エミリアの不思議な世界 外伝 〜わたしの小さな世界〜
京野 薫
第1部:シャロンの世界
私の先生
あ、雪だ……
私は曇り空を見上げて黒い雲の合間から舞い落ちる粉雪を見た。
道理で寒いと思った。
季節は1月。
半月前、先生の師匠であるカリン先生がやってきて、みんなで楽しい年越しを過ごした。
その時の事が脳裏に鮮やかに浮かぶ。
さて、食材や足りない日用品を買わないと。
特に食材は大事。
先生は食いしんぼだから……
そう思うと、私はクスクスと笑ってしまい慌てて周囲を見回した。
危ない危ない。
誰かに見られてたら変に思われちゃう。
私、シャロン・ラメリイは偉大な魔法使いエミリア・ローの1番弟子なんだから。
先生の名前を汚すことの無いようにしないと。
私は表情を引き締めるとうんうんと頷いた。
よし、帰ろう。
先生、きっとお腹を空かせて待っておられるはず。
●○●○●○●○●○●○●○●○
「ただいまです」
小屋の中に入ると、しんと静まり返っているので不思議に思い中を見回すと、寝室のほうから微かに寝息が聞こえる。
そっと中を伺うと、案の定先生がスヤスヤとお休みになっていた。
ただ……ああ、掛け布団がめくれて……ああ、しかもお腹まで出て……
部屋の隅には、太陽の光から変換の魔法で作った球がふわふわと浮かび、そこから暖かい熱が部屋を満たしてはいるけど、それでも……
そう。先生はありえないくらい寝相が悪い。
よく風邪を引かないものだと感心する。
そう言えば以前セシルさんが「エミリアは魔法使いの里に居た頃なんて、真冬でも木陰で昼寝してたからね。よく今まで生きてたと思うよ」と呆れ顔で話していた。
でも私が居る限り、そんな危険な事は絶対にさせません!
ため息をつきながらパジャマと布団を直そうと、ベッドに近づくと先生の「ふ……ん……」と言う声が聞こえて、思わずドキッとした。
それと共に、さらにパジャマが上にめくれ上がっている。
いけないと思いながらも目が離せない自分が居る。
お腹と……その上は……見ないように。
薄目になって、横を向きながら指の端でパジャマをつまんでそっと下に降ろす。
先生のお人形のように整った愛くるしい横顔が見える。
初めてお会いしたとき。
私の売っていたしなしなのリンゴを買ってくれた時の笑顔は、お話に出る天使ってこんな風なのかな、と思った。
光の無い灰色の毎日。
お母さんと生き別れて以来、ずっとそうだった。
そしてこれからもそうなんだろうな、と思っていた。
でも、先生の笑顔が私の毎日に色を下さった。
先生の作ってくれた雪の結晶のペンダント。
見るたびに泣きそうになる。
そして先生のお日様のような笑顔を思うたび、心の奥が暖かくなる。
でも……最近、それだけじゃない別の気持ちもある。
それは私の心を千地に乱している。
そんな事を思いながら、布団をそっと直していると先生の目がそっと開いた。
「あ……シャロン。おはようございます」
「えっと……先生。もう夕方ですけど」
「あら、そうでしたっけ? あらあら、寝ぼけちゃってますね。お帰りなさい、シャロン。お買い物ありがとうございます」
寝ぼけ眼でぼんやりとした口調で話す先生に、私は用意していたお湯に布をつけると、絞って先生に渡した。
「これで顔を拭いて下さい。スッキリしますよ。あと、お水もどうぞ」
「有難う。あなたは本当に気が利きますね」
「このくらいしかできませんから」
「いえいえ、本当に救われてます。ああ……後光が見える」
「また、そんな事……所で先生、凄い汗」
「あ、ホントですね。『お日様ポカポカ球』が強すぎたんですかね。ちょっとパジャマがベタベタして……よいしょっと」
そう言いながら先生が突然服を脱ぎ始めたので、私は仰天して手を掴んだ。
「先生! いきなり着替えないで下さい! ビックリします」
「……シャロン? 同じ女性同士。特に問題ないではありませんか。この前もみんなで温泉に入りましたし」
「う……」
私は気まずくなって目を逸らした。
実は先月から急にそれが恥ずかしくてたまらなくなったのだ。
あの温泉の時も先生から気付かれないようにだけど、ずっと目を逸らしていた。
でも……目の端で見てしまった先生の一糸まとわぬお姿。
それが時々夢に出てしまい、熱でもあるのかと思うくらい体の奥が熱くなってしまう。
そして、自分の身体を見られるのも恥ずかしい。
なんで……こんな……
「それは……先生! いくら同性の前とはいえ、平気で服を脱ぐような行為、殿方が見たら幻滅されますよ」
「ええ……それは……嫌です」
「ですよね。はい、なので私は席を外します」
そう言いながらも自分の言った「殿方が見たら……」の下りで、先生が慌てる姿に胸がチクリと痛む。
なんでだろう。
最近、先生がよく言う「殿方に……」と言う言葉が……凄く嫌だ。
道行く男性を見ても、誰も彼も先生にはふさわしくないと思える。
先生に釣り合う男性なんて……
そう思いながら、先生が雪山の冷気から変換の魔法で作った「ヒンヤリ倉庫」へ食材をしまっていると、部屋から先生の声が聞こえた。
「シャロン。夕食の前に少し魔法のお勉強をしましょう」
「あ……はい!」
私は慌てて残りの食材をしまいながら、前回習った内容を思い返していた。
うん、予習復習もバッチリ。
それから少しして先生がお部屋を出てくると、別室にて魔法の勉強が始まる。
先生に教わったとおりに詠唱し、手を動かす。
「うん、完璧ですね。やはりあなたは頭の良い子ですね」
先生に褒められると、たまらなく幸せだ。
この言葉が聞きたい。
それだけで必死に勉強している。
でも……
「あ……」
私の手から出た火の玉はか細く、ヘロヘロと浮かぶと萎んで消えた。
「……すいません」
「ううん、気にしなくて良いのですよ。魔法の習得には個人差があります。遅咲きの素晴らしい魔法使いも山ほど居ます。今度は別のアプローチから炎を構成してみましょうか」
先生は優しい笑顔でそう言った。
でも……分かっていた。
私に魔法の才能は無い。
手順は完璧だ。
自らの使う魔法の仕組みも把握している。
後は自らの内の魔力を触媒にして自然界の構成要素を組み替える。
その構成要素と組み替えのイメージも完璧に出来ている。
だけど、自身の魔力を触媒にする段階で上手く行かない。
それは私自身に魔力が致命的に無い、と言う事を残酷なまでに示していた。
私ごときが分かる事なら先生が気付いていないはずがない。
でも、先生は失望を欠片も浮かべず、少しも呆れた様子を見せずに毎日教えてくれている。
それがたまらなく辛い。
神童と呼ばれた魔法使いの見習いが集まり、長い修行の過程で選りすぐりのみ選抜される「魔法使いの里」
その天才集団の中でもセシル・ライトさんと並んで「魔法使いの里の最高傑作」「双頭の竜」と言われているエミリア・ロー。
そんな偉大な方の一番弟子がこんな……
でも修行をやめたいとは言えなかった。
いや、言うのが怖かった。
もし「自分には才能が無い。だから弟子を辞めてお手伝いだけをしたい」と言ったら……
先生は失望するかもしれない。
こんな私を見限って軽蔑するかも。
それが何より怖かった。
先生やセシルさんみたいになれなくていい。
せめて……それらしく格好のつく程度でいいから……魔法が。
その時。
窓の外から、一羽のふくろうがパタパタと飛んできた。
そのふくろうは巻物を咥えていて、先生の前にポトリと落とすと、またパタパタと飛んでいった。
「これは……カールトン評議長からのお手紙ですね。なんでしょう」
「あの……評議長とは」
「あ、ごめんなさい説明もせず。評議長とは魔法使いの里の第3世界を統べる『評議会』の長です。私とセシルがいる場所でもあります」
「第3世界……なんか……イメージと違いますね」
「ふふっ、魔法使いの里と言う名前から牧歌的な印象がありますが、実際はもっと別の顔があるんですよ。いつか一緒に行きましょう。さて、中身は……っと」
巻物を開き目を通していた先生は、軽く目を見開くと小さく頷き巻物を丸めた。
「シャロン、お手間をかけて申し訳ないですが、明日のお昼から食事は3人分でお願いします」
「え……それは……どういう」
「魔法使いの里から、1人男の子が来ます。どうもカールトン評議長の秘蔵っ子らしく、一月の間ですが私の元で修行させてやって欲しい、との事です」
エミリアの不思議な世界 外伝 〜わたしの小さな世界〜 京野 薫 @kkyono
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