うわさ

 セオドアが外に出歩けるようになるということは、ヒロもいろんな人の目に触れるようになる、ということである。

 セオドアを連れて出かけるたびに、視線を感じるような気がした。ひそひそと何か囁かれているような気さえした。それは主に知らない女官であった。

 感じが悪くて不快である。セオドアのことを悪く言っているのであれば、呪ってやるぞ、と内心中指を立てていたヒロだったが、自分のことだったらローガンに言いつけてみようと様子を見ていた。

 そのうち、セオドアの部屋にいる時に、そのローガンが訪ねて来た。アルフィを連れて、何やら物々しい表情だ。


「いかがされましたか?」

「ヒロ、おぬし良からぬことを企んではおるまいな?」

「ローガン!?」


 突然のことに、セオドアが驚きと咎めるような声を上げる。ローガンは続ける。


「ヒロがセオドア様を懐柔して、王位継承に茶々を入れようとしておる、と噂が立っておっての。……ほほ、とまあ、尋ねただけじゃ。ヒロにとって王位継承が誰になろうがどうでも良かろうて。根も葉もない噂が立つものだと可笑しかったわい」

「……ですが、不快です」


 噂などどうでもよかったが、自分が悪く言われていると知って不愉快ではある。その話を、騙し討ちのように持ってきたローガンも含めてだ。

 ローガンは、表情は演技だったとばかりにゆるめて、ため息を吐いた。


「すまぬの。一応聞いた、という体でおらんとな、うるさいんじゃ、宰相たちが」

「自分で聞けばいいのに」

「そうじゃの。臆病なんじゃ。勘弁してやってくれ」


 自分で聞けばいいのにとは言ったものの、誰とも知らない人に言われるよりかは、ローガンに伝えてもらった方がまだ文句も言いやすいかと、ヒロはむすっとした表情のまま思った。


「……ヒロもそのように怒るのだな」


 セオドアがびっくりしたようにつぶやいた。


「私も怒りますよ。人ですから」

「しかし、ヒロはいつもその、にこやかで落ち着いていただろう?」

「それはセオドア様が優しい方ですから。おまけにとても素敵な耳と尾をお持ちでいらっしゃいます。何度それに癒されたことか」


 はあ、と大きくため息を吐いたヒロは、セオドアに近づいた。おそるおそる見上げたセオドアは、ヒロの黒い瞳が無感情に見えた。


「セオドア様。良ければ頭をなでさせてください」

「いつも勝手になでていらっしゃるじゃありませんか」

「違うんですエナ。それは、もう、めいっぱいになでくりまわしたいのです」

「良いぞ。ただ痛くないようにしてくれ」


 ぱ、とヒロの顔が華やいだ。


「もちろんです」


 ヒロは両手を使ってセオドアの頭を丁寧になでた。髪の毛を乱すことなく、けれどひたすらになでになでる。セオドアの耳がぴる、と動いた。落ち着きのなさを表すように、尻尾がパタンパタンと布団を叩く。


「……ヒロ、まだか?」

「もう少しだけ……」


 さらさらつやつやの髪の毛を、ヒロの手が何度も滑っていく。


「ヒロはいつもこのような?」

「いえ、こんな姿は初めてです。それだけ心乱されたのでしょう」

「ですが、これは不敬にあたるのでは……」


 ローガン、エナ、アルフィが話しているのを尻目に、ヒロは次の一歩を踏み出す。


「抱きしめてもいいですか?」

「え」

「だめですか……」

「ヒロ、さすがに不敬ですよ」


 ヒロの暴走をエナが止める。ヒロはしょんぼりしたが、セオドアをなでたことで不快感はだいぶん低下していた。


「すみませんセオドア様、やりすぎました」

「いや、良い。父様がなでるよりも優しかった」

「そこですか」


 その様子を見ていたローガンが笑った。


「ずいぶんと仲良くなったものじゃのう」

「セオドア様がお優しいおかげさまで」

「ヒロは兄みたいなものだからな」

「ほほう、兄ですか。どの辺が兄だと?」


 一層楽しそうな表情を見せたローガンに、セオドアは言った。


「まず年上なのは置いておいて。私に対してとても優しい。ここまで病を治してくれる力もある。落ち込んだ時はいつでも励ましてくれる。ヒロが来てから、頑張ろうと思えることが増えたのだ」

「カッカッ。そうですか、それは何よりです」


 セオドアが語る横で、ヒロはなんだか居心地が悪かった。褒められるのは嬉しいことなのだが、兄として、なのだ。男ではないといつかバレてしまった時にはどうなるのだろう、と一抹の不安がよぎった。

 その問題は、ひとまず置いておいて。


「ローガン様。噂は必ず、消しておいてください」

「う、うむ、分かっておる」

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