シュレーディンガーのTS箱に入れられたら、幼なじみに観測決定権を握られた
しぎ
幼なじみが俺の身体の決定権を握っている
「うーん……どこだここ」
目が開いた。が、視界はぼやけている。
脳内にピンクのもやがかかってるような感じだ。
手足がしびれたように動かない。
「ああ……は50%の確率で……する箱……すまないが、実験…………」
聞き覚えのある声。だけど、それもだんだん小さくなる。
力が、入らない…………
***
目が覚める。見慣れた白い天井。
窓から差し込む朝日。
――はて、変な夢でも見たか。
変わらぬ自室でベッドから上体を起こしたところで、俺は気付いた。
なんだろう、この全身のむずがゆい感覚。
胸のあたりに感じる重み。つかんでみると何やら柔らかい。
何だよこれ。俺は別に筋肉ついてるとかでは無いけど、さして太ってるわけでもないぞ。
それに、腰回りの方は特にそんなこともない。いや、心無しか少し尻のあたりがふっくらしてるような……
そう思って、股のあたりまで手を回して、俺は決定的な異変を把握した。
あれが付いてない。
いや、付いている感覚はある。なのに、触ろうとすると存在しない。
確かにそこには、男の象徴があるはずなのに。
俺は布団を脱ぎ捨てる。パジャマの上を脱ぎ、続いて下を降ろす。
――無い。やっぱり無い。
下半身にあるはずのものが無く、上半身に無いはずのふくらみが存在する。
これじゃあまるで、俺が男でないみたいじゃないか……
ピンポーン
「
困惑する俺をあざわらうかのような間延びした声が、呼び鈴とともに聞こえた。
そうだ。俺がこんなことになった原因なんて、こいつ絡みしか考えようがない。
俺の幼なじみであり、天才であり、何考えてるかわからないやつ。
「調子なんてもんじゃねえよ。おい、俺を女にしたのはお前か、
俺が玄関ドアを開けると、トロンとした目をメガネの向こうから見せる制服の少女がいた。
***
「なるほど、つまり感覚は男のそれだけど、見た目は女だと……」
勝手知ったる家とばかりに、冷蔵庫から麦茶をコップに注いで飲む有栖。
「それ、今はどうだい? 起床からしばらくして、なにか変化はあった?」
混乱をどう発散すればいいのかわからない俺とは対照的に、有栖は世間話みたいなノリで聞いてくる。俺に向ける視線はキリッとしてはいないが、興味津々といった輝きだ。
絶対こいつ何かやった。理屈はわからんが、絶対そうだ。
有栖はとんでもない天才である。俺と同い年の高校生でありながら、特例で大学の生物系研究室に通い、教授も顔負けの研究をしている。俺は知らないが、専門の世界では千年に一人の逸材と呼ばれてるとかなんとか。
そして、その研究実験と称してたびたび俺に変な薬を飲ませたりしてきた。一週間ぐらい身体から香水のにおいがしたり、朝起きたら髪が明らかに減っていたこともあった。
だから多少変なことをされてももうあまり驚かない、と思っていたが。
「そもそも起床した時点で変化あったんだって。有栖お前何やったんだよ」
俺は有栖に詰め寄る。
さすがに今回のは度を越している。
共働きである俺の両親がともに帰ってきていない日を狙うあたり確信的だ。
「わかったわかった、言うよ。勝手ながらゆうべ、『50%の確率でTSする箱』に歩夢を入れさせてもらった」
――あれ、夢じゃなかったのかよ。
「ってか何だそれ。50%ってどういうことだよ」
「私だってもちろん本当は100%にしたいさ。だけどこれが今の限界なんだ」
限界ってどういうことだ。50%でも普通にやばくね?
「50%だから、歩夢がTSしてるかしてないか確認しようとしてるわけなんだけど、実際どう?」
「いやだから、お前のせいで今変な感覚なんだよ。確かにここにあるはずの感じ……」
あれ。
気づいたらもう、ある感覚すら無い。まるで最初から何もなかったかのような下半身。
「何も感じない。もうこれじゃあ」
「つまり、歩夢は完全に女になってしまった、と」
くっ、犯人の有栖にそんなはっきり言われると、無性に腹立つな。
「どうしてくれんだよ。今までのお前の変な薬は実害なかったけど、これはダメだろ。体育の授業とか着替えられねえよ俺」
「問題無いさ。戻りたくなったら、また『50%の確率でTSする箱』に入れてあげるよ」
「じゃあ今すぐ入れてくれ」
「それは無理だ。あの箱に反応ガスを詰めるのに時間かかるからね」
欠点多いなその箱。
「大丈夫でしょ。体育の授業、次来週だよね」
「でもテニス部の練習は」
「試験前期間で今日から部活休みだろう」
くそっ、そのとおりだ。
身体もむずがゆいが、心もむずがゆい。
「お前、試験前に何してるんだよ。こんなんじゃ勉強もおちおちできねえ」
「どうせいつも勉強してないくせに。赤点取って、私に泣きついても知らんぞ」
自慢げに上から目線をしようとする有栖。
俺よりも身長低いくせに。背伸びしても俺を見上げることになるのは、天才じゃない俺でもわかる。
「それに私も試験をしたくなったんだよ。『50%の確率でTSする箱』の実験」
こいつ、キメ顔しやがった。黙っていればそこそこ可愛いのに、こんなことやってるから男子受けも悪いんだぞ。
でもなあ……まじでこういうことしてるときの有栖が一番楽しそうなんだよな……
***
制服はブレザー、着込んでしまえば胸の膨らみも全く見えないのが救いだった。
学校へ行き、いつも通り授業を受ける。
友人も、先生も、全く俺の異変には気づかないようだ。
……えっ、そんな気づかないもんなの?
もともと中性的な顔である自覚はあったけど、スマホの鏡に映る俺の顔は男よりかは女に近いだろう。
「昔は歩夢がしばらく髪を切らないと、女子に間違われていたのを思い出すね。私が髪を短くしている時期は、私のほうが男子みたいだった」
有栖のやつ、他人事だからってこんなメッセージ授業中に送りつけやがって。
「うるせー。言っとくけど、女子に間違われるの嫌だったんだからな」
「あれ、そうなのかい? なら頻繁に髪を切れば良かったのに。あるいは、私が切ってあげても良かったんだけど」
有栖に髪なんて切らせたら、俺の命がどうなっていたことか。
何しろ小学生の時から『量子消しゴム実験』なんてやってたやつだ。よくわかんねえけどやばそう。
ってかそれより今小便したいんだけど。
変な身体になっても尿意ってあるんだな。
退屈な地理の授業を聞き流しつつ、左手で下半身を上から抑える。
感覚は、今朝と同じ。男のあれがある。
でも実際にズボンの上から触ってみれば、そこには何も無い。
登校してたときは感覚すら全く感じなかったのに、今ははっきりと、俺の小便がそこを通って便器に消えていく姿が想像できる。どうなってんだ。
まじで有栖、何やったんだよ。
「はい、今日はここまで」
チャイムが鳴り、先生の声が聞こえた瞬間、俺は席を立ち上がり教室から飛び出す。
「おっ、花摘みかい?」
入口近くの席に座る有栖が、眠たそうな目で眺めてくる。
「そうだよ。悪いか」
「いやいや、歩夢が性別を間違えないか心配でね」
「なめてんのか」
有栖の言葉もそこそこに、俺は廊下を走って、男子トイレへ飛び込む。
ズボンのチャックを下げて……
「あれ」
……ある。
いや、あって当たり前なのだが。
でも、ついさっきまで俺がいくら触っても、何もなかったのに。
今、俺の視線の先では触った突起のところを通って小便が放物線を描いていく。
全く、有栖のやつ混乱させやがって。もうTSの効果切れてんじゃねえか。
***
数時間後、昼休み。
「なんでだよ!」
俺は思わず、男子トイレの個室の中で叫んでいた。
胸を触る。はっきり膨らんでいる。
股のところには、男の象徴が全く持って見当たらない。
何があった?
さっきトイレへ行き、その後また普通に授業を受け、昼休みになって飯食う前にトイレ行っとこうと教室を出て、からかう有栖を軽くあしらい、ここまで来た。
それだけだ。また有栖に変な薬を飲まされたりとかはしてない。
なのに、俺の身体はまた女になっている。
「おい有栖。俺の身体どうなってんだ」
「もしかして、また性変わった?」
メッセージは即レス。昼休みにこの文面準備して待ってたとか無いよな。
「ご飯食べたら化学準備室に来て」
「おい有栖!」
「まあまあ落ち着いて。ほら、食後のコーヒーだ」
俺が飛び込むと、有栖はトロンとした目でコーヒー入りのビーカーを渡してきた。
「落ち着けるか! 俺の身体はどうなってんだ」
ビーカーをひったくって俺はコーヒーを一気飲みする。どうせ一瓶いくらのインスタントだ。
この化学準備室は学校における有栖の住み家。休み時間や放課後にはここに入り浸り、明らかに高校生が読むもんじゃない専門書をめくっている。
けど、今日ばかりは優雅に本を読ませるわけにはいかない。
「これも実験なんだよ。無断で歩夢を被験者にしちゃったのはまあ、謝るけど」
嘘つけ。悪気ゼロだろお前。興味津々な顔して言うな。
「でも慌てても問題は解決しない。仮説を検証する際に急いではいけないよ。無意識のうちに恣意的な選択を――仮説を補強する方向に曲解をしてしまうかもしれない」
「ああもう、前置きは良いんだよ」
「全く歩夢は……わかったよ。じゃあ私の仮説をこれから話す」
有栖は瞳をキラキラさせて俺を見つめる。
憎いぐらいに楽しそうで、良い顔してやがるこいつ。
「シュレーディンガーの猫、って知ってる?」
「シュレー……」
何言ってんだ?
いや、確か昔有栖が言ってたな。えっと……
「半分生きてて半分死んでる猫、だっけ」
「半分ではない。生きており、同時に死んでいる状態だよ」
有栖は、空のマッチ箱を机の上に置いて、中箱を開ける。
「密閉され、内側から開けられない箱に猫を閉じ込める。箱の中には猫を殺す仕掛けがあって、その仕掛けは50%の確率で作動する。閉じ込めてしばらく経ったら、猫は生きているか? 死んでいるか?」
「それは……50%の確率で生きてるし、50%の確率で死んでるってことだろ」
「そう。ということは、箱を開けるまで猫の生死はわからないってこと。としたら、箱を開けない今、猫はどんな状態か?」
「生きてるか、死んでるかじゃねえの」
有栖は中箱を閉じたマッチ箱をカラカラと振る。
「古典的な人はそう考える。でも現代の量子力学においては、箱の中の猫は生きており、同時に死んでいる状態と考えるんだ。そして、箱を開け、観測者に観測された瞬間、どちらかの状態に決定される。これがシュレーディンガーの猫」
有栖はマッチ箱を開ける。いつの間にか、半分に折れたマッチ棒が入っている。
「――ところで、50%の確率って話、今朝にも私したよね」
えっ。
それって。
「歩夢は、50%の確率でTSする箱に閉じ込められた。よって歩夢は、TSしており、同時にしてない状態になったと考えられる。そして観測者に観測されることで、どちらかの状態に決定される」
はあ!?
「じゃあ、俺の身体を握ってるのはその観測者ってやつか」
「そうそう。で、その観測者は大体の場合最初に箱を開けた人間だ」
つまり俺の身体を観測して、TSの状態を握ってるのは……
「ってことは有栖、俺の身体はお前の思うがままってことかよ」
「誤解を招くような言い方をしないでくれ。それに観測結果は観測者の意思とは無関係だ。現に私はずっと歩夢にTSしてほしいと願っているが、歩夢の身体は男と女を行き来している」
本当か?
適当なこと言って俺を混乱させたいだけじゃねえのか?
「まあ、歩夢の身体を私が握っているというのは事実かもだけど」
有栖が、今までにない素早い動きですっと俺の元に来て、また膨らんでいる俺の胸を揉む。
「歩夢、気持ちいいだろう? これが女子の感覚だ」
くっ……悔しいが、今まで感じたことのない刺激。
同じ揺れるものでも、男に付いてるやつとは全く感覚が違う。
気持ちいいかどうかで言えば、気持ちいい。
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