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◆カンナの故郷


 カンナと私の休暇は四月一日から十日間、旅行は四月二日から一週間ほどの予定とした。カンナは、技術部の他の人たちにも、同じく十日間の休暇を四月中に交替で取らせている。その間、職場に残る者たちが、今後のための工房の作業環境を整えるなどしていく計画だ。

 イーヴィス士官が暗殺された事件の後ではあるが、私たちが向かうのは反乱軍の勢力圏内や反乱軍に友好的な地域で、治安状況も悪くないし危険な野の獣などもほぼいないというので、特に心配はなさそうだ。もちろん私は連射弩を携え、予備の矢も二十本ほど持参しているものの、あくまでも念の為でしかない。



 私が大公国の外に出たのは、この休暇での旅行が初めてのことだった。しかもカンナの発案で馬車でなく馬に跨がって向かうことにしたのだが、私は馬に乗って手綱を取る経験など初めてだ。反乱軍が管理する馬の中でも気性の穏やかな馬を借りてきたとのことだけど、それでも初めての乗馬に戸惑う私を、カンナは優しく指導してくれた。仕事や勉強の他にも、カンナにできることがあるのを目の当たりにしたのは、これが初めてかもしれない。

 カンナは士官学校時代にベスティア姫から教わった経験があるそうで、「馬の性質を理解すれば乗馬を覚えるのも早い」と、姫直伝の教えを伝えてくれる。伝聞みたいなものだけど。ただ、頭ではわかっていても駈歩や襲歩は上体が安定しなくて苦手だから、よほどのことがない限りオイラは速歩までしか使わないんだ、とカンナは笑って言う。

 その少し頼りない笑顔は私が守るんだ、と思ったものの、まだ少年でしかない私にできることは限られる。私も身体を揺すられ続けるのが落ち着かず、速歩で半ば腰を浮かしていたら、太股に力を入れすぎて疲れてしまった。もっと馬の動きに身体を慣らす必要がありそうだ。そしてもっと強くならないと、彼女を支えられるくらいに。


 旅程の最初は新本部から旧本部を経て山荘まで。整備された道だから乗馬の練習には丁度良かった。ハルたち伝令兵は主に駈歩で行き来しており、片道一時間半ほどだと聞いたことがあるけど、私が馬に慣れる必要があるし、私たちは半日ほどの時間をかけて、のんびりと景色など眺めながら移動した。

 山荘で『先生』に挨拶したものの、かなり忙しそうだったのですぐ退出した。橋の街での勝利をきっかけに、他の戦線でも戦況が大きく動いており、対応に追われているようだ。

 この日の特別室担当はテンだったので、特別室前の廊下で少し立ち話をした。彼女やナツの交際相手が所属する二〇一小隊の少年兵たちも、ほとんど山荘に来ることはなくなったという。彼らは、主に前線より少し後方の地域で任務を与えられて活動しているとのことで、テンは心配そうにしていた。


「前に二〇一小隊が偵察任務を与えられたとき、ハル小隊長が怪我をしたことがあったの。ナツがそれを知って、一人のとき泣いてたり、何日か仕事も手に着かなくなるくらい心配してたんだ。あの子はすごく芯の強い子なのに、そのナツでさえああなっちゃうんだって思った。私も、ヤマネが怪我しないか心配で心配で……」

「そっか。前に言ってたね、『大事な人が戦場に向かうなんて耐えられない』って」

「うん……」

「何もできず無事を祈るだけなんて、たしかに辛いと思う」

「うん……」


 カンナも彼女たちと少年兵たちの事情を知っているようで、テンに声を掛ける。


「二〇一小隊の子たちは、みんなで何カ月も自主的に訓練してきたと聞いたよ。きっと以前より上手く逃げ回ってくれるさ」

「だといいのですけど……。

 カンナ士官、反乱軍が順調に攻め上っても、最後の決戦は大公城下になるのですよね? とても守りが堅いと噂の……」

「ああ。きっとそうなるだろうね」

「その決戦では激戦になるだろう、反乱軍にも少なからぬ犠牲が出るだろうって、みんなが言ってます。兵力が足りなくなったら、ヤマネたちまで激戦の中に送り込まれるかもしれない……」


 なおもうなだれるテンに、私はこう宣言する。


「俺たちが、この内乱を早く終わらせてやる。それも、できるだけ犠牲が出ない形で」

「えっ……?」

「俺も最前線に出ることにしたんだ。その決戦の場に」

「トビまで……?」

「ああ。カンナの技術部で開発してる、とっておきの新兵器を使ってな。もうほとんど仕上がってるし、俺はそれを使いこなせるよう訓練を重ねてる」

「とっておき? そんなに凄いものなの……?」

「前に俺とカンナの二人で特別室に上がったとき、『先生』が言ってたやつだよ。あの兵器を使えば、城壁から敵兵を追い払い、城門も易々と打ち破れる。そうすれば戦いは一気に反乱軍優勢になって、犠牲を減らせる。少年兵まで決戦に出す必要もないだろう。さらに言えば大公側の戦意が削がれて、上手くすれば降伏してくれるかもしれない」

「でも、そうするとトビも最前線に出るわけでしょ? あなたは危なくないの?」

「俺自身が怪我をする心配は、たぶんないよ。最前線といったって、敵の矢が届かないところでの任務になるはずだから。事故にだけ気をつけてればいい」

「そうなんだ……。なら良かった……」


 その新兵器で俺が敵兵を殺すことになるだろうとは、テンには言わなかった。カンナも、一切そのことには触れなかった。テンも察しが良いから、ひょっとしたら気付いているかもしれないが、もしそうだったとしても何も言わずにいてくれた。

 投石機を運用する責任は、俺たち二人で背負うと決めたのだから、それでいい。



 山荘では、外周建物より外側で新たに建設が進んでいる、新街区という地区に宿を取った。木造だけど骨組みなどしっかりしていて、私たちの新しい官舎より長持ちしそうだとカンナは評価している。そんな宿で早めに眠りに就き、翌朝は早くから出発した。


 外輪山に囲まれた伯爵領への旅は山道だ。その途中、小休止だと言ってカンナが馬を止めた。

 振り返ると、広大な大公国平原のところどころに戦乱によるものと思しき煙や土埃が上がってるのが見える。そうかと思えば、多くの畑では春になって麦が色付いてきている。

 畑がありそうなのに緑に覆われている場所もあって、それは麦でなく野菜を育てている畑なのか、はたまた戦乱のため作付けできずに冬を越した麦畑か。さすがに私の視力でも見極めきれなかったが、その多くは少なくとも耕作放棄ではないらしい。カンナが持参した地図や、両軍の勢力範囲についてのカンナの記憶などから、ある程度は推測することができた。


 外輪山を越える険しい山道を過ぎれば、その内側は比較的緩やかに下る道となる。嗅ぎ慣れた潮風の匂いがしてきた。

 大公国に比べれば小さな伯爵領、その全容が見えてくる。外輪山の山々に取り巻かれ、中心に向かうほど低地になって、上から樹林帯、果樹園や牧草地、畑など様々に利用され、最も低いあたりに広がるのは市街地だ。外輪山の底には西側の切れ目から海が入り込んでいて、多くの船が停泊したり行き交ったりしている。その岸辺の街並みも、近付くにつれて多くの建物が並んでいることがわかる。


 「あの海辺の街が私の故郷」と、潮風を受けて元気に彼女は紹介してくれる。カンナも私と同じように、潮風の中で育ったのだな。


 下りは駈歩や襲歩を練習しつつ、実は日没が近付いていたので少し急ぎながら、その伯爵館お膝元の街へと向かっていった。外輪山の西の切れ目に夕日が落ちかかるギリギリの頃、ほぼ一日の旅を経て、ようやくカンナの実家に到着する。

 今夜はここで一泊だ。カンナは事前に手紙で来訪を伝えていたので、かなり豪勢な夕食を彼女の母親が用意しているところだった。港町だけあって魚介類が多く、魚醤を多用していて、私にも親しみやすい味だ。

 カンナの母親は、カンナとは違って一家を支える主婦として活躍している。私は頼み込んで調理場にも入れてもらい、手伝いながらカンナの実家の味付けを教わったりしつつ、仕事振りを見せてもらった。カンナが技術の仕事に打ち込むのと同じような熱意を、その母親は家事仕事に注いでいると感じる。対象こそ違うものの、やはり母と娘、似ているところがあるのだなと私は思った。


 そこへカンナの父親や兄たちが仕事を終えて帰ってくると、私は公衆浴場へ誘われた。カンナの父兄たちはカンナと同じく、仕事上がりに公衆浴場や沐浴などして汗を流すのが日課だという。湯船に浸かる時間が短いのも、カンナと全く同じだ。三人に合わせて男湯を出ると、ちょうどカンナも女湯から上がったところだった。

 夕食の席で、改めてカンナは家族に私を紹介する。カンナ曰く、私は「まだ少年だけど助手として立派な人材」だそうだ。カンナの父親や双子の兄たちは、三人とも腕利きの船大工で、しかも腕っ節も強そう。母親は、改めて食卓の明かりの中で見ると、年齢より若々しい印象の美人だ。その面影はカンナにも、明らかに受け継がれている。実はカンナの母親の先祖は歴史ある家柄で、伯爵に付き従ってこの地に入ってきたのだそうだ。しかもカンナの高祖父くらいの頃までは、貴族の位も持っていたという。

 この夕食の席で、一家の中で一人だけ不在だったのは、カンナの弟(実の弟!)だけだ。ヨキという名で、やはり屈強な青年に育っており、今は伯爵の森で杣人をしているとのことだった。その仕事の都合から、なかなか森を離れることができないものの、二十代半ばにして伯爵に認められ、森一つ分を丸ごと任されているそうだ。多くの部下を率いて、頭領のような地位で仕事をしてるというから、この一家の者たちはみんな優秀なのだなと改めて思う。



 翌日、カンナは私を造船所に連れて行ってくれた。

 この造船所は伯爵のものだ。伯爵が岸辺に所有する土地に堀割を作り盛土造成して作った用地を、カンナの父兄など複数の造船親方たちが区画ごとに、船を作ったり修繕するため借り受けて利用している。造船区画はいくつもあって大きさなどが異なるため、頭領たちは扱う船の大きさなどに応じて都度借り受けるのだそうだ。

 造船所の周囲には、小さな入江に丸太を集めて浮かべてある貯木場や、その丸太を材木に仕上げる製材所、厚手の綿布を織って帆の形に縫い上げる工房、釘や鎹といった各種金具を作る鍛冶工房などもあって、実に様々な職人たちが働く。


 カンナの父や兄たちは、私をカンナの助手として認識している様子で、彼らが職人たちを率いて働く現場まで見学させてくれた。その現場では、船体の骨組に外板を張っていく工程の真っ最中だった。仮設の足場が組んである上を職人たちが行き来している。

 板といっても分厚くて幅広く長い木材だ。一つひとつ曲げたり削り出したりして、船体の曲線に合わせてある。人力では屈強な男たちが数人がかりでようやく持ち上がるような重たい資材だが、起重機はそれを軽々と吊り上げて運ぶ。起重機を操作する職人たちと足場の上の職人たちとが大声で言い交わしながら、所定の位置にピタリと合わせ、様々な金具で骨組や周囲の外板に固定していく。もちろん職人一人だけでできる仕事ではないし、親方やその部下の職人頭が適切に指示しつつ、職人たちどうしも声を掛け合わないと事故になりかねない。どうみても職人集団をまとめ上げる手腕が必要だ。


 こういう現場で育ったから、カンナはこういう風に育ったんだねと感想を口にしたら、隣で彼女が照れくさそうにしてる。

 そんな表情できるんだ、驚いた。




◇トビの故郷


 休暇の日程は結構あるけど、旅程を考えるとあまり余裕はない。

 私の実家には二泊しただけで、すぐ次の目的地へ向けて出発。今度は南へ向かう別の道で、途中で私の(実の)弟が働く森林を抜けていく。ヨキは仕事で山奥にいるということで会えなかったけど、その作業場を訪れてみたら、伐採してきた木材を並べて乾燥させたり、皮を剥いたり、大鋸で挽いて製材するなど、杣人たちの職人仕事の一端を見ることはできた。

 そのまま南への道を辿って外輪山を越え、大公国南部へと出ていく。トビの故郷の方だ。このあたりも早い段階から反乱軍の勢力圏になっているのは知っている。だからトビが故郷の集落の中から反乱軍へ送られることになって、こうして私と知り合って、一緒に生活したり仕事をする間柄になった。


 トビは、反乱軍に参加するために故郷の集落を出たのが、人生でほぼ初の旅だったらしい。だから旅慣れてはいないし、故郷の近くでも道には詳しくないので、たまに迷ったりしている。

 でも気にしなくていい、私もこのあたりの土地勘はないし、反乱軍に入ってからは人生にも迷ってる気がする。二人で一緒に迷いながら、行き先を見付けよう。



 たまたま行き会った伝令兵や輜重隊に道を聞いて、ようやく辿り着いたトビの故郷は、生活するには厳しい土地柄だと感じた。「荒寥」という言葉が似合いそうな印象すらあって、水害や旱害、塩害にも悩まされることが多いとトビは言う。が、そんな地でも人々は知恵と工夫で生活を成り立たせてきたのだ。ここで生まれ育った私の自慢の助手が、とても頼もしい少年へと育ったのも納得。

 農業生産には難しい土地だからか、集落一つ分の耕作地も広い範囲に点在している。トビの実家までさらに距離があるというので、馬を歩かせながら景色を眺めて、色々と説明してもらった。

 風で飛ばされてくる砂塵が畑を埋めるのを避けるため、砂地に強い種類の灌木を帯状に、耕作地や集落を囲むように植えた人工林、というより生垣がいくつもある。乾いた耕作地に水を運ぶために傾斜の緩やかな道を作り、何人かで力を合わせて水を満載して重たくなった荷車を運び上げ、柄杓を使って撒いている様子も見た。この地では、作物を育てるのも重労働なのだ。だから子供たちも幼い頃から、水撒きや草取り、鳥追いなどの畑仕事をするのが当たり前。そんな中でトビは鳥追いに熱中して、あれほどの飛び道具の才を磨いてきたのだな。

 野良仕事をする人たちを見ると、多くは大公国や伯爵領の人たちに比べると若干小柄で細身、引き締まった肉体に日焼けした肌の持ち主だ。かつて冒険行のとき目にした、大陸北方の民にも少し似た印象がある。


 その耕作地の中の道で私たちは、除隊して帰郷していた元兵士の青年に呼び止められた。実は私もトビも私服をあまり持っておらず、ましてや旅装に適した衣服などない。そんな中で旅行が急遽決まったものだから、旅支度などする暇もなかった。まあ反乱軍の制服は丈夫だし旅にも好都合だろうと、そのまま出てきていたのだ。

 おかげで階級章なども着けたままだったから、復員兵の青年も一目で私たちの階級を理解する。私が士官で、トビも准士官だと気付いた途端、慌てて姿勢を正し敬礼してきたけれど、除隊した兵にまで敬礼される筋合いはない。礼儀など構わないと伝え、せっかくなので馬を下り、彼らの戦い振りを聞かせてもらった。

 この集落からは、トビとは別に三十名くらいの若者が反乱軍の兵となったそうだ。彼らは大公国の庶民では珍しい長弓使いの集団で、反乱軍の中では希少な存在。最前線近くに進出して、敵方の長弓部隊と射ち合うような任務も多かったのだろう。これまでに数人が命を落とし、他に数人が負傷し除隊となって早期に戻っているとのこと。


 ただ、負傷して帰郷した者たちも只では帰らない。

 私たちに語って聞かせてくれた青年は、腕の筋を痛めて弓を引けなくなったため除隊して帰郷したものの、幸いなことにほとんど回復している。軍の俸給や手当のおかげで当面の生活には困っていないが、妻と幼い子供たち、老いつつある親たちを養い続けるには足りないので、最近再び野良仕事に精を出し始めたとのこと。

 ただ、今までと同じ作物を今までと同じように栽培するだけでは、子供たちの将来が心配だ。そう言って青年は、赤茄子や馬鈴薯などの苗を大事そうに育てている、小さな畑を見せてくれた。陣地で気に入った野菜の種や根茎などを、まだ従軍中の友人に頼んで取り寄せ、栽培を試しているのだそうだ。また、一家は以前から砂地に強い野菜、たとえば葱などを自分たちの食用に細々と作っていたとのことだが、それらも川港などで売れそうな見込があるとみて、より広い土地での栽培を始めているという。もしその一部でも成功すれば、この村の新たな作物として定着するかもしれない。


 そうしてトビの実家に到着したら、もう日が暮れるところだったけど、親兄弟が私まで歓迎してくれる。

 トビには年の離れた兄が一人と姉が三人おり、このうち上の二人は既に結婚しているそうだ。実家には長子である兄が妻子とともに同居していて、未婚の姉二人が残っており、女性たちは小柄で華奢で、トビを女の子にしたようなかわいらしさ。トビの母親も同じく小柄で細身で、年齢の割に若々しく見えて、まるで私の方が年上にも思えるくらい。

 「この子、変わった子でしょ? 扱いづらくない?」と彼の母親が言うので、むしろ私が支えてもらっているところが多い、と感謝を返したら、「いい上司に恵まれたものね、この子は」と嬉しそう。

 私の実家から持参してきた、心ばかりの土産にも恐縮してくれる。というか、次の目的地を伝えたら親兄弟に持たされた土産だけど。開けたら日持ちしそうな焼き菓子で、トビが実家への土産にと陣地で買ってきた茶葉とよく合った。


 読み書きできる者もほとんどいないという集落だったから、私の実家とは違って手紙で事前に来訪を伝えておくことができなかった。そういう事情もあって、日常的な食事に少し足した程度だそうだけど、彼の実家の味も気に入った。

 理由はすぐ思い至る、トビが作ってくれる料理の味付けが、まさにそれだ。

 「とても気持ちが落ち着く味」と感想を口にすると、彼の家族も喜んでいた。

 ちなみにトビは、実家で調味料を分けてもらっていた。近くの海岸沿いの民が作っている魚醤、これが一家の味の決め手になっているらしい。魚醤は伯爵領でもよく使われていて、反乱軍陣地の売店でも伯爵領産なら手入できるのだが、この地域の味とは少し違うのだそうだ。トビは官舎で料理する際、独自に煮干しなどを足して、実家の味に近付けているのだと説明してくれる。

 そこまで手間暇かけて料理してくれているなんて、私は全然気付いてなくて本当に驚かされた。


 酒をすすめられたけど弱いので断って、夜は少しだけ二人で外を散歩。この集落には厩などなくて、村外れの生垣の端の木に長い綱で繋ぎ、水桶を置いていただけだった。樹林帯の下草を食んでいられるから腹を空かせてはいないと思うけど、稀に綱を食いちぎる馬もいるから念の為に様子を見に出る、というのがその口実。

 でも実際には、二人で夜の景色を眺めたいとも考えていた。私の故郷は市街地だから、夜も明かりがあるし深夜に酔客などが騒ぐこともあるけど、ここは全然違う。集落の家々が寝静まれば人間が灯す明かりがなくなって、あとは月明かり星明かり。この日は下弦の月より少し後くらいだったので、宵には月が昇らず、空は一面の星々で埋め尽くされている。そして人だけでなく家畜の声もほとんどなく、鳥も夜は静かになるので、聞こえるのは風や川の音、そしてときおり遠くから低く轟いてくるのは西の大洋の波濤の音か。海が見える距離ではないけれど、潮の香りが混ざった風も感じられる。

 「静かで落ち着く場所だね」と、傍らの相棒に伝える。馬は手近な下草を食って、そこにおとなしく横たわって眠っていた。私が乗ってきた若い雌馬は少々だらしないところがあるのか、横倒しになって足を投げ出す格好で行儀の悪い寝相。トビが乗ってきたのは雄馬だけど少し年嵩で温和な性格になっていて、行儀良く脚を畳んで座った姿勢で眠っている。それぞれの乗り手と同じような寝相の馬たちに、二人して笑ってしまった。


 翌日は朝食後、この馬たちを運動させるついでに、私たちは集落やその周辺を散策する。トビにとっては勝手知ったる故郷ではあるが、視点の高い馬上からの眺めは新鮮な印象のようだ。

 村外れまで足を伸ばし、大河の支流沿いに下流へしばらく進んで、集落付近の川の様子も見て回った。橋の街付近では流れが速く険しい崖や深い淵を作る大河だが、このあたりでは流れが緩やかで、川幅は大きく広がって底も浅くなっており、大きな船が行き交うことはできなそうだ。そもそも勾配が緩やかになっているから、おかげで上流から流されてきた砂や泥が滞って浅くなり、さらに滞った流れが別のところへ新たな川筋を作って流れていった結果、こうなるのだろう。

 だが、もし外洋船が通れるほどの深い川筋があるならば、伯爵領から船で行き来できるのではないか。さらに上流へ、橋の街までの航路を啓くこともできるかもしれない。橋の街を迂回する運河も合わせれば、城下まで船を乗り換えず行き来することも……。


 内乱を無事に乗り越えたら詳しく調査してみたい、そんな構想が頭に浮かんで、何としても二人で作戦を成功させようと決意する。


 気付けばトビが、そんな私の表情をじっと観察していた。

 目が合うと、こんなことを言ってくる。


「カンナ、前向きになった?」


 どうやら助手は私の気持ちまで管理してくれているらしい、私には過ぎた助手だ。彼の視線に、何故かやたらと照れてしまう。



 さらに進むと、いよいよ耕作地が途切れた。地元の人たちが隣村まで行き来するとき使うだけだという踏み分け道の周囲には、砂ばかりの河原や葦原、灌木の疎林などが、ほとんど手付かずのまま入り混じっている。そこでトビは、ちょっと狩をしてみると言い出した。

 幼少の頃から得意だという、鳥追いの様子を見せてくれるつもりらしい。彼は馬を下りると私に手綱を預け、前年の葦が枯れたままの茂みに入り込んで、大きな音を立てるのも気にせず歩いていった。葦原をねぐらにする小さめの鳥たちが次々に飛び立ち、その向こう側の河原にいた大きな水鳥も何羽か、つられて空へと舞い上がる。すると直後、葦原から一本の矢が放たれ、その中でも特に大きそうな一羽が真っ逆さまに落下していった。


 しばらくすると、トビは連射弩を肩に担ぎ、大きな水鳥の脚を掴んで戻ってくる。

 仕留めた獲物は首が長い種類の、とても大きな鳥だったから、嘴が地面につかないよう、トビは肩より高く腕を上げないといけない様子だ。矢は、その鳥の細く長い首、頭のすぐ後ろあたりに突き刺さってる。一矢で確実に仕留められる急所だし、胴体に当てるより肉を痛めないと考えて狙ったのだろう。そこに当てるのは普通の狩人なら難しいところだろうが、トビなら難なく命中させられるというわけだ。


 というのを頭では理解できても、実際に目の前でその芸当を見せつけられると、呆気にとられてしまう。


「こいつは今夜の食卓の主役だ」

「ほー、さすがだねえ。見事なもんだ。動く獲物も得意だとは恐れ入った」

「弩で仕留めるのは初だけど、やっぱり狙いやすい。外す気がしなかった。

 『先生』とカンナのおかげだ」

「そりゃどうも」

「あっでもちょっと時間もらえるかな。血抜きしながら持ち帰る。血を抜いておかないと不味くなるから」

「ああ、もちろん」

「投石だと当たっても気絶したり翼が折れるだけのことが多いんで、持ち帰ってから締めればいいんだけどね、弩だと殺さずに射落とす方が難しい。だからせめて一矢で仕留めることにしたんだ。

 まあ鳥を苦しませずに済むから、こうした方がいいのかもしれない」

「なるほど……」

「本当は腸も抜いておきたいんだけど、ここで腸を抜いたら持ち帰れないし、馬ならすぐ帰れるから後回しだ。新鮮なら腸も美味い料理になるんで、せっかくだから無駄なく食いたい」

「詳しいねえ」

「まあね。陣地でも、肉屋が鶏を絞めるところを見せてもらってるし、解体や下ごしらえのコツを教わったりしてるよ」

「へえー」

「でも水鳥は久々だ。もう一年以上も食ってなかった」

「あはは、そっか。軍の食堂や陣地の肉屋で出る鳥といえば鶏か家鴨ばかりだもんな」

「ああ。それはそれで美味いんだけど、野生の鳥は一味違う。

 しかもこの鳥は、今頃ちょうど南へ向かう季節なんだ。このあたりで冬を越して、暖かくなってくると遠く侯爵国まで渡るらしい。そのために栄養を蓄えているから脂がのって旨い。まだ残ってるのがいて良かったよ」

「そりゃ楽しみだ」


 そんな話をしながら、トビは鞍袋から細紐を取り出して水鳥の脚を縛り、鞍の突起に引っ掛ける。続いて大きめの小刀を取り出して鞘から抜き、水鳥の首に刺さった矢の羽根を掴む。そのよく研がれた刃を、刺さったままの矢柄に沿って滑らせるようにして首を半分まで切り裂き、血に染まった矢を取り出す。手早く手際良い処理だったので、トビの手には血もほとんどつかなかった。私はふと気付いて自分の鞍袋に入れていた水嚢を取り出し、彼の小刀と矢に水をかけて、その血を洗い流すのを手伝う。


「ありがとうカンナ」

「いや別に。

 ……こういうの、オイラには全然手伝えないからな。これくらいしか」

「カンナはそれでいいんだよ。

 さあ、帰ろう。このまま吊るしておけば帰り着く頃には血も抜けてるだろうし、帰ったらすぐ下ごしらえだ」


 トビがその手を血で汚すにしても、こうして食卓に上がる狩りの獲物くらいならいい。でも決戦では、少し狙いが逸れるだけで同じ人間を殺すことになってしまうだろう。そうなったとき、コイツは大丈夫だろうか。やっぱり心配だ。

 けどそれは今更か。二人で決めたことなのだから、もう迷うまい。



 ちなみにその日は四月七日、ちょうどトビの誕生日だった。

 ……というのを、トビの家に戻ってから私は知った。彼の母親の指摘で。


「あら二人とも、おかえり。

 なあにトビ? 自分で自分の誕生日祝いを獲ってきたの?」

「あはは。そのつもりじゃなかったけど、せっかくだからカンナに美味いものを食ってもらいたいからね。

 手伝ってもらえるかな、こいつで何品か作りたい」

「もちろんよ。あんたはカンナさんに取り立ててもらった恩があるものね」

「取り立ててもらっただけじゃないよ。勉強や仕事も色々と教えてもらったんだ」

「じゃあ腕を振るわないとね。さあ、あれこれ作るわよー」


 この日トビは十四歳になった。体つきなどは年齢相応だが、ほぼ倍の人生を生きてきたはずの私より、もっと大人びた雰囲気すら感じる。その成長を祝して、彼の家族とともに豪華な水鳥尽くしの食卓を囲む。

 私たちが知り合って一年ちょっと。前年は新生活を始めたばかりで、言い合いばかりしていたのを思い出す。越年祭の少し前あたりから最近は険悪な状態が続いてたけど、何とか仲直りできて、本当に良かった。


 この頼もしい相棒とともに、私は決戦に臨むのだ。




◆旅の終わりに


 私の実家でも二泊して、旅の最終日には川港から馬ごと船に乗って橋の街まで戻った。この区間は輜重隊が運航する船が頻繁に行き来しているので、軍所属の私たちも気軽に便乗できる。といっても軍が保有して輜重兵たちが運用する船は、実はあまり多くない。このとき私たちが便乗した船も船員ごと軍が借り上げたもので、大河でよく使われる一般的な交易船だった。

 カンナは伯爵領の外洋船との違いが気になるのか、甲板を行き来しては構造の違いを見て回り、各所で仕事してる船乗りたちにあれこれ質問したりする。以前の川船開発でも調べていたはずだけど、その使い勝手などを、実際に船を操る者たちから改めて話を聞きたかったのだろう。とはいえ任務からは外れるので、あまり邪魔にならない程度のところで私が彼女を引き留めた。

 すると私の方が船員たちに気に入られたのか、帆柱に登って景色を見てみるといい、と誘われた。身軽な水夫の後に続いて縄梯子を上がっていくと、たしかにとても見晴らしが良いし、風が心地良い。水夫が言うには、これでも一応は海風で、季節や時間帯によって向きを変えるのだそうだ。今まさにこの風が大河の河口から下流域を遡ってきて橋の街の方へと向かう時間帯とのことで、私たちの乗る船は順調に大河の水面を走っていく。潮風らしい匂いは微かにしか感じられなかったが、海がこれほど内陸にまで影響を及ぼしているのだと知って、私は少し嬉しくなった。


 そうして、西に見える外輪山へ夕日が差し掛かろうとする頃、船は橋の街の下流側船着き場に舫った。ほぼ予定通りに旅を終え、無事に戻ってくることができたと思うと、すごく安心する。

 ところがそこで私たちは、間違えて旧本部に戻ろうとしてしまう。新しい官舎は船着き場を降りたら街へ入って北へ抜けるだけなのに、「こっちだよね」とカンナが船着き場からそのまま橋を渡っていき、私も特に疑問を持たず彼女と共に馬を進めていった。

 帰る場所を間違えたことに気付いたのは、西詰地区を過ぎて本部への道を辿る途中だ。もう日が暮れかけていたので、夕食をどうしようかと考えていた私は、カンナに相談した。すると「今日は食堂でいいだろう」なんて彼女が言うので、今までよく使っていた食堂を思い返していく途中で違和感を覚え、よくよく考えてようやく気付く。


「カンナ、こっちの道じゃなかった。前の官舎は引き払ったじゃないか」

「あー、そういえば……。あはは、間抜けなことをした。

 さっさと戻ろう。夕食は橋の街で適当な店を探そうか」

「そうだね、遅くなっちゃったし。開けてる店があればいいけど」

「大丈夫だろ。街の人たちは夜更かしが多い」

「そういえばそうか。俺の田舎とは違うよな」

「田舎といえば田舎だけど、オイラは気に入ったよ」

「そうなの?」

「静かで落ち着くし、星々も遠くの景色もよく見えて、目が良くなる気がする」

「はぁー!? それ馬鹿にしてないか?」

「そんなことないって。

 あっトビ、見ろよ。虹が出てる」

「おお、本当だ。滝の虹か」


 橋を渡り始めようとする私たちの左前方に、大河の滝壺から水煙が立ちのぼり、外輪山に沈む夕日に照らされ虹を見せつける。相変わらず私たちは迷ってばかりのような気がするけど、まあいい。

 この虹は道に迷ったからこそ見ることができたのだし、カンナと一緒なら迷い道でも飽きることはない。




◆技術者たちと工兵隊員たち


 私たちが旅を終えたのは、四月八日の夜。

 技術部の移転では例の古い船着き場を使っていたし、今回の旅も同じ船着き場から出発したので、実は私たちが橋の街に足を踏み入れるのは初だった。正門の衛兵に街の治安状況を聞くと、よほど夜遅くならない限り、また盛り場などが集まる一部の地区を除けば、特に不安はないと説明してくれた。反乱軍が制圧してから一カ月も経っていないが、街の治安状況は概ね安定しており、反乱軍に対する市民感情も悪くないという。


 その日は橋を戻ってすぐ日が暮れてしまったので、再び船着き場へ降りて、船乗りや港湾労働者たちがよく寄るという食堂で、帰りがけの馬上で食べられる持ち帰り料理を買っていた。滝より上流側に多い大鱒や、下流側に多い大鯰や蝶鮫など大型の魚を切り身にして、小麦粉をまぶして油で揚げたものだ。そのままでも美味しいが、細長いパンを切って挟むか、溶いた小麦粉の薄焼きで巻いて食べるのが定番だと聞いている。油が手に着きにくいから、港湾労働者の昼食や船乗りの弁当に丁度良いらしい。私たちはそれを囓りながら街を突っ切って、まだ慣れぬ官舎へと馬を進める。

 街の大きな通りや広場には必ずといっていいほど篝火台があり、夜になっても明るくて多くの人々が行き交う。なるほど、カンナが言うように街の人たちは夜更かしであるらしい。戦闘で損壊した建物の修繕が進められているのだろう、街のところどころには足場が組まれていて、その傍らには新たに切り出してきた石材や木材などが積まれている。瓦礫は片付いているようだが、街並みを元通りにするには、もう少しかかるようだ。

 そんな復旧作業の支援や、巻き添えになった市民の救護などに反乱軍が多くの人員を派遣しているおかげか、制服を着て馬に乗る私たちに対して街の住民たちが警戒する様子は特に見られない。『先生』が言っていた、「民を味方につける」やり方が功を奏しているのだろう。



 新しい官舎に戻って旅装を解くと、ほど近くに軍が設置したばかりの公衆浴場で旅の汚れを流してきて眠りに就く。休暇の残りは新居の室内を整えたり、近所を散策しつつ新街区の工事状況を見て回ったり、街まで出て食堂の料理を堪能するなどして過ごした。


 ここを拠点に、いよいよ次なる目標、城下攻略に向けた準備を本格化させるのだ。

 投石機の改良は、これまで専ら命中精度の向上を図ってきたが、それを打ち止めにして、量産化や実戦での運用性向上を目指すものとなる。部材の作りやすさや組み立てやすさ、そして現場での移動しやすさも重視した。それと同時に操作性、すなわち照準合わせを容易にするための工夫にも力を入れる。可動部を改良し、方位や腑仰角を調整しやすいようにしたり、目安となる目盛り線をつけるなどの案を盛り込んだ。

 それこそ私たちが任務を果たす上で特に重要な点だから。


 城下攻城戦は複雑な兵器を数多く運用する作戦となるので、人員も大量に必要だ。

 カンナの部下の技術者では数が足りないから、工兵隊の中から志願者を募って攻城兵器部隊が組織された。カンナを指揮官とする櫓隊と投石機隊の二隊が新設され、前者はカンナが直接指揮、後者は私が准士官として現場の指揮を執る。その他の技術者や職人たちは、引き続き技術部の所属として、私やカンナを補佐して現場の兵たちを指導したり、攻城兵器の調整や修理などを担当してもらうことになった。


 編成が終わると、私は現場指揮官として兵たちを前に挨拶をさせられる。

 事前にあれこれ考えた上で、最初に「的を外したら、余計な人死にが増える」という事実を説明することにした。少年軍属の下で働くのは不本意かもしれないが、人命に関わることなのでぜひ協力してほしいと言うと、多くは怪訝な表情をしたものの、中にはあのときの試射を見ていた人もいて、私がその担当だったことを思い出したか、ひとしきり囁き声が交わされる。

 その声が鎮まってきたのを見計らって、作戦の目的や概要を説明した後、数名ずつの分隊を作らせ投石機を一台ずつ割り振る。この組み合わせは原則として固定した。分隊各員の連携が重要だし、投石機にも個々に癖があるので、それも覚えて使いこなしてもらう必要がある。


 班分けが済むと、技術者たちの協力を得て、操作や目標合わせのための特有の指示を隊員たちに覚えてもらう。実戦では城壁の内側を狙えるよう、私は高い櫓の上から指示を出すことになるので、声を張り上げても届かない。そこで『先生』の知恵を借り、手旗を使う伝達方法を採用した。櫓の上で私の傍らに三人ほどの兵に控えてもらい、一人が手旗で私の指示を伝え、他の者たちが投石機側からの手旗返答を確認して私に伝える、といった段取りだ。

 そうして基本的な操作を覚えてもらったところで、私の指示で標的を狙う訓練に移る。同じ寸法で部材を作って組み立てても、木材の微妙なたわみ具合まで完全に揃えることはできず、軌道は一台ずつ違うとカンナは言っていた。だから最初の頃はズレが目立ったものの、そのズレを一台ずつ見極めては調整していって、兵たちが操作に慣れてくる頃には石弾がまとまるようになっていく。

 石弾で命中精度を高めた上で、破片弾や燃焼弾も使って癖を覚えてもらう。それぞれの弾は特性が違っているので、技術者たちとも相談しつつ、三種類いずれも高い精度で当てられるようにしていった。


 そうこうするうちに、季節は夏になろうとしていた。地上に比べると櫓の上は風を感じやすく、狙いをつける上でも役立つが、涼しいのがとても有難い。ただし投石機の作業をする兵たちが暑そうにする日も目立つようになり、暑さ対策のため水や塩分を取るよう指導するなどした。




◇決戦に向けた準備


 投石機部隊は名目上、私が指揮官となっているが、実際の指揮官はトビだ。

 優秀すぎる私の助手ではあるが、准士官待遇とはいえ軍属で、しかも少年。少年軍属といえば、反乱軍の中では下働きのような位置付けをされがちな立場である。にもかかわらず、彼は配下の工兵たちを巧みに指揮して、迅速かつ正確な照準をつけるようにしていった。

 あのときの試射を見ていた兵たちも少なくないから、腕前は確かだと知られていて、年齢や地位など関係なくトビの指示を信頼している様子だ。色々あったけど、試射やっててよかった。


 一方の私は、引き続き技術者たちとともに、もう一つの作戦の準備を進める。

 城壁を崩すのでなく、城壁に取り付いて兵たちを送り込む可動櫓の制作だ。

 伯爵領の造船所で使われている起重機を元に、様々な改良を盛り込んだ攻城兵器。内部には多数の兵員が詰めて、正面や側面の装甲板に開けられた狭間から多くの弩を放つことができる。その正面や側面は敵の矢を弾き、火矢を射かけられても耐えられるよう鉄板で覆う。橋の街の攻略で用いた装甲板をさらに改良した構造だ。加えて最上部には跳ね上げ式の通路を設け、城壁に取り付かせて兵員を送り込むことができる。そして地面には大きな車輪をいくつも並べ、内部の錘や背後の綱を使って動力を与え、前後に移動したり、強力な弩を人力より素早く装填できるようにした。


 設計は以前から頭の中で練り上げていたし、何度かは縮小模型を作って『先生』にも見てもらい、助言を得て完成度を高めた。

 それでも実際の大きさで試作してみると、やはり改善が必要な課題がいくつも出てくる。作戦に使う台数を揃えるための製作期間と睨み合いながら、一部は妥協しつつもギリギリまで改良を続け、並行して一部の部下には工期短縮策なども検討してもらう。技術者たちの様々な工夫や、職人たちの努力の甲斐あって、どうにか決戦の場に数を揃えられる見通しがついた。


 城下を包囲する段階まで来たら、資材は橋の街から川で運んでいく計画となっている。

 構造の骨格となる木材などは水に浮かべて運べばいいし、鉄板など重たい部材も船に積んで運んだ方が効率的だ。城下への陸路の街道は、進軍する兵たちや輜重隊が忙しく行き来しているので、それを邪魔せずに済む。陸揚げする船着き場も、内乱前の情報を元に、ほぼ目星はつけてある。

 各部の部材は技術部の工房のほか、軍の工廠や民間工房などで設計通りに加工してもらっており、これらを橋の街郊外の作業場に集めて組み立て、まずは動作確認を行う。問題がなければ解体して保管しておき、城下の包囲陣地の準備が整ってきたら現地へ輸送、最終組立を行う段取りだ。


 反乱軍が城下へ迫っていくにつれ、ベスティアも忙しくなっていったようだ。たびたび最前線に出ては、三一四小隊のほか歩兵や騎兵の部隊を率いて、大公側の部隊を蹴散らし、追い立てていったと聞いている。

 それでも彼女が私たちの作戦を重視していることは間違いない。頻度こそ減ったが、前線と山荘との行き来の合間に、何度となく工房に立ち寄ってくれた。私たちのことを心配してくれているし、もちろん戦況を左右するであろう新兵器の開発製作状況を自らの目でも確かめたいのだろう。

 もちろん『先生』にも、計画の進捗状況を小まめに手紙で伝えておく。その返信は相変わらず翌日には届き、決まって感謝の言葉から始まっていた。




◆大公城下の包囲陣地


 私たち技術部にとって最後の大仕事となる作業で、あっという間に日々が過ぎていった。大公城下の包囲が完了すると、いよいよ私たち技術部と攻城兵器部隊も、その包囲陣地への移動を開始する。


 部署で最初に現地入りしたのは、カンナと彼女を補佐する少数の事務職員たちだった。陣地の構築と並行して、攻略兵器の搬入経路や組立・設置場所を調整したり、輸送計画の詳細を詰めるためだ。一方で、私は技術部長の直属助手として輸送の準備を任され、多くの技術者とともに橋の街の作業場に残っていた。既に準備段階までの計画は出来上がっており、私たちはカンナを送り出してすぐ、それに取り掛かる。

 動作確認が済んで分解され、保管されていた投石機や櫓には、部品ごとに印をつけられ、必要な箇所には養生を施してあった。小さめの部品は荷馬車に積み、大きな部品には車輪や橇を取り付けておく。この作業だけでも相当な日数を要し、完了した頃にはカンナから詳細な輸送計画書が届いていた。

 続いて、その詳細計画書に沿って陣地から搬出。橋の街の上流側の船着き場までの陸路は、工兵隊が道を整えておいてくれていて、そこを主に牛馬で、ときには人力でも補いつつ、牽いて運ぶ。輜重隊陸送部隊が陣地と船着き場を何往復もしながら部品を運んでくる間に、船に積み込んで城下近くの船着き場まで大河を遡っていくのは、輜重隊水運部隊の仕事だ。やはり水運部隊も船を何往復もさせる必要があり、私や技術者たちは事故なく無事に送り届けてくれるようにと願いながら、何度となく見送った。そうして私たちは、計画通り全ての機材を送り出したことを確認した後、留守番役として少数の職員を工房に残し、陸路で城下へと向かう。城下の陣地付近では、先行していたカンナたちが、陸揚げと陣地への陸送、組み立てるまでの仮置きなどに着手している手筈だ。

 その決戦の地で、技術部と攻城兵器部隊は再び集結し、陣地構築と並行して兵器の組み立てに取り掛かる。実に大掛かりな輸送任務ではあったが、部隊の皆だけでなく、輸送計画に協力してくれた工兵隊や輜重隊の皆も、私や技術者たちの指示をよく聞いてくれて、大きな事故や遅延もなく順調に計画は進んだ。


 決戦に向けて、私たちは生活拠点も包囲陣地に移す。包囲陣地は、小高い丘のようになっている大公城下の街を取り巻くように丘の中腹から裾野にかけて広がっていた、牧草地や麦畑などを潰して作られていた。城壁と向き合うように土塁が築かれ、その上に塀や櫓が建てられている。

 士官用官舎は陣地内の前線本部施設付近の地区に集まっており、食堂や公衆浴場もすぐ近くにある。間取りなども大きく変わっていないし、二つの寝台が並ぶ寝室も今まで通り。ただし、橋の街郊外の官舎も短期間だったし、ここでも決戦が終わるまでの短期間居住になると考え、転居の際に持ち込んだ荷物の多くは荷解きもしていなかった。たとえば冬物などは、きっと必要ないだろうから、そのままにしていたのだ。もちろん任務に向けて忙しかったのもあるが、私たちが内乱を早期に終わらせる、という決意もあったと思う。

 私たちは決戦が近付く中、ますます忙しくなったとはいえ、朝夕の食事もできるだけ二人で一緒に取るように心掛けた。夏に向けてますます暑くなっていく陣地での作業の日々、夜には汗をかいた身体を洗い流して、その日の仕事について二人で情報交換をして、翌日に備えて眠る、そんな毎日が続く。


 私たちが陣地に居を移した頃は、まだ各所で兵舎などの建設が進められている最中だった。それが出来上がってくると、最前線で戦う弩兵や歩兵の精鋭部隊も続々と到着して配置に就き、決戦の準備を着々と進めていく。

 弩兵たちは城壁に向かい合う土塁とその上の柵が主な持ち場で、大公側との間合いを計って狙いを定める準備をしている。一方の歩兵は突入に備え、陣地の背後で訓練を始めた。橋の街方面へ向かう街道では、同じような部隊が続々と陣地へ向かってきているほか、膨大な物資を運ぶ輜重隊の車列も、また本部や山荘、その他の各方面との連絡を担う騎馬の伝令兵小隊なども、慌ただしく行き交っている。伝令兵の中には、二〇一小隊など見知った少年兵たちもいた。この決戦の場と本部や山荘など後方との間では非常に多くの情報が行き交うため、彼らも駆り出されたということなのだろう。

 陣地で活動していると、そうした様々な部隊の指揮官や兵たちとも顔見知りになった。彼らも様々な思いを抱えて反乱軍に志願したのだろう、家族や恋人など大切な人のためにも早く内乱を終わらせたいと口々に言っている。


 彼らが無事に内乱を乗り切れるかどうか、その責任の一端は私たち技術部と攻城兵器部隊も担っている。私は一度だけ、カンナに連れられて軍議にも出席した。投石機の照準担当として私が紹介されると、まだ少年であることには驚かれたものの、出席者たちは演習場での試射を知ってるのだろう、居並ぶ士官たちからよろしく頼むと声を掛けられ、励みになる。

 私は、もともと大した目的意識があって反乱軍に入ったわけではないけど、『先生』の考えに接したり、橋の街での多くの負傷兵を目の当たりにして、重大な責任を引き受けることにしたのだから、彼らに顔向けできる結果を出したい。などと挨拶をしたように覚えている。



 そんなある日、ふと城壁に目をやると、小さな甲冑姿の人影がいた。屈強そうな兵たちに囲まれて旗を振っている、というより兵たちが振っている旗を掴んで振られているのか。あれではまるで傀儡人形みたいだ。

 大公の紋章を描いた大きな旗印を掲げ、正門の真上という目立つ場所にいる上に、揃いの地味な装備の傭兵団らしき兵たちに囲まれて一人だけきらびやかな装飾を施した甲冑姿だというのもあるが、なにせ周囲の兵たちに比べるとあまりに小柄なものだから、それゆえ却って目立つ。兜の面を下げたままなので顔は見えないものの、背格好からすると私と大差ない年齢か、もっと年下のようだ。しかも、しばらく観察していると、そのちょっとした仕草などから、どうやら甲冑の中身は少女であると確信する。ということは、『傀儡の姫』ってところか。

 そういった見解をカンナに伝えたら、彼女を通じてベスティア姫にも伝わったのだろう、ほどなく『城壁に花一輪あり手折る勿れ』との命令が回ってきた。洒落た言い回しだけど、意図はすぐわかる。あの少女を傷つけるようなことはするな、という意味だ。

 我が軍の総大将の考えには私も同感。当然のことだ。いくら戦場の真っ只中に立っていようと、また敵軍の旗持ちをしていようと、非力な女の子など決して標的にしてはいけない。そもそも、我々投石機部隊の相手は人間ではないのだから、改めて部下たちにも徹底させよう。

 ただ、私が燃焼弾で狙うのは四つの塔で守られた二重の城門。そして城壁の花は決まって外側の正門の上の城壁に立って旗を振っているので、燃焼弾の前に弩や石弾を上手く使って彼女たちを追い払う必要がある。まあベスティア姫のように勇ましく戦う姫でないことは一目瞭然だし、手厚く守られている様子だから、決戦が始まればすぐ安全な場所へ移されることだろう。




◇ベスティア姫と『城壁のお花ちゃん』


 包囲陣地は、城壁からの矢が届かぬ距離に配置されているので、大公側が籠城を開始して以来ほとんど戦闘は発生しなかった。せいぜい散発的に射ち合いがあった程度で、城下から敵軍が打って出ることもなかったのだ。そんな中で、反乱軍陣地では城下攻略作戦の準備が着々と整えられていく。


 城壁の上で旗に振られている大公側の甲冑姿の少女は、それだけでも否応なく目を惹く。加えてベスティアの命令もあったから、反乱軍の皆からも注目の的となった。一部の口の悪い者たちは、旗竿を介して周囲の兵たちに操られているような様子から『傀儡の姫』と揶揄していたようだが、女性の職員や将兵は専ら『城壁のお花ちゃん』と呼んでいる。

 彼女たちの中でも熱心な者たちは、暇さえあれば城壁に向かい合う柵の上まで見に行っては、「声を聞いた。とてもかわいい」とか、「そもそも甲冑を纏っていても仕草がかわいい」とか、「兜を脱いで涼んでる貴重な姿を目にした。綺麗な金色の髪をしていて、夏の陽射しにキラキラ輝いてる。ものすごくかわいい」とか言い合ってる。まるで本当に、手の届かないところで咲いてる高嶺の花を遠くから愛でるかのような言い方だ。まあ、決戦に向けて嫌でも高まってくる緊張を、少しは和らげる効果があったとは思う。



 しかしそんな日々も、長くは続かない。

 私たちの攻城兵器部隊、決戦の序盤で重要な役割を担う弩兵部隊、および最後の決着をつけるため城下に突入していく歩兵部隊、いずれも準備が整った。七月十四日、いよいよ内乱の決着をつけるべく、ベスティアが三一四小隊の主立った者たちを伴い、城壁の正門に向き合う固定櫓の上に立って、大公側に呼び掛ける。決戦を目前に、最後の降伏の機会を与え、さもなくば攻め込むという宣言だ。

 その声には、聞く者全てに畏怖の心を抱かせる響きがあった。いつぞやの冒険行のとき、群盗たちを一声で平伏させてしまった、あのときの声音だ。いや、この決戦の宣言では、あのとき以上にベスティアの強い意志が込められているように感じられる。


 このとき私は、ベスティアが上がった櫓のすぐ近く、正門の左右に取り付こうとする可動式の櫓の一方に上がって、両軍の様子を見ていた。

 ちょうどベスティアの向かい側、正門を跨ぐ狭間胸壁のところに、『お花ちゃん』が立っている。周囲には揃いの装いをした兵たちが百名あまり、ほとんどは大きな楯を構えて密集隊形で彼女を守っていた。『お花ちゃん』の傍らの兵が大公の旗印を支え持つほか、かなり大きめの弩も楯の隙間から見え隠れしていて、十丁以上ありそうだ。服装や装備からすると騎士ではなく傭兵のようだが、そこそこ上等な揃いの服装と装備品だし、反乱軍の精鋭と同様に統率が行きどいており、余計な動きはほぼみられない。

 大公宮廷に連なる有力貴族の中には、お抱え傭兵団を持つ家も多いと聞いている。きっと、あの傭兵たちは彼女の一家の忠実な手勢であり、最前線に立つ大切な姫のため専属の近衛部隊として与えられたのだろう。ベスティア専属近衛の三一四小隊が総勢五十名ほどであることを考えると、『お花ちゃん』は大事に守られている。


 大公側の兵力は、この籠城の時点で一万を割り込んだ程度だと、軍議で聞いた。騎士や傭兵からなる大公側の軍の他に、城下の一般市民兵による抵抗も予想されているが、それを合わせても二万に届かないだろうと参謀たちは見込む。城壁の内側に住んでいた市民は、かなりの数が戦乱を避けて籠城前に脱出しており、残っている民は平時の半分ほどの十万人強と推算されていた。その市民の中で戦力になり得て、かつ反乱軍に抗しようとする者は一万にも満たず、ひょっとすると千あまりではないか、とのことだ。

 対する反乱軍の包囲陣には、工兵や輜重兵、職員なども合わせれば総勢十数万もの将兵がいる。十倍あまりの敵軍勢を目の前にして、さらにベスティアの、あの物凄い威圧感の宣言を真正面から受けたというのに、『お花ちゃん』は逃げたり降伏する気配はないし、全く動じていない様子だ。

 それどころか彼女は、ベスティアの言葉が終わって両軍静まり返った中で、ふと思い出したように大公の旗を振り始めた。まるで何事もなかったかのように平然と、いやまあ例によってお供の兵に支えられながら必死にやってるようだけど、その非力さとは正反対に、驚くほどの芯の強さだ。そんな彼女にならってか、城壁の騎士や傭兵たちも持ち場に踏み留まっている。


 ベスティアの威圧が通じないのなら、いよいよ決戦を始めるしかない。

 私が櫓から降りてきたところへ、ちょうどベスティアも三一四小隊を伴って出てきた。同じく軍議へ向かうので並んで歩く格好になり、ベスティアと近衛筆頭が話し合うのが聞こえてくる。ベスティアより二回りくらい大柄な女騎士であり、ベスティアとの付き合いも私と同じくらい長い彼女もまた、私と同じ感想だったようで興奮気味に喋っていた。


「ちょっと姫様! 一体あの子なんなの!?

 あれで平然としてるなんて信じられない!

 肝っ玉ものすごい子だね、『お花ちゃん』」

「ああ、実に立派な姿だった。思ってた通り、あの子は小さくて弱くて、とても強い」

「なにそれ不思議。弱いのに強いんだ」

「きっと私にも……、いや、この世の誰にも負けないよ。

 その強さが、きっと将来たくさんの人を救うはず。それも、この内乱で命を落とした数より、ずっと多くの人々をね。だから私たちは、あの子を決して傷つけてはいけない」

「ああ、承知した」

「といっても、人間があの子を傷つけることなんて、たぶんできないだろうけど。

 あの子は私と同じく、大きな運命に生きている。言うなれば私の妹分」


 そう語るベスティアは、どこか遠くを見るような目をしていた。

 後になって思い返すと、まるで自身と『お花ちゃん』の将来を見通しているかのようでもあった。




◆無数の弧を描く


 ベスティア姫が決戦開始を両軍に宣言した翌日、反乱軍は早朝から攻撃を開始した。いよいよ城下攻略作戦が動き出す。私も、持ち場である巨大投石機の傍らの櫓に上がって、出番を待つ。


 最初の攻撃は弩部隊から始まった。反乱軍陣地の塀や櫓の各所にある中型や大型の弩、さらに据置型の巨大弩がそれぞれ唸りを上げ、城壁の上にいる大公軍を目掛けて無数の矢を放つ。

 もちろんベスティア姫の命令通り、弩兵の誰もが『お花ちゃん』からは狙いを外している。それでも、さすがに彼女は周囲の兵たちに抱えられるように引っ込められた。やはり大公側の重要人物なのだろう、そのまま守られて生き残ってくれればいい。

 可動櫓の準備を終えたカンナが私のところへ様子を見に来たので、『お花ちゃん』の状況を伝えると、彼女も少し安堵したようだった。


 弩部隊が城壁から敵兵を排除すると、作戦士官からの伝令が、投射を開始するよう伝えに来た。次は私たち投石機部隊の出番だ。狙いを定めて、外さぬよう投射する、ただそれだけを意識して作戦に臨む。

 私自身は、門の真裏を狙えるよう、正面でなく少し斜めの位置にある投石機についていた。もちろん距離は離れるが、カンナと技術部のみんなが作った巨大投石機なら有効射程内だ。投石機は地盤を突き固めた上に重たい石材を積んで基礎を設置、周囲にまで太い杭を打って支柱や綱で支え、反動でのズレを抑えるようにしてある。主要な投石機には、すぐ脇に高い櫓もあって、私はそこに上がって城壁内を覗き込むように狙いを定める。

 ここから、まずは城壁の裏側へ石弾を大量に投射し、続いて破片弾も同じところへ投射していく。他の箇所に設置してある投石機からも、同様に城壁裏側一帯を狙って投射する。

 この一連の投射によって城壁付近から敵兵を追い出したら、満を持して燃焼弾を使う。各所に準備された投石機を順に巡っては傍らの櫓に登って狙いを定め、正門はもちろん裏門など全ての出入口の扉の外側にまんべんなく命中させ、さらに二枚の門扉に挟まれた空間や、内側ギリギリにも落とし込み、全ての扉の両面を燃焼剤で覆い尽くしたところで弩兵に伝達。彼らが弩に火矢を装填して放つと、一気に燃え上がる。炎の高さは城門の上の胸壁も、四つの塔も優に超え、さらに高く立ち上っていく。その熱は、長弓の矢が届かぬくらい離れた反乱軍の陣地からでも、肌に感じられるほどだった。

 城門付近の大公軍の兵たちは戦うどころではなくなり、大慌てで消火しようとするが、あの炎に対して有効な手段などない。あまりの熱気に、近寄ることすら困難なはず。

 だが、燃え広がる心配はあまりない、と作戦直前の軍議に参加したとき聞かされていた。既に城門の外側には、ほとんど何もない状態だ。門の内側は広場になっていて、平時であれば露店が並ぶ市場として使われているというけど、籠城戦に備えて兵たちが活動できるよう撤去されているようで、やはり何も見当たらない。城下の建物は基本的に石造で、城門付近にも延焼しそうな建物はないし、またこの季節は風も弱い。そして燃焼弾の炎は火の粉が出にくいため、城壁内で延焼を防ぐことは難しくないはずだ。


 しばらく時間が経った後、正門付近の城壁の内側から、不意に濛々と湯気が立ち上ってくる。かなり大量の水を掛けたのだろうと思って見ていたら、直後に内側城門すぐ脇あたりから城壁の石積みが崩れ始め、燃え盛る城門の周囲一帯が連鎖的に、轟音を伴いつつ崩れていった。あの『お花ちゃん』の舞台だった外側城門上の胸壁も、周囲にあった四つの塔も、みるみるうちに瓦礫の山と化していく。

 以前カンナや『先生』から聞いていた、技術部の素材研究班による検証結果を思い出す。ここの城壁に使われている主な石材は、強固な材質ではあるものの、高温に熱した状態から急冷すると内外の収縮率の差によってヒビが入り、割れてしまうのだ。だから向こう側で思い切った消火活動をすれば、むしろ城壁に大穴を開けることになるだろうと、『先生』は言っていた。


 あっけなく崩壊した城壁に比べると、緻密で分厚い木材を鉄で補強した城門扉の方が、まだ熱に耐えている。その燃え具合を見つつ、燃料が足りてなさそうな箇所を狙って、さらに追加投射していく。あの扉全体をまんべんなく消し炭にするためだ。しかし疲れてきて気が緩んだか、炎による影響の見極めが甘かったか、私はわずかに風を読み違えてしまったようだ。

 少しだけ狙いを外した燃焼弾が、崩れた城壁の石材の角に当たって弾け、中身が引火しつつ広い範囲に散っていった。しまったと思って様子を見ていると、全身を炎に包まれてもがく人影が城壁の崩れた隙間に見え、石畳を転げ回りながら視界の外へ消えていった。敵兵の誰かが、燃えながら飛び散る燃焼剤をまともに浴びたのだ。

 他の兵たちが、水浸しにした毛布を持って追い掛けていくのも見えたが、あれではもはや助からないだろう。私の失敗が原因だ。私が殺してしまった、それも無残極まりない死に方を……。


 だが、そんな事態が生じ得ることも覚悟して志願した役目ではなかったか。私は最後まで任務を全うせねばならない。突入部隊が城門を打ち破るのに手間取れば、その間にも残っている敵兵からの攻撃を受けるだろうし、より多くの犠牲が出るはずだ。

 だから私は、もはや何も考えないようにして、所定数の燃焼弾を投射し終えるまで、他の一切を脳裏から追い払うことにした。燃焼弾は製造時や保管中の火災の危険を減らすため、必要量だけしか用意せず、全てを城門の攻略にのみ集中投入することにしていたのだ。




◇役目を果たす


 いよいよ決戦だ。私も重大な役目を果たすときが来た。


 弩での撃ち合いが始まると、それに呼応して可動櫓も前進していき、内部に詰めた兵たちが弩の射撃を開始する。

 櫓が進出すると、兵たちが行き来する通路が延びるので、そこに工兵隊を出して仮設の壁や屋根を作り、飛んでくる矢から守る。そういった細かな指示は工兵隊にあらかじめ出してあって、小隊や分隊単位で持ち場を割り振って交代要員も用意してあるので、私は櫓それぞれを巡って想定の範囲内かを確認をするだけで済んだ。

 同時に、櫓の動作に問題がないかどうかの点検も、簡易ながら行った。その車輪の軋みなどを聞けば、ある程度は把握できる。


 その巡回の途中、トビの持ち場を通り掛かったので様子を見に行くと、私の助手、いや相棒は立派に役目を果たしている様子だ。

 彼が櫓を降りてきたところで聞いてみれば、さすがに『お花ちゃん』は、弩の一斉射撃が始まってほどなく退避し、近衛部隊ともども城壁から姿を消したとのこと。『手折る勿れ』とのベスティアの命令は忠実に守られており、弩の矢が彼女に向かうことはなかったし、『お花ちゃん』の周りを多くの護衛が囲んで守っていたので、きっと無事だろうとトビは言う。

 その後、陣地を巡回していたベスティアと行き会った私は、まずそのことを彼女に伝えた。決戦間近になると、ほぼ常に険しい顔をしていたベスティアが、このときばかりは明るい表情を見せたのが印象に残る。


「トビ君が確認しているなら間違いなさそうだね。伝えてくれてありがとう、カンナ。

 あの子はね、実は私の妹分なんだ。とても大切な子」

「ああ、聞いたよ」

「私がここまで来たのは、もちろん大公と決着をつけるためだけど、それは目的の半分。もう半分は、私があの子の姿を見たかったから、そしてあの子に私の姿を見せたいから。

 ここまで来れば、きっと会えるだろうと思ってたんだ」

「そっか。どうりで嬉しそうなわけだ。

 オイラも、もしあの子に会えたら、仲良くしてもらうとしよう」

「うん。とってもいい子だから、ぜひ」


 しかし彼女の笑顔を見るのは、それが最後となった。

 その後は『お花ちゃん』が城壁に出てくることもなくなって、陣地の女性職員たちは黙々と仕事をこなすばかり、男たちも次第に重苦しい表情で任務に就くようになっていく。



 さらに、異変は技術部にも生じる。

 可動櫓を一巡りして再び正門脇の投石機のところへ来たら、トビの様子がおかしい。先ほどとは明らかに違う真っ青な顔で険しい表情をしている。心配していた状況が、ついに生じたらしい。彼の補佐をしている技師に聞くと、敵兵が焼け死ぬ様子を見たとのことだった。あれほど激しい炎の周囲には、激しい空気の流れも生じる。その影響で誤差が著しく拡大し、トビの放物線の魔法を以てしても補正できなかったのだろう。だけど、彼が失敗するほどの状況ならば、他の者では外してばかりになるはずだ。致し方ない。


 櫓の上で城門を睨むトビの横顔からは、これほど厳しい精神状況に追い込まれてもなお、任務を果たそうとする悲壮な覚悟が感じられる。彼を邪魔しないように、私も持ち場に戻って、櫓を城壁に取り付かせる最後の準備に取り掛かった。動作に支障がないかどうか、工兵隊が作ってくれた通路を使い、全ての櫓の機構部を点検、陣地側の巻上機も全て確認して戻る。


 夕方、先に官舎へ戻ったのはトビでなく私だった。作戦計画では投射任務が終わっているはずの時間だったから、きっと心苦しくて帰るのを躊躇っているのだろう。翌日の投射に向けて投石機を全て確認するとか何とか言い訳をつけて、一人で歩き回っているのかもしれない。


 でもきっとトビはここに帰ってくる、朝夕一緒に食事することは二人の間の約束だから。

 そのとき彼を慰め、ねぎらうのは私しかいない。上司としても姉貴分としても、それから一緒に責任を負うと約束した相棒としても。

 私は決戦準備の合間に、親しい女性職員たちから一応は料理を教わっていた。全然まだ自信はないけど、心に傷を負った同居人のために作ってあげたい。とはいえ慣れない作業は失敗がつきものだ。何度か練習した料理も、思ったほど上手くできない。

 そこへ彼が帰ってきて、私は罰の悪い顔をしたのだろう。


「あっ、トビ……。お、おかえり」

「何やってんだよカンナ、下手だな」


 彼は私の手から調理道具を取り上げ、手際よく仕上げてしまう。

 その背中を見つめるしかない私。


「ごめん。オイラやっぱり料理は苦手だ」

「いや、俺も言い方が悪かった。苦手なのに頑張ってくれて、感謝するよ。

 だからカンナ、そんな泣きそうな顔しないでくれ」

「何言ってんの、泣きそうな顔はトビの方だよ」

「……ああ、そっか。俺が失敗したのを知ってたか」

「この任務の責任は二人で背負うって約束したよね。だからオイラも一緒に責任取る」

「……ありがとう、カンナ」


 食事を済ませると、それぞれの持ち場の状況を再確認した上で、二人でベスティアに報告すべく出掛けた。日が暮れた本営内のベスティアの居室、卓上の数本の蝋燭が彼女の表情を暗く照らす。


「ありがとう。そして責任を負わせてしまって済まない。最後の仕上げは私の仕事だ。

 いや、私こそが幕を引かなければならない、私が始めた内乱なのだから」



 内乱の最終局面、突入作戦の当日。私は軍議のため先に出る予定で、夜明け前に起き出した。

 トビには朝食を別々にすると伝えてある。彼をギリギリまで寝かせておきたいから、そっと寝床を出て、前日に購買で買っておいた少し上等なパンを切って、牛肉と根菜の煮込みの瓶詰めを開けた。けどそのままでは物足りない気がしたので、少しだけ手を加えて簡単に調理をしてみる。

 昨夜よりも、もっと手を抜いた料理だ。ありあわせの葉物野菜をざっと切って炒め、火が通ってきたら瓶詰めの油漬け小魚と、魚醤をひとさじ。さらに軽く炒めたら皿に盛る。トビの腕前には到底及ばないけど、瓶詰め小魚と魚醤の旨味で、まあまあの味にはなったかと思う。

 どうにか作れたことを書き置きして、私の分を食べ終えたら陣地本営へ向かった。


 内乱の最後の軍議では、もはや新たな話題はない。ベスティアと主立った者たちが、それぞれの任務について、最終日となるこの日の予定を互いに確認し合うだけだ。

 すぐ解散となり、本営前の広場には、突入に備えて支度を済ませたベスティアや三一四小隊の面々が勢揃いしてくる。

 先陣を切る主力の歩兵隊に続いて突入部隊の中核となる彼女たちを送り出すため、主立った士官やその部下たち、職員たちも集まっていて人垣ができている。

 その中に一瞬、杖を突いた小柄な黒髪男性の姿が見えた気がした。


 『先生』!? まさかベスティアを見送りに来たの?

 そう思って探したものの、雑踏に見失ってしまい、二度と目にすることはなかった。



 決戦での私の任務は、熱で強度を大幅に落とした城門を破って突入部隊が城下へと入っていくのに合わせ、櫓を城壁に取り付かせたのを確認したところで、ほぼ終わった。あとは、突入部隊の上空で放物線を描く石弾を発射している、トビたち投石機部隊の仕事を待つだけだ。


 私はトビがいる櫓に登り、彼が石弾を投射し終えるまで、傍らに立って見守る。

 その最後までトビは集中を切らさず、ほぼ全弾を目標である大公宮殿や傍らの塔に集中させた。わずかに外した石弾も宮殿の付属の建物などに当たった程度で、彼は宣言通り宮殿の外に損害を出すことはなかった。




◆最後の一仕事


 内乱の最後の朝、私が目覚めたときには、既にカンナは官舎を出ていた。未明から軍議があるので朝食は別々、と聞いている。彼女は私の分まで朝食を用意してくれていた。かなり適当だったし冷めていたし、調理具の片付けも雑だったけど、盛り付けの見栄えはともかく味は美味しいと感じる。少し涙が出た。


 持ち場の櫓に登ると、三日三晩燃え続けて火勢が弱まった城門を破城槌一つで打ち破り、崩れた城壁の瓦礫を乗り越えながら、精鋭の歩兵部隊が突入していくのが見えた。その先鋒部隊に続き、ベスティア姫が率いる近衛三一四小隊も、他の部隊とともに騎馬で突入していく。

 彼ら彼女ら突入部隊が目指すのは大公の宮殿だ。その大公の宮殿を狙って、先んじて長距離投射を実施するのが、私の、そして技術部にとっても、内乱における最後の任務となる。


 今度の投射は、大公宮廷に集う貴族たちに戦闘継続を断念させるのを主な目的とした攻撃だ。もちろん、これも大きく外したら人的被害を大きくしかねない。しかも狙うのは宮殿本館の大屋根や、その周囲に立つ塔のうちひときわ大きな二つだけと決まっている。他の塔より太く大きいとはいえ、最大射程ギリギリの距離となるため弾道のブレが大きすぎる。そんな悪条件下で、最悪でも宮殿に石弾を集中させる必要がある。城門への燃焼弾と同じくらい難易度の高い役目だから私が必要だ。

 一足先に櫓を城壁に取り付かせ終えたカンナが、私のいる櫓に駆け登ってきて、傍らで見守ってくれる。私は彼女の気配を感じつつ、振り返ることなく背中越しにこう言った。


「心配するな。もう外さない。少なくとも市民の上には落とさない」

「わかってる。信じてる」


 こうして所定数の石弾を打ち込んだところで、私の内乱での役目も終わった。


「お疲れ、トビ。頑張ったね」と、カンナが後ろから抱き締めてくれる。

「おいやめろよみんな見てる」と言いつつ、背中に感じる彼女の体温が有難かった。

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