7-3 引き上げられた真相

 七夏子は、宇田の吐露する告白をじっと聞いていた。そして聞き終わってから、まっすぐに宇田を見つめ言った。

「一ついいか。あんたと希久子は、ただの仲の良い同僚だったんだな?」

「そうですよ」

「じゃあ、合鍵はどこから手に入れた?」

「え?」

「合鍵だよ。彼女のマンションに入ったんだろう? 合鍵は、どうやって手に入れたんだ」

「それ、は」


 宇田は身じろぐ。だがすぐに、微笑む。にっこりと、白い歯を見せて。

「もらったんです、彼女から。何かあったときのために、よろしくって」

「……そうか」


 七夏子はサキに目配せをした。サキは頷き、肩に下げていたバッグからタブレットを取り出した。

「宇田、もう一つ聞いてほしいことがある」

「なんですか、俺はもう何も話すことなんて」

「いや、ただ聞いてほしいだけだ。……更目さん、いいか」


 タブレットに映されたのは、通信アプリ。画面いっぱいに表示されていたのは、どこかの事務所を背景にした、更目の姿だった。

「はい、どうぞ」

「あなたは」

画面に映った更目の姿を見て、宇田が目を見開く。

「あなたは、あの時、狩野と一緒に居た」

「更目さん」

七夏子が言った。

「あんたは知っているんだろう。狩野 巡流が沼に沈めたものは、なんだった?」

「……あの方は」

「何をくだらないことを聞いているんだ」

宇田は叫んだ。

「愛するものと静かに暮らしたいって。それはつまり、彼女を――希久子を沼に」

更目は、まるでスピーチの為に用意された原稿を読み上げるように、はっきりとした声で言った。

「巡流さまが人生で最初に開店したバーの、開店祝い。その後も巡流さまが世界を旅され、様々な業者と地道に信頼関係を築き上げ手に入れた、稀少な――


 宇田は口を半開きにしたまま、声をあげた。

「……は? 何を、言っているんだ」

画面の中の更目は、まっすぐにこちらを見つめ、言葉を続ける。

「分からない人には価値が分からないもの。けれど、分かる人に鑑定されれば途方もない値がつくものが、巡流さまの手元には沢山ありました。……おまけに巡流さまは生前の行いのせいで、遺産相続がひどく複雑になっていた。6回の再婚、7人のお子さま……。大事なお酒が、事務的に二束三文で売られるかもしれない。あるいは、お酒の価値なんて分からない、カネだけが目当ての人間の手に渡るかもしれない。もしくは酒をめぐって、親族の間で争いが起きるかもしれない……。どう転んでも、きっと争いの元になる。……巡流さまはずっと悩まれ、そして――一度沈めたら二度と浮かばない沼に、大事なお酒を沈めることにした。私は、巡流さまのお世話をするうち……」

更目は少し躊躇うように間を空け、だがすぐにいつもの冷淡な眼差しを取り戻し、言葉を続けた。

「私は、巡流さまがありとあらゆる店にしまっていたお酒の瓶を家に集めていることに気づいてしまいました。それで分かってしまった。巡流さまはご自身が倒れたことをきっかけに、『集めたお酒をどうするか』その行く末について考えた。そして、どうあがいても争いの種にしかならないあのお酒を、その墓場としてあの沼を作ったということ。だからあの日は――それは勿体ないし貴方の本当のお望みではないのだから……価値の分かる方の手に渡るよう私が努力いたしますから、どうにか考え直してほしい、と……申し上げに行ったのです」

「嘘、だ」

「本当です」

「だって、あの沼にそんなものを隠したところで、何も――」

「巡流さまはご自身の遺体も、沼に沈めるよう遺言を残していた。残念ながらご遺族の意向でそれは適いませんでしたが。大好きなお酒と共に深く、誰にも邪魔されず眠る――巡流さまはあの沼を、ご自身の墓場にしたかったのだと思います」

「やめろ。じゃあ、じゃあ――」


 宇田は膝を折った。

「希久子は、彼女は――どこに居るっていうんだ!」


 「それは、あんたがよく知ってるんじゃないか」

七夏子が静かに言った。

「え?」

膝を折ったまま、宇田が顔をあげる。

「分かる訳、ないだろう。だって希久子は、あの男に――狩野 巡流の手で行方不明に」

「あたしたちも、何の準備もせずに来たわけじゃない。……原本 希久子の友人に聞いたよ。あの子は姿を消す前——狩野 巡流への想いを諦めるって言ってたそうだ」

「おもいを、諦める……?」

「尊敬と憧れを、恋心と勘違いしてた。それに気づいたから諦めるんだって。……周りにそう言ってた。あんたのところにも、そうやって電話してきたんじゃないのか」

「彼女、は――」


――もしもし、宇田くんあのね。

――宇田くんはいっつも私を支えてくれていたね。ありがとう。

――本当に、今までありがとう。


――私ね、理解できたの。んだって。


 宇田の目が揺らぐ。固い意志に亀裂がひび割れ、唇が戦慄く。

「じゃあ、じゃあ彼女は……」

七夏子は声に感情をこめず、宇田に語り掛けた。

「あんたが、よく知ってるんじゃないか」


 七夏子は静かに言葉を紡ぐ。

「今年の5月。栄畏羊市の南区。……栄畏羊神社に向かう峠の、ガソリンスタンド」

「え……?」

「ツテを辿って、防犯カメラの映像を見せてもらったよ。……レンタカーに乗ったあんたが、映ってた」

「俺、は……そんなところ、行ってない」

そんなところ、行ってない。

行ってない。

行ってなんかない。


 繰り返していく言葉が、震えていく。音が言葉にならない。宇田の全身が、ぶるぶると震えている。


 七夏子は静かに言った。

「宇田。あんたは幼い頃、この栄畏羊に住んでいた事がある」

「……」

「だから、昔からこの土地で言われている言い伝え、知ってるだろう?」

七夏子ははっきりと言った。

。危ないからだ。色々と伝承に尾ひれはついているが、要するに子どもたちを遠ざけるための言い伝えだ。なぜなら、」

「し、知らない……」

「祠の裏は、高低差で見えづらいが崖になっていて」

「……行ってない……」

「崖の下には」

「俺は、行って……ない……」

「そこには、からだ」

「あ、ぁ……」

宇田の瞳に、はっきりと亀裂が差し込む。


 七夏子が言った。

「あんた、原本 希久子を殺したね?」


――希久子さん。

――あの男の事、諦めたんだろう。

――なら、俺が希久子さんの恋人になれるってことだ。

――希久子さん、俺にしてくれ。

――ずっと貴女を見てきたんだ。


 「そしてあんたは、殺した彼女を沼に沈めた。あんたが幼いころ世話になっていた祖父母の家から遠くない、南の祠の裏にある沼にだ。狩野 巡流が作った沼じゃない。この土地にずっと古くからあった、沼の方にだ」


 宇田の目が揺らぐ。


 沼に沈んでいく希久子。

 伸びた手は、まるで沼の底から水面のきらきらを掴むように。

 希久子が沈んでいく映像が、目に浮かぶようだ――違う。これは


――実際にこの目で見た景色だ。


 宇田は絶叫した。身体をくの字に軋ませ、悶える。

「あ、あぁ……ちがう、あっ……ちがう、ちがう……彼女は、あいつが沼に……俺は、あっ……違う」

「宇田」

七夏子が言った。

「昨日。その南の祠の沼から。……皮肉な話だが、からな」

「じゃ、じゃあ……彼女の遺体は……狩野 巡流の沼には無かった……?」

「あんたが振りまいてきた呪いは、彼女の無念の代弁なんかじゃない。無念の恨みをこの世に残すためなんて正当な理由なんて、無い。あんたがただ、沼に沈んだ負の感情を、その呪いをまき散らしてただけだったんだよ」


 宇田が顔を覆う。

 そして膝をつき、叫んだ。


 その時だった。


 宇田の背後の窓が外から開錠され、素早く開いた。そして、黒い影がするりと部屋の中に入り込み、

「ぐぁッ」

宇田の頸椎に、赤い札を貼りつけた。ぐら、と揺れた宇田の身体を、札を貼った男――夢佑が支え、さらに窓から入り込んだリンが、ところどころに漢字が書きこまれた縄で手早く宇田の手足を拘束した。


 「すみませんッ、思ったより回り込むのに時間がかかりましたッ」

夢佑が言い、

「いいんだよ。……宇田に自覚させるには丁度いい時間だった」

七夏子が応じる。サキがへろへろと床に膝をついた。

「い、一件落着ぅ」

「サキ、もう外出な。吐きそうだろ」

「はいぃ」

ふらふらしているサキに、蒼次郎が肩を貸し、二人は玄関へ向かっていった。


 サキから受け取ったタブレットに目を落とし、七夏子は画面の中の更目に向かって言った。

「更目さんも、ありがとう。助かったよ」

「……」

「更目さん?」

「あ、いいえ。……お役に立てたなら、……何よりです。私にできることが……終わったなら」

更目はそう言って、目を伏せた。



<続>

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