ぶっ飛びお題短編集

南雲 皋

001「ジムで働くカミキリ虫が夜空に輝く残酷さを胸に己の倫理観を炊飯器にいれる話」

 そのカミキリ虫はジムのインストラクターだった。

 カブト、クワガタからアリに至るまで誰しもに開かれたジムのインストラクター。


 カミキリ世界一の座を勝ち取った日も今や遠い過去。

 在りし日のチャンピオンベルトは誰にも知られず、彼の自宅の押し入れに眠っていた。


 彼のいるジムは、門を叩いた虫をすべからく受け入れてきた。

 それは弱き虫にとっては光であったが、強さだけを追い求める虫にとってはそうではなかった。

 弱き虫に割く時間を自分たちに使えと不満は募り、一匹、また一匹と他のジムへと流れていってしまったのだった。


 小さな若きアリにあごの使い方を教えたカミキリ虫は、今日も静かに帰路につく。

 その背中は寂しげで、諦めをまとっていた。


 電灯の少ない路地の奥から怒鳴り声が聞こえてきたのは、ジムを出てすぐのことだった。


「金払えねぇならジム畳んで出てってもらわなきゃなぁ、お前んとこの娘、稼ぎに出したいならいい店紹介してやるよ」

「ちゃ、ちゃんと払う! 払うから、明日まで待ってくれ!」


 あぁ、ウソだな。

 ジムのオーナーであるクモの親父に支払い能力がないことがカミキリ虫にはすぐ分かった。やはり経営は厳しかったのだ。予選すら勝ち上がれない会員ばかりのジムなど、今の世の中やっていけるはずもなかった。


 クモの親父は隠し事が下手すぎた。

 あんなに表情かおに出ていては、当然クワガタにもバレているだろう。


「ふぅん、アテあんだ? じゃあ明日来るからよぉ、耳揃えて払ってくれよな」


 顔にも体にも無数の古傷を抱えたクワガタは、クモの親父を殴り付け、蹴り飛ばして去っていった。


 あのクワガタは遊んでいるのだ。


 所詮この世は弱肉強食。

 弱きものたちも含めて全て掬い上げることなど、到底できやしないのだ。

 限られた強者だけが甘い蜜をすする世の中は、ひどく生きづらかった。


 カミキリ虫にとっても、同じ。

 見上げた夜空に輝く星たちは、カミキリ虫たちのことなど見もしない。

 短い一生、精一杯輝きたいと願う虫の想いなどちっぽけなものだとわらうことすらせずに。

 手も届かないほどの高みからこちらを見下ろして、キラキラとまたたいているのだった。


 カミキリ虫はクモの視界に入らぬようにクワガタを追った。

 足音を潜め、静かに。


 途中、切れ掛けの電灯に照らされたゴミ捨て場に炊飯器が転がっていた。

 チラチラと揺れる灯りの下、ケーブルがちぎれ、蓋の取れかけた炊飯器に倫理観を突っ込んで蹴り飛ばす。


 インストラクターになったのは相手を殺したくなる気持ちを抑えつける為だった。

 今夜は新月。星の光だけではカミキリ虫を止めることなどできなかった


「あー、もしもし? クモの娘の枠、押さえといてくれ。明日にでも連れてくわ」


 やはりクワガタは気付いていた。

 親父の努力を待つこともなく、無慈悲に己の利益だけを追い求めて。


 カミキリ虫は静かな怒りをたたえ、下衆げすな電話が切れた瞬間を狙ってクワガタの右脚を食いちぎった。


「あああああああ!? なんだ、なんだよテメェッ!」


 バタバタバタッ

 バランスを崩して倒れ、暴れるクワガタから青みがかった透明の血液が撒き散らされる。

 カミキリ虫は何も言わず、そうすることが当然であるかのような動きで左脚も食いちぎった。


 這いずって逃げようとするクワガタの背を踏み付け、クワガタの足掻あがく様を見下ろした。


「いてェ……いてぇチクショウ……カブト組のモンか……? 俺は何も知らねェぞ……」


 右手を食いちぎると、聞いてもいないのに組の資金繰りの話をし始めた。

 左手も食いちぎれば、ついに涙を流して命乞いを。


 あぁ、つまらない。

 つまらない、こんな、戦いとも呼べぬ暴虐など。


 蹂躙じゅうりんして、命を取ったとて、カミキリ虫の心は満たされなかった。

 クモの親子は、ジムは救われたかもしれないが、そんなことは些事さじに過ぎない。

 カミキリ虫の心を満たしてはくれない。


 胴体に別れを告げたクワガタの頭を、炊飯器の隣に投げ捨てる。


 返り血を大量に浴びたせいで、もはや青く染まったシャツを隠すようにパーカーのジッパーを閉め、早足で自宅へ向かった。


 今誰かに会ったら、殺してしまいそうだった。


 炊飯器に投げ込んだ倫理観は、明日になれば戻ってくるだろうか。


 殺気溢れるカミキリ虫を、夜空の星だけが見つめていた。




【お題提供:フィーカス様】

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