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◇技術部と他部署の仕事、鉄鋼逼迫の問題
この時期に技術部が関わった仕事で、弩の他に印象深かった品としては、折り畳み式の小刀がある。工廠で生産していたその小刀は、深刻な品質問題に直面したことがあり、技術部もその改善指導に手を焼いた。
反乱軍が将兵や職員に支給していた折り畳み小刀は、実は伯爵が新任士官に授ける小刀を元にしたものだ。私たち士官が使っているのを見た反乱軍の兵たちが、これは便利そうだと欲しがることから、装飾を省き構造も簡素化した日用品の刃物として支給することになり、武器工廠が稼働を始めた当初から作られていた。が、この頃の反乱軍は深刻な物資不足、とりわけ鉄材が逼迫していたため、貴重な良質の鉄鋼は実戦部隊の将兵の命を左右しかねない武器や武具に優先して用いることになる。
一方で小刀は日用品であり、武器に比べると重要度は低い。そこで工廠では、鉄材不足を補うため、この小刀の素材には回収鉄を使った。戦場で壊れて放棄されたような武器や武具を拾い集めてきた鉄材が相当量あったのだ。そして工廠の職人たちは頑張って生産数を計画に近い水準で維持してくれたのだが、回収鉄の品質が大きな問題をもたらしていた。鉛筆を削るだけで刃こぼれしたり、力を入れたら刃が折れてしまったり、かと思えば切れずに曲がったりと、硬軟どちらの問題もあった。また、折りたたんだ状態で錆が出て刃が固着して使えなくなったものも多く、支給された兵たちからは散々な不評を被る。
そこで工廠は技術部に助力を求めてきて、私や部下の技師たちが調査に臨んだ。せっかくだからトビにも助手として私に同行してもらい、工廠と技術部の仕事の違いを見てもらうことにする。
行ってみれば、すぐに原因が判明した。回収した鉄材をまとめてある木箱を覗くと、錆の進行は遅い一方で刃もつかない軟鉄から、硬い刃にできるものの錆びやすい鋼、さらには脆い鋳鉄まで、何の区別もせず放り込んである。これらを混ぜこぜに使えば品質など安定するはずもない、どちらに転んでも使い物にならぬ刃ができるのは当然だ。
工廠で働く職人たちの顔触れを改めて見てみると、混ぜこぜにしてしまった理由も想像がつく。工廠の職人たちの中には見習も多くて回収した鉄をきちんと吟味することを知らず、数少ない熟練者たちは日々の作業量をこなすのに精一杯で見習たちを指導する余裕もなかったのだ。
一方、工廠の運営を管理する事務方に聞いて回ったところ、彼らは末端の事務官から士官に至るまで、目標の生産数を達成することしか頭になかったらしい。事務方連中によると、現場の主立った職人は、回収した鉄材からでも「やればできる」と言っていたそうだ。職人仕事の何たるかを知らぬ事務方は、これを言葉通りに受け取って問題なくできると認識してしまった。しかし熟練職人の言う「やればできる」とは、そんな安易な意味じゃない。この問題においては、「やり方を知っていればできる」「手間がかかるけどできる」といった意図も含んでいた。職人仕事を知らぬ商家が、儲かりそうだからと腕利き職人のいる工房を買収した後、こんな問題に直面して大失敗したのを、伯爵領でも聞いたことがある。
品質問題対策のため双方の主立った者たちを集めた席で、推測される要因を私が説明していたら、職人側は「だから言っただろ」と憤慨するし、事務側は「言ってなかっただろ」と喧嘩になりかねない有様。これは互いの意思疎通の問題なのだと、私たち技術部は必死に場を収めた。
職人たちの説明は事務官連中には不十分だった、そもそも事務官に言っても理解してもらえないという職人なりの諦めのようなものもあっただろう。そして事務官たちは、そんな職人たちの想像通り、彼らの言葉に秘められた意図を全く酌み取ることができなかった。双方とも、相手に対する理解が足りてなかったことが、この問題の根本原因なのだ。職人たちと事務方との間に立って、そういった齟齬を解していったら、一緒にいたトビが目を輝かせつつ、私をこんな風に評価してくれた。
「カンナはすごいよ、職人と事務官との間の通訳みたいだ。両方の言葉がわかるのは技術士官だから?」
「技術士官だからというより、オイラが職人に囲まれて育って、技師や士官としても学んできたから、だろうね。
でもトビだって、きっとできるようになる。こうして職人たちの中で、オイラと一緒に生活してるんだし」
でも実のところ、職人と事務との言い争いを収めたのは、このトビが放った一言だったりする。彼が私に向かって、それでいて皆にも聞こえるように大きめの声で、「大人ってこんなもんなの? 味方同士でも喧嘩するもんなの?」と、わざと無邪気な子供を装って言い放ったものだから、どっちも決まり悪そうな顔で黙ってしまった。こいつ策士だ。
その後しばらくの間、技術部の腕利き鍛冶職人を工廠に出向させ、技術指導を行うことにした。回転砥石に当てたときの火花や、赤熱させて叩いたときの変形具合などを元に鉄鋼材の質を見極める方法から、硬軟組み合わせて刃を鍛造する技まで、基礎的な技術を若手職人たちへ一通り伝授してもらったのだ。また同時に工廠運営に対しても、生産やその管理体制を見直すべきだと提案している。例えば、あらかじめ鉄材を見極めて仕分けておく係や、鍛造を終えた刃などを回転砥石で研削しつつ検査する係といった、いくつかの重要工程に熟練者を専任担当として配置することを推奨した。後日、工廠の事務方から、それらの施策を実施し、品質改善がみられた旨、報告を受けている。
とはいえ、こうした現場の品質管理の工夫は当座しのぎに過ぎず、抜本的な対策すなわち鉄鋼の安定調達こそ重要な課題だった。技術部は、むしろそこに役立ったと私は思う。
かつての私の同僚や先輩後輩である伯爵配下の技術士官たちにも応援を要請、技術部からも素材研究班などから技師や職員を各地に派遣し、鉄鋼材の調達先を探してもらった。すると夏至を過ぎた頃だったか、技術者たちが探索の末に伯爵領より北方の沿岸部に比較的高品位の砂鉄丘を発見。様々な関係者の助力もあって反乱軍が利用できることになり、品質の整った鉄鋼を安定して確保することに成功した。
砂鉄丘のある現地有力者らの許諾を得られたのは、大量の手紙で各方面へ働きかけてくれた、ベスティアや『先生』のおかげでもある。こうして秋頃からは鉄鋼材の生産も順調に伸び、小刀の品質も大幅に改善されたのだったが、折り畳み式の小刀に対する不評は長く残ったと聞く。
鉄鋼材の逼迫を契機として、弩の鏃と槍の穂先の共通化も行った。
鏃にも穂先にも使える部品を大量生産しておき、現場近くの陣地で柄をすげることで、戦況に応じて矢にも槍にも使えるというもの。調達・物流の計画と実務を大幅に効率化できて兵站部門にとっては大助かりで、前線将兵も消耗品不足に悩むことが減る、といった施策だ。
こんな大胆な策を思いついたのは、やはり『先生』だった。この案を手紙で伝えられたとき、私も「まさか」と半信半疑だった。弩の鏃にするには重すぎるし、槍の穂先には軽すぎるのでは、と考えたのだ。
ところが実際に量産試作して、一部の前線部隊に試してもらったところ、予想以上に高く評価され、私は大いに驚かされた。弩は、大公国の騎士たちが身に付ける強固な鉄板の鎧に対抗できるよう、最前線ではより大きく強力なもの(装填・射撃を二人一組で行うのが標準とされる型式で、後に「中型」と称される)を装備した部隊が増えていて、重たい鏃がちょうど合うという。槍も、軽めの短槍を効率的に量産でき、反乱軍の主力となっている屈強な志願兵部隊などへ大量に支給することが可能となった。多くの前線指揮官から、何本も携行できて折れたり落としたりしても気にせず戦える、必要なら躊躇わず投擲もできる、などと高く評価する手紙を受け取っている。試してみるものだ、と思わざるを得ない。
私は、またしても『先生』の先見の明に驚かされたことになる。現場の評価が高い上に、限られた鉄鋼材を有効に活用でき、武器工廠や輜重隊など兵站部門の業務も効率化できることから、この案は計画を前倒して取り入れられた。内乱を通じて膨大な数が生産されたし、その後の軍にも受け継がれることになる。
標準品となった鏃に合わせ、私はトビの弩も対応させた。そのためには威力を強化する必要があったため、まずは鋼で強力な螺旋バネを制作。砂鉄丘から作った鋼材の抜き取り試験を技術部が引き受け、素材研究班や鍛造班などで様々な検証を行っていたため、検査が済んだ多数の鋼材が手許にある。その中から特に良好な結果が出た試験片を厳選、鍛造した上でバネに加工、熱処理や表面仕上げまで全ての工程を私自身で手掛け、とうとう満足できる特別なバネが完成した。
このバネの力に耐えられるよう、弩の躯体を構成する部材の一部を強化、装填機構などの部品も新たな矢に合わせて作り直し、梃子を改めて調整したら完成だ。少し重量が増加して連射速度も低下、鏃が大きくなったため搭載できる矢の本数も半減したものの、威力や射程は中型弩に迫るものとなった。威力の向上もさることながら、標準品の矢を使えるようにした点が大きい。反乱軍の勢力圏内なら、消耗品である矢をいくらでも調達でき、トビが何処へ行っても身を守れる。強化した弩を試射するトビと、こんな話をした。
「手応えはどうだい?」
「凄く飛ぶようになったね。重たい鏃もブレにくくていい、狙いが安定する。
でも、こんな強力な弩、俺には過ぎた武器だ」
「そう言うな。最近アンタも一人で技術部を離れる場面が増えてきてるだろ? 今後は、山荘や工廠だけでなく、もう少し敵の近くまで行くことになるかもしれん。このくらいの武器は護身用に持ってていい」
「まあ、そうか……」
「あんまり気乗りしてないな」
「だって、俺よりもっと敵に近いところへ行く兵はたくさんいるじゃないか。そいつらにこそ役立つと思うんだ」
「まあ、それはそうだが」
「カンナ、この鋼のバネを使って二連弩の強力版を作れないか? 今度は大人の伝令兵のために」
「そうだな、ちょっと作ってみるか」
私は内心かなり嬉しかった。私が考えていなかったところにトビが提案をしてきて、しかも採用できそうな機会が得られたから。
前述した大人の伝令兵向け二連弩の開発のきっかけとなったのが、このトビの意見だ。改良型二連弩では、私がトビの連射弩のため特別に鍛えた鋼のバネを元に、もう少し量産しやすく工夫したバネを開発、構造は鯨の髭を使った二連弩を踏襲することとした。
といっても、私たち技術部が担当したのは企画や大まかな仕様策定、およびバネの量産試作までだ。ちょうど技術部と工廠との役割分担が変わりつつある頃だったので、バネ以外の設計変更から試作、量産まで、工廠に新設された開発部の職人たちが中心となって成し遂げた。バネが格段に強くなって射程や威力は向上、もちろん弩自体も一回り大型化し、構造が大幅に強化されたため総重量も増加、巻上時の把手の操作力も重くなったものの、ほぼ全ての機能を踏襲している。
ちなみに同じ頃、被服工廠の方にはゴムに執心する素材研究班の主任技師が頻繁に足を運び、とりわけゴム底靴の派生形を靴職人とともに何足も試作していた。内乱前から山荘の医療関係者が使っている軽い短靴だけでなく、職員や一部の将兵が履く頑丈な半長靴や長靴にも利用を拡大させたいと意気込み、ゴム底を改良しては試していく。そうして試作されたゴム底靴の数々は、まず私たち技術部の皆が日常的に履いて、履き心地や滑りにくさ、耐久性などを試した。技術部の工房は床が水や油で濡れていることも少なくないので、検証にうってつけだったらしい。
素材開発というのは、得てして時間がかかるものだ。砂鉄丘の利権を確保した後、鋼の生産量や品質が安定するまでにも手間と時間を要したが、ゴムもまた同様。固くしすぎれば濡れた石などの上で滑りやすくなり、かといって柔らかすぎると靴底が変形・摩耗しやすくなる。そんな相反する問題を完全には解消しきれず、主任は納得できずにいた。彼が何度となく試作を繰り返したおかげで、私たちの自室には私とトビの靴が何足も溜まってしまい、「靴箱だけ見たら大家族か金持ちの家みたいだ」と笑い合ったりもした。
しかし途中で、ゴムの応用の可能性を探る中で誕生した別の開発品の方が内乱の帰趨を左右する重要なものとされ、素材研究班にはそちらに専念してもらうことになった。まあ我々技術部の顧問みたいな存在である『先生』が何としても実現したいというのだから、部長の私も主任を説得せざるを得ない。あまりに渋るものだから特別室に同行させ、『先生』から直々に説得してもらって、ようやく主任は同意してくれた。
こうして、ゴム底靴の改良は一時中断。主任が納得する品質のゴム底靴を量産できるようになって、軍や民間にまで普及するのは、内乱後のことになる。また、彼は他にもゴム引き布の防雨外套なども試作していたが、当時の技術だと布への定着が安定しないなどの課題が残り、こちらも反乱軍が量産に踏み切ることはなかった。
そういった品物にもトビは興味津々な様子で、説明していくと「ここはこうした方が」といった提案をくれて、そのたびに私は「やっぱりこの子優秀」と内心とても喜んだ。すぐに採用できる案は多くなかったけど、半年前まで何の知識もなかった少年の発案とは思えなかったから。
配属されて二か月ほど経った初夏くらいになると、すっかりトビは技術部の者たちにも、また陣地の他部署の者たちとも馴染んでいたし、技術部の仕事の大半を大まかにではあるだろうが理解するようになっていた。
技術一辺倒の私とは違い、この子は多方面に有望だ。しかも『先生』に似た考え方も持ち合わせている。あるとき私に同行して工廠を訪れ、技術部と工廠の分業体制を知った彼は、工廠の職人たちの中にも優秀な者が少なくないことを、すぐに見抜いたらしい。技術部へ帰る道すがら、いかにも『先生』が言いそうなことを私に提案してきて、とても驚かされた。
「カンナ、もう量産化されている品物の改良くらいなら、工廠でもできそうじゃない? そうすれば技術部は、もっと新しい品物の開発に集中できると思うんだ」
「えっ!? ……あ、ああ。たしかに。
そうか、それは考えてもいなかった」
「今そうしていないのは、体制というか指揮命令系統が別だから?」
「そうだね。主にそれが理由だと思う。工廠は必要な数の品物を生産するための組織だし。
だから、開発を主導できる人材がいるかどうかなんて、今まで誰も意識してなかった」
「なるほど。あそこの職人たちも、あくまでも量産が自分の仕事だと思ってるから、開発については表立って発言してこないんだ」
「というと?」
「さっきちょっと立ち話した職人さん、俺がカンナの助手だと知ったら、『改良したい箇所があるんだが、技術部に頼むにはどうしたらいいか』って言ってきたよ。とりあえず上司に伝えておくからと、簡単な図を書いてもらった。
これなんだけど、工程も省けて生産効率が上がりそうな気がしない?」
「……ふーん、悪くない案だね。実際どうかは試してみる必要があるけど、使えそう」
「カンナがそう思うなら間違いないね。
きっと、これくらいの改良案を出せる職人は工廠にも何人かいると思う」
「同感。数人どころじゃないかも。
ただそういう職務分担に関わる点を技術部から指導するのは越権行為になりそうだからな。うーん……、とりあえず工廠担当士官に話を通して……」
「こういうのは『先生』に頼んでいいんじゃないかな」
「それもそうか。じゃあちょっと手紙を出してみよう」
◆技術部と他部署の仕事、安全管理の問題
この時点では、反乱軍も技術部も工廠も、発足して半年足らずの新しい組織。
技術部や工廠は次々に新たな品物を作り出しており、業務の分担は曖昧になりつつあった。その間、工廠の人員は大幅に増えたのに対し、技術部は微増。開発すべき品目が増えたこともあって、業務の区分を変えてもいいのでは、と私は考えた。
だいたいカンナと技術部は、気付ばあれもこれもと自分たちで全て何とかしようとする傾向が強い。技術者や職人としての個々人の姿勢としては、それが正しいのかもしれないが、結果として仕事を抱え込みすぎてるように思うのだ。カンナに同行したり、使い走りをして技術部と工廠とを行き来しつつ、工廠に任せてもいい部分は多いだろうと考えるようになった。
といっても私は軍属の助手でしかなく、軍の体制に口を出せる権限などない。カンナや『先生』が決めるべきことだから、提案してみただけだ。カンナが手紙を出したところ、例によってすぐ返事があって、二人で特別室まで『先生』を訪ねた。
すると開口一番、『先生』は私を褒め、カンナに同意を迫る。
「こんなことまで気付いて提案してくれるなんて、実に優秀な助手じゃないか、カンナ」
「ま、まあ……、ね」
嬉しそうな『先生』とは対称的に、カンナが妙に居心地の悪そうな様子をしているのが、どうも引っ掛かった。
「あの、『先生』。もしや私が知らないところで、何かあったのでしょうか?」
「察しが良い。その通りだ。
実は君が助手になる前にもな、カンナが一人で仕事を抱え込みすぎて……」
「あーいやほら、あのときは技術部立ち上げたばかりだったから……、ね?」
にやりと笑って説明しはじめた『先生』の言葉を、カンナは必死に遮ろうとする。
それで少し考えて、気付いた。
「あ、もしかして事務仕事まで自分でやろうとしてたんですか?」
「ふはっ!!」
「んなっ……!? な、なぜにそう思ったのですかトビ君!?」
『先生』は吹き出し、カンナは酷く狼狽えて声が裏返った上に変な口調になった。どうやら図星だったらしい。
といっても大した自慢にもならない話だ。
私は配属されたばかりの頃、技術部の仕事について、よく部署の事務職員たちに質問していた。技術者や職人たちは自分の仕事に没頭しがちで、質問して良さそうな機会はなかなか見当たらない。それにひきかえ、事務職員たちは大事な書類の途中でもない限り、私のような少年軍属の質問にも気軽に応じてくれるのだから。
で、職員たちの多くは、技術部発足直後の経緯について「らしい」「と聞いてる」といった言い方で説明するので、後から入ってきたことは間違いない。また、事務仕事の様子を見ていれば、技術者とは全く異なる能力を必要とするものらしい、ともわかる。しかもカンナは、最初に私を官舎に招いたときの様子からしても、技術以外のほとんどのことが苦手なのだろうし、そういうのを他人に頼むのも上手とは言えない。
……といった推理を説明したら、カンナは不本意そうな表情をして、『先生』は嬉しそうな様子だった。
「視力に優れるだけでなく目端も利くとはね。カンナにとってはこれ以上ない助手だ。
トビ君、今後ともカンナのことをしっかり支えてやってくれ。よろしく頼む」
「はい。私にできることなら何でも」
「ちょっと『先生』!? よろしく頼む相手が逆じゃない!?」
なお、本題については呆気なく結論が出た。
双方の部署が納得した上で割り振りを決めるなら特に問題なかろう、というのが『先生』判断。ただし具体的な仕事の配分には士官どうし相談して調整する必要があり、工廠の士官たちの反応に少しばかり懸念もあることから、まず『先生』が先方に打診して根回しをしておいてくれるという。
むしろ技術部は今後の戦局を左右する大仕事に注力していい、いやできるだけそうしてほしい、とも『先生』は言っていた。
「トビ君の言う通り、まだ存在していない品を新たに作り出すことこそ技術部の本務だと、私も思う。そして今後この内乱が進む中、反乱軍には大きな課題が待ち構えている。堅固に守られた都市を、いかに双方の犠牲を抑えつつ攻略していくか、という課題が。
この課題に私が最も期待しているのは、カンナ、君と君が率いる技術部だ」
「……わかってる。いよいよ例の品々に本腰入れろってことだね。技術部の運営も順調になってきたし、工廠の問題も目処が立ってきた。そろそろ本格的に着手するよ」
「ああ。苦労をかけるが、よろしく頼む。私もベスティアも、可能な限り支援する」
このとき『先生』とカンナが、いつになく深刻そうな様子だったのが気に掛かった。けれど私には、二人の会話の内容がわからない。どうやら私が技術部に配属される前に、二人の間で決めていたことがあるらしい。
そして『先生』もカンナも、この話題について私に詳しく説明しないまま、『先生』に次の面会予定があるとのことだったので、カンナと私は特別室を後にする。カンナは山荘本館の広間への階段を降りるときにも、広間から広場へ出て行く間も、珍しく黙ったままだったし、表情もほとんどなかった。
だから私は少年らしく、彼女に提案したのだ。
「カンナ、腹減った。この広場の屋台は旨そうな匂いをさせてるから余計だ」
「じゃあそこの屋台で何か食うか。育ち盛りのトビのために、何かおごるよ」
「やった! 一度ここで食ってみたかったんだ」
「そりゃ良かった。で、何がいい?」
「そうだなー、俺が普段作らないようなのがいいな。気に入ったら官舎で俺が作る」
「えー? オイラのために? 相変わらずだなあ。気にせず好きなやつを選びなよ」
「でもカンナは、俺が作れる料理なら他の人が作ったのより俺のが好きだろ?」
「あはは。自信たっぷりに言うもんだ。まあその通りだけど」
やっとカンナが笑ってくれた。
前に来たとき、この本館前広場の屋台が気になっていたのは事実だ。けれどここで食事できることよりも、カンナに笑顔が戻ったことの方が、よほど私には嬉しかった。
そういえば、二人揃って特別室に来るのは、今回が初めてだったか。私の服装も、初めて来たときのみすぼらしい格好ではなく、今は反乱軍の制服だ。屋台の人たちは当時の私を見ているだろうけど、今の私と同一人物だとは気付かないかもしれない。カンナも制服姿だし、むしろお揃いの制服を着た姉弟に見えるかも。
とか思っていたら実際、屋台のおばちゃんは、「あら、仲いいわねー」とか言ってくる。それに対し何故か妙に上機嫌になったカンナが、おばちゃんとの話で盛り上がる。
「コイツ、オイラの自慢の助手。すっごい、できる子なんだよ」
「あら、まだこんな子供なのに士官さんの助手? 偉いのねえ」
「もともと『先生』が紹介してくれてさ、さっきも『先生』にも褒められてた。
あの人でさえ驚くくらいに目端が利くヤツだって」
「余計なこと言うなって!」
「そうなの!? 噂通り、できる子を見付けるのが上手なのかねえ、『先生』は」
「というと?」
「知らない? たまにね、人事部の推薦か何かで少年兵とか志願兵が特別室に呼ばれることがあるのよ。それで『先生』が面談してみて、見込がありそうな人は小隊長とか中隊長に抜擢してるんですって。そうして昇進した人、みーんな評判いいらしいわ。
あなたも助手から昇進するのかしら?」
「いや、俺はずっとコイツの助手。これからも」
「『先生』に褒められたのに? 珍しい」
「それがね、この子ずっと私と一緒がいいって言うもんだから」
「そうなのー? 姉弟じゃなくても仲良しなのねー」
「おいカンナ! そういう話じゃないだろ!」
「まーこの子照れちゃってかわいー。やっぱり本当の姉弟みたいね。
よーしおばちゃんおまけしちゃうぞー!」
「よっしゃ! トビのおかげだ! しっかり食いなトビ!」
「……カンナが食うんじゃないのかよ……」
私たちは技術部の仕事に関連して『先生』に相談する場面も多かったから、その後も本館前広場に屋台を出してるおばちゃんたちと顔を合わせる機会が多かった。屋台の人たちは反乱軍に所属しているわけではなく、山荘やその近郊で暮らす普通の住民なのだが、店の場所が場所だけあって反乱軍の事情や噂にも妙に詳しい。
『先生』と面談したら昇進云々というのは、実際よくあったことらしい。後に親しくなった人たちの中にも、上官の指示で特別室へ出頭して『先生』と対話し、数日後には昇進して部下を持つことになった、という人がいた。『先生』が人を見る目は確かだから、人事部のラルス准士官が私を送り込んで面談させたようなことが、他にも何度かあったのだろう。
それに私だって、考えてみれば『先生』との最初の面談を経て、もう大抜擢されていたのだ。私にとって、技術士官カンナの助手というのは、これ以上ない地位だから。
なお、『先生』とカンナが先のようなやり取りをした後も、技術部が工廠の支援を担う場面が少なからずあった。工廠の運営を担っているはずの兵站部士官や准士官たちは、やはり予算や生産目標、実績などの管理が精一杯だったのだ。品質や安全など、現場にまつわる問題の多くは彼らの手に余るもので、技術士官や技師など職人仕事に詳しい人材がいないと解決できないという。そんな理由から、反乱軍で唯一の技術士官であるカンナは、たびたび工廠に呼び出されていたのだ。
でもカンナは、『先生』との対話にあった、反乱軍にとって重要な開発案件に注力しないといけないのではなかったか。そこで私はカンナに問い掛けた。
「この問題、たとえば『先生』でも対処できたりしない?」
「ああ、きっとオイラより上手くやる。けど元気に動けるなら、の話だ。
いくら『先生』でも、自分の目で現場を見ないことには対処できんさ」
「なるほどなー……。
いやひょっとして、俺が『先生』の目や手足になれば、できたりしないか?」
「えー? さすがにそれは無理あるだろ」
「でも俺、カンナが忙しすぎるのを見てられない。何でもいいから手伝いたい」
「オイラの心配してんの……?」
「そうだよ。ちょっと『先生』に聞いてみようよ。駄目でもともと、相談だけでも」
「わかったよ。トビがそこまで言うなら、とりあえず手紙を出してみる」
すると私も驚いたことに、「それならトビ君に安全教育をするから来なさい」との手紙が返ってくる。そして数日後、私だけでいいからというので一人で輜重隊に便乗して、指定されていた日時に山荘へ向かうと、特別室で『先生』がお手製の教本を用意して、車椅子で待ち構えていた。相変わらず傷の治りは遅く、身動きは不自由そうなままだというのに、心なしか楽しそうな表情をしている。
「特別講義だ、トビ君」
「これは一体、どういうことですか?」
「カンナの負担を減らしたいから私の目と手と足をする、とか言ったのだろう? 残念だがそれだけでは無理だよ。カンナも指摘していた通り、な」
「はあ……。やはり駄目ですか……」
「だが、君の目と手と足だけでなく、頭も伴ってくれれば、カンナの役に立てるぞ」
「頭?」
「そう、君の頭。物覚えの良さも、頭の回転も、目端が利くところも、カンナも私も高く評価している。だから今日は一通りの基礎だけでも覚えていきなさい。夕食の支度が間に合うくらいには帰れるようにする。まあこの教本丸ごとやるから、きっちり詰め込まないと無理だが、君なら問題あるまい」
「えっ!? い、今からですか!?」
「時間は惜しかろう?」
「……はい!」
『先生』の特別講義は、私が理解できるギリギリの速度で知識を詰め込むという、極めて過酷なものだった。昼食の中断を挟んで午前と午後に一時間半ずつ、合計三時間ほどだったはずなのに、私にとっては何日も拘束されていたかのような疲労感だ。だけど私はカンナのために頑張ったし、そんな私のために『先生』も頑張ってくれて、とても感謝している。
「これ以上は私が医者から止められてしまう」と言いつつ、みっちり指導してくれた『先生』は、私よりもっと辛そうだった。講義が終わった頃には青ざめた顔をして酷く消耗した様子で、衛兵に支えられつつ病床へ移って横になる。心配そうにしていた看護婦が駆け寄って、脈を取ったり体温を診たりしつつ、こんな会話をしていた。
「脈が上がりすぎです。無理は禁物だと、いつも医師に注意されているではないですか」
「済まんなナツ、世話を掛ける。だが大丈夫、少し休めば落ち着く」
「私に謝らなくていいです。『先生』のことを最も心配されているのは姫様なのですよ? その姫様のためにも、無茶をしないよう心掛けてください」
「ベスティアには、君たちが黙っていてくれれば問題ないだろう?」
「いいえ無理です。あの方には嘘も隠し事も通用しません。すぐ見破られてしまいます」
「やれやれ。それなら面倒だが、正直に伝えるしかないなあ。
君たちがベスティアに叱られる前に、私から説明しておくよ」
「そうしてください。あとそもそも無理をしないでくださいね」
「うむ……。気をつける」
私と大差ない年頃の、まだ少女の看護婦に小言を言われ、おとなしくしている『先生』の様子は、先刻の激しい講義を想像できないくらい普通の、病人か老人のようだった。
本気で頭を使うのは、本当に疲れるものなのだ。ナツと呼ばれていた看護婦は、『先生』の呼吸や脈が落ち着いてきたことを確認すると、『先生』と私に熱いお茶を淹れてくれた。お茶には酸味の強い柑橘の輪切りを入れてあり、甘いクリームを添えた薄い焼き菓子も一緒に出してくれる。これらは頭を使って疲れたときに良いのだと、衛兵の手を借りて寝台の上で再び身体を起こした『先生』は説明してくれた。少しは顔色が戻ってきたようだ。
「ここからは雑談の時間だ。頭を休ませたい」
「それは助かります。頭を休ませたいのは私も同様です。身体を動かしてもいないのに疲れるものなのですね」
「はっはっは。しかしあの情報密度に理解が追いつくのだから大したものだよ。普通の学生相手なら何日もかけて教える分量だ。士官学校首席ですら音を上げるかもしれん」
「それほどの内容だったのですか」
「何日もかけていられないからね、私も君も」
「そうですね。カンナのため、技術部のためにも、早く身に付けたいです」
「うむ。しかし最初に言ったように、今回はあくまでも基礎だけだし、講義を受けただけでは実践で役に立たん。次は応用編をやろう。また来週、来てもらえるかな?」
「は、はい」
「なら講義でなく討論形式にしよう。次回までに、現場の職人たちを観察しながら、今日の内容を消化して自分のものにしておくように。そして次に来るとき、観察した内容とトビ君の考察を整理して、報告書として提出すること。ああそうだ、ついでだからカンナに論文の書式を教わって書くといい。学術報告書だ」
「わかりました。やってみます」
帰りの馬車では、『先生』に貰った教本を復習しながら帰った。講義を聞きながら鉛筆で書き込みをしていたけど、講義があまりの速さだったので、重要そうな記述に印をつけたり、私が知らなかった語句について書き出すのが精一杯。なので講義内容を思い出しながら、私なりの考えを余白に書き出していたら、その途中で本部に着いてしまったので焦った。
馬車を降りてから宿舎までの間に、夕飯の買い出しをしながらも講義の内容を思い返していたら、私としたことが宿舎に残っていた食材と同じものを買っていたり、買おうと思っていた食材を買いそびれたりして散々だった。さらに調理しながらも考え事をしていて、うっかり作りすぎて、時間通りに帰宅したカンナに笑われてしまう有様。カンナも同じような経験があるそうだ。
「あはは。……いやー、それにしてもトビが上の空だなんて、珍しいこともあるもんだ。
まあ『先生』の全力の講義を受けたのなら仕方ないけどな。あの人の頭には本当にどれだけの知識が詰まってんだか」
「士官学校首席でも難しいかもって言われた」
「ああそれ実際あったんだよ。首席かつ最年少で士官学校に入った英才少年がいてね。最初っから講師連中も見下すような態度で、講師たちに論争をふっかけては屁理屈で遣り込めて、勝った勝ったとバカやってイキがってた。そんな挙句、『先生』に挑んだのさ」
「ソイツどうなったんだ?」
「泣いて帰ったそうだよ。しかも、次の日から人が変わったようにおとなしくなってた。オイラは卒業して技術士官になってたけど、たまに講義や実習の手伝いを頼まれて士官学校に顔を出してたから、ソイツの変わりようは見てる」
「あはは。そりゃ痛快! さすが『先生』だ。
でも本当に『先生』の特別講義はすごかった。食事が済んだらまた復習の続きをしないと足りないよ」
「だろうな。そうしないと身に付かない」
「それに、あの身体で無理して時間を割いてくれたのに申し訳ない」
「ああ、たしかに。『先生』には感謝しないと。
……でも嬉しいもんだね」
「え?」
「トビも、オイラたちの仲間入りだ。やっとな」
カンナのその言葉は物凄く嬉しかったけど、余韻に浸ってる暇はない。復習は夜遅くまでかかったから。カンナも例によって寝床で何やら思いついた書き物をしつつ夜更かししていて、それが終わるくらいまで私も教本にかかりきりだったし、おかげで朝は眠くて、私としたことが危うく寝坊するところだった。
でもじっくり復習して、ようやく講義の全体像を理解できた気がする。その日から数日間は、気付いたことを記録しておくため手帳と鉛筆も持参して、技術部や工廠の職人たちの仕事を観察していった。『先生』に教わった内容を踏まえて観察していると、作業のそこかしこに危険が潜んでいることがよくわかる。そうした気付きを書き留めておき、職人たちの手が空いたところを見計らって、そのときの手順や注意点など説明してもらって持ち帰り、より安全にできるような方法はないものかと考えた。
そうして数日の間に多くの問題点を洗い出すことができたものの、『先生』からの課題はそれだけではない、報告書を仕上げないと。そこで次回講義の前日、カンナから書式を教わろうと、朝食後に少しだけ時間をもらって、気付きや考察を書き溜めた紙束を手に相談した。ところがカンナはそれに少し目を通しただけで、嫌味ったらしい笑顔をして、こんな風に言ってきた。
「おやおやトビ君、この状態から一日で報告書を仕上げられると思ってた? 残念!」
「えっ!?」
「こんなんじゃ報告書にならんよ。それぞれの事象を分類して、論点を整理しないと」
「そっ、それは……、時間かかる作業なのか?」
「この分量だからなあ。まあよくここまで観察考察したもんだ、その点は評価するよ」
「そっか……」
「とりあえず、やり方ざっと説明するから、オイラが仕事してる間に資料を整理しときな。そしたら報告書を手伝う」
「わかった」
カンナが技術教官としても活躍していたという経歴は、私も聞いていた。しかし技術部長として技師や職人を率いる技術士官のカンナばかり見てきたせいか、意識してなかったのだ。けれどこの一件から、私は技術部長の助手だけでなく、技術士官の弟子にもなれたと思う。それはカンナの言うように、ようやく私が『先生』とカンナの仲間になるという意味でもある。
が、容易な道ではないことを、踏み込んだ途端に思い知る。『先生』が言っていた、学術報告書の「書式」というのを、私は事務職員たちが扱う書類のような体裁があって、それを覚えるだけのことだろうと認識していた。当時の私は、そんな事務書類を作成する手伝いなどをしていたし、学術報告書もすぐできるだろう、と。
ところがカンナは、体裁だけなら簡単にできるが、中身が伴わないようでは学術報告書として認められないと言う。教官として、私の認識の誤りを指摘してくれたのだった。
「まず何と言っても、人の参考にならなきゃ駄目さ。そのためには一定の体裁も求められるが、体裁ってのは読んだ人が誤解しないよう順を追って説明するだけのこと。中身は自由なんだ」
「そうなのか」
「自由だからこそ重要でね、伝えたい内容を、伝わるように伝えないといけない」
「……難しそうだ」
「なかなか難しいよ。決まった正解がない。実はオイラもあまり得意じゃないんだ」
「えっ? カンナでも?」
「ああ。こういうのをまとめるのが上手いヤツは、他にたくさんいるんでな。それこそ『先生』なんか物凄く上手い」
「そっか……。そんな相手に提出するのは怖いな」
「オイラにも自信を持って教えられないから、どう伝えたらいいか、今夜にでも二人一緒に考えよう。トビは結果を整理しながら、どんなことを伝えたいかじっくり考えてくれ」
「わ、わかった」
「そうだ、今日は久々に食堂で夕食にしようか。いくらアンタでも、資料整理と食事の支度の両方は無理だろ」
「う……。ごめんカンナ」
「そうじゃなくて、無理しすぎんなってハナシ」
「心配してくれてるんだねカンナ。ありがとう」
「トビに代わって家事をしたくてもオイラには無理だしな。
でも教官として指導する方なら、それなりには自信ある」
「それもそうか。じゃあ工房の片隅で作業させてもらうよ」
「ああ。わからんコトがあったら、いつでも質問しに来な。
それに技術部の本棚には、参考になる文献も色々あるし」
その日カンナは、班ごとに職人たちを集めて、相次いで会議をしていた。『先生』とカンナの間で話し合っていた技術部としての大きな仕事に向けて、数日前に部全体の会議をしていたので、各班の準備状況や計画などを確認しているらしい。
おかげでカンナは技術部にいながら部長の机は使われておらず、私はその机を借りることができた。資料を並べ、部長席の近くの本棚の文献に目を通したりしつつ、観察した様々な事象どうしの関連性を見極める作業に没頭、たまに頭が疲れてくると自分でお茶を淹れ、カンナや職人たちのところにも持っていった。
「オイラたちの分まで用意しなくてもいいのに」
「俺がそうしたいんだ、気分転換もになるから」
「そっか。ならいい。
……で、何か質問?」
「いや、まだいい」
「まだ?
オイラたちが忙しそうだからって遠慮しなくていいよ」
「そうじゃないんだ、もうちょっと自分で考えてみたい」
「わかった。頑張れ」
「カンナこそ」
自分で考えてみたいというのは本心だ。試射だけの助手でなく、技術部長の食事担当でもなく、ようやく技術部に役立つ仕事ができそうな、一人前の技術部員になれそうな予感がしていたから、私も張り切った。いつもとは違う思考をするのは大変だったけど、教官でもあるカンナが近くにいてくれて、ときたま私の様子を見守ってくれていることも察していたから、困ったときにはすぐ相談できるという安心感がある。私は結局、夕方まで一人で、じっくり落ち着いて考えを巡らすことができた。
質問を「まだ」しなかったのは、カンナたちも仕事で忙しそうだったから。質問しないと難しそうなところは分けておき、自分で考えられるところを先に進めておいたのだ。そんな作業に集中していたら昼食を忘れそうになって、私としたことがカンナに指摘されてようやく気付いたのだけど、食堂へ行ったとき書き留めておいた二つ三つの質問をしてカンナから助言をもらって、日が暮れる前には何とか考察をまとめられた。
夕食には私の方からカンナに声を掛け、食堂へ行く前に進捗を伝えて、進捗状況を見てもらったところ、私の専属教官はとても嬉しそう。
「アンタここまで一人でできたんだ、やるなあ」
「教官の指導のおかげだよ」
「えー? オイラなんて二つ三つ助言しただけだ」
「でも、本棚にあったカンナと『先生』の論文集が、とても参考になった」
「あーアレか。実家から持ってきといて良かった。
でもいくら参考文献があったって、それを読み解く頭があってこそだ。やっぱ教え子が優秀だと教官も楽できるもんなんだな」
「そ、そうかな」
「じゃあメシ食ったら、官舎に戻って報告書を仕上げよう。ここまで仕事できてりゃすぐ終わるさ」
「おお! 頑張るぞ!」
「ああ、朝までには終わるだろ」
「……えっ!?」
カンナの不吉な予言は、概ね当たっていた。朝まで、という最悪の事態は免れたものの、私は日付が変わるくらいまで書き続け、カンナには途中から先に寝てもらった。朝には何とか起きられたので、カンナを起こして一通り読んでもらいつつ、私は朝食の支度をする。
まだ眠そうな様子だったけど、カンナは最低限の手直しだけ指示して、すぐ朝食を済ませた。私は工房までカンナと一緒に行き、またも部長の机を借りて手直しを終えると、すぐ山荘へ向かう。特別講義の時間ギリギリだった。
待ち構えていた『先生』は、私の報告書に目を通しながら、嬉しそうな表情で評価してくれる。
「これはこれは、頑張ったなトビ君。初論文にしては上出来だ。しかも〆切に間に合わせるとは大したものだよ」
「あ、ありがとうございます。カンナの指導のおかげで、何とか完成できました」
「ははは。
ああ、これは確かにカンナの指導の賜物だな。文章の組み立て方がアイツそっくりだ。そのくせ著者はトビ君の名前しかないのか。連名で書いておくべきだろうに、遠慮したかな」
「そういうことまでわかるんですね」
「私もカンナの論文指導をしたことがあるからね。つまり君は私の孫弟子ってことさ。
まあカンナは今、教官としての仕事にはあまり時間を使えないから、私とカンナの二人で半分ずつ、君を指導してるようなものか」
「『先生』もお忙しいようですし、お身体の具合もありますよね」
「うむ。
だから今日も、手早く指導するぞ。君の報告の中から、いくつか事例を選んで討論しよう」
「はい、お願いします。
でも『先生』も無理しない程度にしてください。お身体が心配です。また看護婦に小言を言われますよ」
「おや、トビ君も言うようになったね。
しかし基礎は概ね身に付いたようだから、今日は要点だけ押さえておけばいい」
「わかりました」
「だが応用は、今日の講義だけで終わるものではない。むしろ今日が始まりであって、その後は終わりがない。安全や品質の追求というのはそういうものだし、技術を向上する取り組み全般も同様。他の分野の学問でも、継続的な努力は欠かせないのだ。
ただ、その最初は肝腎だからね。君が自分で突き進めるよう、応用における基礎を身に付けてもらう」
「はい!」
こうして私は、『先生』とカンナの指導により、現場の安全や品質の改善に必要な知識や知見を身に付けていった。工廠での問題に対しても、カンナの代わりに私が赴いて対処できるようになっていき、私がカンナと一緒にいられる時間は減ったものの、カンナの役に立てるようになったことの方が嬉しくて、精力的に行き来したものだ。
そんな現場の問題に悩んだときなど、カンナでなく『先生』に頼る場面も増えていった。『先生』と面会できる機会は多くなかったものの、手紙で相談すればすぐ返事を貰えたし、まだ拙い私の文章から、抱えている問題を適切に酌み取って想定以上の解決策を出してもらえることが多かったから、本当に感謝している。技術部の中でも、技師や職人ではなく、事務職員でもない私が、本当の意味で技術部長の助手になることができたのは、この指導教官たち、反乱軍でも屈指の頭脳の持ち主二人のおかげだ。
この二度目の特別講義が終わった帰りだったか、特別室から階段を降りて山荘本館一階広間、そして本館正面から出て広場へ向かう私と入れ違いに、真っ赤な髪と真っ赤な瞳の若い女性が広間を早足に通り過ぎ、軽やかに階段を上っていったのを覚えている。戦時ゆえか壁の松明もまばらな広間の中で、彼女の姿だけが周囲の薄暗さとは無縁であるかのように鮮明に、私の目に映った。
その印象的な姿はカンナからも聞いているし、あの厳重警備の特別室へ誰何も受けず気軽に上がっていく様子からみても間違いない、あの人がベスティア姫だ。実際に見るのは初めてだったが、その足取りから『先生』への彼女の気持ちを垣間見た気がする。たしかに久し振りの恋人との逢瀬へ向かう、その喜びを隠しきれぬ様子のようだ。
◇大河沿いの街の攻略に向けて
私たち技術部の仕事の現場は主に工房、そして工廠が多かったが、ときには屋外での任務もある。よくあったのが、実際に使われるのと同様の環境に試作品を持ち出して行う、実証試験だ。たとえば、後の渡河作戦に向けて試作していた船を実際の河川に出し、実戦部隊にも協力を得て、安全かつ迅速に川を渡って上陸できるかどうか、などを試してもらっている。
これは『先生』の意向を受けたものでもある。新兵器の開発をするなら、作るだけでなく実際の運用を立ち上げるまで面倒をみてほしい、と言われていたのだ。もちろん技術者としては、現場に似た環境での試験は、開発品をより詳しく知る上で多いに役立つ。また実戦部隊と協力し合う検証任務は、前線に求められる機能や性能などを彼ら自身から聞かせてもらう上でも貴重な機会でもある。『先生』は、こうした経験を通じて刺激を得ることも、技術部に期待していた。
反乱軍が川船を初めて大々的に使ったのは、四八〇年五月から六月にかけて行われた、川港の攻略作戦だった。大公国平原を蛇行しつつ流れる大河の下流域、すなわち流れが緩やかになって数多くの中州や三日月湖が形作られた地域の中で、本流左岸側から大きな支流が合流する地点に、その街はある。トビの故郷より少し上流に位置しており、彼の故郷でも川港へ行き来をする者が何人もいるそうだ。
川港の市街地は、大河の蛇行でできた中州と砂浜に立地している。川船交易を行う商家が船着き場や倉庫を設け、半ば自然発生的に出来上がったのが発祥という。合流してくる支流も水量が豊富で南の大領主の館付近まで船で遡れるため、大河本流と支流との人や物資の中継点として発展していったらしい。
街は時代が下るにつれて拡大していったものの、一帯は砂泥質の湿地であるため、自然堤防などの微高地を選び、大量の杭を打ち込むなどして地盤を固めて作るしかなかった。市街地を広げるため、流路から土砂をすくい上げて積み上げるという地道な工事を延々繰り返し、途方もない労力をかけて作った土地も多いそうだ。こうして、生活や商売の場を作るため人々が必死に頑張った結果、町割は無秩序かつ複雑なものとなり、渡舟を使わないと行き来できない街区も少なくない。地図からも、元の地形をそのまま想像できるくらいに。
反乱軍は再編後、まず主に西の大領主領の制圧を進めていった。しかし、その地の東側には大河が北から南へと流れ、大公の本領すなわち直轄領とを隔てているため、西部地域の作戦部隊は大河に阻まれ、戦線が停滞することになる。そこで反乱軍は戦力の多くを南に振り向けていき、南方作戦が活発化していった。南進する中で最初に攻略することになった大きな市街地が、この川港だ。
街の統治は交易商たちによる自治を建前としつつも、南の大領主の庇護を受けており、大公の貴族学校分校まで置かれた、大公側の重要拠点だ。反乱軍が迫ってきた頃には、大領主が置いた代官の下に多数の騎士や兵たちが集結していた。二万近い人々が暮らす街に、一万近い大公側の軍勢がひしめく形になったものの、物流の結節点でもあるため大量の物資が集積されており、籠城が長期に渡っても持ち堪えられることだろう。
市街地の守りは簡単な防壁がある程度で、それも各所に船着場があるため途切れ途切れでしかない。しかし街区の間を隔てる流路や湿地が自然の堀となって、むしろ強固な守りを成している。町割も複雑で、曲がりくねった狭い街路だらけだから、大部隊の侵入が困難だ。攻略は容易ではない。
反乱軍は当初、歩兵を主体とする三万あまりの軍勢で市街地の陸側を半包囲した上で、使者を立てて投降するよう勧告したものの、大方の予想通り拒絶された。当時の反乱軍は水上部隊が貧弱だったため、大河に面した側は包囲が手薄になっていたのだ。大公側は夜陰に乗じて反乱軍の川船をかわし、物資や軍勢を運び入れるなどしていたらしい。
対する反乱軍も、川港への攻略に向けて早めに準備を始めていた。『先生』が川船を使う案を私に提示したのは、前述したように反乱軍再編の真っ最中。ただ当時の技術部は武器の量産に追われていたから、私も川船の件は頭の片隅に留めておいて、良さそうな設計案が思い浮かんだのを実家に手紙で相談するなどしていた。軍議では、南方戦線の計画の初期段階から参謀部や作戦部が逐次報告してきていたので、私もその進捗に合わせて準備を進めるつもりだったが、船の設計経験は乏しく苦戦したものだ。最終的には二人の兄を伯爵領から招いて手伝ってもらいながら、どうにか形にしていった。
このときの川船は、重装備の歩兵を標準で四十人つまり二個小隊、最大で五十人(半個中隊)まで乗せることができ、このうち一個小隊分の二十名が櫂を漕ぐ想定の手漕ぎ船だ。上陸作戦の都合上、一隻あたり相応の兵力を運ぶ必要があり、大きさも相当なもの。それでいて川港の市街地周辺に広がる湿地帯での運用を想定して喫水は浅く、狭い水路でも小回りが利くよう船長も短くした一方、積載量を確保するため幅は広くしてある。流れも波も穏やかな大河下流域での運用なので、部材の節約と量産性向上を意識して乾舷も低く抑えた。水上で敵の矢から兵たちを保護するため、上陸部隊が装備する楯に合わせた固定部材を舷側に並べて、楯の間から櫂を出して漕げるよう配置している。もちろん上陸時にはこれを取り外して戦いに臨むというわけだ。
建造は裾野地方内、大河の支流に近い反乱軍の工廠で行ったが、腕利きの船大工が足りず、兄たちに相談して伯爵領から追加で何人かの頭領を招き、充分な報酬を出して大公国の大工たちへの指導や監督をしてもらって、どうにか生産を間に合わせた。
というより、工廠を管轄する兵站部門と、兄たち伯爵領の頭領たちが中心となって、所定数の建造を行っていた格好だ。当時の私は、鉄鋼の調達や品質問題の対処、槍の穂先と鏃の共通化など、様々な仕事に追われていたため、このときには主体的に関与できていなかった。私一人で、あるいはトビと一緒に、建造現場となっている工廠に足を運び、進捗を確認したり、兄たちや現場の者たちが対応できない問題があれば改善策を検討するなど、側面から支えていたのが実態だ。ちなみに私がトビを連れて造船所に顔を出すと、兄たちは「カンナにもう一人弟分ができたのか」と楽しそうにする。それに対しトビは不満げに「カンナの助手であり弟子だ」と主張するのだけど、兄たちの年齢からすれば子供同然、この頃はかわいがられるだけだった。
そうして作られた川船は、実戦部隊の兵たちが造船工廠まで来ては、一通りの訓練を受けて受領していった。
現地での実運用の様子は見ていないが、報告によると多数の川船を準備できたおかげで大量の兵員や物資を迅速に運ぶことができ、攻略作戦に多大な貢献ができたと報告を受けている。他にも様々な運用上の工夫がなされたらしく、例えば大河の本流や大きな支流では、大公側の船を遮るため多数の川船を縄で結んで浮かべ、夜もそこに松明を掲げた兵たちが常に監視していたとか。また市街地の細い水路では、複数の船体を横に繋いで上に木の板を並べ、簡易型の橋のように使って一気に多くの兵員を上陸させた例もあるとのこと。
反乱軍は機動力を得た上に、半包囲した三万に加え、大河の対岸からも二万以上の兵が攻略に加わり、戦力的にも優位に立った。攻略に際しては、大公側の船を抑え込みつつ、水路や湿地で隔てられた街の区画一つずつに戦力を集中させて制圧していく作戦で、さらなる局所的優位を確立。大公側にとっては、自然の堀割がむしろ災いして守備兵力が分散した格好になり、個別に撃破されていった。
効果的な運用ができた一方で、川港の戦闘では多くの戦訓もあった。一つは現地の天候の読み違いだ。作戦中に、想定していなかった強風が吹く日もあり、特に川下からの風が卓越、これによる風浪で船の浸水が続出した。直接の死傷者は出ていないものの、兵や積荷が落水するなどして作戦行動の遅延をもたらしたという。喫水も乾舷も浅くしすぎたようだ。
また、喫水を浅くするためと回頭性を高めるため平底に作ったせいで船足が伸びず、大河本流での運用性は全般的に低かったらしい。川港の街には渡舟のほか艀や漁師舟など様々な種類の船があり、大公側はそれらを駆使して反乱軍に対抗していた。中には反乱軍の川船より格段に足の速い船もあって、水上封鎖を完成させることが容易ではなかった。だからこそ、縄で繋いで見張り台にするなど運用上の工夫が必要だったとも言える。限られた期間で所要数を配備すべく一種類に絞ったのが、裏目に出たと言えよう。
船体の強度にも課題があった。できるだけ船体を軽くしつつ大量の積荷を運べるようにしたまでは良かったが、幾つかの部隊では敵が守備を固める船着き場ではなく、手薄な砂州に着岸上陸を強行、その際に船底板が割れたり、舳先が折れてしまった船も複数あったという。これは私たちの想定不足と言わざるを得ない。最前線の兵たちは目の前の敵に全力を傾けるものであり、ヤワな船体では耐えられない場面もあり得るのだ。
そんな川港攻略時の戦訓を踏まえ、反乱軍は新たな川船の開発に乗り出した。まだ他にも、川船を必要とする場面が多いと予想されていたためだ。基本的には、安定性や船足、耐久性を大幅に向上させる方針で臨むことにした。今回は私たち技術部が鉄鋼や品質問題などの改善がみられたため本格的に参画できることになり、また開発期間に余裕があったので、まずは地元の船大工の意見も聞いて、以前から大河で使われてきた川船の特徴も取り入れて開発を進めていく。
外洋に比べ穏やかだと思っていた大河流域だったが、地元船大工の説明によると、実は合流部など流れの速い箇所があったり、水位の変化によって見え隠れする暗礁や、それにより作られる複雑な渦なども少なからずあるらしい。そういった事情から、新たな設計では舷側を高くすることにした。また、小さな渦を巧みに乗り越えるには全長を長く、細身の船体にすることが望ましいこと、竜骨のない平底船では船底から左右へ斜めに張り出すような安定板を設けると安定性や直進性を高めるのに役立つ、といった工夫も教わった。
また、今後の作戦の都合から、敵の矢への備えをさらに強化した船も一部で求められていた。乗り込む歩兵の楯では足りないとの判断から、歩兵用の大楯を防壁として使うと同時に、船の上に小屋組を作って木の板で屋根を設け、防御を固めた装甲船を追加開発することに決定。当然ながら重心が高くなって転覆しやすくなるため、装甲板の強度を一定以上に保ちつつギリギリまで軽くしたり、喫水を深く船幅も広くして安定性を高めるなどの必要があって、ほぼ新規開発になってしまった。幸いにも、装甲船が必要になる作戦水域では水深が深いことから、外洋船のように竜骨を持つ深めの船形として船底に石の錘を入れるなどして対処する。大型化してしまうのは致し方ないが、作戦部署に相談したところ運用上は特に問題ないとのことだった。装甲部分も、できるだけ屋根の高さを抑えることで重心を下げることにした一方、乗り込む兵たちが活動しやすいよう、屋根を部分的に開閉できるような工夫を取り入れている。
二世代目の川船を開発している間にも、戦況は徐々に変わっていった。
反乱軍が川港を攻略した頃、まだ西の大領主領の制圧は完了していなかったものの、南の大領主領内への侵攻を強めていた。そして四八〇年十月頃には西の大領主領の制圧をほぼ完了、南の大領主領も大半を制圧し、南の大領主館は完全に包囲している。面積でいえば、大公国のほぼ半分は反乱軍が押さえたことになる。
しかし、これらの地域と隣接する大公本領に対しては、容易には侵攻できなかった。四八〇年の冬には、西の大領主領と大公本領の境界となっている大河やその支流、および南の大領主領と大公本領の境界である断崖を挟んで、両軍が睨み合う格好で戦線全体が停滞していったのだ。
戦線が膠着する中で、両軍が最も重視し、双方とも軍勢を集結させていたのが、橋の街。大公本領のほぼ南西端に位置する、大公国内で第二の規模を誇る大都市で、西に大河の本流、南に断崖という要害の地にあるため、反乱軍の侵攻を食い止める格好になった。厳密に言えば橋の街から橋を渡った西側、大河の右岸側の地域も一部は橋の街の付属地などとして大公本領に含まれていたが、そこは既に反乱軍が勢力下に置いていた。しかも裾野地方の者たちは口を揃えて、「右岸側はかつて裾野地方の一部だったので取り返しただけ」と主張している。数十年前に裾野地方から奪われ、大公本領に編入された地域なのだそうだ。
橋の街は、川港の街より歴史があり、川港よりも栄えている交易の要衝だ。しかも、れっきとした大公の街でもある。街としての運営には交易商をはじめとする街の民の意見も取り入れつつも、大公に委任された代官が昔から街を統治してきた。大公側は、大反攻が失敗に終わった後、この街に多くの騎士や兵たちを集結させた上、兵糧などの物資も集積させ、反乱軍との戦いの最前線の砦として守りを固めつつある。西の大領主も、これまでの戦いで自身の館と領地をほぼ全て失いながら、大公本領へ逃れた後、手勢と共に橋の街に入って大公軍の指揮を執り、街の周辺地域にも多くの兵を出して警戒を強めている。
対する反乱軍も、これを陥落させないことには、さらなる進軍が困難な状態になっていた。
街より下流には反乱軍の南部方面軍が、既に大河の東側まで進出している。前述の川港攻略もその一環だが、南部方面軍では川港より概ね南東方向にある南の大領主館の攻略を優先させていた。南部は冬の冷え込みが厳しく、雪も降るため、作戦行動に支障が出る前に、大領主館を陥落させるか、少なくとも包囲して身動きを封じる必要があったのだ。そのため北に隣接する大公本領への侵攻は後回しになっていた。
そもそも街の南の断崖は、延々遠く東の方まで続いている。南の大領主領から大公本領へ攻め込むには、この断崖を乗り越えていく必要があるが、軍勢が断崖を越えられる道は多くない。そしてどの道でも、本領側に敵が布陣して待ち構えていることが判明している。腕利きの斥候たちが、徒歩でしか行けない細い道などを駆使して断崖の上に上がり、各地点の敵勢力を調べてくれているが、いずれも相当な規模だという。しかも断崖の上は比較的平坦な土地が広がっていて、大公側は橋の街など他の拠点から迅速に援軍を送り込むことができる。こうした事情から、断崖を越えて攻め上るには機会を待つべきだと、軍議で決定していた。
一方で街より上流を見ると、大河の西、右岸側は西の大領主領に当たる。そこは反乱軍が再編直後から侵攻作戦に力を入れてきた地域で、南部より早く全域を反乱軍が制圧しているものの、大河を挟んで大公側と睨み合う状態が続く。向こう岸の左岸側では、橋の街などを拠点とする大公側の軍勢が日に何度も哨戒部隊を巡回させており、大隊規模くらいの部隊が行き交う様子も頻繁に確認されている。警戒されている中での渡河作戦は兵力をいたずらに消耗するだけだから、こちらも対岸へ攻め入る機会を伺うことに決まった。
断崖を越えるにしても、大河を渡るにしても、橋の街にいる大公側の軍勢が最大の障害なのだ。明らかに、この街の存在が反乱軍のさらなる進出を阻む最大の要因となっている。膠着状態を打開するためには何としても落とさねばならない、重要な攻略対象だ。
そして同時に、反乱軍にとって極めて困難な攻略対象でもある。
橋の街は名前の通り大河を渡る橋を中心とした街。堅固な石橋が架かっていて、大公城下からの街道が大河を渡って裾野地方や伯爵領などの各地へ通じている。橋の基礎になっているのは、大河の難所となっていた滝や岩礁。大公国平原を東西に区切る断崖の西側末端が、大河に大きな落差をもたらし、上流と下流との水運を遮っているのだ。断崖は陸路の難所でもあるため、大公本領と南の大領主領の境界にもなっている。
かつて、この地の人々は、まず滝で隔てられた上流と下流のそれぞれに船着き場を設け、陸路で物資を積み替えることにした。まだ大公国ができる前のことだ。
断崖によってできた滝のすぐ下流で、大河は急角度に左へ屈曲しており、流れが少し緩やかになった箇所がある。そこに下流側の船着き場を作り、滝より上流側にも同じく左岸に船着き場を設けた。二つの船着き場の間には断崖による標高差があるが、物資の行き来を容易にするため、崖を削るなどして傾斜の緩やかな道を整備。この一連の開発により、二つの船着き場とその間の道沿いに商家や倉庫、旅籠や馬喰宿などが集まり、商業都市が誕生して栄えていくことになった。
後に平原に進出してきた大公は、この街を物流を押さえる要衝として重視し、直轄地に組み込んだ。以来ずっと、代官を通じて街を支配している。さらに後の時代になると大公の命で橋が架けられ、水運と陸運の両方の結節点となった街は、大公国屈指の交通の要衝かつ商業都市として大いに発展していったのだ。
その地形的歴史的要因から、橋の街の市街地は大半が左岸側、すなわち大公城下に近い東側に広がっている。そこは南側の断崖と西側の大河に守られた台地の突端で、ただでさえ守りやすく攻めづらい。しかも代官の館や貴族学校分校、街の教会や商業組合会館、多くの商家の屋敷や倉庫などが並ぶ中心市街は城壁に囲まれており、とりわけ大河や断崖に面した側の城壁は最も堅固だ。
一方で内乱当時、裾野地方のある右岸側には市街地らしい市街地がなく、橋の西詰検問所の周辺に小さな旅籠が数軒かまとまって建っていたり、地元の民が川漁に出るなどのために使う小さな船着き場がいくつかある程度だった。あとは橋の街の代官が配下の領主を通じて管理し、収穫の大半が街の民の食卓に上る野菜類の畑作荘園が広がるばかり。いくつかの支流が流れ込んで起伏も多い地形のため、物資の積み替えや集積地などを行う商業地としては利用しづらかったのだ。
おかげで反乱軍は、比較的容易に右岸側を制圧できた。とはいえ橋を渡って中心街へ攻め入ることはせず、陣を敷いて睨み合うに留めている。橋を渡るとすぐに断崖があり、その上に城壁や堅固な城門が待ち構えているため、正面から攻め込むことは極めて困難だ。橋の東詰に面した門は大公城下の正門にも匹敵する分厚い門扉や、その左右を守る矢狭間だらけの石造の塔がある。橋は長さがある上に何の遮蔽物もなく(歴代の代官は屋台の営業も許可せず、徹底して橋の上を吹きさらしにしていた)、城門の塔や周囲の城壁からは橋を渡る敵兵など狙い放題の標的だ。これを正面から攻めたとしても、橋を渡る間に矢が無数に降り注ぎ、兵たちは次々に討たれてしまうだろう。大公側もそれを知っているから、西詰一帯での勢力維持に拘泥せず、劣勢とみるやすぐ撤退した。東詰の門を固く閉ざしていればいいのだから。
この橋が極めて堅固な石造で、大公側も落とすことができなかったのは、反乱軍にとって幸いだった。
私は内乱前、伯爵領の技術士官として大公国に派遣されたとき、この橋を渡って興味を惹かれ、二日か三日ほど滞在して構造や工法などを調べたことがあるので知っている。そこには、すでに失われたはずの帝国の高度な技術が用いられており、私は大いに驚かされた。冒険行で調査した旧帝都付近の水道橋などと共通点が多く見られるため、ほぼ間違いない。ただ記録によれば、この橋の竣工は帝国が崩壊してから、さらに数十年は後のことだという。その頃は帝都周辺の衰亡が著しかった時期に当たるため、やむなく南へ流れてきた技術者たちが架橋に関わったのだと私は推測した。が、詳しい記録は見当たらず、実態はわかっていない。内乱の頃には、名前も顔も知らぬ驚異的な技術を持った者たちのおかげで橋が残されているのだと感謝しつつ、反乱軍の士官の一人として攻略作戦に関わっていただけだ。
橋の上の道には、大型の荷馬車が余裕を持って行き交えるほどの幅がある。欄干はその路面と一体化して作られていて強固だが、人が容易に腰掛けられる程度の高さしかない。しかも橋は直線的でなく、滝の直下に点在する岩礁などを橋脚の基礎にしてアーチを連ねていて、その位置関係の都合から何度も曲がりくねっている。それゆえ見る方向によって橋は姿を変え、背景の断崖や岩礁、滝、城壁などと相俟って風景としては素晴らしいのだが、歩兵が突進していっても時間が掛かりすぎて矢の的だ。騎兵が突撃しようにも、馬の視点からは滝壺やその下流の渦巻く流れが見えて恐ろしくなるはずで、よほど度胸のある馬や優れた乗り手でなければ速度を落とさざるを得ない。
そして大河は、大河というだけあって川幅が広い。滝の前後は崖が岸まで迫って幅も狭まっているものの、それでも一般的な弓や弩では対岸まで矢が届く距離ではない。断崖の上に建てられている街の城壁は、反乱軍の陣地よりずっと高い位置にあり、当時の反乱軍の弩兵が主に使っていた中型弩でも全く届かなかった。
まさに難攻不落の城砦のような橋の街、これを攻略するには入念な調査や相当な準備が必要だ。ベスティアを中心に各部署の代表が集まって、長時間の軍議を何度となく繰り返した。ときには深夜に及ぶことがあって、トビとの夕食の約束を守れない日もたびたびあったほどだ。さすがのトビも、軍議が長引いたことが理由では私を叱ったりはできず、軍議の日には昼食にお弁当を作ってくれたり、夕食に作り置きを用意しておいてくれるようになった。
様々な手段を駆使して大公側の情報を入手して分析し提供する情報部、徹夜を重ねて兵棋演習で検証しながら作戦計画を練り上げる参謀部、その実施に向けて必要な精鋭兵を選抜した上で特別な訓練を重ねる作戦部、作戦遂行に欠かせない膨大な物資を滞りなく最前線まで届けられるよう準備を整える兵站部などと並び、私たち技術部も二世代目の川船開発など大仕事が待っている。軍議も士官として大事な仕事だが、技術部としての仕事を全うすることこそ、私にとって重要だ。
橋の街を攻略するために必要な装備品を開発し、工廠に量産を引き継いでもらうか、我々自身で完成させなければ、作戦も始められない。幸か不幸か、他の各部署からは軍議の場で、準備が整うまでに数カ月を要する見通しだと相次いで報告が上がり、ベスティアも焦らず着実な準備をするようにと各部署に指示していたので、開発や試作検証に余裕を持って臨むことができた。
四八〇年の夏から秋にかけては、装甲船や攻城兵器のほか上陸艇、その上陸艇で輸送できる快速馬車などの開発を並行して進めていた。この快速馬車は、上陸後の作戦計画案に合わせて企画・開発したものだ。上陸艇で対岸に渡った後、作戦開始地点まで迅速に兵員や物資を運ぶために欠かせない。
最初の川船開発より、体制は整っていた。私の兄たちをはじめとする、伯爵領の頭領や船大工たちが協力に来てくれたので、設計や試作は順調に進んだ。例によって、試作品が完成するたびに前線から離れた場所で実戦部隊に試してもらい、彼らの意見を反映して設計を変更、また試作して試してもらうことを繰り返して、完成度を高めていく。
量産を手掛ける工廠の職人たちの技量も向上していたし、量産に必要な治具などの準備も前回より整っていた。しかも反乱軍が川港を勢力下に置いたことで、そこにある造船所も使えることになり、装甲船や輸送用の川船など大型の船は主にそちらで量産、既存の造船工廠は上陸艇や快速馬車の量産に専念することで、迅速な量産立ち上げと生産の効率化が叶った。ただし、生産拠点が分散したことで、技術部から派遣する技師や職人もそれぞれ必要となり、各地を行き来する際には輜重隊に、各拠点間での連絡には伝令兵に、それぞれ何度となくお世話になる。
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