷静に会計を続け、釣りを返した。
「まあいいわ、また今度来た時は正直に話せよ、ゴキブリ出たか。」
男性客は釣りを受け取ると、そう言い残し去って行った。
五十嵐さんがキッチンから出て来た。騒ぎになったわけではないが、何か問題のある客が来た事を察したようだった。
次に別グループの会計が入り、ハルちゃんが連続して対応した。
「お会計は別々になさいますか?」
「一緒でいいよ。さっきのお客さん、変な人だったね。」
40代くらいの主婦のグループだった。代表で支払いをしている女性客が、ハルちゃんに優しく話しかけたのが聞こえた。子育てはひと段落ついているだろう世代で、クリスマスだからと一息つきに来てくれたのだろう。
「ありがとうございます。お客様にも嫌な思いをさせてしまい、申し訳ございません。」
「ううん、大丈夫。明らかに変な人だったしね。気にしないでね。」
「ありがとうございます。救われます…。」
女性客の優しさに、ハルちゃんが涙ぐんでいるように見えた。
僕はと言えば、ただただテーブルの片付けをしていただけで、あんな風に優しく声を掛けることもできなかった。
客の対応が一通り済むと、ハルちゃんがキッチンに入って、五十嵐さんと話しているようだった。会話はフロアまで聞こえなかったが、きっと五十嵐さんは優しくフォローしてくれただろう。
***************
あの時、ハルちゃんの前に立って何かできていたら、彼女の記憶に鮮明に残る話になったのかなー。
高橋は改めて、当時のヘタレな自分を恥じた。怖かったわけではないが、かと言ってこの件については、変な客だったねーと話すに終わった。
店長みたいに神対応ができなくとも、その後に来た女性客のように優しい言葉をかけることもできたはずだ。彼女を守ることも、励ますこともできなかった。
「ああ、あったかも。ゴキブリおじさん。せっかく空いてて、のんびり仕事してたのにって、残念な気持ちになったよね。」
春香は少し記憶が甦ったのか、高橋に話を合わせてくれた。
あの時、何もできなくてごめんー。と高橋が口をつきそうになったところで、
「変な客といえば、思い出したくもない私の元カレも変な客だったんじゃん?一回来たことあったよね?」
と、春香が続けた。
「ああ、それもよく覚えてるわー。」
と、高橋は俯いて答えた。
春香は成人式の日を思い出していた。
***************
今は成人が18歳になったけど、私たちが20歳の頃は、20歳で成人だった。20歳で選挙権を待ち、20歳からクレジットカードが作れる。携帯電話の契約も、20歳を過ぎたら自分名義で作れるようになって、少し楽になったのを覚えている。
それでもまだ学生だったから、アルバイトをしてても親の扶養に入っていたし、学費は親が払ってくれているし、自立には程遠い。成人して何が違うと言えば、外で堂々とお酒が飲めるようになったことだろう。
今でも身体の発達を鑑みて、飲酒は20歳を過ぎてからという法律は変えないと聞いた。「成人式」ではなくて「20歳の祝いの場」など、各自治体で名称を変えて、20歳を祝う場が設けられているともニュースで見た。
まだ法律が変わったばかりとは言え、やはり20歳が1つの節目で、お酒を飲める年齢になったと、お祝いするに相応しい年齢な気がしてならない。あと数年したら、20歳でなくて18歳を祝う場がどんどん増えてくるのかもしれない。その場合は、みんなお酒ではなくてジュースで乾杯するのか。18歳の高校三年生だと、1月の成人の日は受験真っ只中で、それどころではないんだろうけど…。
卒業しても中学の時の友達とは、仲も良く関係も続いていて、大学の友達よりも遊ぶ機会が多かった。だから、私にとっては成人式は「再会の場」というよりも、いつも遊んでいる友達と、晴れ着姿で会う日だった。
成人式の日は、式典のあとは同窓会など何も予定がなかった。それぞれが仲の良かった友達と繋がっているからいい、そんな淡白な学年だったのかもしれない。
式典が終わると、私は普段お世話になっている店長達に晴れ着姿をみせようと、アルバイト先の店に向かった。店までは、父親が車を出してくれた。
店に着くと、店長とリエちゃん、真由子が出迎えてくれた。
「おお!来てくれたんだ!改めておめでとう。大人の仲間入りだね。」
店長に言われる。
「ありがとうございます!これからもバイトがんばります!」
「ハルちゃん、可愛いー!」
「私たちも3年後、着るんだねー!今から楽しみだよ。」
リエちゃん達が次々に言う。
「ありがとう!2人の時は私もう社会人だなぁ。楽しみにしてるよ!」
晴れ着姿で写真を撮って、一通り挨拶を終えて帰ろうとして、思い出した。
「店長、私今日18時から入ってますよね?」
同窓会がなくて良かった。何も考えずにシフトを希望してしまっていた。
「ああ!入ってるよ!でも、予定あるなら大丈夫だよ!今日は高橋くんが来るから、なんとかなるだろうし。」
「いえいえ、行きまーす!まず普通の服に戻ってきますね!」
みんなに元気に挨拶をして、父親のいる車に戻った。着物はレンタルではなくて、従姉妹から借りたもので、私の姉が20歳の時にも着たものだった。レンタルではないから、このまま自宅に帰って、母親に手伝ってもらって脱ぐだけだ。
帰宅して着物を脱いでると、母が言った。
「春香、疲れてるんじゃない?バイト今日はやめたら?」
「大丈夫だよ。今日は予定ないしさ。明日は学校だけどバイトないし。」
「そう?着付けが朝早かったから疲れてると思うけど。まあ無理しないでね。」
「ありがとう。今から少し昼寝でもしようかなー。」
「それがいいかもね。」
晴れ着からパジャマに着替えて、少し横になった。髪の毛がスプレーでガチガチに固められているけど、朝が早かった事もあって少し眠る事ができた。成人式の後にアルバイトに行くことについて、何も考えてなかった。髪の毛、どうしよう?今からお風呂入るのも面倒だから、このままでいいか。飾りが付いてないからそこまで変じゃないだろう。
パジャマから着替えて、髪の毛とメイクはそのままで、私は家を出た。
店に着くと、いつも通りユニフォームに着替えて、キッチンからフロアに出る。
「おつかれさま!」
「ハルちゃん、昼間は可愛かったよ!」
リエちゃんが出迎えてくれた。今日はリエちゃんが昼から夜のシフトらしい。
「ありがとう!髪の毛だけこのままになっちゃった。」
「いいじゃん、かわいいよ!ね、高橋くん?」
急に話を振られて、高橋くんはキョトンとしている。
「え、あ、うん、かわいいよ!今日成人式だったの?うちの実家の方は、上京組も多いから正月にやるからさ。」
「そうなんだ!かわいいって無理して言わなくてもいいよ!正孝くんが調理終わったら見せてこよう!」
と言って、私はキッチンに戻った。昼間はいなかった正孝くんと、五十嵐さんと山崎さんが働いていた。店長は上がったらしい。
「おお、ハルちゃん。成人おめでとう。女の子はいいよね。男はスーツ着ても袴着ても、そんなかわいい髪型にはならないからさ!」
「ありがとうございます!って髪型いじってる?」
「いじってない、いじってない。去年の話だけど、俺バタバタしてて行かなかったからさ。改めてこういうの、髪型だけでも見るといいなと思って。行った方が親孝行だったかなーなんてね。」
「そうか、去年はお店もオープンしたてで忙しかったしね。」
正孝くんが、漁師の父親と喧嘩して上京した事を思い出した。連絡は取っているようだけど、上京してからは1度も帰ってないんじゃないだろうか。もし自分のことがきっかけで、正孝くんに帰省を促せたなら、そんな嬉しいことはない。
一通り話し終えると、私はフロアに出た。
成人の日は祝日だけあって、昼間も夜も混雑した。それでも20時半を過ぎると、翌日が週初めということもあり落ち着いてきた。
21時になると、
「店長が21時には空くだろうって。だから21時までなんだ。予想当たって良かったよ。おつかれー!」
と、リエちゃんが言って元気に上がって行った。
しばらくすると、1人の男性客が入ってきて、私に話しかけた。
「春香、なんで同窓会来なかったの?」
「健太、、、何してるの?」
「同窓会に春香が来なかったから、二次会は行かないで帰ってきた。きっとここにいると思って!大丈夫、デザートくらい食べて行くよ。」
「では、こちらのテーブルにご案内します。」
私は平然を装って、健太を案内した。
健太は、私の中学校の同級生で、高校2年の時に3ヶ月だけ付き合った「元カレ」だ。中学卒業後、一度も会っていなかったが、たまたま近所のショッピングセンターで再会して、連絡先を交換した。メールのやり取りを頻繁にする、言わばメル友みたいな関係が続き、中学生の時にお互いに両思いだったことも判明して、大盛り上がりの末に付き合い始めた。
ところが付き合う前に盛り上がりすぎたのか、別れを迎えるのは早かった。健太に同じ高校で好きな女の子ができてしまったのだ。
私は自分で言うのもなんだが、しっかり者の女で、健太は甘えん坊な無邪気な男、相性はなかなか良かったと思うんだけどな…。
そんなことを考えながらも、別れてから2年は会わずに過ごしていた。それが去年、たまたま再会してしまい、それからは数ヶ月に一度会うという、不思議な関係に発展しまったのだ。これが、私が思い出したくない「黒歴史」である「ダラダラと続く」関係だ。
「ご注文はお決まりですか?」
少し時間をおいて、私は健太にたずねた。
「うん、決まった。チョコレートパフェで。それでなんで同窓会来なかったの?」
「私のところには案内が来なかったよ。学年単位じゃなくて、クラス単位でやったんじゃないの?」
すると、健太は上着のポケットからくちゃくちゃになった紙を出してテーブルに広げて見せた。
「あー、本当だ。3-1の同窓会って書いてある!春香は、5組だったよね?だからかー。いないから迎えに来ちゃったじゃん。」
「だから、食べたら帰りな。私今日も締め作業があるの。帰り遅いから。」
私はオーダーだけ取ると、健太のテーブルを去った。高橋くんや正孝くんが見ているかもしれないと思うと変に緊張した。不倫でもないし、悪いことをしているわけではない。でもなんと説明したら良いか分からない関係だから、胸がザワザワする。おまけに、佐藤さんやリエちゃんたちに、元カレに振り回されていると話してしまっている。どこまで話を聞いているか分からないが、何かしらの情報は耳に入っているはずだ。
私はキッチンにオーダーを伝えに行った。
「友達が来たの?」
正孝くんが聞いてきた。何も勘繰っていない、純粋な質問である事が、彼の目から分かった。
「うん。中学の同級生。」
私はそれ以上言えなかった。まずい、うまく目が合わせられない…。
「そう。じゃあチョコレート多めにしちゃおうかな。」
正孝くんは、何かを察したようだけど、何も聞かないでくれた。ささっとチョコレートパフェを作ってくれ、私はそれを健太のもとに運んだ。
「お待たせしました。」
「わーあ!写真よりおいしそう!こんなこともあるんだね。いただきまーす。」
健太が食べ始めるのを見届けると、私はテーブルから離れようとした。すると、
「今日式典には行ったの?すごい探したけど会えなかったじゃん。振袖、見たかったな。まあその髪型見れただけでもいいか。」
と、健太が話を続けた。
「式典には行ったよ。いつものバド部のみんなと。あれだけの人数だったから、会えなかったのは仕方ないでしょ。」
「昨日もメールしたけど返してくれないし。何か怒ってるの?」
健太が口を尖らせつつも、おいしそうにパフェを頬張る。ダメだ、それを可愛いと思ってしまっては…。
「今日振袖の着付けが朝早かったから、昨日の夜はもう寝てただけ。今日は朝から忙しかったから、タイミングなくて返せなかっただけだよ。」
「怒ってないなら良かった。俺、これ食べたら帰るから、またメールするね。」
わかった…とは返事をせずに、健太から離れた。またいつものパターンだ。自分が寂しい時だけやって来て、用が済んだら去って行く。何回か会ったら、次に会うのは数ヶ月先なんだ。
健太は言った通り、パフェを食べたら帰って行った。それでも私と話したらしたから、22時は過ぎていて、22時上がりの正孝くんはもういなかった。
正孝くんには、今度健太のことをちゃんと話しておこうかな…。そんなことを考えつつも、残りの時間は高橋くんと五十嵐さんと黙々と働いて、予定通り23時半に上がった。
ロッカーで着替えて店の外に出ると、高橋くんが自分のバイクの前に立っているのが見えた。今日全然話せなかったし、成人式の話とか、少ししてから帰ろうかな…。
高橋くんに声を掛けようと進むと、突然、
「わーっ!」
という叫び声と共に肩を叩かれた。
「!?!?!?健太!?!?!?」
「へへー!びっくりした?駅前ぶらぶらしてたら、もう春香のバイト終わる時間じゃんね。迎えに来たよ!」
「いやー、もうびっくりさせないでよ!暗いから流石に怖いよ!」
胸のドキドキが止まない。
その時、高橋くんがバイクのエンジンをかける音がした。もう帰るのだ。
この状態で無言で別れるほど気まずいことはない。多分、私よりずっと高橋くんの方が気まずいはずだ。私は挨拶だけでもと、なんとか声を掛けた。
「高橋くん!おつかれさま!」
「ハルちゃんも、お疲れ様!気を付けてね。」
高橋くんはそれだけ言うと、バイクに跨って去って行った。
私は、やっぱりダメだった。そのまま健太のペースに押されて、夜の街に溶けて行った。
***************
あの時、健太への思いを断ち切って、高橋くんとバイクの前で話していたら、何か変わっていたのかな。
気持ちを引きずるのは仕方ないとしても、関係を引きずるのは間違っていた。恋愛ではどうしても好きになった方が弱い。普段の自分の性格からは想像もつかないくらい、健太のことだけはサバサバとさばくことができなかった。
「成人式の日かな?イチャイチャしてたから覚えてるよ。」
高橋は笑いながら言った。
「イチャイチャって…若かったなぁとは思うよ。」
春香は恥ずかしさを誤魔化すために、コーヒーを握りしめた。
高橋も、あの時自分が1番気まずかった事を思い出し、コーヒーを握った。
2人は、コーヒーの湯気の影をぼんやりと見つめながら微笑んだ。それぞれが、何かを誤魔化すような笑だった。
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