学者少女はロマンを見るか
足軽もののふ
第1話
この世界では百年に一度、魔王が現れ、勇者に倒される。
それは既に千年以上繰り返されている、この世界の宿命だった。
魔王が勇者に倒されてから、約十年が過ぎた頃。
若い女の学者、アトリ・ナトリエは平和を取り戻した世界を歩いて回っていた。
年の頃は十代後半と言ったところだろうか。
大きな瞳にまだあどけなさを残して、高い位置で一つに結んだ甘栗色の髪が風に揺れる。
既に王都を離れて三年余り。彼女の役割は、魔王と勇者の戦いの調査を行うことにあった。
膨れ上がったリュックサックを背に、世界各地を巡っている最中のことである。
「ン、この先かぁ」
広げた地図と目の前の景色を見比べて、アトリは目的地を確認した。
ここは大陸の最西端に位置する、山と大きな湖に面した僻地である。
この地域はまだ未探索であり、新たな発見の可能性にアトリは胸を躍らせていた。
いざ自然豊かな山への一歩を踏み出した、その途端。アトリの背後の草木がガサガサと音を立てて揺れた。
ハッとして振り返ると、背後にそびえる巨木から木の葉が落ちてくるのが見えた。
枝葉の隙間から覗く獰猛な獣の瞳と目が合って、アトリはワッと短い悲鳴を上げてしまう。
「シャゲァーッ!」
「ワ――ッ!?」
甲高い奇声にたまらず悲鳴を上げて、アトリは正面を向いて駆け出した。
木々の間から飛び出してきたのが何者であるのか、確認する暇もない。
しかし長い旅の経験上、それが何者であるのかアトリには予想がついていたのだ。
(モンスターっ! 多分、モッチ!)
モッチ。この世界のあらゆる場所に生息するモンスターである。
全身ロープの様な太い毛で覆われた、丸みのあるボディ。そこにオマケのように付いた小さな手足が特徴的だ。
どこにでもいる比較的無害なモンスターではあるが、当然攻撃性は持ち得ている。
長い旅の中でアトリは例え無害であったとしても、モンスターと関わると碌な目に合わない事を身をもって知っていた。
だからアトリは全速力で駆ける。
しかしモッチも負けじとアトリの後を追いかける。
短い手足を必死に動かし、転がるように走っていく。
「しつこい~~!! 誰か、助けてェ~~!!」
「シャァーッ!」
「イヤーーッ! すっごい怒ってるーーッ!」
こんな山奥に誰かいるワケがないと思いながらも、アトリは大声で叫んでいた。
一人と一匹は叫び声を上げながら野山を駆ける。しかし人間とモンスターでは基礎体力が違いすぎた。
いかに長い旅路で鍛えたとはいえ、アトリはいよいよ息が上がり、足がもつれて前のめりに倒れ込んでしまった。
その隙を逃さないとばかりに、後方から雄たけびを上げてモッチが飛び掛かる!
あわや一巻の終わりとアトリは身を丸めてきつく目をつむるが……、いつまで経ってもモッチがその身に圧し掛かってくることはなかった。
その代わり、目を閉じたままのアトリの耳に、奇妙な会話が聞こえて来た。
「おい、人間を襲うなと言っただろう」
「モキュゥー……」
「そりゃまぁ、こんな辺鄙な山奥に来る人間なんて訳アリだと思うが……人間に変わりはないからな。分かったか」
「モッ、モッ!」
「良し、じゃあ帰ンな。おう、おやっさんに宜しくな」
急に現れた人間の声に驚き、アトリは恐る恐る目を開けて体ごと後方へ振り向いた。
視界いっぱいに広がる壁。いや、壁かと思うほどに広い筋骨隆々の背中だ。
自身とモッチの間に突然現れたその背中に、アトリは目を丸くして驚いた。
「おう、お嬢さん。怪我はないかい」
男は振り向き、アトリに手を差し出した。
見るに男は四十台前後といったいかつい風貌で、背中のみならず手足も太い。
その太さは鍛えられた筋肉の膨らみからくるものだということは、着ている長袖シャツの上からでも良く分かった。
太い眉毛の下の目は垂れ気味で、どこか柔らかな印象をアトリに与えた。
しかしその右目には、眉から頬骨辺りにかけて縦に大きく切り裂いた傷痕が残されていて、彼がただ者ではないことを強く印象付けている。
アトリは差し出された手を一度じっと見つめる。
自身の手よりも一回り程大きく、節くれだっていて、一目で分かる皮の分厚さをしていた。
なるほど、山で暮らす人の手だと納得して、アトリは男の手を取って立ち上がった。
「お陰様で……。助かりました。ありがとうございます」
「ここら辺のモッチは気が荒いンでな。散歩には不向きだぞ」
「散歩じゃないんですよ。私、調査に来ていまして」
服に着いた土を払いながら、アトリは自分が学者であること、十年前の勇者と魔王の戦いの調査をしている事を伝えた。
男は珍しい訪問者に思わず感嘆の声を上げる。
「ほぅ、学者さんかい。こんな山奥まで大変だな」
「いえ、意外と楽しいものですよ。あ、紹介が遅れました。私、アトリ・ナトリエといいます」
「おう、俺はレグルス。この山に住まわせてもらってる」
「山に?」
「ン、掘っ立て小屋立ててな」
レグルスが指をさした先には丸太小屋があった。
遠目からでも分かる立派な造りに、アトリは凄いと声を漏らす。
アトリの素直な感想に気をよくしたのか、レグルスは目元を緩ませて嬉しそうに笑った。
「良ければ寄ってくかい。随分とお疲れのようだしな」
「そうですね。お言葉に甘えて。ついでに、この山のことをお聞きしても?」
「おう、構わんよ」
「ありがとうございます!」
アトリは頭を軽く下げ、レグルスの後に続いた。
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