AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 幕間『復讐篇』

Omnialcay

第1章

第1節『少女たちの夏休み』

 アカデミーを中心に、魔法社会全体を巻き込む規模で展開された『天使の卵』事件は結局、パンツェ・ロッティ教授、リセーナ・ハルトマン、マークス・バレンティウヌ、そして、アカデミー最高評議会議長の死亡という形でもってその幕を下ろした。彼らこそが、その事件の黒幕であったが、表向きには、アカデミーに突如襲来した異形の天使群から、学徒達を守り救うための尊い犠牲として身を捧げたという欺瞞によって事態は処理され、真実は闇から闇へと葬られたのである。当該事件に直接関与したウォーロック、ウィザード、ソーサラー、ネクロマンサーの4人、および『アーカム』に連なる貴婦人とアッキーナ・スプリンクの他に、その真相にたどり着いたものはただの一人としてなかった。唯一、リセーナの姉、カリーナ・ハルトマンだけは、妹の死がパンツェ・ロッティに深く関与しているのであろうことについて確信に近い疑念を抱いていたが、その彼女をしてもなお、神秘の高次元空間にまで及んだあの一連の経緯の全貌を覚知することは出来ずにいたようである。結局、アカデミーの最高評議会議長が、実はパンツェ・ロッティであったことさえも公式には伏せられ、議長その人は、彼らとともに学徒とアカデミーを死守して殉職じゅんしょくしたものとされた。魔法社会の人々は、それらの報をそのまま受け入れて落着としたのである。


 勿論、アカデミーの全域が未知の存在に突如襲撃されるというその事態の深刻性に鑑みて、真相を徹底究明すべきとする声が皆無であったわけではない。しかし、幸いにして学徒には犠牲がなかったこと、パンツェ・ロッティ達の行動が英雄的に報じられたこと、そしてなにより、魔法社会の世論形成全般に大きな影響力を持つ『魔法社会における人権向上委員会』の代表理事、キューラリオン・エバンデスが、彼らの行動と犠牲は、学徒達の生命と人権を守った滅私的で崇高なものであったと評する声明を早々に打ち出したことから、彼らこそ称賛されるべき優れた教育者の鑑であると称える声が速やかに主要な世論を形成していき、批判的な声はその下にかき消されていったのである。

 学徒と学園を守り抜き、未曾有の事件を解決に導いた稀代の英傑として、最高評議会議長、パンツェ・ロッティ教授、リセーナ・ハルトマン、そしてマークス・バレンティウヌのために『アカデミーによる葬送』が聖堂においてしめやかに挙行された。


 * * *


 午前中に執り行われた葬送の儀式の後、シーファ、リアン、カレンの3人は、ウィザードの執務室に呼び出しを受けていた。葬送の儀式の日は、午後の講義は全休講となる。寮からウィザードのもとに駆けつける少女たち。時節は、いよいよ迫る夏期休暇に備えて、誰もが帰郷の準備をし始める、そんなある日の午後であった。

「呼び出された理由は分かるか?」

 厳しい声色で訊くウィザード。

「ミリアムの件だと承知しています。」

 そう応えるシーファに、他のふたりも頷いてみせた。

「その通りだ。自覚があって大変よろしい。カリギュラ退治の後で、あたしが厳命したことを覚えているか?」

 ウィザードが毅然と言い放つ。

「はい。何事も軽挙妄動に出る前に報告せよ、とそうおっしゃいました。」

 そう、おずおずと応えるシーファ。

「なるほど、君たちに耳はあるようだな。では記憶する頭がないのか?あるいは、その首の上に座っているものは空っぽのかぼちゃなのか?応えたまえ。」

 ウィザードが叱責の声を強める。

「申し訳ありません。」

 まっすぐにウィザードを見てシーファが謝意を示した。

「後から謝るようなことは最初からしない、という賢明な判断を今後は期待したいと思うが、どうかね?」

「はい、ご期待に沿えるように鋭意努力いたします。」

 シーファはその諌言かんげんに素直に応じる。

「よろしい、他の二人はどうか?」

「異論ありません。お言いつけを守れるよう最善を尽くします。」

 姿勢を正して、リアンとカレンも声を揃えて言った。

「結構。しかしだ。深夜の古城でのこと、カリギュラ退治、そして今回の一件と、諸君らは既に三回約束を反故にしている。異国の言葉に『仏の顔も三度まで』というのがあるそうだが、生憎あたしは三度も黙って目をつむることができるほどの長い堪忍袋の緒を持ちあわせはていない。そこでだ。諸君らにはその罰として、夏休みを返上して『南5番街22-3番地ギルド』の仕事を引き受けてもらうことにした。その仕事を無事に終えてなお、夏期休暇の期日がまだ残っているなら、そのときは自由に休みをとってよろしい。」

 それを聞いて、少女たちの顔色が俄かに変わった。2週間そこそこしかない夏休みを返上して職務を果たせと目の前の教諭は命じているのだ。結局にして、いつも先走って暴発するシーファのあおりを食う格好になってしまっただけの二人には、実のところなんとも気の毒な話である。

「先生。」

 と、シーファ。

「何かね?」

「先生もすでにお気づきのことと思いますが、これまでの件は全て私の無責任な独断専行が招いた結果です。リアンとカレンの二人は私に巻き込まれたに過ぎません。」

「ほう。それで、どうだというのかね?」

「ですから、罰としてのギルドの依頼は私一人でお引き受けいたします。二人には何卒寛大なご処置をお願いいたします。」

 彼女は、そう懇願した。

「だめだ。」

 少し意地悪そうにして、ウィザードが話を続ける。

「お前たちは半人前どころか、三分の一人前だ。三人揃ってようやく一人前のひよっこであることは、今日までの経験でよくわかっただろう?で、あるからして、シーファ君の申し出は却下する。これは連帯責任だ。夏休みを満喫したければ、迅速に職務を完了してみせることだ。よろしいか?」

 その言葉に、三人は互いに顔を見合わせてから返事をした。

「かしこまりました。仰せのとおりにいたします。」

 少女たちはどうやら観念したようだ。


「実に結構。では、職務の内容を説明する。」

 居住まいをただして、ウィザードは説明を始めた。

「実は、先日『スターリー・フラワー』のリリー店長から私に連絡があってな。お前たちにこの夏アルバイトに来るようにと頼んでおいたのに、一向に連絡がないとそう言ってきた。どうも、諸君たちに正式に依頼したいことがあるらしい。まあ、彼なら気心も知れているからちょうどよかろう。あたしのギルドからの仕事というのは、要するに、スターリー・フラワーに赴き、リリー店長の用を引き受けて、それを無事に済ませてくるとだ。これは、君たちに対する懲罰であるから異論は認めない。すぐに出かける用意をし、明日には同店に出向きたまえ。以上だ。」

 そういうと、ウィザードは表情をやわらげた。


「いいか、シーファ。お前の自信と勇気は高く評価している。だが、後先を考えないのはよくない。その場の全員の安全を見通せるようになってこそ一人前だ。勇気と蛮行は違う。それをいつも胸に刻んでおくんだ。いいな。」

 それを受けて、シーファはウィザードの茜色の瞳をまっすぐに見つめている。

「それから、リアン。お前に必要なのは自信だ。自分を疑っていては、何事もなす前に終わってしまうぞ。反省はやって後からするもので、行動の前のそれは躊躇いでしかない。もっと自分を信じてやれ。いいな。」

 リアンはこくこくと頷いて答える。

「最後に、カレン。お前のことは本当に頼りにしている。こいつら二人と一緒というのでは気が休まらないだろうが、うまくコントロールしてやって欲しい。それから、あまり自分の言葉を飲み込むな。いざとなれば、シーファをぶん殴ってでも止めていい。それが大切なときもある。頼んだぞ。」

「はい、ありがとうございます。」

 そう言って、カレンは大きく頷いた。

「あたしからは以上だ。何か質問はあるか?」

「ありません。」

 声を揃えて応える3人。

「では、リリー店長にはあたしの方から連絡しておく。諸君たちは『全学職務・時短就業斡旋局』に寄って所定の事務手続きを済ませたまえ。よろしいな。では、行きなさい。」

「失礼いたしました。」

 そう言って、3人はウィザードの執務室を後にした。その若い3つの背中を、ウィザードがあたたかいまなざしで見送っている。


 * * *


「夏休み返上かぁ。リアン、カレン、本当にごめんね。」

 『全学職務・時短就業斡旋局』に向かう道すがら、ふたりにそう謝るシーファ。その声は本当に申し訳なさそうだ。

「いいのですよ、シーファ。大丈夫なのですよ。」

 リアンは特段気にもかけていないようだ。彼女にしてみれば、実家で退屈に夏休みを過ごすより、アルバイトの方が興味を引くのかもしれない。

「そうよ、気にすることはないわ。なんだかんだで、これまでのことはみんなで解決してきたんですから。連帯責任というのもその通りだと思うし。」

 カレンも、これまでの出来事を大切な思い出として受け入れているようだ。

「でも、カレン、本当に殴るのはなしよ。」

「どうかしら?先生のお墨付きもあるから、今度はほんとに殴ってあなたを止めるかもね。」

 そう言って、カレンはいたずらっぽく小さな舌を出して見せた。


 そんな会話を繰り広げているうちにも3人は当局の事務所にたどり着き、そこでウィザードに言われたとおりの事務手続きを済ませた。任務のための休暇申請は全部で10日。補習期日の残りが3日、その後の7日は夏休みに食い込む格好になる。実にその半分を犠牲にすることになるわけだ。なんとも意地の悪いことに、ウィザードは休みが減っても課題は減らさないと、そう釘を刺していた。3人は改めて、今年の夏のこの先を思いやっていた。

「受け付けは完了しました。先生のお話では、職務の詳細は指定場所で直接指示を受けるようにとのことです。その職務に関する報告書を書面で提出することで、先生の依頼をこなしたこととされるそうです。何かご質問はありますか?」

 当局の事務方職員が、確認を促す。

「大丈夫です。お手数をおかけしました。私たち3人は明日朝、指定場所に出向きます。」

 代表して応答するシーファ。

「わかりました。道中および職務中はくれぐれも安全に配慮してください。報告書には指定の様式がありますので、これをお持ちください。」

「ありがとうございます。」

 事務方職員から書類の一式を受け取って、3人はその場を後にした。以前『スターリー・フラワー』に出向き、『カリギュラ』退治を敢行したのはわずか10日ほど前のことだが、それからもうずいぶんと時間が経っているような気がする。ニーアの事件、『天使の卵』の摘出、最期にはミリアムの異変に始まって天使もどきの襲撃から先生たちの様変わりまで、さまざまな事件が矢継ぎ早に彼女たちを襲っていた。特にミリアムと天使もどきの一件は、驚愕の出来事であった。3人は、ウィザードの咄嗟の指示に従って、学徒達に中央尖塔に続く道を避けさせながらアカデミーの裏門へと誘導する役目を実に立派に果たしたのであり、大規模な襲撃事件であったにも関わらず、学徒たちに犠牲が出ずに済んだ背景には、彼女たちの決死の活躍があったことは言うまでもなかろう。


「それじゃあ、明日、7時にゲート前で会いましょうね。」

「はい、なのですよ。」

「わかりました。今日は準備をしっかりと。」

 そう言って3人は分かれた。


 時刻は既に夕刻に差し掛かっていたが、8月初旬の陽は長い。確かに、夏の真っ盛りの頃に比べれば、太陽は西に駆ける速度を幾分か速めてはいたが、それでもまだ夜までには十分な時間が残されている。太陽が石畳に照り付け、あたりを蒸し返している。照り返しが暑い。通路を吹き抜ける風はまだまだ夏のそれであった。


 * * *


 あくる朝、3人はゲート前に集合した。魔法具店でのアルバイトという建前ではあったが、どのような職務内容であるのかは行ってみないと詳細が分からない。そのため、あらゆる可能性を考慮して、最低限でも数日のキャンプは可能な装備を用意して行こうということにしていた。シーファとカレンの二人はこうした準備に慣れていたが、リアンはまだまだ加減が分からないのであろう、今回もまた、彼女なのか荷物なのかにわかに分からない格好でゲートに姿を現していた。

「まぁ、リアン、今回もずいぶんな大荷物ですね。」

 カレンが微笑んで言う。

「何日か分のキャンプの用意をしてきただけなのです。ふたりはそんなちょっぴりで大丈夫なのですか?」

 不思議そうに問うリアン。

「ええ、こう見えて往復4日の行程には耐えられるわよ。」

 そう答えるシーファは、大きめのリュックといくつかの荷を腰に下げているだけで、リアンとは対照的な荷物の少なさである。それを見てリアンは不思議でならないという顔をしていた。


「さぁ、いきましょう!」

 シーファの掛け声にあわせて、3人はアカデミー前の大通りを西に進路をとった。『サンフレッチェ大橋』はマーチン通りを北に抜けたその先にある。『スターリー・フラワー』に至るためには、特別の仕方でその橋を抜ける必要があった。それは一種の道順暗号になっていて、橋の欄干の途中に設置されるガーゴイル像まではその右端を、そこから鳳凰像までは左端を、そしてその先は中央をまっすぐ抜けるというものである。3人はその魔法の暗号をよく記憶していて、的確にこなしていった。鳳凰像に差し掛かるあたりから、あたりにはにわかに霧が立ち込めてきて、夏の湿度をどんどんと増し加えていった。この霧が立ち込めてくると、あたりの気温はいくばくか下がるのであるが、8月中旬を見据えるこの時期特有の厳しい暑さのもとでは、わずかな気温低下よりも湿度増加がもたらす不快感の方がはるかに上回っていた。3人は、顔から首にかけて大汗をかき、上着をびっしょりにしながら、その暗号を踏襲していった。橋の中央を歩き始めると周囲を覆う霧は一層濃くなり、湿度はいよいよ高くなって、その不快感は実に酷いものとなった。舌が出るような思いをしながら、3人はリリーが経営する『裏路地の魔法具店』を目指して進んで行く。暑さと荷物の重さに疲労感を隠せないリアンの背の重圧を、後ろからシーファとカレンが支えてやっていた。それでもリアンはずいぶん苦しそうだ。ようよう橋を渡り終えようかというところに差し掛かると、いよいよ霧は濃くなり、周囲はほとんど視界が効かなくなっていった。


 リアンは荷物とともに腰を下ろして、肩と胸を大きく上下させている。カレンは橋を行き切った左手にあるはずの魔法具店の看板を探していた。やがて霧の中にそれは見つかる。

「ありました。さぁ、行きましょう!」

 そう言ってカレンは扉に手をかけた。金属製のノブがひんやりと心地よい。ドアを押し開けると呼び鈴のベルが鳴り、奥から声が聞こえてきた。

「いらっしゃい。」

 その声は、確かに聞き覚えのあるこの店の店長のものだ。入り口奥の会計用のカウンターの裏で何事かしていたらしいその人物は、ゆっくりと戸口にやって来て3人を見とがめる。

「あら、あなたたちだったの?いらっしゃい。よく来てくれたわね。」

 店長はそう言った。

「先生、いえ、『南5番街22-3番地ギルド』から、リリー店長さんに御用事を仰せつかって、それを果たしてくるようにと言われてきました。」

 シーファが代表して用件を伝える。

「ありがとう。アルバイトに来てくれたわけね。歓迎するわ。ついて来てちょうだい。」

 そう言うと、リリーは3人をホールの先の特別展示エリアを更に越えた先にある従業員控室に案内した。


「かけてちょうだいな。」

 3人を長椅子にかけさせるリリー。

「それで、お仕事とはどのようなことでしょうか?」

 そう問うシーファに、

「あわてなさんな。その前にこの書類を読んで、下にサインしてちょうだい。仕事をしてもらうにあたっての就業規則と、あと保険関係の書類よ。」

 そう言って、彼はそれぞれに1枚ずつ書類を手渡した。それは、名前や連絡先など自己に関する情報を記入する欄から始まり、その下には蟻の這うような字で書かれた就業規則と保険の約款が羅列されており、最後は、それらへの同意を確認するための署名欄で締められていた。3人は、必要事項を記載して、それぞれにリリーに渡す。

 彼は、それらの書類を一通り見やってから、言った。

「なるほど、『カリギュラ』退治をやってのけるだけのことはあるわね。あなたたち見かけよりずっと優秀なのね。」

 そう言ってから、3人の向かいの席に着座した。

「仕事というのわね、『カリギュラ』退治をやってのけたあなたたちを見込んでの、ぜひともの頼みごとなのよ。」

「それはどのようなことでしょう?」

 カレンがその内容を訊ねると、

「『ハングト・モック』を捕まえて、といっても生死は問わないから、それを持って帰ってきて欲しいのよ。」

 と、リリーはそう答えた。『ハングト・モック』というのは『カリギュラ』同様、魔法社会からドロップアウトした邪悪な『裏口の魔法使い』が主に小間使いとして召喚する魔法生物で、巨人のカリギュラとは対照的に身の丈1メートルほどの小人である。ただその体躯は屈強かつ頑丈で、斧の扱いに長け、魔法も使いこなす危険な存在であった。


 彼らは金を見つけ出すことに長けており、それを秘密の場所に人知れず蓄えることで知られていた。彼らの秘密の隠し場所を突き止めることは容易でなかったが、その場所は彼らの瞳に刻まれるのだとのことで、『ハングト・モックの瞳』は、一獲千金を夢見るものが追い求める一種の生きた金鉱山としての意味合いを持っていた。リリーはその瞳の持ち主を、生死は問わないから連れて来て欲しいと言うのである。

「もちろん、分かっているとは思うけれど、あたくしの狙いは『ハングト・モックの瞳』よ。だから、生死は構わないけれど、かならず頭部は無傷で送り届けてちょうだいね。」

 そう言って、リリーは片方の口角を上げて見せた。

「それは可能だと思いますが、『ハングト・モック』はなかなかその存在をつかめない魔法生物です。リリーさんにはその所在に心当たりがあるのですか?」

 カレンが訊ねる。

「ええ、もちろん。お馴染み『ダイアニンストの森』に生息しているわ。そのことは確認してあるのよ。ただ、あたくしにはこのお店があるから直接に捕まえに出ることができなくてね。人を雇うにしても、こんな性質のお店じゃいろいろと面倒なの。それであなたたちを頼ったというわけなのよ。」

 そう言ってから、彼は魔法タバコの赤紫色の煙をくゆらせた。


「お願いできるかしら?」

 3人の顔をのぞき込むリリー。少女たちは互いに顔を見合わせてから頷き、シーファが代表してそれに応えた。

「わかりました。お引き受けします!」

「そう、ありがとう。じゃあお願いするわね。」

 そう言うと、彼はふと視線を虚空に仰いだ。

「お給金は、3人で3人分の出来高払い。必要経費は折半ね。届けてくれた『ハングト・モック』の状態次第ではボーナスを弾むわ。条件はこれでどうかしら?」

「わかりました。問題ありません。」

 そう返事するシーファを見て、ふと、リリーが変なことを言う。

「そうそう。あなたたち、当然に報告書は書くわよね?」

「ええ、そうすることになっています。」

 それを聞いて、ちょっと考えてからリリーが続けた。

「お給金のことなんだけど、先生には3人で2人分と報告してもらえないかしら?実際はちゃんと約束通りに支払うから、格好だけね。」

「それは、できないことはありませんが、でもまたどうして?」

 合点がいかない様子のシーファ。

「実はね、昔あなたたちの先生をここで雇った時に、給金を半分に値切ったことがあるのよ。急に気前良くなったら後で何言われるか分かったものじゃないでしょう?」

 そう言って、リリーは再び片方の口角を上げて見せた。

「そう言うことでしたら…。」

「頼んだわよ。偶然壊れるのは仕方ないとしても、トサカにきたあなたの先生にこの店を焼かれるのだけはごめんだもの。」

 そう言って、リリーは笑顔をのぞかせる。

「わかりました。ではそのようにいたします。」

「よろしくね。で、出かけるにあたって何か必要なものがあれば、必要経費扱いにはなるけれど、役に立ちそうなものがあるなら何でも持って行っていいわよ。」

 リリーは店内をぐるりと見せた。

「わかりました。それでは『急速魔力回復薬』を3人分お願いします。」

 そう申し出たのはカレンだ。

「いいでしょう。持ってきてあげるからちょっと待っててね。」

 リリーはホール抜けて販売所まで戻り、陳列棚をごそごそやってから、ほどなくして戻ってきた。

「半額は、報酬から引くわね。一応約束だから。」

 そう言って、伝票に記録をつけていく。

「ありがとうございます。これがあれば心強いです。」

 カレンは謝礼を告げた。

「他にいるものはある?非常食や魔法瓶詰もあるけど…。まあ、その準備なら大丈夫そうね?」

 リアンの大きな荷物を見ながら、笑いをこらえるようにして言うリリー。

「はい、『ダイアニンストと森』までであれば、用意した荷で補給なくキャンプができます。最悪は帰路の『タマン地区』で必要物資を買い足しますので。」

「そう、じゃあ、まかせたわよ。連絡は、通信機能付魔術記録装置で。マジック・スクリプト《相手を指定する番号のようなもの》はお互い知ってるものね。」

 そう言って、リリーはカレンにウィンクを送った。

「はい、大丈夫です。必要なことは逐次連絡します。」

「よろしくね。」

「では、いってきます。」

 3人はそう告げてから、さっそくにリリーの店を後にした。夏の陽はゆっくりと天上付近に差し掛かっている。店を離れるほどに霧はどんどんとはれていくが、暑さはひどくなる一方だ。来た時同様に大汗をかきながら、3人は、サンフレッチェ大橋からマーチン通りへと続く一連を南下し、今度は、南大通りをタマン地区に向かって、更に南に進路をとって行った。


 肌にまとわりつく暑さと湿気、そして絶え間なく滴り落ちる汗がうっとうしい。リアンは早くも荷物の下敷きになってしまいそうだ。その大きな荷を先ほどと同じように、シーファとカレンが支えながら、疲れた足をなお前へとかいくり出して行く。


 * * *


 その日の夕方少し前、3人は南部の『タマン地区』に入った。太陽はまだ地平線のいくばくか上空をゆらゆらと漂っている。日暮れまでに『ダイアニンストの森』に入ることもできないわけではなく、その入り口でキャンプを張ってはどうかとの提案もあったが、一日中歩き詰めであること、不要な荷は宿に預けた方が任務をこなしやすいことなど、いくつかの理由によって、3人はこの街に一夜の宿を求めることにした。また、帰還するまでの間、その宿に荷を預けておくことに取り決めた。宿に入ってフロントにその旨を伝えると、宿の者は快く彼女たちの申し出を引き受けてくれた。1泊の料金と、おそらく数日分になるであろう荷物の預け賃は頭の痛い問題ではあったが、何よりも確実に仕事を完了することの方を優先して、3人はその方法を選択した。とにかく前進しよう言い張るシーファを強く諫めたのがカレンであったことは想像に難くない。リアンは、文字通りにその背の重荷から解放されて、やれやれという面持ちであった。

 大物はすっかりと宿に預け、手荷物だけを持って部屋に入った3人は、それをベッド脇に放り出すと順にシャワーを浴び、一日中流しっぱなしであった汗を洗い落とした。熱いお湯と、その湯気に乗って立ち込めるシャボンの香りが心地よい。最後にシーファが浴室を出てくると、テーブルには食事が準備されていた。この日は、ここ『タマン地区』名産の野鳥の骨付きグリル焼きで、それに野菜スープが添えられている。


 一日中歩き通して腹ペコだった3人は、テーブルに並べられた食事をめいめい美味しそうにほおばった。リアンは山鳥のグリル、カレンは野菜スープ、シーファは食事に添えられていた蜂蜜レモン水が特に気に入ったようだ。

 少女たちは食事を楽しみながら、酔ったわけでもないのに、一緒に懐かしい童謡やアカデミーの校歌などを歌って親交をあたためている。よほど疲れたのであろう、リアンは歌いながらうとうとと船を漕ぎ始めた。

「あら、リアン。眠いの?」

 そう訊ねるシーファに、ぼんやりとした瞳を向けて、こくこくと頷くリアン。それを見て、カレンがリアンを床に連れて行った。ベッドに身体を横たえて布団をかぶったかと思うと、それほどの間もしないうちにすーすーと静かな寝息が聞こえてきた。シーファとカレンは、その後もしばらくお茶を傾けながら、今日までに起こった不思議な出来事について言葉を交わしあっていた。


「あの天使、というかそれらしいもの、いったい何だったのかしらね?」

 肩肘をテーブルについて首をかしげながら言うシーファ。

「よくわからないけど、とにかく大変でしたね。あの時先生たちが来てくれなかったら、私たちは今ごろ…。そう思うと空恐ろしくなります。」

 カレンはしみじみとその瞬間を思い出している。

「まさに危機一髪だったわ。卵を持っていて本当によかったもの。」

「まったくです。『あなたたちの身体から出てきたものだから』と先生たちが持たせてくれていたことが功を奏しましたね。九死に一生でした。」

 そう言ってカレンはグラスの蜂蜜レモン水を傾ける。

「でも、あのとき先生たちは確かに、天使になったはずでしょ!?」

「ええ。」

「ところが、その翌日、何食わぬ顔で学園に現れたわよね。びっくりしたわ!」

「ほんとうね。私、先生たちとはもう会えないかもとそう感じていたもの。」

「天使になった後も、相変わらず厳しいけどね。」

「そうね。」

 そう言って、ふたりは笑いあった。彼女たちが視線をリアンの方にやると、リアンはもうすっかり夢の中に沈んでいて、先ほどと同じように静かな寝息を立てている。

「私たちも休みましょう。」

「ええ。」

 それから二人も床に入った。その後も何事か言葉を交わしたようではあるが、何を話したかも分からないうちに、ふたりの精神は深い睡眠に閉ざされていった。疲労と満腹感が心地よい眠りを誘う。朝は瞬く間に訪れた。


 * * *


 翌朝目覚めた3人は、出発の準備に取り掛かる。宿が用意してくれたトーストとコーンスープ、それからコーヒーを流し込んでから、二日分のキャンプに堪える装備と食料、水、水薬と得物を忘れずに準備した。リリーに用意してもらった『急速魔力回復薬』をローブのポケットにしっかりと仕舞ったことはもちろん言うまでもない。

 その日も空は抜けるような晴天で、ぎらぎらと照り付ける夏の太陽は、朝の早い時間帯から、3人の肌を焼き尽くさんばかりの勢いであった。荷物の預かり証はシーファがしっかりと荷物の中に仕舞い、『ダイアニンストの森』へ向けて更に南に進路をとる。

 石畳の街道は、進むにつれて舗装が乏しくなり、次第に土を剥き出した獣道のようになって行った。あたりを鬱蒼うっそうとした木々が取り囲みはじめ、やがて、そのなけなしの細道も途絶えて、3人の足音はざくざくと落ち葉を踏みしだくものに変わっていった。


 あたりを取り囲む木々の数は一気に増し、『ダイアニンストの森』が再び彼女たちを取り囲み始めていく。あれだけ容赦なく照り付けていた夏の陽は厚い森に阻まれてなりを潜めて、あたりを取り囲む湿気と蒸し暑さだけがその存在を思い出させるだけになっていた。森を抜ける風は、石畳に覆われた市街地をめぐるものよりは幾分ましな心地よさがあったが、それでもこの時期のそれは汗をどっと誘う熱量を十分に備えていた。

 カレンは、目印となりそうな木々に、今回も慎重に目印を刻んでいる。3人は、深い森の中で、金を蓄えると言われる魔法生物の小人の痕跡を探していた。

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