美醜逆転世界で魔王に至る

ルピナス・ルーナーガイスト

一章 美醜の逆転した世界

第1話

 美と醜、それは、ヒトに言い知れない快と不快をもたらす――。



   ◇◇◇



 ある日、一人の青年がヘルムの街の冒険者ギルドを訪れた。

 黒髪黒目の、凹凸の少ない平たい、平凡な顔立ちの青年である。その平凡さはむしろ珍しいものだと言えただろう。

 ギルド内にたむろしていた冒険者たちは、彼を一瞥すると興味がなさそうに視線を逸らしてゆく。これが可愛らしい少女であれば男たちが声を掛けただろうし、見目麗しい男性であれば女たちが声を掛けたに違いない。

 彼はどちらの歯牙にもかからず、尚且つ不快にも思われない顔立ちであったらしい。

 彼はギルドの受付嬢がいるカウンターの方へと近づいてゆく。


「本日はどうされましたか?」

「えーっと、冒険者登録をしたくて」

「承知いたしました。それではこちらの用紙にご記入ください」

「は、はい……」


 彼は受付嬢がで差し出した用紙を、ドギマギしながら受け取った。


「ははっ、あいつ新入りかよ。デイジーちゃんの綺麗さにドギマギしてやがるぜ」

「ああ、あの美しさには驚かされるよな」

「あいつ、ちょうどデイジーちゃんのところが空いてたなんて運が良いな。だけど惚れるなよ? この冒険者ギルドの男を敵に回すぜぇ?」


 彼らの声が青年の耳へと届き、青年は苦笑を浮かべてしまう。チラリと視線を向ければ、デイジーちゃんなる受付嬢がで微笑みを浮かべている。


「は、はは……」


 青年は引き攣った笑みを浮かべると、用紙に集中した。


 ――名前は最上もがみさとる……、だけど名字があるのは貴族だけだし、悟は言いにくいらしいから、ストゥル、と……。


 それは〝彼女〟からされたアドバイスだ。


 ――使える技能……、これも一つか二つにしておけと言われたな……。初級木魔法、と……。だけど言葉が通じるだけじゃなくって、文字も読めるんだな……これが転移?転生特典か……。


 改めてその恩恵を感じながら、最上悟――ストゥルは用紙に記入を終えた。


「ではこれで」

「はい、承ります」


 美しいと評判らしい受付嬢デイジーちゃんは、ギョロギョロとした目玉でストゥルの書いた内容を確認してゆく。


「はい、これで問題ありません。ギルドランクなどの説明は必要ですか?」

「あ、はい、お願いします」

「はい、承りました。まずはストゥルさんの今のランクであるFランクのギルドカードをお渡しします」

「はい、ありがとうございます」


 ストゥルはデイジーちゃんのゴツい手からギルドカードを受け取った。


「ギルドランクはFランクから始まって、E、D、C、B、A、Sと上がっていきます。クエストをこなしていただき、一定の評価を超えると昇格します。FランクからEランクはそのまま昇格出来ますが、Dランクからは評価とは別に試験がございます。他にもランクによっては指定のクエストをこなす必要などもありますが、まずは張り出されている常設依頼をこなしていただき、冒険者に慣れるところからはじめていただければと思います。常設依頼は依頼票を持ってくる必要はありませんので、持ってこないようにお願いいたします」


 その時、デイジーちゃんの声のトーンが低くなっていた。きっと、何度言っても持ってくる輩がいるのだろう。


「は、はい……」


 その圧にストゥルはちょっと気圧された。

 デイジーちゃんはゴツい顔ですぐにニッコリと微笑むと、説明の続きをしてくれる。


「調べものがあれば奧の資料室で調べることが出来ますし、訓練場で教官から訓練を受けることも出来ます」

「手厚いんですね」


 冒険者ギルドと言えば、ラノベによく描かれているものとして、ならず者も多く、自己責任でギルドも放っておくことも多いというのが定番だ。しかし、この世界のギルドでは、手厚い援助が受けられるらしい。


「はい、何せ冒険者の皆様には頑張っていただかなくてはなりませんから」


 デイジーちゃんはゴツい顔で笑みを深くする。


「ストゥル様も、是非、魔族を斃せるような冒険者に成長していただきたいと思います」

「魔族……」

「はい、醜く許しがたい、人類の敵です」


 その時のデイジーちゃんの声は、ドスが利いていた。そのゴツい顔によく似合っていた。


「…………」

「どうかされましたか?」

「いえ……」


 彼女――いや、この世界に住まうヒトたちにとってはそれが当然のことらしい。


 ――そうか……、やっぱり魔族は敵として認識されているのか……。確かに、そう言われて可笑しくはないことをしているらしいけど、皆が皆悪いわけじゃないんだけどな……。


「それは、やはり魔族が敵対行為をしてくるからでしょうか?」


 ストゥルがそう訊けば、デイジーちゃんはキョトンとした顔で、


「それ以前に醜すぎるでしょう」


 と、言った。

 彼女の言葉には閉口してしまう。

 ということは、魔族が敵対していなくとも、相手が醜いから滅ぼすということだ。


「それが何か?」

「いえ、なんでもありません」


 ――そうか、そんな感じなのか……。


 ストゥルは溢れそうになる落胆をなんとか堪えた。


「他に何か質問はありますか?」

「いいえ、大丈夫です」

「分かりました。また何かありましたらお訊きください。ようこそ、冒険者の世界へ」

「あはは……」


 ストゥルは苦笑するしかない。


 ――少なくとも、俺は悪い魔族以外とは敵対しない。


 ストゥルがそう決意していれば、冒険者ギルド内が俄に騒がしくなった。


「おい、見ろよ、Bランクパーティーの『流麗可憐』だぞ」

「おお、マジだ。やっぱり美男美女揃いだよなぁ。エルフの中でも飛び抜けて美しい」

「おいおい、美しさは当然として、そんなに美しいのにBランクパーティーに昇り詰める実力がすげぇだろうが」


 ――Bランクパーティー『流麗可憐』、エルフ……。


 ストゥルもファンタジー好きとしてはエルフに憧れがあった。だが、この世界のエルフである。しかもその中でも飛び抜けて美しいと聞けば、怖いもの見たさという感情が先にきた。

 そーっと、彼らが見詰める先へと視線を向けてみた。

 そこには――。


「いよっ、胸にドラゴン飼ってんのかいっ」

「世界樹、世界樹が歩いてるよーっ」

「腕にバリスタ乗せてんのかいっ」


 野太い男たちの声に、ポーズを決めて応える筋骨隆々の集団がいた。確かに、むしろお前がドラゴンかと思うほどに大胸筋は厚く、足は巨木のように太ましい。腕は一振りで城壁も破れるのかも知れぬ。


 ――あ、あれが、この世界のエルフかよ……。確かに、この世界の基準だと美しいんだろうけど……。ところで、誰が牡で誰が牝だ? 『流麗可憐』じゃなくって、『剛力無双』とか、『山賊野蛮』とかの間違いじゃないのか……?


 ストゥルが白目を剥きながら見ている先では、エルフはエルフ――森の賢人ではあっても、学名エルフ=エルフ=エルフだと思われる集団がいた。

 ちなみに元の世界のニシローランドゴリラの学名がゴリラ=ゴリラ=ゴリラである。


 ――やべぇ、鼻の穴のデカさもヤベェ……。しかもゴリラにもイケメンがいると思うけど、そうじゃなくって、イケメンじゃない方のゴリラ顔面じゃないか……。


「あー、ヤッベ、やっぱキャシーさんすっげぇセクシーだわ」

「マジでビキニアーマーごっつぁんです」


 ――え、これなんて視界汚染?


 今にも千切れそうで――もしも千切れれば、ストゥルは吐く自信があった――危ういビキニアーマーを着ているのがきっと牝なのだろう。だが胸の脂肪はほとんど筋肉に置き換わっている。


 ――と言うと、元の世界の女性ボディービルダーを気持ち悪いと言っていると勘違いされるかも知れないから言及すれば、『流麗可憐』のキャシーと呼ばれた彼女は、筋肉ではち切れそうになっているとは言え、絞られているのではなく脂肪も十分に付いていた。


 それで胸の脂肪はほとんど筋肉に置き換わっているのである。胸毛も腹毛も脇毛も生え散らかって、元の世界の女性ボディービルダーのような洗練された美しさは微塵もなく、まるで汚い山賊のよう。

 そうして考えれば、顔はゴリラ顔なのだが、本当のゴリラが紳士に見え、たとえとして悪かったようにも思えてもくるものだ。


 ――これがこの世界、……、ディートリンデさんが醜女だっていうくらいだから覚悟してたけど、……マジでヤベェな。


 ストゥルは恩人であり師匠である彼女からこの世界のことを聞き、このギルドに来るまでにも、そしてこのギルドでも美しいと言われるデイジーちゃんに会って洗礼を受けたつもりでいたが、それでも甘かったと思い知らされた。


 ――俺、とんでもない世界に来ちまったんだなぁ……。


 ストゥルの姿は、冒険者登録をしたばかりで煤けていた。

 と、彼の背中に木枯らしが吹く様が幻視されれば、今度は別の意味でギルド内がざわめいた。


「げっ、アスカだ……」

「アスカ……、最も醜いSランク冒険者……」


 ――醜い……? ってことは……。


 ストゥルは、今度は期待を籠めた眼差しをその人物へと向けた。

 途端、彼の背筋が総毛立った。


 ――綺麗だ……。


 ストゥルが眼を向けた先には見蕩れるほどの美女がいた。

 年は十代後半だろうか、後ろ頭で結んだ、燃え上がるような赤い髪が腰まで届き、着物に似た衣装を身に纏う。着物は白地に焔の意匠が施され、帯下から裾は大きくはだけ、膝上のズボンを穿く。鼻は高く、切れ長の瞳は紅である。そして額からは一本の紅い角が生えていた。きっと彼女が鬼人と云うものなのだろう。

 まるで日本刀のような美貌の彼女は、腰に長い刀らしきものを佩いていた。胸は豊満で、着物の胸元からはくっきりとした谷間も覗く。背筋をシャンと伸ばし、安産型の尻をくねらせて歩いてゆく。


 ストゥルが見惚れている一方で、周りの者たちは男女問わずに嫌そうな、汚らわしいものを見るような眼をして、彼女に忌々しそうな視線を向けていた。イチャモンを付けたり貶したりしたいようだが、Sランク冒険者である彼女には手は出せないのだろう。

 その視線の中を斬るようにして歩む彼女は、端的に言って格好良かった。


 ――それが醜いって言われるなんて、本当に価値観が違う世界なんだ……。


 と、ストゥルが惚けたように見ていれば、


 すっ


 と、切れ長の紅眼がこちらに向けられた。まるで刀の切っ先を突きつけられたような気がしてぞくりとした。ストゥルは会釈のつもりで引き攣った笑みを浮かべた。

 ストゥルの反応に彼女は少しだけ目を見開いたようだったが、すぐに興味を喪ったように視線を切ると、カウンターの方へと向かった。


 受付嬢は一瞬嫌そうな貌を浮かべたが、すぐに取り繕ったようにして彼女の相手をする。

 いくら醜く厭うていても、相手は人類の最高峰Sランク冒険者なのだ。機嫌を損ねることも、機嫌を損ねて依頼をこなしてくれなくなることも避けたいに違いない。アスカは鉄仮面のような表情で淡々と依頼品らしきものを並べて手続きを行ってゆく。


 アスカの脳裏には、醜い容姿をした自分に笑みを返してくれた彼の表情が残っていた。


 ――……いや、拙に微笑みかけたなどあるわけがないな。


 アスカはその幻影を振り払おうとする。だが、何故かそれはなかなか消えてはくれなかった。


 ――さて、と。俺があんな綺麗な人と――しかもSランク冒険者と関わり合いになれる筈がないからな。まずは常設依頼を見に行くか。


 ストゥルは彼女から視線を切ると、依頼票が貼り付けられている掲示板へと向かう。

 すぐに冒険者を続けられなくなることなど知りもせず――。

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