第12話 アーレントvsジェンティーレ

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闘技場に満ちた静寂が、重圧感とともに満ちていく。


選手入場


実況:「お待たせいたしました!人間の条件を巡る、運命の対決の幕開けです!」


場内が暗転する。


実況:「青コーナー!」黒い軍服のような影が渦巻く。


「全体国家の理論家!」「個を国家に従属させし者!」「ファシズムの哲学者!」「ジョバンニ・ジェンティーレェェ!」


威圧的な眼差しを放つ男が、高圧的な態度で入場してくる。その周りでは個人の意志を打ち砕く「国家意志」が、黒い炎となって渦巻いている。


実況:「赤コーナー!」優しい光が静かに広がる。


「人間の複数性を説く者!」「全体主義の本質を見抜く賢者!」「公共空間の守護者!」「ハンナ・アーレェェント!」


知的な雰囲気を漂わせる女性が、穏やかな微笑みを浮かべながら入場してくる。その足跡に、人々の対話と活動の痕跡が、光の粒となって広がっていく。


対峙


「これが私の対戦相手か」ジェンティーレが鼻で笑う。「個人の自由などという戯言を説く者が」


アーレントは静かに目を開く。その瞳には、深い悲しみと、静かな怒りが宿っている。


「あなたは、人間の本質を理解していない」彼女の声は、不思議な説得力を持っていた。「人は、他者との関係の中でこそ、人間たりうるのです」


「人間など、国家の前では取るに足らない」ジェンティーレの周りで黒い炎が燃え盛る。「個人の意志など無意味。あるのは国家意志のみ!」


アーレントは静かに首を振る。


「あなたは見誤っている」その声は、まるで慈しむような響きを持っていた。「人間は、生まれながらにして『新しい始まり』となる可能性を持つのです」


「戯言を!」ジェンティーレが怒号する。「全ては国家の中に、国家によって、国家のために!」


「残念ですね」アーレントの瞳に、深い決意が宿る。「では、人間の複数性が持つ力を、その身で理解していただきましょう」


試合開始


ゴングが鳴る。


「国家統制!」ジェンティーレの放つ黒い炎が、アーレントに襲いかかる。


しかし───


「公共空間・展開」


アーレントの周りに、人々の対話と活動の光が広がっていく。黒い炎は、その光の中で、まるで溶けていくように消えていった。


「な...何!?」


「何をした!?」ジェンティーレが声を荒げる。


「人々は対話し、活動し、共に在る」アーレントの声が静かに響く。「それこそが、人間の本質なのです」


「愚かな!」ジェンティーレが両手を広げる。「実際的観念論・強制!」


現実そのものが歪み始める。空間が黒く染まり、個人の意志が押し潰されていく。


「見よ!これこそが真実だ。個人など、国家意志の前では...」


「人間は、決して一人ではない」アーレントの周りで、光がより強く輝き始める。「私たちは常に『他者』と共にある」


「複数性の光」


無数の対話と行為が、光となって現れる。黒い空間に、人々の営みが次々と灯されていく。


「くっ...」ジェンティーレが後じさる。「だが、全体国家の力の前では...!」


「国家絶対・全意志!」


威圧的な力が渦巻く。しかし───


決着


「この私が...このような愚かな...!」ジェンティーレの目が狂気を帯びる。


「見せてやる。お前のような弱者が何を...」


「皆さんにもわかっていただこう!」突如、観客に向かって叫ぶ。「個人の意志など無意味だということを!」


「やめなさい」アーレントの声に警告が込められる。


しかしジェンティーレは聞く耳を持たない。「哀れな大衆も道具として使わせていただく!全体国家の栄光のために!」


【国家の意志よ、個を打ち砕き全てを統制し、自由を否定せよ今こそ示せ、全体国家の真実を!】「究極奥義・ファシズム!」


闘技場全体が黒い渦に飲み込まれていく。観客席からも悲鳴が上がる。個人の意志が、強制的に国家意志へと溶解させられていく。


「愚かな大衆ども!これこそが秩序だ!」ジェンティーレが高笑いを上げる。「見たか!これこそが...」


しかし、その声が途切れる。アーレントの瞳に、これまでにない光が宿っていた。


「あなたは───」その声は、氷のように冷たく。「人々を、道具だと?」


場内の空気が凍りつく。


「赦されない」


「奥義・人間の条件!」


詠唱なき、一瞬の閃光。


全ての黒い渦が消え失せ、ジェンティーレの姿が跪いていた。


「ば、馬鹿な...詠唱すら...詠唱もない技で、この私が...」


アーレントは静かに告げる。「人間は生まれながらにして、新しい始まりとなる可能性を持っている」


「私は...私は全体国家の...」ジェンティーレが悲鳴を上げる。


「そして、人は他者と共にいることでこそ、人間たりうるのです」アーレントの声には慈しみさえ込められていた。「あなたはそれを否定しようとした」


「こんな...こんな力が...」倒れながらジェンティーレが呟く。「全体主義の前に...バカな...」


実況:「決着!勝者、ハンナ・アーレント!」


立ち去り際、アーレントの背中には、より強大な敵との決戦を予感させる威厳が漂っていた。



大型ビジョンの映像が静かに点灯する。


暗いポール・ロワイヤルの一室。蝋燭の明かりだけが、祈りに沈む痩身の男を照らしている。


松葉杖に寄りかかりながら、男は呟く。「理性は無力だ。人間の営みの大半は、理性以外の何かに従っている」


蝋燭の炎を見つめたまま、彼は続ける。「神を証明することはできない。だからこそ、賭けなのだ」「今宵、私は人間の実存の力を示そう」


場面は変わり、アムステルダムの明るい工房。レンズを丹念に磨きながら、彼は語る。「混乱した感情など、幻想に過ぎない」


窓から差し込む光を、磨き上げたレンズにかざしつつ「全ては必然の法則に従う。神即自然、それが真理だ」「お前の『賭け』とやらも、自然の必然の一部でしかない」


二つのインタビューが交差する「人間は考える葦。弱さの自覚こそが、強さとなる」「理性による認識のみが、真の自由をもたらす」

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