四章 第三十九話 自分を被害者だと思ってるどうしようもない奴

「なんだかんだあって、楽しかったね」


 特急の四人席を三人で占領し、前にはぐっすりと寝ている恵がいる。


「そうだね。萌花」


「恵は、疲れちゃったかな」


「だろうね」


 山間を縫い走る特急列車。思ったよりガラガラの車内。日が斜めから当たり、萌花の普段黒い目が茶色に輝く。

 あまり、見つめることができず、目をそらした。


「てか、ホントに恵ちゃん美人だよね」


「えっ?」


「あっいや違う。やっぱり、萌花の妹なんだなってさ。振る舞いもなんだか似てるし、愛嬌もあるじゃない?」


 結局、また目的地のない逃げに走った。結局、言いたいことは何も言えなく、ただ彼女を俯かせるだけ。


「恵は……ただ私みたいになりたくないだけだと思う。まあ、そりゃあね」


 日光が隠れると、寒い。それと同じで、さっきまで美しく可愛い彼女の瞳はまた黒く堕ちていた。


「そう?……僕はそうは思わないけどね」


「あははっ。いいよ。ありがと。でもそんなの信じられるわけないでしょ?」


「僕に酷いことをして、みっともないメッセージを見せたことを、まだ後悔しているのか?」


 彼女はまた俯く。愛想笑いでごまかしていた黒い目も、また俯き、目を見開いている。


「当たり前でしょ。だって、私はずっと青春を奪われてきたんだから」


「…………」


 それは、予想していない答えだった。

 てっきり、僕のことが好きだから、後悔しているとか言うかと思っていた。

 でも、その答えは全てを含んでいる。

 人を好きだって自分から表現できなかった少女。

 そして、それを肉体で表した。

 でもそれは間違いで、そのまま捨てられて、純潔まで奪われた。

 それを、脱却できなかったのは実際、自分のせいなのかもしれないなんて、考えてしまったら後悔しないわけがない。


「ごめん。僕は、そこまで……」


「いや、いいの。私はこんなことしかできないからね」


 手が触れて、勢いよく指の間を縫い、皮膚を擦り合って、細胞が交わる。

 小柄な体を急接近させて、また、僕の手を一度離した後に……。


「大好きっ!」


 と、僕の体を抱きしめた。

 咄嗟に、そんな華奢ながらに豊満な体に押され、反射で抱きしめ返そうとした。

 しかし、直前で手が痙攣し、僕の脳内が巡り始める。


 果たして、本当に抱きしめ返せば、彼女は報われるのか?

 だって、これははっきり言ってそれの【要求】だろ?

 そのまま、抱きしめてあげればいいじゃないか。

 そうだよ。そうなんだよ!だって、彼女も青春不全。同類じゃないか!

 だったら、一緒にさ……。


……!】


 僕の片手はその手に堕ち、そのまま彼女の華奢な体を巻き込む。


「はぁぁあ……」


 彼女の吐息が耳にかかる。前に恵がいるというのに、聞こえるだろうか?

 僕は、今快楽に堕ちようとしているのに。


 なんで、なんでだよ。

 僕がそんな手に堕ちるのを……見えてるんだろ?

 なぁ? 目を覚ましてくれ。

 僕が、人間として尊厳を失う前に。

 彼女が、また快楽に身を溺れさせる前に。

 どうか、唾液よ。僕を止めてくれ。


「っっ……」


「はぁぁ。あったかい。しおたぁ」


 声を出して、ハグの気持ちよさを知る。

 快楽に身を委ねた気分。それは何とも虚しかった。

 何か満たされているようで、空っぽ。

 彼女の心はきっともうそこが抜けているのだろう。

 きっと、それを思いやったのか。

 それとも、ただ『慢心』したのか。

 とにかく、直ぐに彼女の迫る唇から離れ、僕は彼女の肩を持つ。


「うへへ。なんでぇ?」


「なんでぇ?って、だって……」


「だってぇ。気持ちよかったでしょ?」


 明らかに、溶けて醜くなった気持ち。

 中途半端に抱きしめた。

 明らかに、破滅の道へ進んでいる。


「しおたぁ? わたし。まってるからねぇ~」


「……行けなかったら?」


「行かなくてもいいよ。先輩」


「え?」


 いつの間にか、恵が起きている。


「お姉ちゃんと、昨日話しました。先輩が快楽に身を委ねそうになっているって」


「……え?」


「あ……。別にこれは偽物でもないですよ?勘違いしてほしくないんですけど、お姉ちゃんの気持ちは本物です」


「うへへ」


 眠そうに、また僕の肩に頭を乗っけてきた萌花。


「どういうこと?」


「ごめんなさい。昨日の会話。全部お姉ちゃんも聞いています」


「は?」


 なんで?え?なんで?じゃあ、これは……?


「じゃあ、ハグを要求してきたのも……」


「私の提案です。とは言っても、たぶんやってたでしょうが」


「へぇ?それで、僕は快楽に溺れたと?」


「いえ。そのまま溺れることはありませんでした」


「ああ、じゃあまだ……」


「いえ、サイアクです。いっそ溺れてしまえばよかったとさえ感じています」


「というと?」


「分からないんですか?」


 後輩に言われると腹が立つ言葉。しかし、よく言われるそうな。でも、僕は何も分からない。


「分からない」


「そうですか。残念です」


「えっと?恵ちゃん?」


「なんで気づかないんですかね」


「は?だから、なに?」


「先輩の行動は、柏木先輩の『慢心』と同じ行動原理だからですよ」


 僕の脳内に、電流が走った。

 当たり前だろう。あれだけ嫌だと言っていた行動を、自ら他人にしてしまったことを省みるのは怖いのだ。


「じゃあ、僕は萌花に嫌な思いを?」


「いや、ちがいます。多分先輩も、これを考えてみればわかるはずでしょ?」


 考えてみれば?

 どうだろう。僕は慢心に振り回されたとき、どんなことをしただろう。


 二人だけの居酒屋。単純な関係構築。ボディータッチ。朝チュンに対しての非積極性。

 少なくとも、僕はこれをしただろうか。

 いや、でもまだあるはずだ。

 特に、萌花と絡んできたあの食堂。


「翻弄する為だけに……一度突き放した?」


「正解です。大正解です。分かりましたか?」


「えっと? つまり……」


「お姉ちゃんを最後まで抱きしめず、保身に走ってしまったことで、お姉ちゃんは先輩に対して依存度が高まってしまった。ということです」


「あ……」


 情けなく、そしてやるせない気持ち。後悔でもないような気がするし、なんと言い表せばよいか分からない。

 ただ、僕が萌花の気持ちを弄んだ。という事実を後輩に押し付けられただけ。


「気持ちが、分かりましたか?」


 後輩にいさめられる気持ちと、柏木の気持ちが分かったところで、扉が開き、急に人が多くなってきた。


「へへぇー。しおたぁ」


「はぁ。とりあえず、どうにでもしてください。先輩。私は応援しています」





 そうして、そこから特にしゃべらずに、そのまま僕たちの旅行が終わった。


「またねぇー。しおたぁ」


 ただ、恵の視線が明らかに冷たかったことだけはよくわかる。

 冷笑に近いのか、それとも哀れに思ったのか。

 僕は、不安になった。

 途端に、柏木に謝りたくなった。

 ならば、とりあえず花火大会の前に、柏木に言わなければならないことがあるはずだ。



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