第38話 義三

 甚五郎と二人で紀尾井町の旗本屋敷の離れの隠居部屋の現場へ向かう途中、義三よしぞう一行いっこうとすれ違った。義三は二十名程の職人たちを引き連れ、やや緊張した面持おももちで歩いていた。周囲は目に入らなしく、佐吉と甚五郎の二人にも気が付かない様子であった。

「よう、義三、なんだい、小ざっぱりした格好かっこうしやがって、何かいいことでもあるのかい」

 甚五郎が、後ろから声をかけた。

 義三は、思わず振り返り、

「あっ、これは甚五郎さん。あっ、四代目もご一緒で」

 と云うと、二人に頭を下げた。

「そう云やぁ、今日は松平様の縄張なわばりの日だったな。日和ひよりが良くて何よりだ」

 義三は、佐吉が紹介した松平河内守まつだいらかわちのかみ江戸上屋敷えどかみやしきの普請の縄張なわばりに行く途中だったのだ。

「へい、この度は色々お世話になりやして、この御恩ごおんは生涯……」

「馬鹿野郎、お前の御恩、御恩ってのはももう聞き飽きたよ、大袈裟おおげさなんだよ」

 佐吉は、義三の言葉を制した。

「まあ、いい仕事しろよ。おいらに恥かかせるんじゃないぜ。松平様は怖い御方おかただ。手抜てぬきなんかやったら、バッサリだぞ」

「えっ、そんなに怖い御方なんですか?」

 義三は正味しょうみにとったのか、少し顔色が曇った。

「馬鹿、冗談だよ。だがよ、おいらがお前を推したんだ。お前の仕事はおいらの仕事も同然よ。そこんとこ忘れるんじゃないぞ」

「へい、きもじまして」

 義三は深々と頭を下げた。


 佐吉が義三を推したのは、佐吉自身、義三の技量を買っていたからだ。周囲には、まだ独り立ちして間もない若造に大名屋敷を請け負わせるのは早いのではないかと反対する者もいた。富五郎も弟子の出世は嬉しいが、しくじってしまうと四代目の面子も潰れてしまうと反対だった。

「富五郎さん、俺は、将来、土佐屋の一党を束ねていくのは義三だと思っているんだ」

「………」

「あいつは、まず筋が良いし、腕もなかなかのもんだ。それに人を引き付ける何かを持っている。若い者たちにも慕われて、それでいて締めるところはちゃんと締める。何をやらせてもよどみがねぇし、何よりも熱心だ」

「熱心?」

 富五郎は首を傾げた。

「ああ、あの日以来、義三は毎日のようにやって来て、例の図面を借りて行くんだ。そして、二・三日後には、ちゃんと返しに来る。で、その時には、分からねぇことをあれこれ訊いて来るんだ。こんな奴は義三だけだよ。もう今は、義三に教えることなんか殆ど無ぇぐれぇなんだ」

「そうだったんですかい。あの馬鹿野郎、遠慮も無く」

「いや、おいらは嬉しいんだよ。こいつはものになると思ったね。遠慮がないぐらい方がいいんだよ」

 佐吉は、富五郎の同意を求めた。一本立ちしたとは言え、まだ日は浅い。師匠に当たる富五郎の意に反してまで義三を推すことはできない。

「分かりやした。おいらも義三についての目利めききは四代目と同じでござんす。野郎に足らねぇのは実の仕事だけなんです。こんなありがてぇ話、あの馬鹿野郎には勿体もったいねぇ。あっしからも礼を申し上げます」

 富五郎は、その日の晩には義三に伝えた。義三が喜んだのは言うまでもない。『生涯ご恩は……』と云う言葉が何度も義三の口から出るのは、その時、富五郎が因果いんがを含ませたろうが、義三の本心であるのも疑いのないものだった。


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