5-2 かつて、ボクは神だった
ボクの人生は、どこかからおかしくなっていた。
小学生まではよかった。ボクは、クラスの神だった。
ボクの言うことは、すべてが正しかった。ボクは頭もよくて、成績もよかった。クラスで一番早く九九を覚えたし、運動だってできた。
大抵の物事で、ボクの思い通りにならないものはなかった。
例えば運動会の徒競走。ボクは、ボクよりも足の速い奴の耳元でこう囁くだけでよかった。
「なあ、お前転ぶよな?」
そうすると相手は怪訝そうにする。だからもう一度言ってやる。
「お前、ゴール前で転ぶよな?」
そうすると。ボクのライバルは、ゴール前で無様に転ぶ。ボクはその脇を俊足で走り去り、ゴールを手に入れる。
努力したものが報われるなんて、愚民をうまくコントロールするための詭弁だ。世の中で勝者になるためには、一体どうやってコントロールしてあげる側になるか、それが大事なんだ。
勿論、ボクはクラスメイトをコントロールしてあげる側だった。なんならクラスメイトだけでなく、担任の先生だってボクには逆らえなかった。
人は権力の前には脆いのだということを、ボクは物心ついた時から理解していた。
とはいえ、何故皆がボクに気を使うのか。その理由の詳細を知ったのは、小学5年生ぐらいだったけれど。
要するにボクの父は地元の街では名の知れた名家の出身で、しかも地元の経済を支えている会社の社長だった。父で何代目になるかはよく知らないけれど、店の屋号自体は戦前から受け継がれていたらしい。
父の機嫌を一つ損ねるだけで、子会社や下請け、その取引先なんて簡単に潰せる。
だからボクの機嫌を損ねないほうがいいし、ボクの機嫌をとったものが優位に立てるというのは世の中におけるよくできたシステムだった。
ただまあ、別に父の権威だけでのし上がるほどボクも馬鹿じゃない。ボクは元々の頭を良さを生かし、受験戦争を勝ち抜き、良い大学に入り、そして誰もが羨む企業……に関連の深い会社に入社した。
まあ、この会社には「入ってやった」という方が表現としては正しい。ボクのような人間が入社してあげる方が、会社の為になるだろう。ここで力をつけたら、そのうち、次はもっと良い会社に転職する。そういうビジョンが、ボクには描かれていた。
とはいえ、まあ仕方なく選んだ会社とはいえ、手を抜くつもりは無い。入社した会社でも、ボクは愚民をコントロールする側として、頭角を現す予定だった。
なのに。
入社して半年ほど。今後展開していく企画のプレゼンで対立した同僚が言った。
「お前なんか、コネ入社なのにな」
「は? どういうことだ」
「人事の山下さんから聞いてるんだよ。お前の父親が、お前の為に便宜を図ったってな。ホントはお前みたいな奴、面接の段階で即落とすことが決まってたけど、人事に上から圧がかかったんだってさ。息子を入社させないと取引を打ち切るし、業界でも不利な噂を流すぞ、って」
「う、うそだ」
不幸、というのは重なる。
ボクはその後、立て続けにミス――いや、あれは同僚からの連絡が上手く行き届いていなかったのが悪い。
不幸な出来事が重なり、ボクの会社での立場は前よりも何故か居心地の悪いものになっていた。
さらに、不幸は続く。
会社見学として会社に訪れてきた、大学の後輩の女と、ボクは関係を持った。とはいえ、お互いに遊びのつもりだった。それに、ボクのような人間にコネを作れて、今後の人生をコントロールしてもらえる彼女のメリットを思うと、むしろ彼女の為にしたことだと言える。
しかし女の方のヒステリーで、それが会社にバレたのだ。お互いに遊びだという言葉の意味の本質を理解していなかったあのバカのせいで。
そして結果的に、このタイミングが本当に良くなかった。
ある時、友人たちとのギャンブルに負けてボクの手元にはカネが全く無くなってしまった。仕方がない。生活費は基本的に実家から振り込みがあったけれど、遊ぶカネが無くては社会を生きられない。
ボクは数年ぶりに実家に帰った。
すると、実家の雰囲気が一変していた。
外から見ただけでは、特に何か変わった様子はない。けれど、家の中は不思議と、掃除が行き届いていなかったり、物が出しっぱなしになったりしていた。一体、掃除人は何をやっているんだろう。
けれどそんな疑問は、リビングで嘆く母と黙って酒を飲み続ける父、そして激昂する兄の前ではどうでもいいことだった。
「何、一体どうしたっていうの」
「う、うぅ」
母は嘆き、そしてヒステリックに何かを叫び、そしてまた嘆く。このループを繰り返し続けていた。
「お前には関係の無い事だ」
兄が突き放すように言った。その時の兄の顔は、辛辣を超えて全くボクに対して期待していない、そんな無の表情だった。屈辱だ。ボクは言い返した。
「一体なんなんだ。ボクにだって知る権利がある」
「知る権利? 家の事に関心なんて無かったくせに今更何を言うんだ」
兄に怒鳴られ、ボクはまったく訳が分からなかった。
だがそれから。長くボクたちの家に仕えた使用人——父の秘書が、父の部屋の書類を整理しながら教えてくれた。
曰く、何代も続いてきて安泰しかないと思われていた父の事業が、破綻したのだと。新進気鋭のベンチャー企業によって、あっという間に上位互換の製品を安く作られ、ルートを開拓された。
「これまでと同じように」ということしか念頭に置かず、会社の経営自体に能動的に手を付けず、下から上がってくる報告を鵜呑みにしていた父は、『今、何が起こり始めているか』という実態を一切知らなかった。
そして父が会社の異変に気付いた時にはもう手遅れ。新規の顧客どころか古くからの得意先の殆どをベンチャー企業に奪われていた。このままでは会社は、どんなに良くても、『できるだけ負債を減らしての廃業』が精一杯なのだという。だがその見通しも厳しいらしい。
「うそ、だ……」
「本当ですよ」
父の秘書は笑った。
「では、失礼いたします」
「ま、まって」
ボクは彼を追いすがった。リビングで嘆く母の声。ボクは廊下で叫んだ。
「ボ、ボクはどうしたらいいんだ? 誰がボクに金をくれるんだ」
「さあ?」
秘書は書類をまとめた鞄を持ち、
「お世話になりました、社長」
実家を出て行った。父は酒を飲むばかりだった。ボクは家族に向かって言った。
「会社での立場が危ういんだ。なんとかしてよ、父さん」
「……」
「会社見学で入ってきた女にも、言い寄られてるんだ。女の家族がうるさい奴らでさ。ただ交際を断って振っただけなのに、慰謝料なんて大げさなんだよ」
「……」
「ねえ、しかもこんな時に限ってツイてなくて、友達と競馬で負けてさ。あ、深刻な借金じゃないよ。ただ友達同士の貸し借りで。でも、もう金が無いんだ」
「……」
「父さん、ねえ父さん。何とかしてよ、助けて」
ばりん。
何の音か分からない音だった。目の前の光景で、何が起こっているのか分からなかった。やがて、父が手にしていたグラスを床に叩きつけた音なのだと気づいた。
そんなこと、したことないのに。
父は言った。
「もう、助けられるわけないだろう」
ボクは。
それからどうにかマンションに帰った。それからしばらくして、ボクは無理難題としか言えない仕事を押し付けられ、人事から「退職の勧告」を受けた。ここで退職を飲めば、大学の後輩の女とのことは何とかしてやるから、と言われた。
ボクは、このボクが退職を進められたことよりも。
人事からの話し合いの場が、いつものような応接室ではなかったこと。使ってない埃っぽい会議室に呼び出されたこと。そして何より人事の男がボクのことを、「水田さん」ではなく、「水田」と呼び捨てにした事。
それがたまらなく、イヤだった。
それからボクは会社を辞めた。
そしてマンションも引き払い、友達のツテを頼って今のアパートに引っ越した。別の友達に紹介してもらったバイトも、どうやらしないとお金が貰えないようだから、続けている。
何もかも、イヤだった。
一体なんでこんなことになったのか、分からない。
ボクは神だったのに。
あんなにも神だったのに。
ボクが何もかもをコントロールする側だったのに。
一体何故?
でも。
本物の神はボクを見放さなかった。いや、ボクこそが神だから、運命はボクに傾くようにできているんだ。
ボクは窓の外から、沼を見下ろす。
愚かな人間を導く、ボクという存在。このアパートに暮らすハメになったのも、きっとお告げの一つなのだろう。
つまり、「愚かで気の毒な人々を、ボクが救済してあげなければならない」という。そのための試練なんだ。
ボクは窓枠に肘をついたまま、頷く。
いいだろう。気の毒な彼らを救済する為、ボクは知恵を絞ろう。家でただ酒を飲んだり、動画を見ているよりその方が全然楽しい。
沼に関する次の策はもう考えてある。
きっとこの方法は誰も思いつかない。これで、ボクはさらに迷える人たちを救ってあげるんだから。
<続>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます