第2話 主命

「お初にお目に掛かります。国安の娘、さくに御座います。」

 立膝を付き跪まずいたさくが頭を下げると、壇上から野太い声が掛かる。

「苦しゅうない。面を上げるが良い。」

 さくはゆっくりと頭を上げ、目の前に座る男を注視した。その男こそが父・国安が仕える主・大殿である。さくは驚いた。大殿は領国を一度失っている事は前に述べた。そこから知略を持って返り咲き、この地方の7人の有力豪族を軍略を持って次々と屈服させつつある。父の仇を討たんとする気概に満ちた男を想像していたのだが、目の前に居るのは人の良さそうな入道である。大殿は幼年期に父母姉を亡くした事もあり、仏道に帰依したいという志が高まって剃髪し、瑞応覚世と号していた。

「そなたはさくと申すのか。」

 大殿はまじまじと舐めまわすように見るので、さくは先程の覗きの事も有り、裸を見られている様な恥ずかしさを覚え、顔を伏せながら「はい」とだけ答えた。

「そなたは先程、屋敷奥で水浴みしておった娘で間違いないな?」

 それを聞いてぎくりとするさく。大殿は何故その事をご存じなのだろうか?

「はい。私です。」

 さくは動揺を悟られまいとはっきりと答えた。

「実はそなたに相談したい事があるのじゃ。」

 唐突な問いである。いったい何なのであろうか?

「儂は幼き頃に親姉弟を殺された。それは存じておるな?」

「はい。存じております。」

「なんとしても儂の目の黒いうちに父母の敵を討ちたい。本山氏とは共に天を抱かずじゃ。だが、本山氏攻略前にやらねばいかん事があるな。」

「長岡・香美郡の重要地帯を抑えねばなりませんね。」

 さくの言葉に大殿は「ほう」とばかり感心した表情を見せた。女ながら見事な見識である。

「それでは、そなたに訊ねる。長岡・香美の両郡を抑えるために最適な策はなんじゃ?」

 大殿の表情にはさくを値踏みする様な雰囲気が含まれていた。さくは臆さず答える。

「その国に大殿のお子様を送り込めば良いと思います。お子様を養子にするのです。」

「・・・・・・。養子に・・・・。向こうの主がそれを受けるか?」

「向こうは東西から攻撃を受けています。先年には東の安芸氏の攻撃で嫡男の秀義様を失ったと聞いております。この様な状況下ならば、憎っくき安芸氏に降るのならば、大殿から養子を迎え、こちらの傘下に入る事を選ぶのではないかと私は思います。」

「・・・・・そちは簡単に言うが、向こうには既に養子がおるのだぞ。」

「存じております。当主・親秀様の実弟・秀通様ですね。」

 女子ながら周辺諸国の国情に通じているさくに大殿は眉を開いた。

「秀通は反対しないか?」

「絶対反対するでしょう。」

「それでは駄目ではないか?」

「問題ありません。秀通様を亡き者にすればよろしいのです。」

「亡き者にすれば良い?・・・・こちらがその様な事をしたら、向こうの反発は目に見えておる。」

「ですからこちらが手を下すのではなく、当主の親秀様に殺させれば良いのです。」

「・・・・・・・・・・。」

 大殿は暫く押し黙っていたが、やがて笑みを浮かべ、大声で笑いながら膝を打った。

「いや、いや、我が意を得たりじゃ。驚いたぞ。宮脇家の娘は賢き人じゃと噂には聞いてはいたが、これ程とはな。」

「恐れ入りまする。」

「これならば弥三郎に付けても不足ない。」

「???????。」

 なんだ?何の話だ?さくは大殿の言葉の意味が分からない。さくの表情を見た大殿は笑いながら、

「いや、実はそなたに弥三郎の傍に付いて、色々と面倒を見てやって欲しいのじゃ。」

 弥三郎と云うのは大殿の嫡男。つまり評判の芳しくない引き籠りの若殿である。

「それは一体どういう事で?・・・・」

「いや、そなたに弥三郎を色々と養育して欲しいのじゃ。」

「そういう事でしたら私などよりも相応しい方が幾らでも他に居るではありませんか。めのこ(女子)よりも武芸を教えられるおのこ(男子)の方がよろしゅう御座います。

「それは無理なのじゃ。」

「無理?何故で御座いますか?」

「臭いのだそうだ。」

「は?」

「おのこは臭いから嫌なのだそうだ。弥三郎はおのこを嫌っての。傍に付けるのを嫌がる。」

「・・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・・」

「おのこが臭いから嫌だと若殿が仰ると?」

「うむ。」

 大殿は苦り切った顔をして頷いた。

「それは異な事を仰せです。お付きの若衆がそんなに臭いとは考えられませんが・・・・・。」

 さくは大殿に疑問をぶつけた。

「いや、不潔だから臭いとかその様な事ではない。弥三郎が言うには、おのこ特有の臭いが嫌じゃと申すのだ。」

「特有の臭いと申しますと?・・・・。」

「皆まで言わすでない。察せよ。」

「・・・・・・・・・・。」

 おのこ特有の臭いとは何の事だ?一体、何が臭いというのか?女子ながらに軍略に長け、賢き人と言われるさくにもさっぱり分からなかった。

「分かったか?」

「分かりません。さっぱりと。一体何の事なのか。」

「・・・・・・・・。ふぐりじゃ。」

「は?・・・ふぐり?」

「そうじゃ。ふぐりが臭いのじゃそうだ。それでおのこの近衆を寄せ付けぬ。」

「・・・・・・・・・・。」

 さくは唖然とした。ふぐりが臭くて近衆を寄せ付けないとは・・・・・。ふぐりというのは、おのこの精巣の事。つまり金玉・睾丸の事である。

「そんな・・・・・。その様な事を申すのなら、将来どうするのですか?若殿をお支え申すのは皆、おのこです。いくさば(戦場)に行くのもおのこ。臭いからと言って、めのこを率いて行くおつもりなのですか?」

「その通りだ。それで困っている。」

「・・・・・・・・。」

「それでそなたの力を借りたいのだ。」

「しかし、かように申されましても・・・・・。」

「とりあえずそなたの申す事なら聞く耳持つ筈じゃ。そなたからおのこを臭いからと言って遠ざける様では、国が滅ぶと言って欲しいのじゃ。」

「・・・・・・・。一つ、お伺いしてもよろしゅう御座いますか?」

 さくはここで一つの疑問をぶつけた。

「なんじゃ?なんなりと申せ。」

「・・・・・・・その、若殿は大殿に対しましても、その、・・・・何が臭いと言うのですか?」

「儂には言わぬ。」

「では、大殿から若殿に良く言って聞かせれば良いのでは・・・・・。」

「それがな・・・・、弥三郎はちょっと変わっておってな・・・・・。何を考えておるのかよく分からんのだ。」

 大殿は歯切れが悪い。

「と、申しますと・・・・。」

 さくはどういう事なのか慎重に聞き出そうとする。主の家の事なのでどこまで口出しして良いものか探りながら。

「おそらくそなたも聞いておろう。弥三郎の噂を。」

「・・・・・・・・・・。」

 勿論聞いている。さくだけでなく、領民皆が、若殿の芳しくない噂を知っていた。

「遠慮するでない。聞かせよ。」

「はい。・・・・・・あくまで噂の域を出でない、真偽不明の話ではありますが・・・・・。」

 さくは大殿にありのまま噂を聞かせてよいか迷った。尾ひれの付いた話は全て若殿を貶めるものであったので、大殿には不愉快であろう。しかし、主命でそれを聞かせろと言われたのでは、話さない訳にはいかない。さくはやんわりと言葉を選んで話した。

「若殿は人とあまり話すのを好まれないと・・・・。」

「そうじゃ。言葉数少ない。」

「人に挨拶をしないとか・・・・・。」

「そうじゃ。会釈すらせぬのだ。」

「・・・・・体を洗わぬとか。」

「そうじゃ。洗ってる所を見た事がないのう。」

「厠に行かず、桶に用を足すとか・・・・・。」

「そうなのじゃ。それで困っている。厠で用を足さぬ理由が分からぬ。」

「・・・・・・・・・・生来、虚弱なたちと噂するものもあります。」

「線が細いのじゃ。腕など枯れ木の様で、あれで果たして槍働きが出来るものか・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・・。」

 さくは無言である。大殿はどうしたのかと声を掛ける。

「なんじゃ。どうした?」

「どうしたではありませぬ。それでは噂話は全部、本当だという事ではありませぬか。」

「・・・・・・・まあ、そうなるな。」

 大殿は他人事の様に言った。さくは呆れて言い放つ。

「御家滅亡ーーーー。」

「なんじゃ。急に。」

「なんじゃではありませぬ。若殿の噂話が全部本当と聞いては、お先真っ暗です。」

「だから、そなたに頼んでいるのではないか。そなたの言う事なら弥三郎は聞く筈じゃ。なんとか彼奴を養育して欲しいのだ。」

 無茶な話である。話を聞く限りでは一筋縄ではいかなさそうな若殿である。さくの言う事を聞くようには思えないのであるが、何ゆえに大殿はさくの言う事なら聞くと思っているのであろうか?まあ、おのこが臭いと言うので、めのこならと考えたのであろうが、さくは若殿より年少である。同じめのこならば、もっと年配の者に頼むべきであろう。

「大殿。」

「引き受けてくれるか?」

「若殿には私よりも年配の者を付けるべきかと・・・・・。」

「いや、そなたしかおらぬ。」

「・・・・・・何故、私を若殿の養育係に付けようと思し召しなのです?」

「そなたの器量を見込んでじゃ。そなたしかおらぬ。」

「何卒、ご容赦を。」

 固辞するさくに対し、大殿は決定的な一言を言い放つ。

「ならぬ。これは主命じゃ。」

「・・・・・・・・・。」

 さくは主命とまで言われるとは思ってもみなかった。大殿の決然たる意志を感じ、応託せざるを得ないと感じた。

「はっ。承りました。」

「おう。そうか。引き受ける気になってくれたか。」

 なかば無理やり申しつけておいて、引き受ける気になってくれたかとは大殿も酷い人だとさくは思ったが、口には出さず、ただ頭を下げるのみであった。

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