青と少年
ことりいしの
プロローグ
この物語について
私は都内にある弦悠社という出版社に勤める、ただの会社員です。
うちの出版社は主に週刊誌やムック本などを手掛けています。その関係もあってか、社員は編集者ではなく、記者やライターのような業務をしています。勤めている社員も――総務部や経理部などの方々を除けば――みんな、自らを記者と称します。何せ思いつく仕事といえば、取材や執筆ですから。
かくいう私も、雑誌第三編集部という、いかにも「雑誌を編集する仕事をしています」といった名前の部署に所属はしておりますが、その実、毎日している仕事といえば、ネットコラム記事の量産です。
そういった仕事の一環として、ある日、上司から「K市マンション女性殺害事件」について記事にしてみないかと言われました。
記憶にある方も、多くいらっしゃるかもしれません。
2022年2月、埼玉県K市のマンションの一室で女性が殺された事件のことです。殺されたのは、夫をはやくに亡くした42歳の未亡人。部屋に鍵はかかっておらず、殺された翌日に回覧板をまわしにきた近隣住民によって発見されました。
同じ頃、同県においては在留外国人による犯罪が増加傾向にあったこともあり、各報道機関はその可能性を指摘していました。さらには捜査は難航するかも、とも言われていました。事件が発生したのが夜中であったことや、現場が閑静な住宅街ということもあって、目撃者が望めないということが理由だったのだと思われます。
ですが、事件から数日後、それは覆されました。
容疑者として逮捕されたのが、被害者の一人息子だったからです。
逮捕時、容疑者は16歳11か月でした。つまり、法的には少年ということになります。よって報道規制が掛けられ、彼は少年Aとなりました。同時に被害者の名前にも報道規制が掛けられ――容疑者が息子であるということから、被害者の名前から容疑者が判明してしまうため――、被害者Bとなりました。その後の発表によると、少年Aはおおむね罪を認め、少年院送致という措置が取られたといいます。彼は今も、少年院にいるのでしょう。
実子が親を殺すという非常にセンセーショナルな事件であったものの――容疑者が少年ということや、法的措置が淡々ととられたことなどの理由があってか――、事件に対する世間の関心は風化しました。ですが、ふと気が付いたことがありました。
事件を起こした動機が、どこにも書かれていないのです。
新聞にも雑誌にもネット記事にも、どこにも書いてありません。書いてあるのは、事件が起こったという事実だけ。彼が少年院にいくことになったということだけ。
果たして、少年犯罪の場合、動機は報道されないのかと気になり、「少年犯罪 事件 ニュース」などのワードを入れて、検索エンジンで調べてみると、「ノリでやった」や「遊びだった」、「悪口を言われてイラっとしたから」などそれぞれの動機が語られていました。ということは、この事件だけが特異であるということです。
私に記事を書いてみないかと言った上司は、「この事件を取り扱ってみたら」と口にしただけで、「こういうことを書きなさい」とは言いませんでした。自分で考えろということなんでしょう。
――だから私は、「少年Aが実母を殺した理由について」の記事を書こうと思いました。
取材は順調にいきました。
2年前の事件ということもあって、関係者の間で記憶は風化してしまっているかと危惧していましたが、そうでもありませんでした。関係者の方々は、程度の差はあれど、よく少年Aのことを憶えていました。証言してくれました。いろんな話を聞かせてくれました。
でも順調に行ったからこそ、迷っています。
私はおそらく、彼が事件を起こした理由の核心に迫ったのだと思います。
ですが記者として、ひいては人間として、これを文字にして、文章にして、記事にして、それで全世界に公開して良いのか、わからないのです。
記事はおおよそ「これはこういうことでした」と断言するものです。「こういう事件が起きました。こういうことが理由です。こういうことは悪いことですよ。しないように気を付けましょうね」といった風に書くこともあります。それがテンプレートなんです。
ですが、私はこの事件が発生した理由を、断言して良いものかわかりません。
わからないのです。
これを書いてしまえば、彼の名誉を傷つけることとなってしまうでしょう。
彼がずっと抱えていたものを、赤の他人である私が曝け出してしまうことになってしまうでしょう。
ですが同時に、こういう少年少女が世界にいるということは、日本にいるということは、誰かに伝えなくてはいけないと思いました。文字にしなくてはいけないと思いました。それが、こういった少年少女の一助になるかもしれないと希望を見出しているからです。
でもそのメッセージを伝えるには、この事件をトピックにするのは適していないような気がしました。あまりにも「K市マンション女性殺害事件」が全国区の事件になりすぎていたからです。事件当時、この事件は全国紙や全国区のニュース番組で放映されていました。多くの人がご存じなのも、無理もありません。
悩んだ結果、私は小説というかたちをとることにしました。小説と言ってしまえば、いざというとき、「これはフィクションだから」という逃げることができますから。さらに記事にしないのであれば、多くのことを伏字や改変することが可能です。少年Aのプライバシーを守ることができる――ひいては、彼の名誉を守ることができる。そんな風に思いました。
そして、それからもうひとつ。
私はこの事件を調べていて、気をつけなくてはならないと気づいたことがあります。
それは「誰かを書く/語る」ということへの責任です。
これは私が記者という仕事をしているゆえ、かもしれません。実際問題として、一般的な日常生活を送っている場合、「誰かを書く」機会なんてそうそう来ないでしょう。
だから半ば戒めとしての意味があります。これから記者という仕事を続けていく私が、未来の私にあてたひどく個人的な戒めと警鐘です。
私はこの事件を調べていく中で――この事件が現在進行形で捜査が進んでいるものではなく、過去に起こり、そしてすでに法的措置はほぼすべて終わっているため――、過去に他人が取材した記録を多く確認しました。
新聞記事や、紙で印刷された雑誌記事。
デジタルリリースされたWEB版雑誌記事。
WEBコラム。
テレビ番組。
そしてYouTubeなどに掲載されている動画。
実に様々な媒体のものです。
無論、それらはすべて、記者やテレビマン、動画クリエイターという自分でない誰かのフィルターを通して作られた「真実」です。あれらが流す情報というのは、事実でありながら、同時に事実だけが含まれているわけではありません。都合よく切り取られ、つぎはぎに貼り付けられたものでしかありません。つまり、どこかに捻じ曲げられた事実が含まれている、ということになります。
捻じ曲がらない報道というのは、おそらくあり得ないのでしょう。
私もできる自信が、まるでありません。
ですが、もし私たちが「誰か」を書いているのであれば、その本題である「誰か」に対して誠実な立場をとらねばならないと思っています。それがたとえ犯罪者であろうとも、もっと大げさなことをいえば世界を滅ぼしてしまうような存在であっても。何が言いたいかと言えば、「こう書きたい/報道したい」と思うがゆえに、事件を報道する側の人間が嘘をついてはいけないということです。正直に言えば、私もやってしまいたいと思うことがあります。
「ここでこの人が、こういう風に言ってくれれば記事が綺麗にまとまるのに」
そう思ったことは、一度や二度ではありません。
ですが、人の証言などを改変されることは、本来、あってはならないことです。
取材上のミスであれば、仕方ないかもしれません。
ですが、それが仮に故意であった場合はどうでしょうか?
読者や視聴者、そして私たちが報道している中心にいる「誰か」にも不誠実なことであると思います。私たちはペン(まあ、書いているのはパソコンですが)で誰かのことを、勇者にも魔王にもできる。できてしまう。それを忘れないようにしたいのです。
だからこそ、その報道の歪みについても忘れないため、【資料】という名前で取材の資料をあげています。これは実際、私が取材をする上で参考にしたものです。もちろん、これがすべてではありませんが、特筆して必要だと考えたものをあげることにしました。
以上、二点のことを踏まえて、私は仕事とは別件でこの物語を書くこととしました。
世の中ではこのようなかたちの物語を、モキュメンタリーと言うそうです。なんでも昔から映画などでよく使われた手法だとか。私はあまり映画に詳しくないので、最近話題にあがっている書籍や動画などを参考にしながら書くことにしました。見様見真似であることは、どうかお許しください。
それから最後にひとつ、お断りをさせていただきます。
上述の経緯の関係上、【資料】として提示しているものや、物語に登場する名前はすべて仮名にしております。私の判断により、一部に地名等も改変を行うか、伏せております。なお、これまで語った経緯の中においても、地名等の固有名詞に一部、改変した内容が含まれています。
何卒、ご了承ください。
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