第29話
(ああ、どうか……。どうか)
アリシアは祈る。
この世界に神というのがいるかは定かではない。
だが、彼女には他にどうすることしかできなかった。
目の前で、助けに来たと思われる少年と、自分を襲おうとした男が睨みあいをしている。
男の方は、太ってこそいるが巨漢。
対する剣を構える少年はその大男と比べると、華奢にも見えるような細身。
あの幼馴染の少年よりかは少し長身だろうが、体格差は歴然である。
見比べるならまさに大人と子供。
金髪の少年の方に頼りなさを感じてしまう。
しかし——少年の適度に脱力された構え。
その凛々しい表情に浮かべた自信は何故か強者の余裕のようなものを感じさせた。
それは、極限状態にあるアリシアだからこそ、そう見えただけなのかもしれないが――
(——負けないでください——)
どうしても彼女の脳裏には、少年が無惨にも男に殺さてしまうイメージがちらつく。
もし彼が負けてしまったら?
そうなったら、自分はどうなってしまうのだろう?
目の前の男に犯され、その後どこかに売られ、恐らくは、どこの誰とも分からない男の子供を孕ませられるのだろう。
碌に恋も知らぬ乙女であるアリシアにはそれは、死を選びたくなるほどに苦痛なことである。
(神様……もしいるのなら……あの人に少しだけ、少しだけ、力を貸してください)
アリシアは心の底からそう願わずにはいられなかった。
――もっと見ろ……。俺をもっと見ろ……ッ!
俺はアリシアから見えて一番格好良く見える角度、即ち、下斜め45度の位置に移動する。
彼女からは強い視線を感じる。
まぁ、こんなベストなタイミングで俺のようなイケメンに助けに来られて仕舞えば、見惚れてしまうのは無理もないだろう。
彼女はさぞ幸福な事だろう。
(——お願いします。お願いします、どうか——)
アリシアには、他人の顔の角度など、どうこうを、気にするような余裕はない。
女として万事休す、乙女の純情を棺桶に半分突っ込んでしまっているこの状況で他人の顔の造形の美醜を気にする心のゆとりなどはない。
彼女の関心はこの二人の戦いの結末にのみ――
アリシアの心臓は高鳴り、縋るような思いで、食い入るように、行く末を見守る。
だが、突然――。
(——消えました? あの人はどこへ——)
少年が動いた……いや、動いたのか?
それはアリシアに分からなかった。
しかし、気づけば彼は消えていた。
そして――
少しの混乱の中にあるアリシアの前に、ドンッと何かが落ちてくる音がした。
「……んッ!?」
突然の出来事に彼女はビクッとその体を震わせる。
それは何か、丸みを帯びた物体であった。
それは何やら、勢い余ってゴロゴロと転がってアリシアの目の前前で転がって来た。
そして、落ちてきた物体をアリシアが確認すると……。
「んッ? んんーーーッ!!!(な、なんですか……ッ! これ………ッ!)」
それは、顔だった――。
突然、アリシアの目の前に先ほど自分を襲ってきた男と思われる人間の生首が転がってきた。
「ん”ーッ! ん”ーッ! ん”ーッ!!」
アリシアはその生首とバッチリ目が合い、パニック状態へと陥って行く。
そして。
気づけば、ぷしゃーと何か吹き出る音がして、
アリシアの視界は真っ赤に染まった。
「ふッ!」
俺は一呼吸の後、斬りつける。
相手は単なる雑魚だ。倒すのに駆け引きも戦術も必要ない。
踵重心から踏み込み、体が前に倒れる力を推進力に変換して盗賊の男の首に鮮やかな一太刀を浴びせた。古武術の技術の応用だ。
「な……ツ!」
男の目が見開いていた。
どうやら、動きをその目でとらえる事は出来たようだ。
――反応は出来んだろうな。
剣を振り抜き一刀のもとに盗賊の首を切り落とす。
これ以上アリシアを待たせるのは気が引けた。
「に……」
断末魔の叫びを上げる事もなく、盗賊の男の首は鮮やかな断面を残し、胴より絶たれ地面に落ちる音がした。
少しした後に、切り口からは噴水のように血が吹き出す。
俺はその血飛沫を華麗に回避し、剣を鞘へと戻す。
「んッ? んんーーーッ!!!」
――決まった。
目を閉じて少し残心。
余韻を楽しむ。
「ん”ーッ! ん”ーッ! ん”ーッ!!」
背後で何か、不思議な音が鳴り続けていた。
しかし、それを俺は気にしなかった。
そして――。
「もう、大丈夫だ……。悪い奴は俺が倒したから」
華麗なターンを決め、そして自分にできる最高のスマイルでベストな角度からアリシアに微笑む。
――想像通りの展開。俺の格好良さに、アリシアも思わず赤面してしまっているかもしれない。
薄目で彼女の様子を確認すると、
「おお……」
思わず驚きの声をあげた。
彼女の顔は、確かに真っ赤に染まっていた。
真っ赤に染まってはいたのだ。
「……凄い血まみれでは無いか……」
盗賊の男の血液で。
「ん”ーッ! ん”ーッ! ん”ーッ!! ん”ーッ! ん”ーッ! ん”ーッ!!」
アリシアは血まみれで盗賊の男の生首と見つめあっていた。
(え? え? 何? 何ですか、これ?! 何これどうなってるんですかッ!?)
アリシアは状況の変化についていけていない。
自分を襲っていた男と思わしき人間の頭部が突然降って現れた上に、真っ赤なシャワーが降ってきた。
首を絶たれた男の体は、その首が断たれた事にも気づかないように立ち続け、その断面からは血液が彼女の顔や体に降りいだのだ。
自分を襲っていた男が倒されたことに対する、安堵の感情を感じる余裕もない。
(真っ赤……ッ! これ……血……それに、まだ……動いてます? ねぇ、まだ生きてるんですか?)
その男の顔は、未だに動いていた。
人の首は斬り落とされても、数十秒は生存可能なのである。
そして、男は自分がどうなったのかさえ分かってはないのだ。
「うぁ、あ? あ? おぅ?」
男の頭は、口をパクパクと動かしている。
必死に何か話そうとしているのか、息をしようとしているが、酷く瞬きの数も多い。
「もう、大丈夫だ……。悪い奴は俺が倒したから……」
そんな声が、アリシアの耳に届く。
だが、その声に応える余裕も、声の主の方を見る余裕は彼女には無い。
「んーーーーッ!!! んッー!!! んーッ!!!! ん! んーーーーッ!!!(分からないッ! 分からないですッ! 意味が分からないですッ!)」
アリシアは起こし声にならない悲鳴を上げる。
塞がれた口でそして懸命に息を吸おうとするが息をするのもままならない。
猿ぐつわが無ければ過呼吸にでもなりそうだ。
「少しばかり予定が狂った」
「ん”ッ! んーッ!! ん”ッ! ん”ーッ!」
アリシアはパニックを起こしてしまっている。
血まみれで、生首と見つめあい、声にならない叫びを上げている。
「流石にこのままではな……」
救い出したアリシアは馬車に乗せ連れて帰ろうと思っていたが、彼女の状態を見る限り、このままでは連れて帰る事もできないだろう。
「邪魔だな」
アリシアの目の前にある盗賊の首をサッカーボールでも蹴飛ばすように蹴りどける
「……ッ!?」
アリシアが少し驚いたが、俺は魔力を空間に撒く。
そして、親指を鳴らすと。
ボゥッと火が上がり、彼女に体に付着した男の血は瞬く間に、燃え上がり消滅する。
付与魔法の応用だ。自分の狙ったものを選択的に燃やす事が出来る、
俺はその魔術を浄化魔術と名付けていた。
風呂に入らなくても清潔に体を保つのに便利に利用している。
(——何ですか……今の魔術は——)
アリシアは、突然、男の頭部が蹴りどけられたのにも驚いたが、突然自分の身を炎が包んだと思えば、体に付着していた血液が突然消えた。
その炎は自分を焼くこともなく、血液だけを消滅させたようだ。
それは魔術の技術的な才能だけではなく、知識にも富んだ彼女をして未知の現象であった。
思考が働き始め、少しパニックが収まるがアリシアの困惑は深まる。
「さて、どうするか……?」
下着姿で扇情的な姿を晒しているアリシアを前に考える。
ヒーローなら、半裸のヒロインに上着を掛けてやる場面だ。
「しかし、俺は今シャツ一枚……、それに……」
まぁ、彼女が服を破かれる前に助ける事は容易だった筈だ。
彼女の事を考えずに、ヒーローを演じる為に熱中しすぎていた事は否めない。
「そうだッ! 良い事を思いついたぞ……ッ!」
「……ッ!?」
ポンと手のひらを打つと、アリシアが驚く。
「無ければ作ってしまえば良い。それだけではないか」
俺は思いついたようにシャツのボタンを外し始める。
「ん”……? ん”ん?(え……何やってるんですか……?)」
再びアリシアの鼓動は不思議な加速を始める。
危機は去った思い始めていた。
しかし、今しがた男性に暴行されそうだった少女の前で、今度は別の男が服を脱ぎだした。
「待っていろ。ふふ」
そう言って、シャツを脱いだ少年の手はベルトへと向かう……。
(……まさか……この人も……)
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