女神さまの落とし物~異世界で最強になるはずだった俺はなぜか女神の手伝いをすることになりました~

六山葵

プロローグ

第1話

最初に俺の話をしよう。

幼いころに両親を事故で亡くした俺は、兄弟もなく頼れる親戚もいなかったため養護施設で育った。


それなりに不自由はしたもののグレることもなく、地元で就職先を見つけてこの春に高校を卒業する……はずだった。


思い出せる最後の場面は俺めがけて突っ込んでくる大型のトラック。

あれに轢かれたのなら命はないだろう。


悔いはない。というよりも死んだ後の展開が俺に未練を無くさせた。


死んで初めて目を覚ました時、俺の目の前にいたのは背中に白い羽を生やしたおじさんだった。

場所は周囲を真っ白な霧に囲まれた河原である。


「私は天使です。あなたを迎えに来ました」


屈託のない笑顔でそういうおじさんに俺は拍子抜けした。何かのいたずらかと思ったが、ここに至るまでの経緯が彼の説明に真実味を持たせていた。


さらにおじさんは今いる場所が俗に言う「三途の川」であること。そして俺がもう死んでいることを伝える。


「それじゃあ行きましょうか」


おじさんはそう言うと俺の手を掴み引っ張る。向かう方向は川の向こうである。


「ちょ……ちょっと待ってくれ」


俺は慌ててその手を振り払った。川に入って濡れるのが嫌だったとかそんな理由じゃない。

ここがもしも本当に三途の川だというのならその川を渡ってはいけないはずだ。


抵抗を示す俺を見ておじさんは何かを悟ったようだった。そして残念そうな、申し訳なさそうな顔をする。


「あのぉ……この川を渡る渡らないであなたの生死は変わりませんよ?」


曰く、三途の川を渡るとその向こうは死者の世界で渡らなければ現世に帰って来れるという良く知られた話は正しくないらしい。


実際にはおじさんが最初に言ったようにこの河原で目を覚ました時点で現世での俺の死は確定しているらしい。


「現世ではもう既にあなたの火葬は始まっていますし、もし戻れたとしても肉体がありません。万が一帰れてもなれるのは精々地縛霊くらいですよ」


おじさんは時計を確認するように左腕を見た。その腕に時計はついていないがおじさんの目には何か見えているらしい。


「……じゃあ、やっぱりこの川を渡らないとだめなのか」


俺は目の前を流れる巨大な川を見て生唾を飲み込む。ここを渡ったら死んでしまう。つい先ほどそうではないと判明したばかりなのに心理的にそう思ってしまって覚悟が決まらない。正直言って怖かった。


「ん? 別に渡らなくてもいいですけど」


覚悟を決めようと深呼吸をする俺におじさんはあっけらかんとしてそう言った。


「は?」


思わず間抜けな声が俺から出る。


「どういうことだ? だってこっちにいても現世には帰れないんだろ?」


「現世には帰れませんが、世界は他にいくつでもありますから」


そう言っておじさんは俺の後ろを指さす。


振り返るとそこは一面を白い霧に覆われた大地。おそらく随分と広い。

そこにいったい何があるのかとよく目を凝らしてみると白い霧がところどころで途切れているのがわかる。


何か所かに見られるその亀裂はそのまままっすぐと奥までつながっていて霧の中にできた道のように見える。


「あの道を辿っていくとあなたのいた世界とは別の様々な世界へとつながっています。一つの世界で終わりを迎えた魂はこの場所に辿りつき、川を渡って天界で健やかに暮らすか他の世界で新たな生を受けるかを選べるのです」


おじさんはそう説明した。

この時点で俺の心はもう踊りだしていた。つい先ほどまで死んだことにショックを受けていたはずだったが俺の脳内にはとある一つの言葉が浮かんでいて、興奮で体を震わせていたのだ。


「そ……それってつまり『異世界転生』ってやつだよな? なんか特別なスキルとか魔法とかを貰って異世界で『俺強ええぇ!』とか『落ちこぼれ貴族からの成り上がり』とか『破滅フラグの回避』とかできるやつだよなぁ!」


あからさまにテンションの上がった俺を見ておじさんは少し驚いたようだ。そして少し俯いてため息をつく。


「あなたもですか……。最近なぜかあなたと同じ世界で死んだ方にこの話をすると不自然なくらいに目を輝かせるんですよね。なんでもあなたの世界ではラノベだかなんだか言う書物でこういう話が流行っているのだとか……。いったい誰が漏らしたんだ、まったく」


おじさんは半ば呆れた様子でそう言い、それから俺の言葉を肯定した。

異世界には確かに魔法が存在するという。そして前世でなんの悪事も働かず、天界に行く資格を有する者は女神から一つスキルを授かることもできるという。


「『俺強ええぇ!』とか『成り上がり』とか『破滅フラグ』っていうのが何かはわかりませんがきっとそう言うこともできますよ……でもね!」


おじさんは異世界についてある程度説明すると最後に俺に釘を刺す。


「いいですか、あなたはこのまま天界に行けるんですよ? これは決して簡単なことじゃない。大抵の人間は死ぬまでに大なり小なり悪事を犯していてここについてもその罪で強制的に異世界送りなんです。あなたが異世界に思い描くものが何なのか僕にはわかりませんけど、その世界にあるのはきっと楽しいことだけじゃない。苦労もあるだろうし、辛いことだってきっとある。天界にはそういったものはありません。悪いことは言いませんから天界でゆっくりした方がいいですよ」


おじさんは引き留めるようにそう言った。何かを企んでいるという風ではなく本当に俺のことを心配してくれているようだった。


でも、俺の思いは変わらない。

養護施設で育った俺にとって、ラノベは貴重な娯楽の一つだった。

その中でもっとも憧れたのが「異世界転生」だ。


それが本当のことではないとわかっていても生まれ変わった先で生き生きと活躍する主人公たちは輝いて見えた。


その異世界転生をまさか自分ができることになるなんて。

このチャンスを逃すわけにはいかない。


おじさんは俺が何も言わないのを見て、決意を固めていることに気づいたらしい。

もうそれ以上俺を引き留めるようなことは言わず、代わりに少し寂しそうに小さくため息を吐いた。


「わかりました。本来天界への案内をするのが僕の仕事ですが、それを拒む方を無理に連れていくことはできません。異世界への転生を希望するあなたにはその案内をさせていただきます」


おじさんはそう言って再び俺の後ろ霧の道を指さす。


「何も考えず、どれか一つの道を辿っていきなさい。この道はあなたの望む世界へとつながっています。そこでその世界の女神さまに会い、お好きなスキルを一つ貰うと言い。天界に行く資格のあるあなたにはスキルを授かる資格もありますから」


おじさんの言葉に俺は頷く。そして振り返り、歩き出した。


数歩進んで、俺は振り向く。

おじさんはまだそこにいて、俺のことを見送っていた。


「あの……こんなこと言うの変かもしれないスけど、嬉しかったです。真剣に引き留めてくれて、なんか心配される感じが昔の両親を思い出しました。……ありがとう、行ってきます」


なぜだかそう伝えておきたかった。おじさんは何も言わなかったが優しい表情で手を振ってくれた。



少しずつ遠ざかっていく少年の背中を天使は見つめていた。

その瞳から一滴の涙が零れ落ちる。


「彼に見られなくてよかった」と天使は思った。

本当は彼を一目見た時から涙が溢れだしそうだったのだ。


「あの子は昔から変わらないよ。好奇心旺盛で、自分で決めたことにはゆるぎない信念がある」


少年の背中を見つめ続けながら話しかけるように天使は語った。


「これで僕の役目は終わりだ。あとは二人の帰りを天界でゆっくり待つとしよう」


少年には知る由もない天使の涙はとても温かいものだった。



霧の道を抜けると真っ白い建物が建っていた。

ここが死後の世界だというのを俺はもう疑っていないが、その建物はまるで現世の市役所のようである。


内部の造りも良く見慣れたそれで、職員らしき人たちまでいる。

不思議なのは全員がそわそわとしていて酷く忙しそうなことだった。


「ああ! その資料はこっちに……。お前は早くあの人を探せ!」


「違う! それはこうしろって言っただろ!」


怒号にも似た職員の声が飛び交い、見るからに対応に追われているといった様子だ。

ただ、客は見た限り俺以外にはいないようで何に忙しくしているのかはよくわからなかった。


「受付」と書かれた窓口まで行くとそこに座る職員と目が合った。新人ぽい若い女性だ。

彼女は「マジか」とでも言うように目を大きく見開き、それから取り繕った声で


「番号札をお取りになってお待ちください」


と言った。そしてそそくさと姿を消してしまう。

仕方がないので言われた通りに番号札を取ると「一番」と書かれていた。


この役所じみた場所のシステムが現世と同じならば、今日一日を通してここを訪ねたのは俺だけということになる。


一体何がそんなに忙しいのだろうか。

疑問に思いつつ、待合室の椅子に腰かける。


先ほどまでいた河原と違いここはやけに現実味があって少し落ち着く。

最初にここで目を覚ましていたらきっと自分が死んだとは思わないだろう。


辛うじて死後の世界感があるとすれば職員が全員背中に小さい羽を生やしていることくらいだろうか。


椅子に座ってしばらく待つ。一番なのだからすぐに呼ばれるかと思ったが体感で十分待ち、二十分待っても呼ばれることはなかった。


これが現世であればスマホでも見て時間をつぶすのだが、生憎今の俺はスマホどころか何も持っていない。


服装は死んだときのままになっているが、持ち物は持ってこれない仕組みのようだ。


何もない状態で待ち続けるというのは案外退屈で三十分ほど経ったところで限界が来た。

とはいえ忙しそうにしている職員に声をかけるのは少し気が引けたので施設内を散歩することにした。


まだしばらく呼ばれる気配はないし、来訪者は俺一人。少しくらいうろついても問題ないだろう。


待合室を抜けて廊下を進む。施設には窓が付いているがそこから見えるのは例の霧の景色だけで面白味はない。


廊下の奥の方に進むとだんだん埃臭くなっていく。「死後の世界でも埃って溜まるのか?」と少し疑問に持ちつつ歩いていると、何かが崩れるような大きな音がした。


音の方向に目をやると廊下の奥に両開き扉があった。音はその向こうからしたらしい。

結構大きな音だったが忙しく働きまわっているせいで職員たちは気づかなかったらしい。

誰も様子を見に来る気配がないので代わりに音の正体を確かめることにした。


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