デッサンモデル
如月紫苑
1
親友が昔、俺に訊いてきたのを覚えている。
「普通って、なんだ?」
その時は答えられなかった。
雨の日で彼は泣きながら頭を振っていた。一緒に座っていた公園のベンチの冷たさは今でもよく思い出す。夕暮れで周りには誰もいなかった。
「彼女、俺が『普通』過ぎるって言ったんだ。普通って、悪い事なのか?」
「俺からしたらお前のその普通の温かさや優しさが心地良いよ。それを周りに感じさせるお前は魅力的だろ」という台詞は言える訳がなかった。
「それじゃあ、俺は普通じゃなくなるまで頑張るしかないじゃないか。普通なんて……嫌いだ」
親友だからこそ、絶対に超えてはならない線がある。この線を越えてしまえば「普通」の日々が壊れてしまう。なくなってしまう。
この日、俺は改めてこのくっきりと刻まれている線を意識してしまったのだ。
あれから四年。今でも俺はこの会話を時々反芻している。
――――普通でいたい俺じゃ駄目なのか
◇
陽平。両親が俺に付けた名前だ。暖かで平穏な毎日が過ごせますように、と願ってくれていたらしい。一生懸命その通りに生きようとしてきた。それでも人生はどこかでひん曲がりまくった意地の悪い道を捻り出してくるものだ。
「ねぇねぇ、お兄さん! バイトする気ない?」
秋も半ばのとある土曜日の昼間。俺は小腹が空いて近場の大きな公園の端の方へと向かっていた。週末は色んなキッチンカーが来ていてお目当てのケバブは天気が良ければほぼ毎週食べに来ている。ケバブは毎週池の奥の方にいて、それを食べながら公園で本を読んだりゲームをしたりするのが好きだ。大学が遠い事もあってあまり学友とは遊んでいない。電車は人混みがあるし乗るのが面倒でもある。静かに時間を過ごすのが好きだ。もっともそれが建前で、もしかしたら俺は人に近付くのが怖いだけなのかも知れない。
正直に言うと、その男の人はとても怪しかった。髪が上半分金髪で襟足の方は黒い。耳にはピアスが幾つも開いていて軟骨の上の方には棒のピアスも通っている。聞いた事はある。なんと言ったのだろうか、インダストリアルピアス? 大きい指輪もネックレスもシルバーだ。少し怖い雰囲気の人である。真っ赤なシャツを着ていて緩めのダメージ系のジーパンにはチェーンが光っている。足元はゴツイ黒のブーツだ。凛とした雰囲気の顔をしているが、他のパーツや格好が派手過ぎて顔に目がいかない。
「いえ、結構です」
そのまま速足で通り過ぎようとするのを少し慌てた雰囲気で彼がまた僕の前に回り込んでくる。
「いや、別に怪しいバイトじゃないから!」
「結構です!」
「いや、そこを何とか頼みたい! 君みたいな子って意外と見付からないんだよ。これって絶対に運命だと思うんだよ」
「随分と簡単にそこら辺に落ちている運命ですね」
「君って意外と辛口だね。でもそれもいい感じ。ちょっとだけでも話聞いて行かない? 聞いた後に断っても良いから!」
「知らない人には付いて行っちゃ駄目だと子供でも知っていますよ」
「一度その古い認識を捨ててみて冒険してみたら、思いの外楽しい事があるかもよ?」
「生憎昔ながらの法則や決め事を大切にする主義ですので、お断りいたします」
「話だけでもお願い! 十分! んじゃ、五分! 俺、マジで君を待っていた気がするんだよ! もう、絶対に、君がいい!」
「ではもっと待っていてください。きっともっといい人が現れますよ」
半分走るような速足で逃げる。公園の出入り口に到達するとちらっと後ろを確認する。彼を置いてきた辺りで彼はポケットに両手を突っ込んでずっと俺を見ていたらしい。目が合うと嬉しそうな笑顔で右手を大きく振る。
「……怖ぇ。新手の勧誘か?」
見なかった振りをして急いで帰路に着く。
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デッサンモデル 如月紫苑 @kisaragishion
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