第7話

「本当に恥知らずだな、天才サマって奴はよ」

「姐さんも大変だな」

 訓練場の隅から、傭兵たちの呟きが漏れる。


「またやるのか」

「勝てるわけねぇのに」

「さすがに昨日の今日じゃな……」


 サセックス家の正規兵たちでさえ、その呟きに小さく頷いていた。

 いくらサセックスの神童レクスといえども、世界最強の傭兵団の団長には敵わない、その認識が正常。

 昨日の惨敗がその証拠だった。

 まさに、大人と子供の戦いだったのだ。


「……昨日あそこまでボロボロにしてやったばかりなのに、また挑んでくるなんてね。その度胸だけは認めてやるよ」


 レベッカは軽く笑いながら言った。赤い髪が陽の光を反射して輝く。


「度胸だけじゃない。俺の実力も、今度こそお前に教えてやろうじゃないか」

「ったく……めんどくさいガキだね。言っても無駄だろうけど、勇気と無謀ってのは違うんだよ。勝てない戦いに意地を張って、命を落とした奴を私は何人も見てきたんだ」


 レベッカは一瞬だけ目を伏せ、諭すような声音になる。


「無謀ではない。今の俺に不可能はない」

「……やっぱり、お前には身の程ってもんを教えてやった方がいいみたいだね」

「お前にできるものならな……今の俺を侮るな」

「まあいい。もう一度、体に叩き込んでやるよ。覚悟しな」

「……いいや、学ぶのはお前だ、レベッカ……お前こそ、俺の――かっ」


 言葉を続けようとした俺の声を、柔らかな声が遮った。


「あ、あの……や、やめた方がいいんじゃないでしょうか?」


 ミリアムだった。

 彼女は二人の間に割って入り、おずおずと声を上げる。

 昨日の惨状を思い出していたのだ。レクスは負けず嫌いで、負けを認めずに足掻き続けるタイプ。昨日はその悪あがきを、レベッカが完封した。目も当てられない光景だった。


「け、結果は……め、目に見えてると思いますっ!」


 ミリアムは必死に訴えるが、レベッカは困ったように肩をすくめる。


「そうは言ってもねぇ……」


 彼女としても今さら引き下がれないのだ。


「なんだ、ミリアム。心配しているのか? この俺が、この女に負けるとでも思っているのか? 心配するな、ミリアムよ。今度は俺が勝つ」

「で、ですが……」

「なんなのだミリアム? この俺が負けるとでも思っているのか?」


 歯切れの悪いミリアムの肩を、俺は軽く掴んで顔を覗き込む。だが、彼女は答えられない。

 その時だった。


「そりゃそうだろうさ。そのメイドのお嬢ちゃんは昨日のお前さんの、みっともない姿を見てるんだからさ」


 レベッカが呆れたように口を挟む。


「す、すいません……私は、レクス様がレベッカさんに勝てるとは思いません」


 ミリアムは、絞り出すような声で言った。


「ここにいる誰一人として、お前さんが私に勝てるなんて信じちゃいないのさ。そうだろ、お前ら?」


 レベッカが訓練場全体に声を張ると、傭兵や兵たちは次々と頷いた。


「まぁ、そうだろ」

「ああ……」

「む、無理です……れ、レクス様……」


 皆の視線が俺に集まる。


「……そうか。お前たちは、そう思っているのだな……」


 俺はゆっくりと周囲を見渡した。


「なぁ、ほら? そうだろ、天才サマよ。少しは大人になれって。別に私に勝てなくたって――」


「いいや、それは違うな……」


 俺の声がレベッカの言葉を遮る。


「何が違うっていうんだ……?」

「……俺が信じてる」

「はぁ?」


 レベッカが眉をひそめた。


「この俺がお前に勝てると信じている。他の誰が信じようが信じまいが、俺は信じている」


 訓練場に沈黙が落ちる。

 兵も傭兵も、レベッカですら一瞬、言葉を失った。

 だが――


「ははははッ! 笑わせんなよ、天才サマよ!」


 沈黙を破ったのは、モヒカン頭の傭兵だった。


「そりゃそうだろうさ! 勝てると思ってなきゃ、姐さんに勝負なんて挑まねぇよなッ!」


 彼の笑いに続くように、半裸の傭兵たちが大声で笑い出す。


「ふふふふッ!」

「ははははははッ!」

「笑わせんなよクソガキッ! ははははははッ!」


 訓練場が嘲笑に包まれる中、レベッカは静かにその中心に立っていた。彼女は腕を組み、目を細める。


「……黙りな」


 その一言で、傭兵たちはピタリと笑いを止める。レベッカの声には、有無を言わせぬ迫力があった。


「私がこいつと話してるんだ。お前らは余計な口を挟むんじゃないよ」

「「「……」」」


 場の空気が再び引き締まる。


「おかしなことを言うじゃないか……ふん」


 レベッカは鼻を鳴らした。だが、その笑みには嘲笑というより、どこか興味が滲んでいた。


「ミリアムよ、顔を上げて俺を見るのだ」

「……はい」


 ミリアムは小さく答え、顔を上げる。

「さっき俺は、お前に俺の格好いいところを見せてやると言ったな?」

「……あ、はい。(そんなこと言ってた気もする?……でもこのシリアスな空気の中じゃ、レクス様の話あんまりちゃんと聞いてなかったですなんて言えないよ……)」

「いいか、ミリアム。見ていろ。俺が見せてやる。お前が信じられなかった“不可能を可能にする男”の格好良さというものを……!」

「え!? そ、その、あ……は、はい……ッ!」

「……ふふ、まかせろ」


――よし、決まった……! 完璧に決まったぞ……!


 俺は内心で勝利のガッツポーズを決める。

 この重苦しい空気を吹き飛ばす、決め台詞を決めた俺の美しい顔を、ミリアムは見つめていた。


「では行ってくる。約束だ。必ず俺が勝つ。――そして、今度はお前にも壁ドンをしてやろう……ッ!」

「は、はい……ッ!」


 爽やかなキメ顔スマイルを浮かべ、俺はミリアムから離れる。


(——どうしよう、何かドキドキする——)


 ミリアムはその背中を見送りながら、頬に熱を覚え、鼓動が高鳴るのを感じていた。

 体、何故かミリアムが今そんな状態になってしまったのか?

 自信に満ちた発言が、ミリアムの女心に響いたとか、色々な理由があるのかもしれない、だが、一番大きな理由というのは、


 レクスの顔が良かったからだ。


 ミリアムもレクスの容姿だけ見た第一印象は、その心をときめかせるのには十分な美少年でもあったのだ。

 人間性はともかく、美形キャラ設定は伊達ではない。


「やるぞ、レベッカ!」


 俺がそう叫ぶと、レベッカはじっとこちらを見つめた。


「……確かに、なんか今日は昨日とは違う気がするね。なんなのか分からないけど………まぁいい、ついてきな」


 レベッカは面白そうな顔をしつつも、手招きして俺を訓練場の中央へと導いた。


 そして、


「……壁ドン?」

 

 背後で、誰の耳にも届かないような、誰かの小さな呟きが聞こえた。

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