1年生編 vol.2
第1話 転校
あっという間に十月上旬だ。
暑さの中にほどよい寒さが混ざった頃……のはずなのだけど、そう言えば秋ってあったっけ? と思うほどの両極端な暑さと寒さだった。夏か冬か、みたいな気温である。
服装は夏服から冬服へ。
転校先の学校の制服に袖を通す。……ん、ちょっと大きいかもしれない。
袖が余る。が、これから成長することを考えると、ギリギリの長さだと後々不格好になりそうだ。それは天也も同じく。
達海の場合は今でも充分に大きいので必要なかった。さすがにこれ以上でかくはならない気がする……ならないよな? これ以上の差が出るのは情けなくなるぞ?
「……? これ、ネクタイどうするんだ?」
前の学校では、ネクタイはパチンと止めるだけの簡単なものだったのだ。それが……転校先の制服はネクタイを自分で結ばなければならない。
昨日の夜に御花姉さんに教えてもらったのだけど、さすがに慣れていないからすぐに解けそうだ。洗面台にある鏡の前で見様見真似で締めてはみたものの……くたびれたサラリーマンみたいになった。
「これ、どうするんだ?」
「陸、やってあげる」
「うぉっ!? って、なんだ、美里か……驚かすなよ……」
「驚いたの? ちらちら鏡の中に映ってたと思うけど」
そうなの? ネクタイに集中していたから分からなかったけど……。
「こっち向いて……あと、顎上げて」
するり、と、あっさりとネクタイを奪われた。
それから美里が、手慣れたようにおれの首にネクタイを巻いていく。……なんで手慣れてる? 女子はリボンを付けるだけで、ネクタイほど複雑な付け方を要求されるわけじゃない(ネクタイの巻き方が複雑かはともかく)。
なのに、ネクタイの巻き方に慣れているのは……前の学校ではネクタイだったとか?
文化祭で男装でもしていたとか? そういうの、似合いそうだし。
あとは単純に、女子だから手先が器用なだけかもしれない。
「上手だな」
「うん。何度もして――る、時が、あったからね。手が覚えてるの」
「へー。男装とかしてたり?」
「? なんで男装? 男装、というか、男の子みたいな服を着ることはあったけど……」
俗に言うボーイッシュファッションってやつか。それも美里なら似合いそうだな。
というか、たぶんなんでも似合う気がする。似合わないのもそれはそれで味が出てそうだ。
さささ、と。……苦戦していたおれがまるでふざけていたみたいに、美里が素早くネクタイを締めてくれた。
出来上がりが綺麗過ぎる……これを、おれは毎日自分でしなければいけないのか、と考えるとネクタイなんていらないじゃんと思ってしまうが……。
やっぱり、綺麗なネクタイがあると見映えが良い。
けれど、走り回ったり暴れたりしたらすぐに解けて崩れてしまいそうだけど、そうならないためにはどうすればいいんだろ……もっと強く締める?
首が絞まるよな?
「走り回ったり暴れたりしなければいいと思うよ」
「そっか……でも、また地震がきたら……」
逃げるためには全力疾走しなければならない。
が、したところで逃げられないものだと、おれたちはよく知っている。
「いや、そうなったらネクタイなんかどうでもよくない?」
「……あー、そうだよな」
緊急事態で律儀にネクタイを締めている人はいないだろう。怪我した時の止血に使えるし、命綱……とするには心許ないが、工夫次第で色々と使える便利グッズだ。ネクタイをネクタイとして使う人は少数だろう。
あの日、スーパーで出会った大人たちも、ネクタイをしている人はいなかったと思う。
「解けるまでの命だな……」
「大げさ……。解けたらまたわたしが結んであげるから」
「いいの? じゃあお願いするよ」
「ん」
鏡の前から移動する。
入れ違いで入ってきたのは、整髪料を手の中で転がす天也だった。
「おっ、陸。ちょうどいいからお前にも付けてやろうか?」
「それ、付けていいのか? 学校はダメなんじゃなかったっけ?」
メイクもダメだったはず……だけど、それは今はもうない、おれが通っていた学校の話だ。
「ルールを守ってモテると思うか? 女子だって少なからずメイクしてるだろ? エチケットだよ。同じように、男だってある程度はオシャレしないと失礼ってもんだ。しかもオレたちは転校生……、初日になめられないためには、見た目には気を遣う必要がある。ほれ、頭貸せ、オレがやってやる」
「どうなるのか想像つかないけど……まあ天也なら……」
オシャレには詳しい天也だ。任せても大外れにはならないはず……。
そもそも天也が、見た目だけならカッコいいからな。オシャレだけでなく大人の知識もたくさん持っている。知ってちゃダメなんじゃ? って知識もあるから、悪い人脈があったのだろう。
まあ、全部水に……海に流されてしまったけど。
だが、流されても得た知識は依然、天也の中にある。知識とはそういうものだった。
「長い髪は遊ぶためにあるんだからよ。ま、達海みたいに隠れ蓑にしているなら話は別だが」
「??」
「こっちの話だ」
こっちの話というか、達海の話だと思うけど……。
ともかく、髪型については天也に任せることにした。
達海を見ていると全然平気じゃんと思っていたが、おれだって充分に長い髪だ。忘れていたけど、そろそろ切っておいた方がいいよな……だって、あの日からずっと同じで――――
鏡を見る度に、思い出すから。
「じゃあ、お願い」
「おうよ」
鏡の前へ戻ろうとすると、隣にいた美里がぐっと引っ張ってくる。
……なぜか腕じゃなく、おれの頬をぎゅっとつまんで、だ。
「――ぁいたっ、痛いって!」
「陸はダメ。天也も、余計なことしないで」
「余計なことか? 必要だろ。お前だって、陸がカッコよくなれば嬉しいだろ?」
「それはそ……――うだけど、違うの。そういうやり方は、陸には合わないから」
「ほー? なるほど、自分色に染めたいってことか?」
「少なくとも天也の色を混ぜたくないの!」
美里は頬をつまんだまま、おれを天也から引き離す。
あの、ちょ、ごめ、ほっぺたが千切れるって!!
美里に引かれ、誰よりも早く玄関まで連れてこられた。
ひりひりする頬を手で慰めながら――美里が「はい」と、渡してきたのは……カチューシャ?
「……ただのカチューシャ?」
「うん。付けてあげる」
さすがにカチューシャくらい付けられるけど……あーうん、まあいいか。美里が楽しそうに背伸びをして、おれの髪をかき上げながらカチューシャをはめてくれた。
洗面台から離れてしまって、だから鏡がなく、似合っているのかが分からない。
おれを見ている美里は、「うん……うん」と、噛みしめるように頷いているので、似合っていないことはなさそうだ。
目にかかっていた前髪がカチューシャで上がっているので、視界が開けた。遮るものがなにもない。
不思議と、目の前が広がると気持ちも前向きになってくる。
新しい自分……そう感じさせるために、美里はおれにカチューシャをくれたのかも。髪を切るだけではいずれ伸びるから……伸びても大丈夫なように、カチューシャを……。
「わたしが渡せる、形ある『ありがとう』だよ」
そう、か……美里も、だったのか。
考えることは同じだな。
形がある『ありがとう』を、いつだって渡したくなるのだ。
「おれもさ……これ」
用意はしていたが、いつ渡すか悩んでいたのだ。美里はもう身支度のほとんどを終えていたし、だから渡すタイミングではないと思っていたが、渡すなら今しかなかった。
色が被ったのはたまたまだろう。
黄色いカチューシャと同じく。おれが美里のために用意したのは、黄色いヘアゴムだ。
「陸から……?」
「うん。無理にとは言わないし、気分で使ってもらえれば、」
「今っ、付けてみるよ!」
セットした髪が崩れることもいとわず、元々つけていたヘアゴムを外して髪を下ろす。
そして、おれが渡した黄色いヘアゴムで髪を結んで――手の甲で毛先を撫でた。
「どう?」
「ヘアゴムが変わっただけだし、別にさっきと変わらないけど……」
「ちーがーうーっ」
声の調子は地団駄を踏んでいそうだった。
不満そうな顔が見えたので分かった。さっきと今の違いは、それだ。
「あ、表情だ。さっきよりも、明るく見えるようになった……可愛くなったよ!」
「っ。……さらっと言うよねー……?」
「いやあ、だって妹だし」
「誕生日はわたしが先だけど!!」
そこ気にするか? 誕生日だけなら美里が上だけど……でも。
「おれの腕にずっとしがみついてたのは美里だろ?」
「う。それは……そうだけど……」
納得いかない! みたいに、口には出さずとも雰囲気がそう言っていた。
仕方ないなあ。
「じゃあ分かったよ、実際はお姉ちゃんだけど、美里は妹分みたいなものだ、ってことでいいか?」
妹みたいなものなら、可愛いの一言も簡単に言えてしまうものなのだ。
「めちゃくちゃ可愛いよ。よっ、美人! 引く手数多の最高の妹だぜ!」
「…………バカ」
あれ? これでもかと賞賛してみれば、美里はむすっと不機嫌になってしまった……あ、照れ隠しか。
やり過ぎたな。
おれだって、褒められ過ぎたら対応に困るし……うん、やり過ぎはよくなかった。
つん、とそっぽを向いてしまった美里を下手くそなりになだめていると、準備を終えたみんなが玄関までやってくる。
「お姉ちゃん、いこ。陸なんかもう知らないから」
「う、うん。……珍しく、喧嘩? プレゼントはあげた……のよね?」
「あげたよ。でも、その後がダメだったの……ほんと、やり直したい気分だよ」
やり直したいと言いながらも、なんだか楽しそうな横顔が見えるんだけどなあ。
「あはは……。なんだ、喧嘩じゃなかったのね」
ほっと安堵した御花姉さん。
姉の手を引く美里が、先に家を出る。
少し遅れて、おれたち――天也と達海が、足並み揃えて学校へ向かうことになる。
何度か足を運んでいるので、学校の場所は分かっていた。
「おいオマエら」
と、玄関まできてくれた月見さん。
月見さんは壁によりかかりながら、ボロボロだった……そして酷い顔。
毎日の仕事が忙しいせいか、目の下に隈を作っていた。
見ると、心が痛む。だって……月見さんが多忙になったのはおれたちの学費を稼ぐためだ。援助も受けているらしいけど、やっぱり全然、お金が足りないのだ。
こうして目の当たりにすると、おれたちが本当に学校へいくべきなのか、悩む。
勉強なんていつでも、どこでだってできるし、学校へいく必要だって…………
「義務教育だ。どうせいかないといけないんだから、楽しんでこいよ」
「学校は楽しむところじゃないだろ。勉強するところだ……って、親なら言うんじゃねえの?」
天也からのいじわるな質問に、月見さんは突き放すように答えた。
「ハッ、アタシは親じゃねえし。健全な生活を守る、保護者だっつの。……勘違いしているみたいだが、学校は勉強するところじゃねえよ。勉強『も』、するところだ」
「じゃあ、遊ぶところって言っていいのかよ」
達海の追撃があった。
「まあ、それ『も』だな。遊んでいいんじゃねえの? 楽しけりゃあな。学校ってのは楽しむ術を見つけるところだ。手段を知るところ――そういう意味じゃあ、勉強するところでもある。ただな、こうは言えるぜ……別に、五教科を学ぶところじゃねえよ。それはついでだ。人間関係、集団行動、苦痛から楽しさを見出す方法――。なにを学ぶか、ってのを学ぶ場所なのかもしれねえな。ようするに、次々と迫ってくる選択肢にどう対応していくのか。その練習ができるのが、学校ってところだ」
継続的に試練がやってくる。複数の選択肢が出てくる問題が溢れているのが学校で……その環境にいることで、おれたちは人として成長していくのだと、月見さんは言っている。
頭が良いから幸せだ、とは考えない人なのだろう。
実際、月見さんは頭が良い方ではない。暗算は苦手だし、おれたちが「勉強を教えて」とお願いして教科書を見せても、「知らん、分からん」で一緒になって勉強している。おれたちが教えることだってあるのだ。
それでも幸せそうだった。
知らないからこそ一緒になって勉強できることを楽しそうにしている。
知らなくて良かった、と、笑顔で言っていたのだから。
「つまらねえからって逃げるなよ。つまらないなら楽しくさせろ。それが一番、手っ取り早いぜ」
「それが難しいんだと思うけどね……」
つまらないことを楽しくさせる。そりゃあ、月見さんならできると思うけどさあ……。
「難しいか? あの災害から逃げ切ったオマエらが、難しいとか言うか? 津波から逃げるより簡単だろ」
「…………」
「できるよ、オマエらなら」
おれたちはそれぞれ月見さんから背中を強く叩かれ、気合を入れられた。
ほんとは素肌に手形がつくくらいやりたかったらしいけれど、さすがにそれは嫌だよ。
なにかされる前に出かけようと、おれたちは距離を取る。
「怯えたついでに、ほら、いってこい。初日から遅刻するぞ」
「月見が呼び止めたんだろ」
「そうだったか? まあなんでもいいだろ――いってらっしゃい、三人とも」
制服を着て、久しく言われていなかった一言に、思わず涙が出そうになったけど、ぐっと堪える。
新しい学校、新しい生活。
もうすぐ今年も終わってしまうけれど、おれたちの生活は終わらずに、続いていくのだ。
『――いってきます』
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