第5話

 そんな会話をしながら廊下を進んでいると、正面から父ハロルドと弟アランが歩いてくるのが見えた。


 ハロルド・サセックス。

 父上は、齢四十を過ぎてもなお衰えを知らぬ精悍な顔つきの男だ。

 仕立てのいい服の上からでも鍛え抜かれた体つきがわかる。

 俺のような、鈴木守の世界で女ウケの良かった細マッチョではない、ムキムキだ。

 俺の父上なだけあって、ハンサムだ。


 エルロード王国でも屈指の武門の当主。名実ともに“公爵”という肩書きにふさわしい人物。


 そして、


 アラン・サセックス。

 その隣には、一つ年下の腹違いの弟、アランが歩いていた。

 俺と違って気弱そうな、中性的な顔立ちをしている。

 俺ほどではないが美少年だ。

 ゲームのシナリオ通りなら、将来的にこの男が公爵家を継ぐ――レクスが死亡したあとで、だ。


「おはよう、レクス」

「ああ、おはよう、父上」


 俺はキメ顔で挨拶を返す。

 前世では父親との関係は悪かった。

 しかし、レクス・サセックスとしては父親との関係は良好だった。

 父ハロルドは、レクスには甘かった。


「ところでレクスよ、昨日は……」

(——ボロボロにされたらしいが——)


 ハロルドは昨日の事を思い出す。

 彼は、自らの息子——レクスを天才だと信じて疑わない。

 それも唯の天才ではない。

 国内有数の部門であるサセックス公爵家の長い歴史の中でも最高傑作であると確信していた。


 だが、その希代の天才レクスが昨日、大敗を喫した。

 それはハロルドの差金とも言えた。


(——少しやりすぎたか?——)


 ハロルドは息子を溺愛していた。

 しかし同時に、レクスのその傲慢さには密かな危惧も抱いていた。

 いつか息子がこのまま突き進んでしまうのではないか――そんな恐れが、ずっと胸の奥に引っかかっていたのだ。


 だからこそ、レクスにを見せ、成長のきっかけを与えようとした。

 敗北からこそ学ぶこともあると。

 それは父親としての愛情ゆえの策だった。


 それをある女性に依頼した。

 ……だが結果は、屋敷中を震撼させるほどの荒れっぷりだった。

 聞けば、部屋の鏡は割られ、家具はひっくり返され、メイドたちは泣き出したという。

 屋敷内の噂はすぐ広まる。

 そんな惨状を知ったハロルドは、心の底から心配していたのだった。

 父はそんな思いを胸に、息子の顔をまっすぐに見つめた。


「ああ、そのことなら問題はない」


 俺は胸を張って言い放つ。


「……なんだと?」

「ああ、そうだとも俺は変わった。あの女には、ある意味感謝しなくてはならない」

「お、おお……! 遂に……遂に……分かってくれたのか……!」


 父上の目が潤んだ。

 いやいや、泣くなよ、まだそこまでじゃないだろう。

 

「もちろんだとも。失敗は人を成長させるものだ。過ちを乗り越えてこそ、人は本当の強さを得る。そうではないか?」

「……おお……なんと……あのレクスが……レクスが……!」


 父上は感極まり、ハンカチを取り出して目頭を押さえ始めた。

 しかし、気持ちは分かった。

 こんなに強くてカッコいい俺が、人格まで優れてしまったのだ。


「大げさだな、父上よ。そう、過去の失敗は乗り越えなければならない。だから俺は、これからあの女にをしに行かねばならんのだ」

「……そうだとも……そうだとも……!」


 俺は涙を流す父上の方をポンポンと叩いて宥める。

 チラリと横目で見ると、弟のアランは俺と父上のやりとり黙って見つめていた……ように見えた。


 だが、実際のところ、彼の意識は父でも俺でもなく、俺の後ろにいるミリアムへ向いている。

 ちら、ちら、と気づかれないように横目でミリアムを見ている。


 ——そう言えば、アランは、ミリアムに恋心を抱いていた。


 ゲームのエンディングでは、レクスが死んだあと、公爵家を継いだアランの隣には、子どもを抱いたミリアムの姿がある。

 ……ただし、その子供の瞳の色がアランと同じ金色ではなく、レクスと同じターコイズブルーだったというあたりが、実に意味深な話だ。

 【ブレイヴ・ヒストリア】の闇として語られている。


「ではな、父上、アラン。俺は借りを返しに行かなければならんのでな……」

「そうか……頑張れよ……レクス……!」


 父上は号泣しながら拳を握っている。


「う、うん……そ、それじゃあね。ミリアムさんも……」


 アランが、妙にぎこちなくミリアムに挨拶をした。


「あ、はい。失礼します」


 ミリアムは一歩下がり、お辞儀をして応えた。





 邸宅を出て、少し埃臭い訓練場に足を踏み入れた瞬間、空気がガラッと変わった。

 そこは貴族の屋敷とは正反対の世界だ。汗と土と鉄の匂いが鼻をつく。

 そこで訓練しているのはサセックスの正規兵と傭兵。


「おお、朝早くからやっているな」


 俺は腕を組みながら訓練場を見渡した。

 サセックス家では、戦時に備えて傭兵団との連携を重視している。

 こうした合同訓練は日常的に行われている。


 サセックス家の正規兵たちは、統一感のある甲冑に身を包み、整然と剣を振っている。

 一方で、傭兵どもは……バラバラだ。

 蛮族みたいなモコモコ鎧を着たやつもいれば、やけにスリムな甲冑でスタイリッシュぶっているやつ、さらには上半身裸で戦うやつもいた。


 汗と怒号、そしてぶつかり合う剣戟の音。

 物々しい雰囲気の中、兵たちが真剣な表情で訓練していた。


「……うわ、レクス様。今日も来たよ」


 耳を澄ますまでもなく、そんな聞こえてきた。


「昨日は酷かったな」

「どの面下げてこの場に来たんだ、あのガキはよ」

「あそこまでボコられてよくここに来れたよな……。あそこまで醜態晒しておいて……」

「サセックス家の天才サマは、面の皮の厚さも超一流ってこったぁ、ははッ」

「ちげぇねぇ……」


 ヒソヒソ話と、わざと聞こえるようなデカい声が入り混じる。

 ま、仕方ない。昨日は確かに派手に負けた。


「やるぞ。まずは……ここからだ」


 視線を巡らせ、訓練場の上座、見晴らしのいい場所にいる人物を見つけた。

 腕を組み、兵士たちを俯瞰するように見下ろす女性。


 ――いた。あの女だ。 

 

 その瞬間、俺の心臓が僅かにトクンと跳ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る