第3話『十四歳・秋』

 まだ夏の暑さが残る九月。夏休みが終わって二学期になった。咲希の手首には僕が贈ったリストバンドがある。小さな町だ、噂はあっという間に広がっていて、学校内に咲希の自殺未遂を知らない人はいないほどだった。咲希はというと、周りの目を嫌がって学校に行かないかと思いきや、意外と普通だった。

「おはよう」

「大丈夫なん?」

「なにが?」

始業式の朝、平然とした様子で玄関から現れた咲希を見て、ああ、そうだった。咲希は周りの目なんか気にしない人だったと思い出した。


 それは幼い頃からだ。咲希の周りには社会というものが存在していない。人目を気にしたり、グループに属したり、皆が当たり前にやっていることをしない。あれは小学校二年生の時だった。図工で班を作ってみんなで一枚の絵を描くという授業があった。クラスメイトに誘われても、先生に何度注意されても咲希は一人で絵を描いていた。誰の声も咲希の耳には届かなかった。同じような場面を見たのは一度や二度ではない。社会性や協調性が皆無だから。そのせいで問題を起こしたこともある。どこのクラスにも一人はいるお節介な女子に何度も何度も話しかけられて、無視し続けていた咲希だったけど、一日ももたず目の前にあった教科書を投げつけた。幸い大きな怪我はなく小さなたんこぶができた程度だったけど、おばさんが学校に呼ばれて、咲希が怒られたこと酷く機嫌が悪かったのをよく覚えている。今回の噂のせいで揉め事が起きなければいいけど。


 僕の心配を知ってか知らずか、この日の咲希はいつになく機嫌が良くて、学校に着くまでの間鼻唄交じりで足取りも軽かった。

「陽汰!」

「成、おはよー」

僕以外に咲希が警戒しないのは成だけだ。元気よく大きな声で挨拶した成に、咲希はちらりと視線だけ送った。僕たちが通う中学校は川の側に建っている。正門を抜けるとすぐに校舎があり、正面玄関。生徒はその玄関ではなく集中下足室がある扉から入る。学年ごとに入り口が分けられている扉には、「一年」「二年」「三年」と張り紙がしてあった。それぞれの学年の人数は百二十人ほど。三十人のクラスが各学年に四クラスある。僕は先に一組の咲希の下駄箱を開き、上履きを床に置くと、三組の自分の下駄箱に向かった。無駄に世話を焼いているように見えるかもしれないが、僕の行動には意味があった。

「梶原、教室に行く前に職員室に来い」

「・・・はい」

上履きに履き替えて階段を上ろうとした時だった。咲希が担任に呼び止められて職員室に来るよう言われた。咲希は一人で行くと言い、僕とはその場で別れた。

「お世話が大変だな。それにしても、上履きまで出してやるのはやりすぎじゃね?」

「俺が先に下駄箱開けんと、何かあったら困るやん」

「何かって?」

「小六の時さ、上履きの中に画鋲仕込まれとったの覚えてない?」

「ああ、そんなこともあったな」

俺は、咲希を虐めから守っているんだ。いや、正確には咲希が目立つことから守っている。


 成と話しながら階段を上り、教室がある三階に着いた。咲希は一組、成は二組、僕は三組だ。咲希の教室に入り、机に鞄を置くと、僕は自分の教室へ向かい、廊下側の自分の席に座って廊下を眺めた。職員室から一組の教室に行くには、僕の教室の前を通る必要があるから、咲希が通るのを待った。でも担任は通ったのに咲希はいつまで待っても通らなかった。今日は始業式と簡単なホームルームだけ。お昼を食べたら部活だ。ホームルームが終わるのは多分十一時くらい。部活が始まる十三時まで二時間はある。僕はホームルームが終わると慌てて教室を飛び出した。一組の教室を覗いたけどやっぱりそこに咲希はいなくて、机に置いたはずの鞄もなくなっていた。

「なあ、咲希は?」

「梶原?来てないよ」

「は?」

教室にいた咲希のクラスメイトは、今日は咲希は来ていないと言った。一緒に来たのに?おかしいな・・・。

「高森」

「あ、先生」

「一緒に来い」

一組の教室から出て、頭を傾げながら自分の教室に向かっていたら、一組の担任に呼び止められて、なぜか保険室に連れて行かれた。前を歩いていた先生が保健室のドアを引くと、目に入ったのは咲希だった。僕が持って行ったはずの鞄を抱きしめて椅子に座り、俯いていた。先生は僕に行けと目配せしていて、僕だけが保健室に入り、咲希に声をかけた。

「咲希?」

ゆっくり顔を上げた咲希は泣いた後で目は充血していて、力を入れて涙を拭いたからか頬に赤い小さな擦り傷がいくつかあった。僕を見るなりまた涙を流した咲希。入り口の方を見ると先生が口パクで「帰っていいぞ」と言っていて、一緒に保健室を後にした。朝はあんなにご機嫌だったのに、一体なにがあったのだろうか。帰り道、鞄を抱えたまま黙って僕の前を歩いている咲希。何と声をかけるのがいいか、頭の中は忙しく言葉の引き出しを開けては閉じるを繰り返していた。聞きたいこともあるけど、今聞かない方がいい気がして聞けずにいた。


 学校から離れて少しすると、咲希がいつもの通学路ではない方に曲がって、何処に行くんだと思っていたら、コンビニ前で停止。僕に「アイス」と小さく言った。いつもとは違う咲希に戸惑いしかなくて、

「あ、あ、アイス?」

と変な返し方をしてしまった。まあ、案の定答えてはくれない。仕方なくコンビニに入り、咲希が好きなバニラのアイスを買った。でもお店を出ると咲希はいなくて、お店の前の駐車場を走って左右を確認したら、僕を置いて元の通学路にゆっくり向かっている咲希を見つけた。今がチャンスかもしれない。

「はい。アイス」

「んっ。ありがと」

「先生になんか言われたん?」

「しばらく休めって。病欠にするって」

「なんで?」

「切ったけやと思う。噂が広まっとるけって」

自殺未遂の噂が広まっているから学校を休めと?なんでだ?意味がわからん。僕は怒りを覚えたのに、咲希はアイスを食べながら、ちょうどいいから録りだめしたドラマを見ると笑顔で言っていた。じゃあさっきはなんで泣いたんだとは聞かなかった。こうして並んで歩いていると普通の女の子なのに、スイッチが入ると別人になってしまう咲希。しかもそのスイッチは何個あって、何がきっかけかよくわからないから困ったものだ。それでも僕は咲希を理解したくて、毎日、毎日会い続けるんだ。

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